挫かれた心

 死線をかいくぐり、魔物をなぎ倒していくが、倒しても倒しても減らない気がする。

そのうち違和感を覚える。

倒した魔物が、消えるのだ。


 空気中の魔力の素と、魔物から放出される魔力を使用しなくなってから、急激に空気が変わった。

その変化は、マリスも感じているらしい。

これまでとは、違うことをしたから、違うことが起きるのは、当然。


 だが、背筋に悪寒が走るような、嫌な感覚。

マリスが感じている違和感は、過去との比較なのではないだろうか。

比較する過去を知らない俺ですら、感じる違和感。

明らかに、おかしい。


 魔力を吸われているのは、空気中にある魔力の素や、魔物からだけではない。

俺たちからも、吸い取られている。


 そう感じた刹那、突如飛来した彗星により、目を明けていられないほど空が明るくなった。

地面が大きく揺れているのが、木々の揺れている様子と、それに伴い生じる葉の音の激しさでわかる。

みんなを守るため下に降りると、まともに立っていられない。


 何かが迫ってくる。

気配でわかるが、まだ見えない。


 しかし、間もなく、 闇の塊が、地面を這う靄のように迫ってきた。

逃げるという発想に至らないほど急速に。

一瞬で結界は破れ、広がっていくように見えたもやもやが、一か所に集約していく。

俺に向かってくると思ったそれは、すぐ横を通り過ぎ。


 横にいたはずの存在が、黒い闇に包みこまれていた。

「…や…やめろ…」

目の前で起きていることが、あまりにも受け入れがたい。

現実として認めたくない。


 「あ…」

やがて、黒紫の濃い煙は、中央に向かって全て吸収され、その中から現れたのは。


 「おやぁ?これはまた…。」

やめろ、触れるな…

「ほぉ、まだ子供なのか。」


 「アル…」

手を伸ばそうとするが、鉛のように思い身体は、少しも自由にならない。


 「ん? 貴様、今回の召喚者だな。」

アルの手が、呆然とへたり込んだ俺の顎を持ち上げている。

「そうか、こやつはお前の弟か。」


 いや、いやいやいやいやいや、なんで…

なんでだよ。


 「アル…」

まおうの、よりしろ…

よりしろが…

「…アル…」


 「うぁぁぁああああ!!」

身体に力が入らない。

いま、の声は、俺の声か?

全身の感覚がおかしい。

 

 「辛いか? 一思いに殺してやろう。」

 いま、俺の首を絞めているのは、アルの手…

アル…アル…


 「…ア…ル…」

急に首の手が緩んだ。

「…くっ…なるほど、ちと面倒だな。」


 「アル!?」

手を伸ばすが、退かれる。

「必ず、今回こそは、ワレがこの世界を滅ぼしてやるからな。」

そう言い残し、アルはどこかへ行ってしまった。


 「ティグ!大丈夫か。すまない、近づけなくて。」

父さんが駆け寄ってくる。

みんな、魔王の魔力に気圧されていたらしい。


 「…俺は、だい、じょ…ぶ…」

いや、全然大丈夫じゃない。


 魔王がついに覚醒した…ん、だよな。

『憑依されたのは…アル。

アルが、魔王に憑依された。

憑依?アルが?』

頭の中で、改めて言葉にしてみても、到底現実とは思えない。


 混乱しているはずなのに、ひどく冷静な自分もいる。

奇妙な感覚。


 去り際のアルの様子が気になっていた。

魔王が、まだアルの意思を制しきれていないような。

もしかして、今ならまだ…


 そうだ。

魔王は、憑依した身体が馴染むまで、人気のないところに身を潜める、と、記録にあった。

今なら、まだ間に合うはず。

 

 「俺、アルを探しに行きます。」

「ティグ、気持ちはわかるが、一度王都へ戻った方が良い。」

そう言って、俺の目の前に立ちはだかっているのは、父さんだ。

俺の気持ちが、今、一番わかる人に違いない。


 父さんにとって、アルは大事な息子。

俺と同じように、追いかけたい気持ちを持っているはずだ。


 ふいに、あたりの光景が目に入る。

俺は、この時になって、初めてあたりを見回した。

魔王が現れた瞬間に、多くの死傷者が出たらしい。


 父さんの姿を改めて見直してみれば、右足の膝から先が失くなっている。

とっさに回復魔法を使おうとするが、魔法が使えない。

恐らく、このあたり一帯の魔力を、魔王が根こそぎ吸収していったのだ。


 追いかけたくとも、追いかけられない。

認めたくないが、状況は撤退意外の選択肢はない、と、物語っていた。


 「…撤退しましょう。」

魔物は、ウソみたいに一体もいなくなっていて、この先、王都までの道のりで出会うことはないように感じた。


 恐らくこの推測は正しい。

大森林の魔植物が広範囲で枯れている。


 けれど、安全の為、確実な治療を施すため。

死者を、手厚く葬るため…


 転移魔法陣を使い、撤退することになった。

魔法陣を起動できそうな場所までは少し歩くが、その頃には転移魔法陣を起動するくらいの魔力は回復している、と、仮定して動くしかない。


 そんな俺の懸念を察したのか、マリスが懐から魔力回復薬を取り出し、俺に渡してきた。

俺は、やんわり断る。


 「マリス、今それを使うべきは、きっとマリスだ。」

マリスは、俺の言葉を聞くと、少し考えた後、納得した様子を見せた。

だって、いま、それを使えば、俺は…


 魔王討伐軍の撤退を完了すると、魔法陣をすっかり消して、マリスは俺を抱え、空を飛んで王都へ帰還する。

俺一人で残ることは、マリスが許さず、しっかりと王城まで連れ帰られた。


 これから一体どうすればいいのだろうか。

魔王を倒すということは、すなわちアルを…


 考えたくないことを、考えなくてはいけない。

嫌だ。


 俺は帰還した後、気づいた時には陛下の執務室のソファに横たわっていた。

アルのことがあまりにショックだったからなのか、激戦の中で自分が思う以上に身体を酷使していたのか。

七日に渡り続いた魔物との戦闘あとだったから、体力的に限界だったのかもしれない。


 目覚めた俺は、エゼル宰相から状況説明を受けつつ、負傷者が治療されている部屋に向かった。

前線の兵士たちは、相当数が魔王によって死傷していた。


 俺は、目の当たりにした光景を、他人事のように捉えていた。

部屋の前には多くの人が心痛な面持ちでいる。

恐らく、連絡を受けた家族だろう。

俺が目覚めるまでに、それくらいの時間があったという事だ。


 「ティグ…」

「お兄ちゃん!」

目の前にいるのは、母さんとティア。


 「父さんは!?」

慌ててあたりを見回す。

父さんは、部屋の中で治療中だろうか。


 「命に別状はないから、大丈夫よ。」

母さんは、泣きはらした目をごまかすように笑顔を見せる。

ティアは、うつむいて震えていた。


 いつも真鑑定が行われる大ホールの扉を開けると、たくさんのけが人で溢れていた。

足の踏み場をやっと確保できるくらいで、治療する者が、患者の間を慌ただしく駆け回っている。


 俺は部屋の中央に立つと、この部屋のみんなが健康になるようイメージして魔力を放った。

「あれ、傷が…」「痛くない」「傷が消えてる!」「治ってる…」


 そこかしこで次々に上がる声をかき分けて、見知った顔のトラの獣人が急ぎ足で向かってきた。

「父さん!!」

まだまだ父さんの方が大きくて、俺は自分が子供だと自覚する。

中身は正味四四歳なのに、情けない。


 「ティグ!すまない。」

なんで。なんで父さんが謝るんだよ。

「お前にばかりつらい思いをさせて。」


 転移召喚は、きっと孤独だっただろう。

たった一人で、全く異なる世界に突然召喚されたのだから。

だが、俺はこの世界に産まれ、家族がいる。

すごく心強い。


 友達だって…

「父さん、ニコライたちのこと、わかりますか!?」

「俺ならここに居る。」


 ニコライの顔、右半分に、おでこから、右肩の方向へ抜けるように大きな傷があり、目がふさがっている。

「目だけで済んだのは、危機一髪避けたからだぜ。」

回復魔法で治らなかったってことは、そのケガを長時間放置したってことじゃないか…


 俺は、黙ってニコライを抱き寄せた。

「…生きててくれて、ありがとう…」

「あらぁ…ティグが珍しく積極的ねぇ~。」

サーシャは、服が汚れているだけで、特に外傷はなさそうだった。


 「サーシャ!よかった。」

「私には、ハグしてくれないのぉ~?」

と、後ろからまとめて抱きしめられたと思ったら、ものすごい速さで、シマリスがみんなの肩を渡り歩いて頬ずりしていった。

「ベン!」

「俺は、全身の骨が折れたらしいけど、もう治ったよ。」

と、頭の後ろから声がする。

「ギデオン…」


 「俺は獣化して逃げたから、無傷だ。ルヴィはいま寝てる。」

と、ベンが言う。

「ルヴィは、大丈夫なのか?」

「ケガはもう治療が済んでるけど、ずっとまともに眠れなかったから、寝てるだけさ。」

「そうか。」


  記録上、召喚者の知り合いが魔王の依り代になった例は見受けられなかった。

いきなり、縁もゆかりもない異世界を救う使命を課せられて、反感や疑問を感じても、力を合わせて戦う仲間は、自分を勝手にこの世界に召喚した魔女。

地球での環境から救われたにしても、葛藤は少なからずあったはず。


 それでも、自分の中で折り合いをつけて前に進んだ。

見ず知らずの世界の人々を救うために、見ず知らずの人を殺さなくてはならない。


 そんな状況を打開するために、この世界への愛着を持たせる意図もあったのかもしれない。

それで一年の準備期間を設けた。

これまでは、そんなことが起きていなかったにしても、仮にすごく仲良くなった人が魔王の依り代になっていたら、一体どうするつもりだったんだ。


 「俺、どうすれば…」

そんな状況になったとしても、彼らは誰にも相談でき無かっただろう。

俺のことだ。

俺が考えて決めなくちゃいけない。


 わかってる。

わかってるけど…


 「俺、アルを殺すなんて…出来ないよ…」

過去、魔王討伐の際、依り代になったものは、例外なく死んでいる。

その人にも家族がいただろう。


 助けることはできなかったのか。

本当に、殺すしかないのか。


 「アル…」

俺は、アルを殺せない。

無理だ。

それだけが、確かなこと。


 じゃあどうする?

このまま放っておくのか?


 父さん、母さん、ティア、ウラ、キース。

俺の家族はアルだけではない。

守りたい命は、他にもたくさんある。


 だけど、守りたい他の命のために、アルの命を諦めるなんて、出来ない。 

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