2. 竜王様の金の星空


(ざわついている……当然よね、婚約者ではない得体の知れない殿方と晩餐会会場に現れたのだから)


 王室から晩餐会に招待された人々、つまりは貴族のお歴々や子息、令嬢たちがラーラとその彼女の手を取って現れた黒髪の男に視線を注いでいる。あのラーラ・ヴァリアナと婚約しているのは第一王子なのではなかったのかと訝しげな顔を揃いも揃ってしているのも無理はない。

 晩餐会に呼ばれた者は主賓である第一王子へ一番に挨拶をせねばならない。ラーラはこの謎多き人間──いや竜族の男をちらと見上げると、彼はまたニパッと愛玩動物のように口を開けて笑った。


「そんなに緊張しなくてもいいぞ。ラーラはそのままでいい。挨拶が終えれば後はすべて俺がやるから」

(すべてやるって何をでしょう……)


 とにかく困惑しているラーラはついに主賓の目の前にまで辿り着いてしまった。片足を後ろに引き膝を曲げて美しいドレスを広げ、挨拶をする。

 何度も事務的に行ってきていたことだからスルスルとラーラの口から流れるように流れ出る言葉。


「ご機嫌麗しゅうございます。ヴァリアナ伯爵家のラーラが参りました、フィリップ殿下」


 女神が愛でると言われる金系の髪、翠の吊り目にこの国で唯一王室の者が身につけることを許される真っ白な騎士服を模したサーコート。一番に目を引く彼はラーラの婚約者であり。


「ふん、よくおめおめと僕の前に現れたな、ラーラ」


 この国の高慢浮気王子なのである。


「君に言い伝えねばならないことがある。ここにいる皆にも聞いてもらいたい! 父王と母君には後ほど伝えるが決定事項なのだ」

(いつものですね。もう何度聞いたことか)


 ぼうっとした顔でフィリップを見ていたが、もうこの顔は見飽きている。次の言葉はこれだ。


「ラーラ・ヴァリアナ、君との婚約は破棄させてもらう。君は彼女、シシリーを平民であるからと幾度となく王立学園で虐めを繰り返してきていた! これは到底伯爵家の一員として、いや僕の婚約者として相応しい振る舞いではない!」

(私の仕業ではないのですよね、これ。シシリー様も恋に浮かされてフィリップ様の企みに乗ってしまっていらっしゃるし)


 フィリップ第一王子の側には彼が贈ったのだろう、平民には到底着られないような豪華なドレスを着た女の子がいた。フィリップに腰を引き寄せられ頰を赤くしている。この国で唯一の光魔法の使い手なのだからしゃんとしてほしいものだが恋に染まった心はフィリップの浮気性を見抜けていないらしい。

 この何百回も言われた言葉にラーラは、無表情でかつ無言でいた。


(なんて……言えば。いいんでしたっけ)


 ぼうっとしたままぼんやりと佇んでいるラーラを見て周囲の人々は「一体どうしたのだ」「図星だったのか、あの反応は」と徐々に騒ぎ立てる。


(もうどうでもいい──)


 そう思った、そのとき。

 隣の男が動いた。


「そのお言葉、心臓に誓うと?」

(へ……? 何を言い出すのです)


 この国ではまず見ない輝く金色の瞳にたじろぐフィリップは裏返したような声を出して言った。


「そ、そうだ、ラーラはこの僕フィリップ・アルア・ヤルチンダールの婚約者ではなくなった! 今このときをもってだ!」

「ヤリチンダール? 難儀な苗字をしているな。さては女を取っ替え引っ替えしてるとみた」

「ヤ、ヤリチ……? 無礼な、そんなことはしていない! シシリー、信じてくれるよな?」


 はいっ! と恋に盲目な少女は頷くばかりでフィリップは安心するがラーラの隣にいる男に向かって言い放った。


「名を間違うなど不敬にも程があるぞ。どこの家の者だ、言え!」

「言っても驚いてその不埒な腰を抜かすだけだと思うんだがなぁ。それに俺はお前のことも見ていたぞ」

「ききき貴様何を知ってる!」

「すべてを知ってるぞ。この世界に起こるすべてを、並行する世界で起こっているすべてを、そしてお前の名の由来も魂胆も今まで手を出した女の数もな、ヤリチンダール」

「何を世迷言を。それにまた間違えたな! 意図的に僕の名を間違えてるだろう!」

「バレたか」

「きっさまぁ!」


 ラーラは少し驚いて目を開く。こんなに狼狽したフィリップ王子を見たことがなかったからだ。王子を手玉に取るこの男の言っていることや王子の名の由来のこともわからなかったが、とにかくすべてを見透かす魔法を行使しているのかと思い込んだ。

 周りの貴族たちはどうすることもできずざわつくばかり。そこへ晩餐会会場へ最後の来訪者たちがやってきた。


「何の騒ぎだ、フィリップ」

「父様! このよくわからない男がよくわからない間違った苗字を何度も」

「臣下の前では陛下と呼ぶようにと教えませんでしたか。そしてこれは何の騒ぎです?」


 王妃がフィリップ王子を嗜め、説明を求める。王がそれに続こうとしてラーラの側にいる男を見やり──正確には男の金色の瞳を見て──驚愕した。


アイが何故ここにいる!? そ、それに貴様は!」


 王の言葉にようやく気づいたのか貴族たちが先ほどまでフィリップ王子をおちょくっていた男を見て悲鳴を上げる。


アイ!? アイがこんなところに!?」

「早く摘み出せ! 騎士を! 騎士を招集しろ!」


 ワアワアと大事になった晩餐会をラーラは見つめるばかりで、隣の男は正体がバレたというのに朗らかに彼女に笑ってみせた。そしてフィリップにはもう目もくれず王と王妃に向かって言い放つ。


「陛下はご存知のようだ。俺の名はクリス・ゼレンセン、お前たちが蔑む竜族を束ねるゼレンセン王国の王」


 そうしてクリス・ゼレンセンはラーラの腰をそっと引き寄せ。

 その背中に漆黒の竜の翼を広げた。


(本当に竜だったのね)


 達観しているラーラはこの異様な状況にも動じていない。何が起きても心が揺れ動かないためだった。

 一方王族たちや貴族たちは逃げ出そうとする者や女神に祈り出す者がいて平静を保っていない。


「翼が出せている……本当に貴様はクリス・ゼレンセン、完全なアイになれる竜王なのだな」


 王はきつくクリスを睨めつけながら言った。クリスはその通り、と笑む。


「お前たちが恐れる竜王は、第一王子が婚約破棄し今後伯爵家からも勘当されるだろう身寄りのないラーラ・ヴァリアナを我がゼレンセン王国に俺の婚約者として迎え入れる。相違はないな、ラーラ?」

「へ!?」


 本日二度目の感情のこもった声を出したラーラはクリスを見上げて思う。

 アルア王国ではなくゼレンセン王国で賓客、いや婚約者として受け入れてもらえば自分の生存率は上がるだろう。今までのループでアルア王国には散々な目に遭わされてきた。いきなり婚約というのには驚いてしまったが。


(もう今世はどうでもいいと思っていましたけど……褒めて、くれましたから)


 こくり、とラーラは頷いた。

 いつの間にやら腰を抜かしていたフィリップが声を上げる。


「きっききき貴様僕のラーラを、僕のラーラを連れ去るなんて……!」

「連れ去るなんて人聞きの悪い。俺はゼレンセン王国とアルア王国、ひとえに竜族と人族が手と手を取り合う歴史の一ページを作ろうとしているんだ。なあ、王様?」

「……本気のようだな、邪竜王ジャーイ


 邪竜王ジャーイと呼ばれ、ずっと楽しげに朗らかに笑っていたクリスの顔から笑みが消える。

 クリスからの威圧感に怯えながらも王は言った。


「ラーラ嬢をゼレンセン王国に嫁がせよう。ただしこの場にいる者たちの命と安全を約束するものとする」

「心得た。今後は貴国と国交を樹立させたいものだ。ではさらばだ、人族の諸君! ラーラは預かった!」


 アルア王国の国王と交わした約束を声高く宣言しクリスは腕を窓に向けて魔法を行使し開ける。そしてラーラを横に抱き抱えそのまま竜の翼をはためかせて窓から晩餐会を飛び出した。

 つまりは、空を飛んでいる。


「あーっはっはっは! 人族のあの度肝を抜かれた表情、見ものだったなラーラ!」

(王国間の国交をさらっと樹立させたいと言っておきながら悪者みたいなことを言っているわ……)


 竜王に抱き抱えられて空を飛ぶという突飛な経験をしているのにも関わらず、ラーラはじっとクリスの整った顔を見つめていた。

 クリスは「ん?」とラーラに優しく微笑む。さっき邪竜王ジャーイと呼ばれたときとはまるで違う。


「どうした、空を飛ぶのははじめてか? そうだったな、君は冒険者になりたてのとき魔獣に吹っ飛ばされた経験はあったがこうして空を飛んだことはないか!」

「何故それを……!」

「言っただろう、俺はすべてを見ていたと。君の人生のやり直しを知覚したときからずっと見てきていた。だからラーラ」


 きらきらと輝く夜の星空を背に飛び続けるクリスの黄金の瞳は、どんな星々よりも輝いて見えて。ラーラは息をするのも忘れていた。


「本当によくがんばったな。エライぞ、これからは心安らかで悠々自適な生活が君を待っている!」


 また、褒められた。

 自分は褒められるような人間じゃないのに。でも、冷たい岩のように硬かった心がほんのり温かくなった気がして、ラーラはほんの少しだけ──それもきっと数十年ぶりに──笑みを浮かべた。

 するとクリスは頰をさっと赤らめて呟いた。


「……生ラーラ、すごいな」

「へ? なんです……の?」

「いいから! このままひとっ飛びだ!」

「ひとっ飛び!? ひっひゃぁ!」


 ラーラはこれから思い知ることになる。

 クリス・ゼレンセンの婚約者になるということは、褒め褒めの毎日が訪れるということを。


 褒められラーラは、今は心を閉ざしたままだけど。

 これからきっと、彼の言葉と笑顔でその心の扉を開けられる日が来る。

 

(きれい……)


 ラーラは久しぶりに、黄金の星を眺めて美しいと感じたのだった。

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