3. その決意は心臓の奥底に


 お姫様抱っこ。それは令嬢にとって『王子様にやってほしいことランキング一位』の横抱きのことである。ラーラは今現在そのお姫様抱っこをされているのだが。


「あっ」


 ゼレンセン王国の若き竜王、クリスは背にある大きな漆黒の竜の翼をはためかせて空を飛びながら拍子抜けする声を発した。


(今『あっ』って言わなかったかしら……)


 途端に不安になる。一体何があったというのだろう。一瞬己の体重が重すぎてもう飛んでいられないと思われたのかと思ったが、ラーラにとっては別段どうでもいいことか、と感情が平坦になる。

 クリスは明らかにまずい、という顔をして呟いた。


「ラーラ……格好良くアルア王国の城を飛び出してきた俺たちだが、これからものすごーく俺は格好悪くなる。だが気にしないでくれ、君は全然悪くない! むしろよくあの場面をやり遂げたと褒められるだろう!」


 自らこれから自分は格好悪くなると自白する心意気はいいことだ。だがラーラをお姫様抱っこして飛びながらする話ではない。とても不安になってしまう。

 半目で無言のままでいるラーラを見てクリスは、顔色を徐々に悪くしていった。


「ああっ違うんだ、本当に君のせいじゃないんだ! 君のことは小鳥の羽根のように軽いと思ってるし絶対に落としやしないと誓うし、生で見るラーラのことはものすごく可憐で美しくて可愛いと思っている! だからその、その……」


 クリスは慌てて自分が何を口走っているのかわかっていないのかラーラへの想いを吐露してしまっている。そして、優しくぎゅっとラーラを腕の中に抱きしめてクリスは叫んだ。


「いるんだろう、アイリス! 闇魔法で俺の影に隠れてないで面と向かっていつもの小言を言え!」

『小言とはなんですか、陛下! 貴方様のことを思って叱っているのですよ!』

「叱ってるのも小言言うのも同じじゃないか! いいから姿を現せ!」


 遠隔魔法で聞いたことのない几帳面そうな女性の声が聞こえてきて、ラーラは少しだけ目を見開く。そして手をかざして探知の魔法を使ってみると本当に飛んでいるクリスの下、影に誰かが潜んでいることがわかった。


「ラーラが怖がってるだろう、ここまで飛んでこい!」

『陛下、それでは更に人族の視線を集めてしまいます。下をご覧ください、たくさんの人族が竜王様の御身を見上げております。そんな中でまた翼を広げた竜族が現れでもしたら混乱が起きますよ』


 ましてやここは竜族蔑視の激しいアルア王国の王都なのですから、と続ける女性──アイリスと呼ばれたクリスの部下はあくまで諭すように言った。


『そのままではいけません。ラーラ様に何かあっては遅いのでは? 若くして聡明な陛下ならすぐにわかることですよね?』

「わかったわかった、よーくわかったからお前のワイバーン車はどこに停めているか教えろ!」

『仕方ありませんね』


 クリスとラーラの目の前に地図がポンと現れ、ここから程近い路地裏に赤い点が示された。恐らくそこにワイバーン車──竜に最も近い動物の一種で生粋の竜族の配下であるワイバーンがひいている車のことである──があるのだろう。


「アイリス、わかっているとは思うが、ラーラは……」

『ええ、竜族全員が存じております。ご安心くださいね、ラーラ様。突然陛下が逃避行ランデブーをされたため怖くて寒い思いをされたでしょうに。温かいミルクを用意しておりますのでこちらへおいでください』


 ありがとう、とクリスはアイリスに遠隔魔法越しに感謝を述べた。


『早くおいでくださいね、陛下。でないと陛下の分のミルクは花蜜無しです』

「酷いぞ! ラーラ、急降下するから少し揺れると思う、けどなるべく優しく降りるから俺に捕まっててくれ」

「私にはそんな恐れ多いことは……それに私なんかにそこまでしてくださらなくても」

「いいから。ほら、俺に抱きついて」

「……はい」


 クリスの首元に腕を伸ばして抱きつくラーラにクリスは、ふ、と笑った。


「いい返事だ。それに俺はラーラだから優しくしたいんだ、だから『私なんか』なんて言わないでくれ。ラーラはこの世界に生きているだけで奇跡のような綺麗な存在なのだから」

「綺麗だなんて……」

「お、また言おうとしたな。大丈夫だ、君は居るだけでいいんだ。存在していいんだ。それだけはわかってほしい」

「……」


 わかってくれなくても何度だって言うからな、と言う割に優しい表情をするのでラーラは何も言えなくなる。


(なぜ……そこまでして私のことを……)


 クリスはゆっくりと風の抵抗を翼で調整しながら降下していった。





「陛下、ひとまず車の中へ。ラーラ様、後ほどご挨拶させていただきますね、隠蔽の魔法をワイバーン車にかけてからゆっくり発車いたします」


 降下したクリスをお辞儀して待っていた女性、アイリスはワイバーン車の扉を開く。

 アイリスは目立たぬように人族の冒険者がよく羽織る茶色のフードを被っていてどのような容姿をしているかわからない。けれど遠隔魔法で聴こえていたより凛とした声で仕事ができそうな女性だ、とラーラはワイバーン車に乗り込みながら漠然と思った。

 無論クリスが車内が安全かどうか確認してからラーラを先に乗せて後から自分が乗り、扉を閉めた。


「人族の都だからな、用心に越したことはない」


 険しい顔つきをしていたと思ったら、またニパッと牙を見せるように笑ってクリスはラーラに向かって言った。


「この車内は防御も完璧だから魔獣はもちろん人族に見つかってもそう簡単に壊れたりしない。安心してくれ」

「……はい」


 ワイバーン車が動き出した。きっとアイリスの言った通りこの車は人族の貴族が乗った車に見えているのだろう。

 どこまでも受動的に返事をするラーラに、クリスはずっと笑顔で応えてくれる。どうしてなのだろう、そこまでされる価値は自分にはないのに、とラーラが思ったところで、クリスが顔をずいっと近づけてきた。


「今、自分に価値はないと思っただろう。顔に出てるぞ、読心しなくても俺にはわかる」

「……では、その。お尋ねしても、よろしいでしょうか」

「ああ、もちろんだ」


 きゅ、と青と銀を基調としたドレスを掴んで、小声でラーラは尋ねた。


「なぜ。私を婚約者として選んだのです。なぜ私を知っていたのです。他ならぬ貴方様が……ゼレンセン王国の竜王陛下が」


 クリスはパチクリと金色の瞳を瞬かせてから言った。


「ちゃんと説明しなくてはな。ラーラには聞く権利がある」


 佇まいを正してクリスは口を開く。


「竜族は、この世界における巻き戻しの現象を知覚している。何度も世界がこの年、エレノア紀1245年に戻るこの現象を我々は『ループ』と名付けた」

「ループ……」

「そしてあるとき我が国が危機に瀕した未来の時代に、勇者が現れ我が国に捕虜として連れてこられた。そのループのときのゼレンセン王国は荒れていてな、勇者の存在を消そうとある一派が動き出し勇者の首をはねた」


 だんだんと思い出してきた。

 ラーラは一度口を開いてから閉じ、そして小さな声で告げた。


「その勇者とは、私のことですね」

「……そうだ」


 クリスは真っ直ぐラーラの曇った碧眼を見て、頭を下げた。


「すまなかった。あのとき俺は竜族の中でも好戦的な一派を御しきれずラーラを助けてやれなかった。それに俺は──」

「貴方様は。邪竜と化し世界の敵となっていた」


 沈黙が車内を満たし、ガタン、と轍を車輪が乗り越えていった音が聞こえた。


「本当に、本当に……すまない。すまなかった、ラーラ。君を勇者にしてしまい、挙げ句の果てに俺が君を殺してしまった」

「いいえ、違います。あのときの私の首をはねたのは貴方様ではありません。私は最後まで見ていました。仲間に裏切られ敵国ゼレンセンに売られた私の最期を」

「それでも……ループし無かったことになったとしても、君の尊い命を落とさせてしまったことには変わりはない」


 謝らせてくれ、とクリスは再度頭を下げた。


「面を上げてください、竜王様。私は恨んでなどありませんし謝罪してほしいとも申し上げておりません」


 無言のままクリスは頭を上げるが、その表情は悲痛なものだった。


(どうしてここまで謝るのでしょう、この方は。もう終わったことで、しかも人々の記憶には残っていないというのに)


 そこでラーラはハッとした。


「竜族はループを知覚していた……」

「ああ。とりわけ俺は一番強く感じていたんだ。その上俺には『千里眼』があったから、人族が呼ぶ邪竜王ジャーイとなっていても君がループの中心だと気づいたんだ」


 クリスは説明を続ける。


「そこからが長かった。君がエレノア紀1245年のどこからループしているのかを調査する日々が続き、君を見つけられず何度も何度も世界はループした。君に接触を図ろうとしたこともあったが何度も妨害のようなものが働いてできなかった。君を助けたかった。どんどん笑顔を無くしていく君を見るのが辛かった」


 いや、辛いのは俺ではなく君の方だ、とクリスは自重する。

 そしてクリスはラーラの目の前で心臓のある胸に手を当て、宣誓するように告げた。


「前回のループでようやくあの『アルア王国の晩餐会での婚約破棄』の場面が起点だとわかったんだ。だから今回、君をこうして連れ出すことに成功した」

「では、お聞きしても? なぜ私を連れ出そうと思ったのです」


 このように手厚く保護するのではなく飼い殺しにすれば良いでしょうに、とラーラが言えばクリスは彼女の手を握り真剣に伝えた。


「君を守りたかったんだ。笑顔を思い出して欲しかったんだ。君は俺にとって救いで、最高の勇者だったんだから」


 ラーラは思い返す。

 勇者になったのは一度ではない。幾度も魔獣の群れと対峙し邪竜──すなわちクリスと相対したこともあった。敵であったはずのクリスの口からそんなことを言われるなんて、思ってもいなくて。

 自分はただひたすらに邪竜を討伐しようとしていただけなのに、そんな自分を守りたいだなんて。


「不思議な方ですね」

「俺が?」

「はい。何度も殺そうとした貴方様とこうして会話しているだなんて。何度も殺されそうになった貴方様から守りたいと言われるだなんて。本当に不思議です」


 ふ、とラーラの口元が綻んだ。


「そうして貴方様は私を守ろうと思ってこうして駆けつけてくださったと。婚約までして、このような廃人も同然である風が吹けば飛びそうな私を庇護の対象として見るだなんて……」

「ラーラだからだ」


 かつてクリスを殺そうと聖剣を握った彼女の手を強く握る。


「ラーラは俺に希望をくれた。応援したいって、今度こそ幸せになってほしいと思ったんだ。だから……君を守ってこのループを最後にしたいんだ」

「このループを最後に……」


 ああ、と力強くクリスは頷いた。ラーラはクリスの言葉をぼうっと聴く。


「君に幸せを。君に笑顔を。そのためならなんだってするさ」


 クリス・ゼレンセンといういつか未来で世界の敵となる男はラーラというただの娘の手を握り、心のままに伝えた。

 不思議と、信じてみたくなる。空っぽだったはずのラーラはそう感じたのだった。

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