転生の理由

 「獣人として産まれてほしかったからだ。」

人間である現陛下が、即答した。


 このリアティネス・アベリム王国では、獣人の王家リアティネス家と人間の王家アベリム家が、獣人と人間の戦争を再び起こさぬよう、交互に国王に就いている。


 国王が人間の間は、宰相が獣人で、獣人が国王の時には人間が宰相を務める。

そうして、獣人と人間の立場が平等であるという姿勢を示してきた王家。

言わば、救世主に相当する立場の召喚者が、人間ばかりでは体裁が悪い。

と、いうことだろう。


 転移召喚をすれば、転移元の世界に獣人がいない限り、必ず人間が召喚される。

それならば、獣人として生まれてくるように、転生召喚をすればよいのではないか、と話がまとまったことも、理屈としては頷ける。

だか、それはあくまで理屈であり、あくまでもこの国の事情だ。


 俺が転生した理由が、これか。

実に勝手だ。


 「実験的に、行われたということですね。」

事前に実験を行える性質のものではない。

ろくな検証もできず、不安を残したまま、失敗覚悟でやるだろう。


 俺を探す方法について検討していなかった点からも、計画性が、かけらも感じられない。

急ぎ足で進められたに違いない。

はっきり言って、見切り発車も甚だしい。


 陛下も自覚があるから、こんな風に一国の主が、未成年の獣人を前に身体を小さくしているのだろう。

こればかりは、さすがの俺も言葉を失った。


 つまり、獣人にしたいという召喚条件に、虎に噛み殺された俺が適合して、トラの獣人に転生したということ…なのかな。

裏を返せば、『召喚魔法が行われたことで、俺が虎に噛み殺された』可能性も考えられるということじゃないか。


 どちらが起因なのかは、調べようがない。

調べようがないが、卵が先か鶏が先かというジレンマは、何にせよ付きまとう。

出来ることと言えば、せいぜい仮説を重ねることくらいだろう。


 いくら積み重ねたところで、一つとして検証することは不可能だ。

いや、出来るのかもしれない。

だが、転生召喚を繰り返すことで、時空間回廊に干渉してしまい、今現在はおそらく不安定な状態なものを、安定させてしまうことになるかもしれない。

常に行き来可能な時空間回廊ができたら、魔王覚醒と言う現象にも変化が生じるかもしれない。


 頭ではわかる。

考えたって仕方のないことだ。

時空間回廊への影響以前に、転生の実験台になる人のことを考えたら、出来るはずがない。

俺と同じような経験をする人を、無用に増やしたくない。


 とても言葉にはできない感情が渦を巻いて溢れる。

怒りなのか、悔しさなのか、混乱か。

それらすべてなのかもしれない。


 せめて、動物と仲が良く、親和性が高いとか、そういう人に当たればよかったんじゃないか。

よりによって、虎にトラウマを抱えた俺がトラの獣人に産まれた。

なんて皮肉なんだろう。


 俺が、いま抱えている言葉にならない感情は、なんなのか、自分でもよくわからない。

あまりにも多くの複雑な感情が渦巻いているように感じられた。


 そんな気持ちが伝わったのか、父さんが俺の手の甲にそっと手を重ねた。

おかげで、無意識に膝の上で強く拳を握りしめていたことを自覚して、反射的に力が緩む。


 この世界に転生したからこそ、俺はこの家族に出会えたんだ。

だからこそ、あの二度と帰ってこない三年間が悔しい。

この家族の一員になれて本当に良かったと思っている。


 けれど、もう少しどうにかならなかったのか、と、思う自分もいるんだ。

もし、トラの獣人でなく、別の獣人になっていたら。

そう考えてしまう自分が、とても卑しく感じられる。


 俺は、ぐちゃぐちゃになった感情を持て余し、反射的に父さんの胸に飛び込んで泣きわめいていた。

俺は、一九八センチメートルになったけれど、まだまだ父さんと比べたら小さい。

それが、今は救いに感じられた。


 俺は不思議だったんだ。

この世界に来て、男なんだからとか、女の子なんだからと言う言葉を耳にしたことがなかった。


 そして、差別やいじめが殆どない。

召喚者の経歴を見て、理解した。

この世界には、召喚者の思いが確かに息づいている。


 俺が前世を生きてきた地球で、一四、五歳まで生きていて、急に転移召喚した人物たち。

戸惑ったり、元の世界に戻りたいと言った者も居ただろう。

やがてはこの世界を救い、この世界で生涯を終えた。


 残してきた家族や大切な人たちについて、心残りもあったろう。

だけど、本心では、決して帰りたくなかったはずだ。


 自分の居場所がなくて、追いつめられた人たちばかり。

元の世界への愛執など、きっとなかったはずだ。

あったのは、見慣れた場所、生活をしていた場所と言う感覚だけだったに違いない。


 この世界でないどこか別のところへ。

普段からそう願っていたとしても、突然前触れもなく現実になっても、現実感を持てないんじゃないだろうか。


 見知らぬ場所に急に移動させられたら、多くの人は反射的に元の場所へ帰して欲しいと口にするんじゃないだろうか。

それを示すかのように、これまで転移した人たちは、何度も繰り返し元の場所に戻りたいと主張していなかった。


 世界が変われば、生きていける人がいたという事実。

地球では生きる術がなかった、あるいはそのまま地球に居れば人生が強制終了していたかもしれない人たちが、これまで、この世界を救い支えてきた。


 決して一方的な救済ではなかった、と、いうこと。

俺にとっても、きっとそうなんだ。


 虎に噛み殺されるというのが俺の運命だったとして、この転生が救いだったと考えられないだろうか。

俺は、決して自分自身を説得することがないよう、努めて冷静に心の内を整理した。


 どれくらいの時間が経ったのか、泣き止むまでそっとしておいてくれた人たちの存在を感じて、急に恥ずかしくなった。

人前でこんな風に泣いてしまうことが恥ずかしいと思うのは、まだ前世の常識に囚われている証拠なのだろうか。


 ”男が人前で泣くのは恥ずかしいこと”なんて常識、この世界にはない。

俺は、結局答えを見つけられなかった。


 何にせよ、話を続けられる雰囲気ではなくなり、父が陛下へ申し出で、一度帰宅することになった。

陛下は、俺に対してかける言葉を探したけれど、見つからないようで、苦い顔をしていた。


 召喚者を獣人にしたかったということは、今後は召喚者の存在を公にしようと考えているのだろうか。

技術の急激な発展や、超人的な能力を有した者が、この世界を救っているという事実は、見方を変えると新たな脅威となり得る。

魔王すら退けられる存在なのだから、恐れられる可能性もあるのではないか。


 積極的に公表しようというよりは、むしろ、意図せず明るみに出てしまった時の対策と考えるのが妥当な線だろう。

召喚者本人の希望もあるだろうし、何よりも、そんな強力な能力を有した存在がいるのであれば、他のことを期待されたりするかもしれない。

なんというか、堕落から連鎖的に破滅へ向かう道が始まりかねない、と思う。


 これまでの召喚者は、どんな気持ちで自分の存在を秘匿したのだろうか。

召喚者たちが残してくれている記録を全て読んでみたい。


 これから、魔王覚醒に向けての準備を行う日々が待っている。

魔王覚醒の対策のヒントが載っている可能性もあるから、準備の一貫として読ませてもらおう。


 父さんは黙って俺の手を引いて、家に着くまでしっかりと握っていてくれた。

家に入る直前で手を放してくれたのは、兄としての威厳を守ろうと配慮してくれたのかもしれない。


 時計を見ると、二一時と二二時の間あたりに光の点がある。

母と妹弟たちは、もう寝ているらしく、ホッとした。

泣きはらした目を見られずに済んだから。


 トラの獣人は一二時間ほど寝る。

テレビやビデオゲームがあるわけでもないから、一八時ごろに夕飯を食べて、お風呂に入ったら、たいていすぐに寝てしまうんだ。


 心配していただろうけれど、小さな双子もいるから、母さんがみんなを落ち着かせて寝る方向に持って行ってくれたのかな。


 父さんが、中腰になり俺のトラの耳元で。

「帰りがけ、城の職員から渡された。たぶん、陛下の計らいだ。ありがたく頂こう。」

そう言いながら、笹の葉に包まれた数本の串焼きを見せてくれる。

「はい。」

俺は、泣きすぎたせいでしょぼしょぼする目をこすりながら、きちんと声に出して返事をしてから席に着いた。


 父さんは、ほんの一瞬、掠めるように俺の頭を撫でた後、何事もなかったかのように食事前のお祈りを始める。

だから、俺も何事もなかったかのように、お祈りをしてから、塩コショウのシンプルな味付けの串焼き肉にかぶりついた。


 このお祈りって、七人の女神に対する祈りだよね…

女神が実在しないとわかった今、このお祈りには果たして意味があるのだろうか。


 ああ、でも、国家機密なのか。

それなら、今後も続けることになるのだから、これでいいのかな。


 王城の食事は、国民の摂っているものと、ほとんど材料が同じだ。

差が出るのは料理人の腕によるもの、と言える。


 調理する人の腕で変わる部分がこんなにあるものなのか、と、感じた。

単純な味付けのはずなのに、どうしてこうもかわるのだろうか。

いや、むしろ、単純だからこそ、玄人と素人の差が出るのか。


 「父さん、このお肉、すごくおいしいです…ね…」

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