6. やっと届いたその手を掴む
『……ラーラ……お前は……相応しく……な……』
またこの夢だ。
とても嫌な悪夢。毎夜見てしまう、茹だるような泥が私に絡みついてくる夢。
『婚約を破棄……する』
ああ、フィリップ殿下。私の婚約者だったひと。幼いころ淡い初恋をした貴方。
『浮気? そんなの噂に過ぎない』
どんなに素行が良くなくても、どんなに他の女の子と仲良さそうにしていても、どんなに私と居てつまらなさそうにしていても。王立学園のパーティーで私の手をとって踊ってくれた。
『お菓子? そんなのくれたか? あー……そういえばあったな。忘れていた』
王妃様に厳しく教育されストレスが溜まっていて、ちょっと性格が荒々しくなられただけ。
動物がお好きで、大切にされているペットの犬と遊ぶときは心から楽しそうにしている、優しいお方だって。
魔獣使いの才能を見出されたときは、こんなの第一王子の才能として相応しくないとひどく落ち込まれていて。
本当は心根が繊細で、将来は良き王になられると信じ。
『お前との茶会の約束……ああ、あったか。これから別の用事がある、今度にしろ』
私は民を導く殿下を支えるのだ。
ずっとそう自分に言い聞かせていた。
なのに。
『ラーラ・ヴァリアナ、お前との婚約は破棄させてもらう。君はシシリーを平民であるからと幾度となく王立学園で虐めを繰り返してきていた!』
捨てられて。
『君、婚約破棄された元貴族だったんだろう。悪い噂が立つからもうこの店で働くな』
わかってもらえなくて。
『魔法剣士なら間に合ってる。荷物持ちでもいいからパーティーに入れてくれって? うるさいついてくるな!』
必要とされなくて。
『
信じてくれなくて。
(いや……思い出させないで)
泥の中からあの声が聞こえてくる。
『──女だって隠してたんだな。オレはお前を勇者として認めて、仲間の中で一番信頼していた。なのにオレを信頼してくれてなかったんだな。オレを、オレたちを騙しやがって』
裏切られた。
(いや、いやだ……)
もうやめたい。こんな人生の繰り返しをやめたい。どんなに新しい道を探したって最後には死んであのときに戻ってしまう。
(また、死ぬ)
いやだ、死にたくない。優しくしてくれた人もいたのに。せっかく幸せな生活を送っていたのに。
もう痛い思いをしたくない。あの恐ろしい死の瞬間をまた味わいたくない。
どんどん自分の身体が冷たくなっていく感覚を思い出したくない。戦争に巻き込まれて四肢を失いたくない。魔獣に生きたまま喰われたくない。病に蝕まれて一生続くような苦しみを味わいたくない。
死にたくない、死にたくない、死にたくない!
『ラーラ』
フィリップ、殿下? 私を迎えにきてくださったのですか?
『貴様には、生き地獄がお似合いだ』
足元の泥が消え、永遠の暗い穴に突き落とされる。
女神様、女神様。もう生きたくありません。
どうか私を、ちゃんと殺して──。
「ラーラ、ラーラッ!!」
大きな声で目が覚めて、目の前には。
「……う、ぅ……」
「大丈夫か、とてもうなされていたぞ。俺だ、クリスだ」
「クリ……ス……」
「そうだ。クリスだぞ、ラーラ」
「……り、竜王様!」
ラーラは眼前にいたのが竜王クリスだということをやっと認識して、名を呼び捨ててしまい慌ててベッドから飛び起きた。
「あれ、なぜ私はベッドに……」
周りを見渡せば落ち着いた部屋に天蓋付きのベッドがあり、そこに横になっていたことがわかった。
側には心配そうにこちらを見つめる竜王クリスがいる。
「昨夜遅くにコーネリア城に到着したことは覚えているか。長旅だったし君も心労が溜まっていたんだろう、ふらついていたからすぐに休ませたんだ」
「そう、でしたね。すみません。ですがどうして竜王様が……」
私の側にいらっしゃるのですか、と続けると。
「魔力の乱れを感じて駆けつけたんだ。君のためにあてがった部屋だというのに悪夢にうなされている君を助けたくて……すまない、勝手に入ってしまった」
「い、いえ。こちらこそお見苦しいところを見せてしまいました」
大丈夫だとクリスが優しく笑みを浮かべ、ベッド横に椅子を魔法で引き寄せて座る。
そしてクリスはラーラの冷たくなった手をそっと握った。
「竜王様……?」
ぼうっとラーラがその様子を見る。
クリスはそのままラーラの手を自らの右胸へ当てた。
「あっあの、一体何を……」
「安心してくれ。暖めたいだけだ」
クリスの右胸から温かな魔力が流れ込んできて、ラーラは身体がゆっくりと暖まる感覚がした。
(暖めてくださっている……そういえば魔力は心臓を核として生み出されているのでしたよね)
だからクリスは右胸にラーラの手を持ってきたのだ。乱れた魔力を鎮めるためにも。
「ラーラ。俺は君の夢を覗き見したわけじゃない。けれど悪夢を見た理由はわかる。膨大な数のループを経験した君が苦しまないわけがないんだ」
クリスは金色の瞳を切なげに細める。まるで自分もそう感じたかのように。
「君が生きているだけで俺は幸せなんだ。何度辛い目に遭っても立ち向かった君の姿を眩しく思った。だから、君が過去を思って苦しむようならすぐに駆けつけるよ」
どこまでも飛んでいくさ、と微笑む彼の笑顔は、送り込まれる魔力のように温かくて。
(竜王様はなぜこんなにも真っ直ぐに私を見てくださるのでしょう。いつも私という存在を肯定してくださる)
それにしても竜王の胸に触れるなんて恥ずかしいというか、恐れ多いというか、動悸がして焦ってしまうというか。
(その上、魔力を送るために目を伏せていらっしゃる竜王様のかんばせが……)
あまりに美しくて。
ラーラはなぜだか顔を背けてしまった。
「ラーラ? どこか痛むのか?」
「いいいいえっ! なんでもありません」
「本当か? アイリスに何か温かいものを持ってきてもらおう」
「そこまでしてくださらなくても……」
本当に大丈夫です、というラーラの言葉は伝わらなくてクリスがベッドサイドテーブルにあったベルで呼び出す。
「お呼びですね、ラーラさ……竜王陛下!?」
空色の髪を高く結い上げ、ゼレンセン王国発の魔法具『メガネ』をしているスラリとした女性が部屋に入ってきたなり声を上げた。
「アイリス、来てくれたか。ラーラのために温かいスープなんかを……」
「殿方である竜王陛下が正式な婚約を未だ結んでいないラーラ様の寝室にいらっしゃるなんて言語道断! さっさと出ていってくださいまし!」
「わっ、おっあっ! 親竜のように首根っこを掴むのをやめろ!」
あれよあれよという間にクリスは彼女に連れられる。
「ラーラ! 何かあったらすぐ俺を呼んでく……」
「わかりましたから早く溜まった執務をされてください!」
ついに竜王は閉め出されてしまい、部屋には女性二人のみとなった。
「竜王様に何かされませんでしたか、ラーラ様?」
「いえ、あっでも、暖かくしてくださいました」
「まぁっ!?」
驚いて口に手を当てる彼女に慌ててラーラが説明する。
「竜王様は魔力を分け与えてくださったのです、決してやましいことは」
「そういうことでしたか。いえ、魔力を分け与えるなどという御身に危険が伴うことをされるだなんて、後で山ほど執務室に仕事を送らせましょう」
まだ子竜気分のままでいらっしゃるのかしら、と小言を呟く彼女をラーラはじっと見つめる。
「貴方が、アイリス様ですね」
彼女、アイリスはアルア王国からの旅路で被っていたフードを外し、男性の官吏が身につけるような白のかっちりとした服を着ていた。
アイリスが一礼して答える。
「申し遅れました。先日は姿をお見せできず失礼いたしました、ゼレンセン王国の竜王クリス様の筆頭執政官アイリスです」
竜王様の執務を主に補佐させていただいています、と深い蒼色の瞳をゆっくりと瞬かせて──無論、彼女の瞳も縦に割れていて竜族とわかる──口元に笑みを浮かべた。
「筆頭執政官だなんて素晴らしいですね。アルア王国では女性は政治に携われないというのに」
「まあ。アルア王国で私がどこまでやれるか試したくなってきましたわ」
やはりアイリス様は仕事のできる明晰な方だとラーラは思う。先ほどの竜王を捌く腕は流石のものだった。
「さて。ラーラ様は香辛料を少し振った身体が温まるスープを召し上がっていただき、私は寝室を直しますね」
「直すって……あっ!」
よくよく自分の居る部屋を見ると、ランプや椅子、鏡といった家具が見事に破壊されていた。
ラーラはクリスの言葉を思い出す。
「もしかして乱れた魔力が……!」
「ご安心ください、埃一つ立てずに直しますので」
私、魔力量は少なくても細かい作業は得意なんです、とアイリスは豊かな胸を張った。
ラーラの寝室から閉め出された竜王クリスは己の執務室で顎に手を当てる。
「私をちゃんと殺して、か」
悪夢に苛まされるラーラの口から溢れた言葉。
聴いてしまった彼女の心の叫び。
疲弊しきった彼女の悲痛な望みを噛み締めるように口に出す。
「必ず、このループで最後にしてみせる」
暗い穴に落ち続ける彼女の手をやっと掴めたのだ。
クリスは手首に装着している腕輪の形をした拘束具に触れ、決意を新たに拳を握った。
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