学校へ行くのが憂鬱だった頃のことです

 話が前後するけれど、俺が両親にさえビビり倒していたころ、この街の構造と、学校の環境に、戦々恐々としていた。

そう、近所には肉食性の大型獣人だけだ。


 しかも、一〇歳の終わりまで肉食性と雑食性の大型獣人だけの学校だと!?

五歳児が集まるなど、カオスではないか!


 嫌だ、嫌だ!絶対に嫌だ!

俺は、不登校になる!

と、かたく心に誓っていた。


「五歳になったら、ティグも学校に行くのよ。」

「いやっ!」

(絶対に行かん!)

「あら、どうして?」

「いや!いーや!。」

(嫌なものは、嫌だ!)

「困ったわねぇ。」


 そんな会話を、度も繰り返した。

母さんが説得を始めたら、本気で泣き出していた。

大声を出して泣きわめくことで、母さんにそれ以上喋る隙を与えないように。

などという、打算的なことではない。


 詰め寄ってくる母さんが単純に怖かった。

母さんが言葉を発するたびに、どんどん追いつめられる感覚があった。


 周りもみんな5歳児とはいえ、猛獣の獣人に囲まれて学ぶなど、当時の俺には恐怖でしかなかった。

嫌なものは嫌だ。

どうしようもないことが、世の中にはある。


 さすがに獣人が怖い!と、はっきり言うことはできなかった。

言葉を発するのもままならない時期だったから、言うとしても。

「こわい」

の一言だったろう。


 けれど、その一言がどんなに突き刺さるか想像に容易い。

俺は、何度となくその言葉を飲み込んだ。

同時に、態度から察してほしいと思っていた。


 幼子が母親から抱きしめられるというのに、身体が震えるくらいに力が入る俺。

密着すれば震えていることもわかるだろうし、小さな悲鳴を上げることもあったから、気が付いたはずだ。


 街へ出かけた時も、俺はひどかった。

普通の子供なら、”楽しいお出かけ”なのかもしれない。


 初めて見るものだらけで、好奇心いっぱいに、両親と繋いでいる手を放して、駆けていきそうになるのを、止めるのが大変。

果ては止められずに、迷子。

そんな光景を想像する親は、多いだろう。


 多くの子供は、そういうものだと俺も思う。

街に出て、他の獣人たちを見れば、興味がわいてくるかもしれない、と、考えたのかもしれない。


 俺はというと、街へ出る前からぶるぶると震え、父さんに抱っこしてもらったまま、絶対に歩かないし、周りを見ようともしなかった。


 母さんは、何度か。

「少し歩いてみない?」

とか。

「見て、ティグ!クマの獣人さんよ。見たことがないでしょう?」

などと声をかけてきたが、その度、父さんの肩に顔を埋めたまま、全力で首を横に振った。


 俺は一生引きこもりたい気持ちでいたが、それを母さんが許さないかもしれない。

それで、ますます追いつめられた。


 動物の部分があるからなのか、雨が降ることを察したりとか、イライラや焦りの感情は敏感に察知する。

肌と言うより、毛先がこう、なんと言うか、ピリピリするんだ。


 他にも、具体的な思いはわからないが、感情の種類はなんとなくわかる。

表情や声色でなく、空気で伝わってくるんだ。


 母さんも同じ感覚を持っているはずなのだから、俺が感じている恐怖感は十分すぎるほどに伝わっていたはずだ。

そんな思いもあり、母さんには近寄りたくなくて、父さんにべったりだった。


 「そんなに学校へ行きたくないのなら、行かなくてもいいからね。」

と、父さんが優しく頭を撫でてくれた時だけ、安心することが出来た。

その時も、俺は震えていた。

父さんは、いつも、自分の耳やしっぽが俺の視界に入らないよう注意を払ってくれていた。


 その一方で。

「大丈夫だよ。そのうち学校に行きたいと思うようになるさ。」

と、母さんを慰めていることを、俺は知っていた。


 その時、俺が感じていたのは、なんて八方美人な父親だ、とか、そんなことではない。

自分のことで胸を痛める両親を、怖がり、嫌がってしまう。

それが、本当に心苦しく、辛かった。


 こんな風に、理由もわからず、ただ怖がられたらどう対処するだろう?

と、自分に子供がいることを想像してみると、何も浮かばなかった。


 俺ならきっと、わけもわからず自分の子供に怯えられたりしたら。

『この子は本当に自分の子供なのだろうか?』

と、恐怖すら感じるかもしれない。


 ましてや、ティアを妊娠していた当時の母さんはまだ一八歳だった。

こちらの世界の成人年齢が一五歳とはいえ、まだ、たったの一八歳だ。


 それ以前に、俺を産んだのが一六歳の時。

この世界では当たり前のことだろうけれど、俺が一六歳の時なんて、親になることすら想像できなかったと思う。


 俺だってもうすぐ産まれてくる子にとって、頼れるお兄ちゃんでいたいと思っていた。

けれど、理屈じゃないんだ。


 正直、あの頃が一番つらかった。

だけど、母さんのことを避けたいとは感じても、母さんのことを嫌いだとは思わなかった。


 父さんがうまく対応してくれたからなのだと思う。

父さんに対する尊敬と感謝は、言葉にしきれない。

とても偉大に感じている。


 結局、ティアが居たおかげで、学校がどんなところなのか、話して聞かせたい気持ちが強くなった。

ティアは、明るく家族を照らしてくれる。

家族ばかりか、出会った人を皆、笑顔にする。


 散々嫌がった登校だが、初日には、戦場へと赴くような気持ちでしたのだった。

「お兄ちゃんが、学校ってどんなところか、お話しするからね!!」

きっと、この時の俺は、涙目だったと思う。

怖い気持ちはあるけれど、精いっぱい強がっていた。


 「辛かったら、無理をせず帰っておいで。」

父さんが逃げ道を示してくれる。

「そうね。学校に行かなくても、勉強はできるわ。」


 母さんは一時期の状態がウソのように、なんでも笑い飛ばすようになっていた。

本来は、明るい太陽みたいな人なんだよな。

俺のせいで、あんなにも悩ませてしまったことが、本当に申し訳ない。

ティアは母さんに似ているんだなぁ、と、思う。


 学校は、いざ行ってしまえば、なんてことはなかった。

俺と同じトラの獣人はもちろん、ライオン、クマ、オオカミなど猛獣のオンパレードだから。

『まったく問題なく平気だった!』

と、言えばウソになる。


 しかし、大型獣人で肉食性ともなれば、怖がられるのが当たり前。

だからこそ、優しく紳士的に振舞うよう、物心ついたころから教わってきたのは、みんなも同じなのだ。

何より、俺に対する父さんの接し方が、雄弁に物語っていた。


 俺が、五歳から七歳までの間は、母さんが家を離れられる時には、母さんが学校まで送ってくれた。

とにかく俺が学校に行くことが嬉しかったらしく、可能な限り送ろうとしてくれた。


 ティアは、託児所に預けることが出来たからよかった。

人見知りの時期などなく、むしろ知らない人と会うと、テンションが上がるような幼児期だった。


 だが、アルが産まれてからは、そうもいかなくなった。

アルは人見知りだし、俺と離れることを、この世の終わりのように嫌がったから、家で母が、がっちりホールドするしかなかったのだ。


 アルは、俺が抵抗してもビクともしなかった母さんのホールドから逃れそうになる程に全力で暴れ、俺の姿が見えなくなっても、しばらくは暴れていたらしい。


 父さんが出勤の時に、遠回りして送ってくれることもあったが、都合がつかない時もあり、そんな時には親戚の助けを借りた。

母方のお祖母ちゃんが来てくれることもあったし、エノーク伯父さんやブラムおじさんが来てくれることもあった。


 俺が七歳になると、フランダンとヘルマンが、送迎してくれた。

フランとヘルマンは、一三歳から城内の学校に通うようになり、少しの遠回りで俺を送迎することが出来るようになったから、フランが自ら申し出てくれたのだそうだ。


 なんでも、フランは、子供のころに約束したから、俺と一緒に学校に行きたかったんだとか。

俺は記憶になかったが、子供のころの約束を果たしてくれるなんて、とてもいい奴だ。


 ヘルマンはそれに付き合った形だが、フランが体調不良で学校を休んだ時には、一人で送迎しに来てくれた。


 その後、フランの二歳下の妹・マロンナが、入れ違いに城内の学校に通うようになり、後を引き継いで送ってくれた。

けれど、マロンナは学校にあまり行かなかったから、代わりにエノークおじさんやブラムおじさんが来てくれることが、ちょくちょくあった。


 「今日はエノーク兄さんが学校まで送ってくれるわ。」

「ブラムおじさんは?」

ティアは六歳の時、ブラム伯父さんが大好きだった。

「ブラム義兄さんは、お仕事が早いから、きっとエノーク兄さんだけだと思うわ。」


 エノーク伯父さんは、エクレムを学校に送った後に、ここまでわざわざ来てくれる。

「帰りはブラム伯父さんが来てくれる?」

ティアは、もう、とにかくブラムおじさんに会いたくて仕方がないらしかった。


 ブラムおじさんは、前世で言うところの大工さんだ。

身近にはいないムキムキマッチョだから、ティアが心を動かすのもわかるような気がする。

憧れのお兄さん、と、言う感じなのだろうけれど、手を繋いでべったりだから、ちょっと複雑な気持ちで見ていた。


 今も大好きなことに変わりはないけれど、最近は同年代の男の子が気になりだしたらしい。

それはそれで、ちょっと寂しいような気もする。

恋人が出来るのも時間の問題なのかな。


 いろんな人に育ててもらい、いま無事に一四歳の毎日を送っている。

父さん、母さん、ティア、アルはもちろん、親戚のみんなも大好きだ。


 最初は、大嫌い…

と、言うより、恐怖でしかなかったこの世界を、今では心から大切に思っている。

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