【モノローグ】ダナの決意
一三歳の時、城の中でブライエンと出会った。
当時、予備研究員だった彼は髪がボサボサで、白衣もヨレヨレ。
パッと見、いけてない感じだった。
あの時、あの人が沢山の紙を片手に、頭を掻きながら、すごい勢いでまっすぐこちらに向かってきて、よけられなかった。
ぶつかってすごい勢いで飛ばされてしまったから、反射で動物の虎みたいに着地したの。
「すみません!」
彼が持っていた沢山の紙は、すごい勢いで散乱した。
けれど、ブライエンは、散らかった紙は気にも留めず、真っ先にわたしの方へ。
「おケガはありませんか?」
ブライエンの眼鏡越しに目が合って、わたしの心臓はそれまで感じたことがないくらい早くなった。
二人で一生懸命に拾い集めたたくさんの紙は、大切な文献だったみたい。
拾いながらほんの少し目に入るくらいでは、内容が全くわからなかった。
きっと、王城で仕事している研究員さんなのだと思った。
それだけで、なんだか彼のことを知った気持ちになって、名前も聞かず別れてしまったことに、後から気が付いた。
それからと言うもの、ブライエンのことばかり考えるようになって…
家が農家をやっているから、本当は早く帰らなくちゃいけないんだけど。
「今日は図書館で勉強するから、少し遅くなる。」
全くのウソではないけれど、少しの後ろめたさを感じながら、本当に図書館に通ったわ。
研究員さんなら、図書館に来ることもあるんじゃないかと思っていたの。
何日も何日も、図書館に通って、本を探すふりをしながら、あの人を探して。
あまりずっと本を探している風だと、職員さんが親切に声をかけてくれるから、適当な本を読んでいるふりもした。
お城の中を無闇に歩き回るわけにはいかないから、図書館で本当に会えるのかはわからないけれど、ずっと図書館に通い続けた。
確かなことは何もないはずなのに、妙な自信があったわ。
しばらくして、本当にあの人が図書館に現れた。
その瞬間は、時の流れがとても遅く感じた。
わたしの視界には、あの人だけ。
思いあまって。
「あの、わたしダナ・ショリ・オリンソンって言います。」
「あ…この間の…」
「わたしが成人したら、結婚してくれませんか!」
図書館なのに、大声で。
そのあと、すごく恥ずかしかったけれど、後悔はしていない。
わたしが成人の儀を迎えた女神歴三六九年氷雪の月、一日目。
あの日、ブライエンは。
「私を君の家族の一員にしてくれないだろうか。」
と、少し緑がかった深い青色の石を送ってくれた。
「この石は、深海の色。この鉱石は、女神の石って呼ばれているんだって。女神の七色をこの石だけで全て揃えられるらしい。その中でも、深い青色はとても珍しいんだそうだ。」
「きれい…」
魅入ってしまう石だと思った。
「似たような色の石は、きっとどこからかまた見つかると思うけれど、それでもこの石は世界に一つだけだ。私にとって、君は、そういう存在だ。」
成人の儀でプロポーズをする人は多い。
けれど、王城の中ではあまりいなかった。
私たちは、その場にいたたくさんの人たちに祝われ、その年結婚したカップルの中で、一番有名だったかもしれない。
その後、太陽の月、実家の繁忙期を、ブライエンも一緒に作業をして、黄金の月には新しく住む家への引っ越しを済ませた。
わたしが産まれた、海と空の月、一日目に結婚式をした。
翌年の太陽の月、実家の繁忙期に手伝いに行ったけれど、わたしは具合が悪くて、ビルキル先生に診てもらったら、お腹にティグがいることがわかった。
すごく、すごく嬉しかった。
ふと、お腹に触れて、笑顔になってしまう。
少しずつ大きくなっていくお腹、重くなっていく体。
自分の中に、命が育っているのを感じた。
初めてのことに、時々不安になったりもしたけれど、早く会いたくてとても待ち遠しかった。
産まれた子は、とてもかわいらしくて。
本当に本当にかわいくて、愛しくてたまらない。
ブライエンが素敵な名前を付けてくれて。
(ああ、本当にブライエンとわたしの間に子供が産まれたんだ)
って、実感したの。
「ティグ~」
リエラ姉さんから、最初の子供は特別だって聞いていたけれど、本当ね。
「元気に育つのよ。」
見たことのない不思議な瞳をしているから、少し心配にもなったけれど、ビルキル先生に診てもらったら、特に心配するようなことではないみたい。
ネコ科の中でも小型の種類だとそこまで珍しくないのだと聞いて、安心した。
ブライアンの顔を蹴飛ばしたり、耳を引っ張ったり、とってもやんちゃで元気な子。
子供の成長はあっという間、って、本当ね。
毎日、大変だと思うこともあるけれど、面倒に感じたことは一つもない。
とても幸せを感じていた。
そんなある日。
「いやっ!」
え。
ティグが私のことを拒否した。
なにか、痛いことでもしてしまったかしら。
「ティグ、痛かった?ごめんなさいね。」
もう一度手を伸ばすと、避けるように身を竦めた。
この子は、怖がって、いるの?
それ以降、ティグには近づけなくなった。
近付くと震えて、涙目になって、身を小さくする。
どうして?
わたしは、姉さんや兄さんより小さいけれど、同じくらいにとても力持ちだと、昔からよくほめられてきた。
もしかしたら、優しくしているつもりでも、痛い思いをさせてしてしまっていたのかしら。
私が痛いことをするから嫌がっているだけなら、私が悪いのだから仕方がない、と思っていた。
痛いことをしないのだと、少しずつ分かってもらえるように、気を付ければいい、と。
「ぃやぁっ!」
来ないで!と、ばかりに叫ぶティグ。
ブライエンに対しても、同じ反応をすることに、私はどこかホッとしていた。
突然のことに何がなんだかわからなくて。
焦る気持ちもあったけれど、しばらくすれば変わるかと思った。
けれど、何も変わらないまま、ティグは二歳になって、わたしはティアを妊娠した。
その間にわかったことは、正面から顔を覗き込む時が、一番怖がるということ。
しっぽはそれほど怖がらないようだけれど、特に耳が見えると怖がることがわかった。
ブライエンと一緒にティグが嫌がること、怖がることをしないように工夫をして、声をかけながらティグの後ろに回り込んで、抱き上げるようにした。
もう、ずっと、ティグの顔をまともに見ていない。
笑顔を最後に見たのはいつだったかしら…
もしかして、大人だから、大きくて怖いのかしら。
そう思って。
姉さんの長男と長女を、母に連れてきたもらった。
「ティグ。この子たちはあなたのいとこよ。」
「こんにちは、ティグ。ぼくはフランダン。八さいだよ。こっちは六さいのいもうと。ほら、マロンナ。」
「こんにちは。ティグ。」
「…っ…」
(ああ、小さい子でもだめなのね。)
ティグは、必死で怖がるのを我慢している様子だった。
自分が泣き叫ぶことで、驚かせてはいけない。
そんな風に必死に耐えているようだったから、せっかく来てもらったけれど、早々に部屋を出ることにした。
部屋を出る直前に、フランが。
「ティグが五さいになったら、ぼくといっしょに、学校へいこうね。」
無邪気にそう言って笑った。
フランにしてみれば、また一人弟が出来たみたいで嬉しかったのかもしれない。
そうだ、学校…。
この子は、学校に行けるかしら。
母さんは。
「そんなに深刻にならなくても、いつもの明るいあなたでいれば、そのうち解決するわよ。」
と、帰っていった。
「五歳になったら、ティグも学校に行くのよ。」
「いやっ!」
正面から近づきさえしなければ、簡単な会話はしてくれる。
この子は、きっと優しい子。
「あら、どうして?」
「いや!いーや!。」
どうしても嫌なのね。
「困ったわねぇ。」
口では困ったと言ったものの、元気に育ってくれたらそれでいいという気持ちもあった。
でも、生まれてくる子にとって、この子はお兄ちゃん。
兄弟は、人生で一番早い時期に、長い時間を共に過ごす、身近な年上の存在。
わたしは四人兄弟の末っ子だから、どれだけ見本になるのか、とてもよくわかる。
わたしはどうしたらいいのかしら。
何ができるだろう。
飴と鞭を使い分けるなら、少なくともこの子に対しては、わたしが鞭になる方がいいわね。
それで一生嫌われたって構わないわ。
わたしは厳しく、ブライエンは優しく。
うまくいけば、お父さんが大好きな子になるわね。
そうよ!それがいいわ。
わたしだけを嫌いになることで、ティグの世界が大きく広がるなら、その方がいい。
機会を与えなくちゃ。
わたしは、滲む涙をぬぐい、決意した。
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