藁にもすがる思い
「父さん…。母さんとティアは、アルのこと…」
父さんは首を横に振った。
簡単に話せることじゃないし、父さんだって、ついさっきまで、片足の膝から先を失う大けがをしていたんだ。
我ながら愚問だった。
「二人には、私から話すよ。ティグは、マリスさんのところへ行ってほしい。何か手立てがないか探してみる、と、言っていたから。」
母さんとティアのことも気がかりだったが、今はとにかくアルを救い出す手立てを見つけたい。
「わかりました。」
その場から駆け出したい気持ちをどうにか抑え、部屋の外へと足を向ける。
「私も、後から行くよ。」
「はい。」
半身を残した状態で返事をしてから、すぐに父さんへ背を向けた。
部屋を出ると、母さんとティアが駆けよってきた。
「何かあったの?」
心配そうな母さんの腕を、撫でるように軽く触れて、安心できるようにゆっくり答える。
「俺が、ケガ人を全て治療したから、ざわざわしただけだよ。父さんが、すぐ来るからね。…キースとウラは?」
この状況には、双子を連れてこられないだろうし、家で留守番だろうことはわかっていたが、無事を確認したかった。
「アーダお祖母ちゃんが見てくれてる。」
ティアがハキハキ応えてくれるから、俺はティアの頭を撫でようとしてやめた。
ティアはもう一二歳だ。
代わりに肩を軽く二回叩いて。
「…俺は行くよ。」
いま、俺がアルの話をすれば、この場に足止めされてしまう。
「うん。」
とにかく、アルを救い出す方法を探さなくては。
俺は人込みを抜けた途端に、走り出した。
ひたすら走った。
マリスが、いるであろう部屋へ向かって、行きかう人を避けながら。
「マリス!」
部屋のドアを開けるなり、叫んだ。
驚きのあまり、ひっくり返りそうになるマリスの両腕をつかんで引き寄せた。
「魔王に取りつかれた人は、殺すしかないのか。助けられないのか?」
噛みつきそうな勢いで詰め寄っていたことに気が付いたのは、マリスに胸元を押されたからだ。
「落ち着け! それをずっと調べてるけど、まだわからない。」
王城内でマリスと会うには、この部屋だ。
調べ物をするなら、確実にここに居るだろうと思った。
ここ三〇〇年余りは、マリスの専用部屋と化している、魔法研究所の所長室。
陛下の執務室の隣に位置する部屋だ。
魔法研究所の所長のみで管理をしている部屋で、陛下や宰相と言えど、入室には所長の許可を得る必要がある。
それだけ、重要な文書を保管しているから、陛下や、宰相、一部の幹部と、一部の従者のみ立ち入りが許されているこのフロアの一室を、与えられている、と、いうことらしい。
「俺も手伝う。」
俺は、マリスから魔法を教わっていた時、何度もこの部屋に出入りした。
奥の部屋に、魔法陣があり、大森林の小屋へとつながっているんだ。
その頃から、いつでも入って良いし、部屋にある文書は好きに見て構わない、と、言われていた。
だから、何のためらいもなく、部屋に駆け込んだんだ。
マリスも、そんな風にこの部屋に駆け込むのは俺だと承知していると思う。
「ああ。じゃあ、そこらへんに積み上げた文書に、片っ端から目を通してくれ。魔王に関する文献は、こっち側全部だからね。こっちがもう確認し終わった文書だ。」
どちらも大量にあり、どのくらい時間がかかるのか見当もつかない。
「人手を集めてくる。今更、読まれて困るものじゃないだろ?」
「ああ。人手があった方が助かる…けど、一応幹部連中だけにしてくれ。」
再び、俺は走り出して、一〇メートルほど離れた場所にある執務室から、ちょうど出てきた陛下へと事情を伝えた。
陛下なら、誰に声をかけるべきか明確にわかるはずだ。
隣同士の部屋なのに、入り口が一〇メートルも離れているのは、間に秘密の書棚や、
陛下や宰相のエゼルさんが見て、機密と判断する書類があるかもしれない。
本心を言えば、こんな非常事態に、機密だのなんだの言っていたくはないけど、知っていることが負担になることだってあるんだ。
俺自身は良くとも、手伝ってもらうからには、後々迷惑が掛からないようにしたい。
世界が滅びるか否かの瀬戸際なのだから、規制をある程度緩めることも必要だと思う。
どこまでを緩和するのか、判断を下すのは陛下や宰相さんなのだから、いずれにしても二人に声をかけるのが一番だ。
取り乱して然りの状況の中、ひどく冷静で、むしろ思考が冴えわたっていることが、不思議でならない。
前世の、飼育員と言う仕事がら、不測の事態にこそ冷静に対処する癖が、多少なりついているかもしれない。
パニックになった動物たちを前に、こちらまでパニックになると、動物たちはますますパニックになる。
もっとも注意を払うことは、まず動物をパニックにさせないこと、だ。
動物は、人間がイライラしていたり不安を抱えていると、察知する。
混乱していると、もちろんそれも察知する。
飼育員として、常に平常心であることは、とても大切なことだ、と、少なくとも俺は考えていた。
人手集めを陛下に任せ、こちらに向かっているだろう父さんを呼びに行くことにした。
道すがら、幹部会議に参加するようなメンバーを見かけたら、魔法研究院長室へ向かうように、と、声をかけながら。
父さんは、母さんとティアと共に、まだ大広間の前にいた。
母さんが泣いていて、ティアがその背中をさすっているから、アルの話をした後だと確信した。
「ティア、母さんを家に連れて帰ってくれるか? いまは、静かで安心できる環境で、ゆっくり過ごした方が良い。少なくとも、これからしばらくは、何も起きないはずだから。」
ティアは、何かを言いかけて、しかし、何も言葉が出てこないと言った様子で、俯いた。
俺がどれだけアルを大切に思っているか、一番近くで見てきたティア。
きっと俺の気持ちを考えてくれている。
「俺は、アルを救う方法を探す。」
母さんに聴こえると、動揺すると思い、ティアに耳打ちした。
「わかった。母さんとキース、ウラのことは、私に任せて。」
「ああ、頼んだ。」
そして、急ぎ、父さんと一緒にマリスのもとへ戻った。
部屋のドアは開け放たれ、廊下に何人かいて、積み上げられるというよりも投げ捨てられたように、文書の山が出来ていた。
「ああ、ティグ、戻ったか。」
部屋を覗き込むと、マリスは巻物のような長い紙を丸めたものを、縦に広げて文字を追っている。
「あ、これだ! ”魔王に憑依された人間または獣人が殺されると、魔王が無力化して休眠状態になるのは何故か” と、いう内容の研究論文を探して欲しい。」
何度か言葉を頭の中でループさせ、ようやく理解した。
これまでの記録や、マリスの証言から想像すると、魔王が人間や獣人に憑依出来るのは、七七年毎に一度だけだ。
憑依がうまくいかなかった例はないようだから、選別が正確なのか。
はたまた、憑依した後に作り替えるから、実のところ、誰でもいいのかもしれない。
アルの強さを考えると、やはり強い魔力を持っていることが条件のように思える。
だが、それを追究するのは、魔王を退けた後だ。
いまやることは、魔王が憑依した人間、または獣人が、生命活動を停止したことによって、再び憑依できない状態になると仮定されている現状から、憑依された存在が、必ずしも生命活動を停止する必要があるのか。
それを知るヒントが残されていないか探すことだ。
見つけたとしても、ヒントにすらならない、ほんの一かけらの情報だけかもしれない。
だが、少しでも糸口にたどりつくきっかけになるのなら、どんな小さなことでも構わない。
「私も、全ての文書の内容を正確に全て覚えているわけではないから、要点を一覧に記録している。めぼしいものがないかを探したら、見つけたんだ。残念ながら、文書そのものを整理する時間はこれまでとれなくてな。」
本当に、この時ばかりは、マリスが整理整頓をしっかりする人であってほしかった、と、心底思う。
この部屋に保管されていた文書は、マリスが研究してきた成果だ。
研究熱心なマリスは、一年間に七本前後の論文を書き続けてきたのだとか。
何歳から書き始めたのかはわからないけど、仮に三八〇年間書き続けていたとしたら、七かける三八〇で、二六六〇本分はあるということになる。
マリスが論文とは言わずに【文書】と表現しているのは、論文のためにまとめた資料…
平たく言うと、論文の下書きまでも、ここに保管されているからだ。
手分けして探し始めてから、軽食が何度か運ばれてきた。
元々、このフロアには幹部と一部の従者しか入らない。
寝落ちするまで探して、起きたらまた探す。
この状況下で、立場も何も気にしている場合ではない、と、陛下が自ら食事を運んできた時もあった。
軽食が運ばれてくれば、機械的に口に入れて飲み込んで、ひたすら探し続けた。
どれくらいの時が経ったのか、もはやわからない。
「あ!ありました!…これ」
そう言って、陛下の従者が本を陛下へと渡すと、その人はそのまま倒れ、いびきをかき始めた。
さながらブラック企業だが、大切な人の命がかかっているから、必死なのは皆同じ。
「ああ、これだね。見せてごらん。なるほど。ん-?いや、そうか…そうなると…」
マリスは、一人でぶつぶつと何かを言いながら書物を読んでいる。
皆、固唾を飲んで見守った。
「…落ち着いて考えたいから、一人にしておくれ。わかったらすぐに呼ぶ。」
注目を一身に受け、相当なプレッシャーを感じたのだろう。
マリスは半ば強制的に、部屋の中にいた数人を押し出し。
「いいか、全員休んでおくんだよ。」
そう言って、扉を閉めてしまった。
俺は、焦燥感に駆られ、頭をかきむしった。
その手を、強く優しく掴まれる。
「父さん。」
そのまま、俺を抱きかかえ、冷たい床に座った父さんは。
「少し休もう。」
逃れられない状態になり、温もりに包まれたことで、急激に押し寄せた眠気に身を任せるしかなかった。
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