未来へと向かう気持ち
昨夜、俺は、食事をしながら寝てしまったらしい。
あまりの衝撃と、泣き疲れたのとで、思ったよりも体力気力共に失っていたようだ。
父さんが運んでくれたのだろう。
気が付いたら朝で、寝ているのは俺のベッドだった。
昨日、途中で話を中断したため、今日も父さんと共に城を訪れることになっている。
ところで、父さんに機密を話しても良い、と、陛下が判断したのは、なぜなのだろうか。
俺は、もうすぐ成人とはいえ、現時点では未成年。
保護者として同席を許されたのか、魔法研究者として、機密に関わる部分を話しても良い、と判断したのか。
「おはようございます。父さん。」
時計を見ると、九時を過ぎたところだった。
「十分に休めたか?」
「はい、おかげ様で。」
「ゆっくりでいい。昨夜、風呂に入らなかったろう?風呂屋に寄ってから王城へ行こう。」
風呂の残り湯は、既に洗濯に使ったのだろう。
母さんが水魔法を使えるから、新しく水を出すことは簡単なのだけれど、みんながみんな、新しく水を生み出していたら下水の許容量を超えてしまう。
街に張り巡らされた水路に流れているのは、魔法で生み出した水。
水源の地点で、急な雨を考慮して水量を管理しているから、各家庭で水を使う時は、基本的に水道からと決められている。
例えば火事などの緊急事態であれば、魔法で水を出すことが許されている。
生活排水の管理も徹底されていて、廃油を石鹸として再利用するための材料は国から格安で入手できるから、大抵の家庭では廃食油から石鹸を手作りして手洗いや洗濯に使用しているんだ。
石鹸作りは、遊びの延長で行われる、子供に大人気の”もの作り”なんだよね。
この世界には遊具や娯楽がそれほど多くないから、生活に必要なことを子供の遊びとして浸透させていることが他にもたくさんある。
水魔法を使える子供なら、洗濯を遊び感覚で捉えてくれれば、親は楽になる。
ゲーム感覚にしてしまえば、なんでも楽しくなるものだ。
あまり争うことを推奨していない国だから、誰が一番早いとか、そういう遊びは好まれない。
魔物から逃れるためには足が速い方が良いけれど、足が遅い人がいた場合にその人をどう助けるのかを考えることを授業で行う。
他人を負かしたり、劣っていると見下したりする者が少ないのは、こういった教育の賜物だろう。
一緒に行動している人間が何が得意で、何が苦手なのかを把握して補い合いましょうという考え方だ。
実際のお金を使ったお店屋さんごっこで、買い物の仕方を学ぶとか。
前世ですら決して楽ではなかった家事が、家電が普及する以前の時代に逆戻りした感覚だから、主婦一人で全てをこなそうとすれば、大げさでなく一日がかりだ。
子供たちが手伝うのは至極当然のこと。
良いか悪いかと言う問題ではない。
この世界になくて、前世にあったものを、全てそのまま作って良いのか。
俺は考えれば考えるほど、わからなくなる。
時間短縮はされるかもしれない。
だけど、それは自然の寿命を縮めることになる。
地球温暖化問題を思い起こすと、人間が生き急いだ結果、地球と言う大自然の命を縮めたのだと思うから。
俺が産まれた一九八〇年には、まだ携帯電話なんて存在していなかった。
けれど、死ぬ間際には、携帯電話にワンセグと言うテレビの機能がついていた。
スマートフォンが発売されていたけれど、あまり切り替える人は多くなかった。
俺が最後に使っていた携帯電話は、折り畳み式のやつだった。
今は、もうみんなスマートフォンを使っているのかな。
なんとなく時代の波がスマートフォンに向かっていることは、感じていた。
この世界には、通信機器が普及していない。
魔法を使用した念話は利用されているが、範囲は限られている。
電子機器に相当する、魔道具はいくらかあるが、娯楽や遊具を目的としたものはどうしても優先順位が低い。
この世界に存在しているおもちゃや遊具は、積み木とか、粘土遊び、塗り絵。
あとは、竹とんぼとか、馬車の模型や船の模型を作るとか。
お城の模型製作キットも売られている。
一〇歳を超えると、皆一様に縫物や編み物、剣術など、実用的なことをするようになるから、無邪気に駆け回って遊ぶのは、大抵三歳から九歳の頃だ。
子供が駆け回って遊ぶのは、大抵公園で、公園には砂場やクライミング用の壁みたいなものがある。
俺は、この世界に自転車があると、すごく便利だと思うんだ。
三輪車もあるといいな。
自動車とまでは行かなくとも、馬車のタイヤをもう少し快適に走れるようにしたい。
直前の召喚者の知識が一九四七年時点だと、今の街の発展具合は頷ける。
イタリア人だったことが、幸いしたのかな。
下水環境が、ローマ時代からあった国だ。
この国の下水環境が整っているのは、彼女のおかげなのだろう。
恐らく最優先で整備したのだろう。
水路と下水道が整備されたことで、農業も安定どころか急速に成長したはずだ。
とはいえ、まだまだトイレは発展途上だ。
城でさえも、トイレが設置されているのは1階だけだそうだ。
王族ともなれば、使用人が部屋に携帯トイレを持っていき、用が済めば片付けるのかもしれないが、一般家庭はそうもいかない。
官舎には、一階に共同トイレが設置されているが、水洗式とは言え下水へ直接投下されるだけだから、決して快適とは言えない。
住人は皆、共同トイレを使うか、小さい子ならおまるを使ったり、どこか身体の悪い人は携帯用トイレを使う。
それ以外の人は、基本的に共同トイレを使うんだ。
夜中にトイレに行きたい時が、とても厄介で、おまるを卒業してから約九年間ずっと、悩みの種だった。
五歳で学校に通い始めるから、おまるはそれまでに卒業するように練習する。
俺は、本当はもっと早く卒業できたけれど、夜中にあのトイレに一人で行きたくなかったから、わざと失敗したりしたっけ。
トイレを、俺の知識を使って、もっと良くしたい。
日本は世界が認めるトイレ先進国だから、きっと役立つはずだ。
でも、あれだな。
既に在る建物を改築するとなると…
トイレそのものの問題と言うより、下水管の構造を理解して二階以上からでも難なく下水に繋がるようにする部分が問題なんだよね。
配管工って専門職じゃないか。
そんな知識、俺にはない。
どうしたら、詰まりにくい、逆流しにくいものが完成するのか。
マンションの排水管って、定期的に高圧洗浄するよね。
あ、水魔法で出来そう。
文明が発達しなくても、魔法を応用すれば一夜にして大革命を起こせそうだ。
これは、色々と試してみたら楽しそうだな。
幸い俺は全属性の魔法を使えるから、なんでも自分で試してみることが出来る。
贅沢を言うようだが、是非とも俺専用の研究所が欲しい。
真実の片鱗を知ったことで、俺は、これから先の未来のことを、考えられるようになっていた。
魔王討伐がどの程度大変なものかはわからないけれど、どんなに大変でも、俺は家族を守る。
七人の女神に対しては、信仰とは違う形で存在していて、宗教とは呼び難い。
祈るように教えられるものではないし、祈る習慣は各家庭単位で、あったりなかったりする。
経典らしきものは、五歳までに必ず読む絵本だけ。
感謝しよう、と、書かれているから、感謝する。
感謝の表し方に決まりはない。
七人の女神を騙れば重罪だし、新たに宗教を興す者はいない。
国としても。
「絵本を必ず読め!」
と、言っているわけではないから、国教と言うわけでもない。
王都内には、西洋風の銭湯のようなものがある。
官舎の一階に大浴場があるけれど、今の時間は清掃中だから、と、一番近くの風呂屋で、風呂に浸かりながら、俺は色々と考えていた。
昨日はあまりに多くの情報を聞きすぎて、整理がつかなかった。
とどめが俺が、これまでとは違い、転移でなく転生だった理由だ。
今日は、その点について深く追究しない、と、心に決めている。
転生の詳細については、陛下が配慮していたように、父さんはもちろん、家族の誰の耳にも入れない方が良い。
俺が前世の世界で、人間しかいない世界に生きていた事が、まずもって衝撃的だろう。
そんな俺がよりにもよってトラの獣人として産まれたことは、むしろ話した方があの三年間の謎が解けて、両親としてはすっきりするだろうか。
どちらにしても、全てを聞いてから俺の判断で話すこと、話さないことを決める必要性を感じている。
三〇分ほどで入浴を済ませ、王城へ向かった。
昨日から学校を休んでいる状態だから、みんな心配しているかな。
こんな言い方は、したくないが、いまは勉強をしている場合ではない。
およそ一年後、必ず起きる魔王覚醒。
その時に備えて知っておく必要のある事を全て知り、可能な限り準備をしなくてはならない。
一年もある。
と、考えるか。
一年しかない。
と、考えるか。
想像でしかないけれど、おおかた。
一年しかない、だろう。
今日の訪問は、話を聞くというよりは、資料を見る時間になるはずだ。
と、言うより、そうしたい。
昨日、陛下が俺の目のまえに積んだ六冊の本はもちろん、他にも目を通したい資料がある。
秘密の書棚に並べられた文書は全て読みたいくらいだが、そんなことをしていたら、それだけで一年を費やしてしまいそうだ。
いま、必要なのは、魔王覚醒に関する記述。
他の部分は、無事に片付いた後、ゆっくり見せてもらいたい。
これまでの召喚者が、この世界でどう暮らしてきたのかを、知りたいんだ。
全く知らない人たちだけれど、同じ地球人として、彼らの人生を知るのが務めなんじゃないか、と、感じている。
あくまで俺がやりたい、と、思う。
この感覚は、日本人だからなのかな?
差別とか、区別とかでなく、俺はやっぱり日本で生まれて育って、日本のことしか知らないから、日本人でしかない。
国がわかれていて、文化が違う地域があって、言語も違う。
自分が普通だと思っていたことが、ある時、違うことに気付かされることがあるように、俺には日本人としての普通と言う感覚が絶対的にある。
地球人が、異世界でどんな人生を送り、どんな最後を迎えたのかを、地球人として知らなくてはいけない気分を抱くのが、日本人だからなのだろうか?
と、考えているこの状態が、もはや日本人だと思う。
いまの家族に、俺のルーツを知ってもらいたい気持ちはあるけれど、怖い気持ちもあるんだ。
得体の知れない異世界【地球】のことを、俺の説明でどこまで伝えられるか。
俺の話すことだから、真実として受け入れてくれはするだろうけれど、想像できるか、は、別の問題だから。
まだ、父さん意外の家族へは、何も話せていない。
父さんが俺が寝ている間に。
「複雑で、大変な話だから、まだ俺自身理解できていないし、説明するのが難しい。皆で王城へ出向き、話を聞く時間を設けてもらえるから、その時まで待って欲しい。」
と、伝えてくれていて、俺は何も訊かれず、ただ心配そうな視線を送られるだけで済んでいた。
俺が起きた時には、ティアとアルは既に学校へ出かけた後だったから、二人の状態が気になったけれど、とにかくいまは、王城で話を聴くことに集中することにした。
王城に到着すると、意外にも、父さんは通常の勤務をするように言われ、俺だけが執務室へ案内された。
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