竜王様、ループ∞回目ですが褒められていいんですか?

@Tatsuno_Midori

1. ループ∞回目の伯爵令嬢は褒められる


「よくがんばったな。もうこれからはがんばらなくていいんだ、ラーラ」


 これから婚約破棄される見目麗しい伯爵令嬢は。

 後の邪竜王と呼ばれこの世界を完膚なきまでに破壊しつくし、全人類から恨まれ、憎まれ、勇者に倒される運命にある男に頭を撫でられていた。


(どうなってるんですか……!?)


 時は少し、遡る。





 ラーラ・ヴァリアナは伯爵令嬢であり、この国『アルア王国』の第一王子の婚約者である。

 そして、人知れず何度も人生をやり直していた。

 はじまりは伯爵令嬢から奴隷にまで転落した人生で、散々酷い目に遭って最期には斬首刑で呆気なくラーラは死んだ。

 次はもう奴隷にはなりたくない、自由になりたいと思って冒険者になった。とても楽しかった。仲間もできて毎日がワクワクして、明日はどんな魔獣を倒そうかと夜も眠れなかった。次の日にダンジョンでヘマをしてラーラは死んだ。

 その次は自分の力量不足で死にたくないと誓って鍛錬をし、騎士を目指した。女だとバカにされてもへこたれずに訓練についていった。任務で想定以上の事態が起こり部隊長に見捨てられ、部隊ごと孤立し魔獣たちに追い詰められた。部下たちは全員逃がしてあげられたけど、ボロボロになったラーラは自らを犠牲にして魔獣たちを引きつけ、死んだ。

 次こそ死にたくないと思っていたらなんと勇者に選ばれた。がむしゃらに鍛えて戦った。女だと民衆に露見しないように髪を短く切られ、男らしく振る舞い重い鎧を着て仲間と共に大勢の敵と戦い、けれど仲間の一人に裏切られて敵国に売られ、ラーラは死んだ。


 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。


 数十回、数百回。数えきれないほどラーラは死んだ。そして死んだらまたこの場面に戻されるのだ。

 第一王子に婚約破棄される王室主催の晩餐会に呼ばれ、今まさに晩餐会会場の扉の前にラーラはいた。


(ああ、私また死んだのでした)


 なんで死んだんだろう。もう思い出せない。

 ラーラは俯き、銀に近いシルバーブロンドを揺らした。綺麗に侍女たちに結い上げられてハーフアップをしていたからか陶器のような美しい肌に髪が垂れ、影を落としている。


(何回目でしたっけ、婚約破棄されるのは)


 必ずラーラは死んだらこの煌びやかで王室のシンボルである薔薇と剣をあしらった扉の前に戻される。そして扉を開け、婚約者である第一王子に挨拶をしたら将来の父君と母君となるこの国の王と王妃の前で開口一番に言われるのだ。


「ラーラ、君は僕の婚約者に相応しくない。相応しいのは彼女だ」


 聞き覚えのない、平民出身の『彼女』に対する私からの虐めや痛めつけの数々を晩餐会に招待された皆に聴こえるように高らかに述べる彼に、最初の人生では──ああ、どんな風に「私はやっていない」と伝えたんだっけか。

 ラーラはもう、はじめのループの頃の自分を思い出せない。


(忘れちゃいました。確かすごくびっくりしてとにかく勘違いを正そうとしたんでしたっけ)


 はぁ、と溜息を吐く。視線を下にすれば髪色に合うように母が貴重な布を取り寄せて作らせた青と銀を基調とした豪華なドレスが目に入った。どうせもう着れなくなる、最後のドレス。

 ループに気づいてはじめはとても混乱した。でも現実は待ってくれなくて、ラーラは一度目の苦しんだ人生をもう一度味わいたくないと思い泣きながら王城を出て、薄汚れて路頭に迷っていたところを心優しい冒険者に手を差し伸べられたのだ。だんだん、思い出してきた。


(あれ、彼にはとてもお世話になったのに彼の名前が思い出せない)


 ループが積み重なるうちにラーラの心は擦り減っていった。伯爵令嬢としての振る舞いは無くなり、毎度していた心優しき冒険者の彼への御礼も義務的になり、自信も尊厳も何もかも空っぽの無になってしまった。

 ラーラはもう、死ぬのに疲れていた。

 否、生きることに疲れていた。


(もう生きたくない。また戻されてしまった。次はどうすれば戻されなくなるの。もう嫌、嫌なのに)


 死んでは時を戻されて「戻して! まだやり残したことがあったのに!」と泣き喚いたこともあった。悔しさをバネにして強くなろうと決意したこともあった。結局ラーラは死ねば晩餐会前の場面に戻され、廃人のようになってもう、もう。


(もう、だめ)


 ふらふらと。その場に頽れそうになったその時だった。



「間に合った。ここにいたんだな、君は」


 誰かに抱きとめられた。

 誰だろう。いやその前に今までの何百回もの人生のやり直しの中でこんなことは起きなかったしはじめての経験だ。知らない誰か、それも男性に晩餐会の扉の前で出会うなんて。

 ラーラは恐る恐る男性から離れようとして──ぎゅう、と抱きしめられた。


(へ? なんですの、これ)


 胸いっぱいに香る、誰とも知らない男性のにおい。どこかで嗅いだことがあるような気がするけれどわからない。


「あ、あの、どなた……ですか?」


 ラーラが小さく声を出すと、ようやく男性はラーラを離した。

 艶やかな黒髪は短く切り揃えてあり、一目でそこらの貴族ではないとわかる生地を使った礼服に、これまた黒く長いマント。

 そして真っ直ぐな金の瞳がラーラの姿を映した。


「よくがんばったな。もうこれからはがんばらなくていいんだ、ラーラ」


 へ。何を言われたのだ、私は。

 ラーラは頭が真っ白になる。


「がんばらなくて、いい……?」


「ああ。君はもうたくさんがんばった。俺はすべてを見ていたよ。ずっと、ずっと君を見ていた。『はじまりの起点』を探し出すのに随分と苦労したんだぞ」

「えっと、何を仰ってるのかわかりません」


 どういうことなのだろう。『はじまりの起点』とは何なんだろう。どうして自分の名前を知っているのだろう。

 でもなぜか彼の瞳を見ていると、擦り減った心がほんの少し震えるような、そんな感覚がして。

 わからない。わからないけれど。


「もう、ほんとうに。がんばらなくていいのですか」


 とっくのとうに枯れたと思っていた涙が眦から流れ出す。

 自分が何を言っているのか、彼が何を言っているのかもわからない。けれどもう、大丈夫なんだと。それだけはわかった。

 黒髪の彼は、人ではない縦に割れた瞳を優しそうに細くさせて言った。


「もちろんだとも。この俺の心臓に誓って言おう」


 そして謎の高貴なる男はその場で跪いた。


「俺の婚約者になってほしい。だからこれから起きる婚約破棄を受け入れてくれ!」


 婚約者になれだって? いやそれよりも耳を疑うことをこの男は口にした。

 これから起きる婚約破棄、と。


「知って、いるのですか」

「言っただろう、すべてを見たと。すべてを知っていると。お前のがんばりはすべてこの俺、クリス・ゼレンセンが観測してきた。だからラーラ」


 きらきらとした星の瞬くような瞳で。

 彼は笑んだ。


「よくがんばった」

「……っ!」


 今度こそ頽れたラーラを受け止めて、クリスと名乗った男は彼女の頭を撫でる。

 はじめて褒められた。はじめて頭を撫でられた。この人生の巻き戻しをよくがんばったって、はじめて褒められた。


(無駄じゃなかったんだ。私、たくさん……がんばったんだ)


 ようやく自分のがんばりを受け入れられたラーラは胸に大きく渦巻く感情が湧き起こって、脇目も振らず彼の胸の中で声を上げて泣く。

 ループして、死んで、ループして、また死んで。たくさんの人生を経験した。たくさんの人々と親交を深めた。でもすべてがこの婚約破棄される晩餐会の直前に戻される日々は、もうたくさんだった。もう一からやり直すのに疲れた。でもこの人だけは自分のがんばりを見ていてくれていて、心から誉めてくれた。

 涙が彼の黒の礼服にどんどん染み込んでいく。


(ちょっと待って)


 ラーラは突如としてハッとした。


(クリス・ゼレンセンってあの、クリス・ゼレンセン!?)


 紛れもなく彼はアルア王国と敵対国であるゼレンセン王国の国王、そして人間の姿をしているが人族ではないあの若き竜王だと名乗ったのだ。

 そしてその竜王に頭を撫でられているこの状況。


(どうなってるんですか……!?)


 混乱するラーラをよそに彼女を恭しく立たせてやったクリス・ゼレンセンは、ニコッと軽やかに微笑んでラーラの手を取った。


「さあやろうか、婚約破棄!」

「え、えぇ〜っ!?」


 あんなに忌々しかった煌びやかな剣と薔薇の扉が彼によって簡単に開かれる。

 ラーラは呆気に取られて、久しぶりに大声で感情を露わにしたのだった。

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