4. やさしい偽善にあたたかな感謝を


 ワイバーン車内は表で見たものよりも随分と広く、これは精密な拡大魔法を行使しているなとすぐにラーラはわかった。

 ラーラの手の中には温かなミルクがある。アイリスと呼ばれた従者が持ってきてくれたものだ。ワイバーン車が動き出してしばらく経った後、車を停めてわざわざアイリスは手渡してくれた。相変わらず茶色のフードに隠れていて顔がわからなかったが、ラーラは「ありがとうございます」と小さく感謝を述べた。こんな何もできない人間の私に、という言葉はクリスの前では言えなかったが。


「ゼレンセン王国産の花蜜を入れておりますのよ。陛下の後先見ないランデブー飛行の後ですから身体の芯まで温まってくださいね」


 口元だけが見えるためアイリスが形の良い唇を綻ばせて言うので、ありがたく受け取った。

 一口そのミルクを口にすれば、口当たりの良い濃厚なミルクの味わいと花蜜のほんのりした甘さが調和していてとても良かった。


(アイリス様が手ずから用意してくれたものなのでしょうね。後でまたお礼を伝えなければ)


 存外、ラーラはこのホットミルクが気に入った様子で無意識に何度も口に運んでいた。

 そしてそれをじっと見つめる男が車内にいた。


「……」

「あの。なんでしょうか」


 無言でラーラを見続けている彼、ゼレンセン王国の竜王クリスは眉根を歪ませていた。そして愛玩動物が飼い主に対し嬉しそうに涎を垂らすが如く、つまりはうっとりとした顔で言った。


「生ラーラ、すんごいエラくて可愛い……」

「はい?」


 思わずラーラは相手が位の違う竜王様であることを忘れ、表情を崩してしまった。


「あっこれはだな千里眼で視ていた君よりも肉眼で見たときの方がとても魅力的に映るという千里眼への不満でありホットミルクを作ってくれたアイリスを想いながら大事そうに飲む姿がエライと思っただけで決して君を食べようと思ってたわけじゃないからな!」


 わたわたと焦るクラスに竜王としての威厳はない。ただの恥ずかしがる青年にしか見えなかった。


「食べるって……召し上がります?」

「そっそんなこと簡単に言わないでくれ! ただでさえこの距離でいいにおいがするんだから……」


 と、最後はごにょごにょと呟いていてラーラには聞こえなかったが何やら頬を赤らめているのを見て「竜王陛下はホットミルク(アイリスに花蜜無しにされた)で身体が温まったのだな」と勝手にラーラは思った。


「本当に食べないからな。人族の間で言われてる竜族が人族を食べるなんて噂は信じちゃいけないんだからな、ラーラ」

「はい、存じ上げています。竜族の皆様方は星から魔力を吸い上げて生きる糧としているのだと」

「流石だな、君は。よく竜族のことを知っている。ラーラはすごいなぁ」


 俺よりも竜族のことを知っているのかもな、と窓の向こうに視線をやって言うクリスの表情は、先ほどのラーラを見ていたときの尻尾をブンブンと振る愛玩動物のような表情ではなくなっていた。心を読み取れきれない、物憂げな顔をしている。


(この方にも悩みがあるというのでしょうか)


 いや、雲の上の方の心情を考えるなど烏滸がましいことだとラーラは思い、自分も窓の先へ視線を向けた。

 ちょうどワイバーン車はアルア王国の王都の城門が見えてきているところまで走っていて、それは見事な城門だった。城門の上部にも門前にも騎士たちが配置されており、ふとラーラは一つの記憶を思い出した。


(はじめの頃の巻き戻し……ループで騎士になったことがありましたね。騎士見習いのときはフィリップ様が視察もとい私を揶揄いにいらっしゃいましたっけ)


 当時はとても悔しくて憤慨していたものだが今では何とも思わない。どんな感情も湧き起こらないのだ。


「でも悔しかった気持ちは本当だろう?」

「……恐れながら心を読まないでいただけますか、竜王陛下」

「ああっすまない、俺の眼は勝手に読心してしまうことがあって……だから、すまなかった」


 君を蔑ろにしてしまった、とまた頭を下げるクリスにラーラは「いえ……」と呟き、心の中で疑問に思ったことを尋ねる。


「勝手に読心をしてしまうのというのは先ほど仰っていた千里眼がそうさせてしまうのでしょうか」

「その通りだ。俺の魔力はバカでかくてな、拘束具で魔力を抑えつけているんだが日に日に増してしまって拘束具を壊してしまう。まだ耐久性は大丈夫のはずなんだが……これからはラーラのいる生活になるからな、もっと強い拘束力のもつ物をつけなければ」


 今のところは大丈夫だし気をつけるから安心してくれ、と笑みを浮かべるクリス。


「大丈夫、大丈夫にするから……必ず」


 そう言って下を向いて俯くクリスの表情は曇っていて、どうしてかと尋ねる雰囲気でもないしラーラは尋ねる権利もないと思い、ふと外を見た。


「停めてください!」


 はじめてラーラはクリスの前で叫んだ。クリスとアイリスが止める間もなくラーラはワイバーン車から降り、窓から見えた人だかりに向かって走り出す。そこには地べたにうずくまる使用人の格好をした女性とその彼女を蹴り上げる市民の姿があった。


「何をしているのです! 誰であろうともこの王都で暴力を振るうなど騎士団が黙っていません!」

「誰だアンタ……き、貴族様。すみませんこいつが勘定で悪さしようとしたもんで」


 ラーラの貴族のみ許されたドレス姿の格好を見て暴力を振るっていた妙齢の市民の男は態度を変える。


「今やめさせるんで。おら、早くとっとと店から出ていけ」

「その足をどけなさい。そして謝罪するのです」


 ラーラが瞳を吊り上げてきつく言うと、妙齢の男は「はぁ」と渋々また蹴ろうとしていた足を下ろした。


「謝罪なんてしませんよ。こいつが悪いんですから」

「良いも悪いもありません。この方は貴方によって怪我をされたのですよ。理由になっていません」

「理由? 理由ならありますよ。こいつがアイの使用人だからです」


 妙齢の男は至極当然のことのように言う。ああ、またこれだとラーラは思った。

 竜族蔑視。アイ差別である。

 彼ら人族、特に王都の民はその傾向が強く奴隷として竜族を扱っているのだ。アルア王国に住まう竜族は皆貧民街に収容されるか貴族の奴隷という職業・・を与えてもらえ、日々虐げられている。

 幾度も蹴られ地面に身体を投げ出していた竜族の使用人の女性の姿は何ら人族と変わりはないが、一つだけ違う点があった。よく見ると顔の右半分が鱗におおわれているのである。そんな彼女が蹴られた腹を庇いながらおずおずと言った。


「そんな……勘定が間違っていたのを指摘しただけです。どうかその果物を適正な値段でお売りください! ご主人様が所望しておられるのです!」

「うるさい、さっき言った値段だって言ってるだろう!」

「ですが先ほどの方には200アルも安いその値段でお売りしていたではありませんか」


 看板には1個220アルと書いてあり、竜族に提示されたのは法外な値段であることを示している。

 私には適正価格の金額しかご主人様に持たされていないのです、と竜族が懇願するが。


「聞き間違いだろう。貴族様が市民街にまでいらっしゃってるんだ、二度と姿を見せるな」


 すみませんね、と妙齢の男は人のいい笑顔をラーラに向けて商品棚に並べられた果物を売ろうとする。


「貴族様、何かのご縁ですからうちの商品を……」

「謝罪を」

「……へ?」


 ラーラはもう一度はっきりとした声で言いのけた。


「謝罪をと言ったのです。そして彼女に治癒魔法を。簡単な治癒魔法具なら王都の市民であれば持っているでしょう」

「ええっ治癒魔法具は疲れますしアイにですか? 正気です?」

「……貴方に何を言っても無駄のようですね」


 ラーラはドレスのまま地面に膝をつき、腹に怪我をしている竜族の使用人に手をかざし治癒魔法をかける。


「竜族の方、他にも怪我をされてますね。腕ですか? そちらもお診せください」

「な、何してんだこの貴族様……」


 妙齢の果物売りの男はラーラの行動に呆気に取られる。


「申し訳ございません、貴族様。貴重な魔力を私に……」

「いえ。この程度は微々たるものですので。他に痛むところはないですね」

「は、い……」


 竜族の彼女が立ち上がり、ラーラもまた彼女の隣に立って果物売りに相対した。それも皆に聞こえるよう大きな声で。


「果物は1個220アル。420アルはどう聞いても高すぎます。看板の値段違いでしょうか、それとも貴方は──このような騒ぎを起こして店に悪評がつくことを承知の上で420アルで売ると?」


 ハッと果物売りの男が周りを見渡すと人だかりが先ほどよりも大きくなっていて、ひそひそと市民たちが口々に言う。


「あの店で買うとふっかけられるんだと」

「まあひどい。前から態度悪いと思ってたのよね」


 肩を震わせてラーラを睨めつける果物売りの男は指を指してラーラにだけ聞こえるように小声で罵倒した。


「いい子ぶりやがるお貴族様め。いいさ、普通に売ってやる」


 果物売りは竜族の男の足元に果物を放り、依然として竜族の味方についているラーラの元で竜族の使用人が硬貨を支払う。


「待って、あの客ってアイじゃないか?」

「なんだ。果物売りは普通じゃん。運が良かったなあのアイ


 騒ぎを聞きつけて集まっていた市民たちが使用人の女性の顔を見て手のひらを返す。ラーラは竜族の使用人の彼女を庇おうと口を開きかけたがどう穏便に事を収めるべきか言葉が見つからず、使用人は失望したようにぼそりと呟いた。


「ただの、貴族様のお遊びだったのですね」


 違う、とラーラは訂正したかった。けれども竜族の使用人は人だかりを掻き分けてどこかへ姿をくらましてしまった。


「……っ」


 自分は何をしているのだ。ラーラが立ち尽くしていると。


「ラーラ、ここは目立つ」


 クリスが呆然としているラーラの手を引いてワイバーン車に乗せた。騒ぎを聞きつけた騎士に咎められないようすぐに動き出した車内で、クリスは席に座ったラーラの手を取る。


「ありがとう。彼女の代わりに俺が感謝を」

「……感謝なんて。感謝されるためにやったのではありません」

「だけど君は不当な扱いをされていた彼女を助けてくれた。竜族を代表として君にありがとうと言いたい」

「……っ」


 ラーラは銀に近いシルバーブロンドの長い髪を揺らして小さく言った。


「あの竜族の方が言った通りです。私のした行為は偽善なのです、お遊びなのです。現に果物売りの方の差別意識を正せなくて周りの人々を利用しました。私はどこまでいってもどうしようもない人間、何の力もない女なのです」

「それでも」


 ぎゅう、とクリスは俯くラーラの手を握って、優しく笑顔を見せた。


「ラーラは、あの場の彼女を救ったよ。彼女が感謝の心を忘れていたとしても俺が君に感謝する。ありがとう、ラーラ」


 何も言わずに塞ぎ込むラーラへ、クリスが続けた。


「君はとても素敵なひとだ。自分に価値はないと無気力になっていても誰かのために身体が動く。あんなすごいことは誰にだってできやしない。君が何度自分を否定しても俺は何度だって肯定するよ」


 だから、ありがとう。


「……」


 ぼうっと、視線を下にしたままのラーラに、クリスはずっとあたたかく微笑みかけていた。

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