母さんの体調不良の原因が判明しました

 「ビルキル先生に、来てもらったぞー!」

ティアとアルと一緒にクッキーを並べ終わった頃、ベルン伯父さんは馬に乗って帰ってきた。


 回復院には、職員一人につき一頭の馬が用意されていて、馬車もある。

ビルキル先生はベルンさんの前に、肩を窄めて…と、いうよりだいぶ前かがみに座っていたから、一瞬ベルン伯父さんだけが馬に乗っているのかと思った。


 「さ、ビルキル先生。」

ベルンさんは、馬から降りてビルキル先生を抱き上げ、そのまま地面に下ろす。


 「リエラ、そなたが呼んだんじゃろう?何事じゃ?」

ビルキル先生は、ピューマの獣人だ。

トラの獣人に比べると小柄で、ぎりぎり大型に分類されている。


 ビルキル先生は腰が曲がっていて、更に小さく見えた。

だからあんなに前かがみだったのか。


 「すまないね、ビルキル先生。妹のダナを診てやってくれ。」

「ほう。ダナか。」

ビルキル先生は母さんと周囲の様子を見て、何かを感じたらしい。


 「ふむ…では、いま使っていい部屋へ案内してくれ。」

ティアは、母さんについていった。


 「リエラ伯母さん、父さんを呼んだ方が良いかな?」

緊急事態ってわけではないと思うけど、きっと呼んだ方が良いだろう。

「そうだね。フラン、あんたちょっと馬で行ってきてくれるかい?」

「わかったよ、母さん。」


 フランは、自分が頼まれることを予想していたのだろう。

返事をするかしないかで、既に身体が動いていた。

未成年は馬に一人で乗ることが出来ないから、任せるしかない。


 この家にも馬はいる。

ベルンさんは、ビルキル先生が一人で馬に乗れないと知っていたのだろう。


 回復院の職員が往診に行くときは、回復院の馬や馬車を使用するのが望ましい。

けれど、あの様子ではビルキル先生は一人で馬に乗ることは不可能だ。

オリンソン家にとって、かかりつけ医のような存在のようだから、ビルキル先生を呼ぶ時には、いつもそうしているのだろう。


 フランは、手早く馬の準備を整えると、警笛を首にかけ、颯爽と馬に乗った。

街中で馬を走らせる時には、避けられるように警笛を鳴らす必要がある。

車のクラクションみたいなものだね。


 基本的には、騎士団員が緊急事態に対応する時や、回復院の職員が急患のところへ向かう時などに使う。

緊急でないと判断されるような場合に使うと、罰せられるから、注意が必要だ。


 「フラン、警笛、必要かな?」

馬に乗る時に、警笛の携行が必須と言う決まりはない。

俺としては、突然急ぎたくなることもあると思うし、普段から警笛を携行した方がが良いと思っている。

けれど、今はフランが警笛を持った意図を知りたい。


 「ブライ叔父さんが慌てるかもしれないだろ。」

それを聞いて、安心した。

フランが街中を走るつもりだったらどうしようかと思ったんだ。


 父さんの名前はブライエンだから、みんな、ブライとかブライおじさんと呼ぶ。

特に、母さんのこととなると周りが見えなくなることを、親戚一同、把握してくれているのだな、と、感じて嬉しくなった。


 「ああ、確かに。」

いざとなったら、父さんに罰を受けてもらおう。

「そうならないよう気を付けるさ。」

本当に心からそう願う。


 緊急じゃない場合であっても、馬を街中で走らせた場合に警笛を鳴らさないと大問題になる。

警笛を鳴らして馬を走らせたら、緊急じゃない場合にも関わらず、街中で馬を走らせたとしてお咎めあり。


 警笛を鳴らさずに馬を走らせたら、いかなる理由であっても大罪。

ならば、緊急じゃないと判断されるリスクを承知で鳴らして走る方がいくらかマシだ。


 「よろしくお願いします。」

多少乱暴な手段を用いても構わないからね!

と、気持ちを込めた。

慌てて通行人に怪我をさせてしまったら大変だから、くれぐれも父さんを抑えてほしい。


 「あの、よろしくお願いします。」

アルが、俺の背中から顔だけ覗かせて、フランへ声をかけた。

「ああ。行ってきます。」

「気を付けて!」


 そのあとは、みんな昼食どころではなくなり、しばらくあてもなく立ち尽くしていた。

「一先ず座りませんか?」

沈黙を破り、フランの妻、ヘルヴィが提案すると、皆同意して座った。

 

 「昨日、僕たち兄弟三人で作ったクッキーを、良かったらつまんでください。」

こんな状態で、お昼ご飯を食べ始めるのは憚られるだろうけど、クッキーをつまむくらいなら手が出やすいかと思った。

 

 「おう、ありがとうな。いただくぜ。」

ブラム伯父さんが、間髪入れずにクッキーを口に入れ。

「お!うまいな。この前のパウンドケーキもうまかったけど、これもうまい。」


 ブラム伯父さんは、こういう時に率先して明るい空気を作ってくれる。

「僕も頂こう。ほら、エクレムも食べよう。」

エノーク伯父さんも、ほかのみんなが手を出しやすいよう、後に続いてくれた。


 特にエクレムは遠慮するから、ああして促されでもしないと、なかなか手を出さない。

「うん。」

エクレムは一口食べると。

「…おいしい。」

と、ほほ笑んだ。


 それから、次々にみんなが食べてくれて、口々に感想を言い合い、そのまま雑談が始まり、俺は一安心した。


 「おーい!」

しばらくして、フランが罪人を連れてくるようなスタイルで、父さんを連れてきた。


 「え!? 父さん!」


 衝撃的な光景に、俺は反射的に立ち上がって声を上げていた。

多少、乱暴な手段を使っても構わないとは思っていたけれど、まさかこの状態はさすがに想像しなかった。


 「いやぁ、もうさ、案の定すごい慌てっぷりでさ。周囲にいた騎士団の人に力を借りて、こうなった。」

父さんは不満顔だ。


 ブラムおじさんが、父さんを軽々と馬から下ろして、縄を解いてくれる。

「ティグ!ダナは!?」

「あらあら、あなたったら、そんなに慌てて。」

ちょうど母さんが家の中から出てきて、父さんを諭した。


 「ダナ!」

反射的に駆け寄ろうとする父さんを、ブラム伯父さんが羽交い絞めにした。

「みんな、心配かけてごめんなさいね。」

慌てて駆け寄る父さんを制止しつつ、母さんはみんなに声をかけた。


 「いや、気にすることはない。それで体の方は…」

ルルテ伯父さんが心配そうに尋ねる。


 「あ、あのね…赤ちゃんがいるみたい。」

主に男性陣が呆然としていた。

女性陣と俺は察しがついていたから、動じていない。


 ティアが、母さんの横でとても嬉しそうにしている。

既にお姉ちゃんのはずなのに、なんだかすごく目を輝かせて、嬉しそうだ。

アルは俺にべったりだから、やっぱり寂しいのかな。

自分を慕ってくれる弟か妹が欲しかったのかもしれない。


 「ほ、本当か!」

父さんが、遅れて反応し、驚いて腕を緩めていたブラムおじさんの拘束を解いて、母さんにすごい勢いで抱きつき…

そうなところ、ビルキル先生が腰が悪いとは到底思えない速度で間に入った。


 鋭い眼光が父さんに突き刺さる。

ビルキル先生は、武術の達人なのだろうか…


 「間違っても、妊婦を抱き上げるんじゃあないぞ。」

ビルキル先生、わかっていらっしゃる。

「は、はい…」


 腰はずっと曲がったままなのに、一瞬まっすぐに立ったようにさえ見えた。

父さんは、すっかり萎縮して、落ち着いて母さんの肩を抱き寄せた。


 「アルがお兄ちゃんになるんだね。」

アルに声をかけると、アルは戸惑った様子。

不安の方が大きいのだろうか?

俺は、アルの頭を撫で、肩を抱き寄せた。


 それから、昼食はすっかりお祝いムードになった。

出産予定日は安寧の月らしい。

今が太陽の月だから、もう二か月後には産まれてくる。


 この世界の一か月は五〇日だから、一〇〇日余り後くらいかな。

既に妊娠してから一五〇日ほどが経過しているという事だ。


 もっと早く気が付いてもよさそうなものだけれど、全く気が付かないまま出産を迎えた人のことを前世のニュースで見たことがあるから、まあ、そんなこともあるのだろう。


 母さんはいま三〇歳だから、出産するのにそれほど心配はないようだ。

けれど、実は父さんと母さんが俺たちに隠していたことがあった。


 「もう心配ないだろう。」

と、ビルキル先生が言ったことが気になり、帰宅後、母さんに尋ねたら、思わぬ話を聞くことになった。


 母さんは、二年ほど前に一度妊娠し、流産していたのだ。

それを言わなかったのは、悲しませてしまうと思ったからだという。

悲しいのも辛いのも、母さんだろうに。


 話を聞いて、ティアが泣いていた。

はっきりとは聞いていないから定かではないけれど、なにやら、ティアが弟か妹を欲しいと所望したことで、父さんと母さんが期待に応えようとしたらしい。


 さっきもちょっと感じたことだけれど、ティアが弟か妹を望んだならば、間違いなく、アルが、俺ばかりに懐いていることが要因だろう。

容易に検討が付くことだ。


 俺は、アルが俺ばかりに懐くことを咎めなかった。

お姉ちゃんもいるんだよ。

何か困った時には、お姉ちゃんや、お父さん、お母さんだってアルのことを守ってくれるんだよ、と、教えようとしなかった。


 むしろ、慕ってくれることが嬉しくて、敢えてそのままにしていた。

こうなったのは、俺のせいだ。

だからこそ、父さん、母さんは黙っていようと決めたのだろう。


 「誰も悪くないのよ。赤ちゃんは授かりもの。みんなが無事に生まれてくるとは限らないの。」

それは、確かにそうだ。


 動物園でも、全ての赤ちゃんが無事に産まれるとは限らなかった。

全ての生き物に言える。

新しい命が産まれるって、本当に奇跡なんだ。


 「そうだよ。みんなが無事に産まれてきて、元気に育っていることは奇跡なんだ。」

父さんが俺とアルを片手でまとめて抱き寄せ、ティアを反対側の腕で抱き寄せた。

母さんは手を伸ばして来て、俺とティア、アルは三人で手を伸ばして母さんの手にそれぞれ自分の手を重ねた。


 「きっとこの子は無事に産まれてくるわ。」

明るく自信に満ちた表情から、不安は一切感じられない。

心底、信じているのだろう。


 母親って、本当に強いな…

と、俺は思った。


 「私、毎日お祈りする。」

ティアが、涙を拭い、強い意思を表明した。

「僕も、お祈りする。」

アルが、ティアの方を見て言う。


 「俺も一緒に祈るよ。」

祈って可能性が高くなるのかはわからないけれど、思いが胎児に伝われば、産まれようと頑張ってくれるんじゃないだろうか。


 「じゃあ、みんなで寝る前にお祈りしようか。」

父さんが、みんなの宣言をまとめると。

「うん。」

と、同時に三人が答えて。

「ありがとう。」

と、母さんが嬉しそうに笑った。

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