◆第一章◆ 前世はこんな人生でした
俺の事故で、きっと警察も介入したんだろうし、色々揉めたろう。
動物園、しばらく営業停止になっただろうな…
こっちの世界で、母親の胎内にいた時間のことを考えると、俺が落命してから一年弱経っているはずだ。
もっとも、時間の流れがあちらと同じならば、だけれど。
さすがに、もう落ち着いているだろうか。
お母さん、妹の
俺は、いつの間にか大声をあげて泣いていて、目の前にいる今の両親からとても心配された。
泣き止もうとするが、前世への色々な思いが洪水のように溢れ、止まらず、ますます泣いてしまう。
前世の俺、木原
ウサギとか、モルモットなど、モフモフした小動物が大好きだった。
あの子たちは、とても小さくてかわいらしいし、いつまでも見ていられる。
小さくてかわいい生き物の中にだって、肉食や雑食の子はいるけど、少なくとも、滅多なことでは生きた人間を襲わない安心感がある。
仮にひっかかれたり、咬まれたとしても、小さな傷程度で済むことが殆どだ。
「ねえ、お母さん、僕ハムスターを飼いたい。」
小学校四年生の俺は、ハムスターくらいのサイズなら、許してもらえる気がしていた。
「え!? ダメよ。お母さん、ネズミは嫌いだもの。」
ネズミ…
確かにネズミの一種だけどね。
「…じゃあ、ウサギは?」
「勇史くん、なんでも良いのならよしなさい。」
本当は、最初からウサギが本命だったけど、タカシさんにそう言われたら、もう何も言えなかった。
「そうよ。ハムスターがだめだからって、次はウサギだなんて。」
確かに、本当はウサギが良いのに、許可が出る可能性が高そうだという理由で、ハムスターと言った。
後から考えてみれば、ハムスターに失礼だ。
俺としてはどちらもかわいいし、どちらでも責任をもって、精一杯かわいがる心構えがあった。
最初から、ウサギとハムスターのどちらか許してもらえるほうを飼いたい、と、話をすればよかったのだろうが、小学生の俺にはそんな知恵はなかった。
「ママ、わたし、ウサギさんのぬいぐるみが欲しい。」
二歳年下の妹、
「良いわよ。あなた、もうすぐ誕生日だものね。今度、お買い物に行く時に、買ってあげるわ。」
俺の要求は即却下されたのに、
その上、こっそり、俺に対して得意げな表情を見せた。
俺が勇史だったころの両親は、小学校三年生の夏休み中に離婚。
父親が家を出ていった。
話し合った末の結論なのか、父に非があったから出ていかざるを得なかったのか、子供の俺たちは一切聞かされず。
ただただ、目まぐるしく展開していく現実を、受け入れることで精いっぱいだった。
四年生の夏休み、一緒に海へ遊びに行ったタカシさん。
以降、頻繁に家を訪れた期間を経て、母と再婚した。
その時、俺は間もなく五年生になろうとしていた。
タカシさんも、俺のことを”くん”付けで呼んでいたが、
家族の中で、俺だけが違う空間にいるみたいだった。
お母さんが再婚して少ししたころ。
ギリギリ五年生になる直前、タカシさんの仕事の都合で、小学校を転校することになった。
俺の前ではそんな素ぶりを見せなかったけれど、タカシさんと俺がいないところで、多少なり不満を漏らしたんじゃないか、と、想う。
急な転校に対し、反抗的になるほど仲の良い友達が、俺にはいなかったから、気を使ってくれたのかもしれない。
妹は、俺なんかのことを含め、よく周りを見て気を使っていたんだな、と、振り返ってみて、感じた。
俺ときたら、むしろ、もっと綺麗で広い家に住めると聞いて、ワクワクしていた。
産まれた時から住んでいた家だけれど、ありふれた団地だった。
日本らしさあふれる狭小住宅だったから、特別な愛着があるわけでもない。
なにより、子供部屋が一人一部屋になることが嬉しくて、
俺は、自分のことばかり。
学校が変わることなんて、なんてことはない、と、冷めた態度だった。
結果的に新しい小学校で飼育係に加われたことが、本当にうれしかったから、新しい学校に慣れるまで、
ウサギ小屋と、鶏小屋があって、毎日掃除をしたり面倒をみることが幸福だった。
においとか、多少つつかれたり、咬まれるのもへっちゃらだ。
いっそ、ウサギ小屋に住みたいくらいだった。
人づきあいが苦手な俺は、前の学校と同様、新しい学校でも友達はできなかった。
クラスではもちろん、飼育係内では、あんまり真面目に世話をするものだから、他の子たちは。
「木原くん、わたしたち、もう帰って良い?」
自分のやるべきことは済ませているのだから、帰ればいい。
けれど、自分よりも頑張っている人を前に、人は後ろめたさを覚える。
「俺が好きでやっているから、気にしないで。」
俺は手を止めず、目を合わせることもなく答えた。
そんなやり取りが何度か続いた後、付き合いきれなくなったみんなは、とうとう俺に任せきりになった。
中には、飼育係をやめてしまう子もいたから、結果、先生から注意されたのは、俺だ。
先生が言うには、協調性がないことが問題らしい。
後ろめたさを覚えるくらいなら、同じように一生懸命やれば良い。
とは、ならないことが、当時の俺には不思議でならなかった。
納得はいかなかったけれど、反発はせず。
それでも、俺は自分のやり方を貫いたものだから、同じ係の同級生ばかりか、先生からも嫌な顔をされていた。
そもそも、転校生とはいえ、新学年が始まると同時だったから、転校生として紹介されることはなかったんだ。
学年の始まりだから、わざわざ紹介して転校生と言うレッテルを貼らない方が、早く馴染めるのではないか、と、学校側から提案され、了承した形だ。
わざわざ、目立つようなことをしたくもなかった俺としては、本当に助かった。
クラス替えをするタイミングだから尚更、転校生だと気づかれていなかったと思う。
しかし、五年生にもなると、元々同じクラスだったことがあるとか、一年の頃からの友達だとか、既に出来上がった世界がある。
たぶん、転校生だと知られていないことで『誰も友達がいない奴』と、思われていただろう。
俺にとっての友達は、ウサギと鶏。
いつもウサギと鶏に話しかけていたから、変わっていると思われていただろうけど、それも全然気にしていなかった。
気にするのはいつも周りの方。
友達がいないから可愛そう。
一人ぼっちで寂しいやつ。
時々、気を使っているのか、声をかけてくる子がいたけど、いつの間にかいなくなった。
小学校六年の時に、遠足で動物園へ行った時のことだ。
ガラス越し、虎に目の前で吠えられた。
あまりの迫力に。
「うわぁっ」
俺は、反射で後ろへ飛びあがり、尻もちをついた。
「おい、大丈夫か?」
特に仲良くもなかったけど、正義感の強い、クラスのリーダーっぽいやつが声をかけてきた。
「うわっ! こいつちびってる。」
少し離れた所にいたはずのお調子者が、俺の股間に出来た染みを見るなり、大きな声を上げる。
「やめろよ。びっくりしただけだろ。木原、立てるか?」
俺は何も言えないまま、動けないまま。
ただ、体が震えていた。
「お前、腰抜かしてんの?」
また別の一人が淡々と声をかけてきた。
「せんせーい、木原君が虎に吠えられてビビッておしっこちびりましたー!」
一体、何人に聞こえただろう。
「あと、腰抜かしてて動けませーん!」
お調子者ってやつは、なんでこうも声がでかいのか。
俺は、駆け付けた先生にその場から連れていかれ、一時的に医務室のようなところへ行き、着替えた。
遠足の持ち物に、着替えがあったのは、こういう時のためなのか、と、思った。
この後、しばらくの間、見ず知らずの生徒からもからかわれた。
「あいつ、この間遠足で、虎に吠えられておしっこちびって腰抜かしたんだって。」
「え、マジか、はずかし~。」
すれ違いざまに似たようなことを囁かれる日が続いた。
けれど、飼育係としての仕事があったから、学校を休む気持ちには全然ならず。
ひたすらウサギと鶏の世話をし続け、いつの間にか卒業していた。
そういえば、ハムスターもウサギも飼うことを却下された代わりに、動物図鑑を買ってもらったんだっけ。
お母さんなりに、配慮してくれたのかもしれない。
確か、買ってくれたのは、妹が欲しいと言ったウサギのぬいぐるみを買いに行った時だった。
妹には誕生日プレゼントしてだけど、俺にはなんて言ってたっけか?
中学、高校では動物を飼育しておらず、動物と疎遠な時期を過ごしていたから、動物図鑑ばかり見ていたな。
当時もらっていたお小遣いやお年玉を貯めて、図鑑を新しく買い足して、俺はどんどん動物に詳しくなった。
そうして、動物園の飼育員になりたいと思うようになった。
高校の三者面談を前に、親へ進路希望について話をする機会があり、俺は自分の意志を伝えた。
「動物園の飼育員になりたい、です。」
その時、初めて話したことだけれど、俺の動物好きは、わかっているだろうと思っていたから。
「なんでそんな職業がいいのか、母さん全くわからないわ。」
と、いうお母さんの反応に面食らったっけ。
「良いじゃないか。本人がやりたいっていうんだから。その方が多少辛くても頑張れるだろう。」
タカシさんは、新聞を読む格好のままで、話に参加していた。
なんとなく面と向き合うのが気恥ずかしいとか、そういう理由で、実際には読んでいないであろう新聞のページをめくり、続けて。
「今の子は忍耐力がないから、好きなことをやらせた方が、長続きするんじゃないか。」
タカシさんは、辛辣な内容を話していても、トゲトゲしく感じない、温かく優しい声の人だ。
言葉だけをとらえると、多くの人が苛つきそうな内容でさえ、タカシさんが言うと、不思議と柔らかく受け止められた。
今だから感じることだけれど、児童期がバブル真っ只中だった俺の世代は、親世代から見れば、甘やかされ、贅沢に育っていたのかもしれない。
それでなくとも、いつの時代も、一定数の人間が。
「俺たちが子供の頃は…」
などと、自らの子供時代と比べて話すものだ。
タカシさんは、俺が動物好きだという事を、理解してくれていたように思う。
忍耐力がない、と、評したのは、俺と同世代の大多数であり、俺のことを指してはいなかった。
小学校の頃、飼育係として、積極的に動物に関わっていたことは、家族全員知っていた。
俺は小学生の頃から、成績表に忍耐強いとたびたび書かれていたし、忍耐力がない、と言う印象はないはず。
きっと、タカシさんは、お母さんを納得させるために、敢えて、もっともらしい言い方をした。
「…それもそうね。好きにしなさい。入学金までは何とかしてあげるから、あとは自分で何とかしなさいね。」
「…はい。ありがとうございます。」
今、考えてみると、もしかしたら、お母さんは。
『動物が好きだからと言うだけで出来る仕事ではない』
と、言いたかっただけなのかもしれない。
飼育員は、危険を伴う仕事の一つだから、心配もしただろう。
どんな仕事にだって、大小はあれど危険は付きまとうもの、だと思うが、動物園の仕事は、非日常的な危険があるのは確かだ。
草食動物だからと言って、安全とは限らない。
身体の大きな動物なら、何かの理由で暴れたり、突進されればどうなることか。
急に倒れてくる、なんてこともあるかもしれない。
身体の大きさに寄らず、角があったり、歯が鋭かったり。
くちばしや、爪などでケガをすることがあるかもしれない。
傷口から雑菌が入れば、小さなケガでも大事に至ることがある。
まして、肉食獣に関わることになれば、危険度はかなり増す。
一般的なサラリーマンが遭遇する可能性のある危険と比べたら、確かに危険と言えるのかもしれない。
動物園は、大部分が屋外の施設だから、夏は暑く、冬は寒い。
餌を運んだり、掃除をしたり、基本的には肉体労働。
大変な仕事なのは確かだ。
あの時の俺は、そんな風には思わなかったから、お母さんのことを、ますます遠くに感じていた。
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