◆第一章◆ 前世はこんな人生でした

 俺の事故で、きっと警察も介入したんだろうし、色々揉めたろう。

動物園、しばらく営業停止になっただろうな…


 こっちの世界で、母親の胎内にいた時間のことを考えると、俺が落命してから一年弱経っているはずだ。

もっとも、時間の流れがあちらと同じならば、だけれど。


 さすがに、もう落ち着いているだろうか。

お母さん、妹の真美まさみ、タカシさんは変わらず元気にしているだろうか。


 俺は、いつの間にか大声をあげて泣いていて、目の前にいる今の両親からとても心配された。


 泣き止もうとするが、前世への色々な思いが洪水のように溢れ、止まらず、ますます泣いてしまう。


 前世の俺、木原勇史ゆうじは、一九八〇年一一月産まれ。

ウサギとか、モルモットなど、モフモフした小動物が大好きだった。


 あの子たちは、とても小さくてかわいらしいし、いつまでも見ていられる。

小さくてかわいい生き物の中にだって、肉食や雑食の子はいるけど、少なくとも、滅多なことでは生きた人間を襲わない安心感がある。

仮にひっかかれたり、咬まれたとしても、小さな傷程度で済むことが殆どだ。


 「ねえ、お母さん、僕ハムスターを飼いたい。」

小学校四年生の俺は、ハムスターくらいのサイズなら、許してもらえる気がしていた。


 「え!? ダメよ。お母さん、ネズミは嫌いだもの。」

ネズミ…

確かにネズミの一種だけどね。


 「…じゃあ、ウサギは?」

「勇史くん、なんでも良いのならよしなさい。」

本当は、最初からウサギが本命だったけど、タカシさんにそう言われたら、もう何も言えなかった。


 「そうよ。ハムスターがだめだからって、次はウサギだなんて。」

確かに、本当はウサギが良いのに、許可が出る可能性が高そうだという理由で、ハムスターと言った。

後から考えてみれば、ハムスターに失礼だ。


 俺としてはどちらもかわいいし、どちらでも責任をもって、精一杯かわいがる心構えがあった。


 最初から、ウサギとハムスターのどちらか許してもらえるほうを飼いたい、と、話をすればよかったのだろうが、小学生の俺にはそんな知恵はなかった。


 「ママ、わたし、ウサギさんのぬいぐるみが欲しい。」

二歳年下の妹、真美まさみは、いつだって空気を読んで、大人を気分よくさせるのが得意だ。


 「良いわよ。あなた、もうすぐ誕生日だものね。今度、お買い物に行く時に、買ってあげるわ。」

俺の要求は即却下されたのに、真美まさみは絶妙に通りそうな要求を、絶妙なタイミングでしてみせた。

その上、こっそり、俺に対して得意げな表情を見せた。


 俺が勇史だったころの両親は、小学校三年生の夏休み中に離婚。

父親が家を出ていった。


 話し合った末の結論なのか、父に非があったから出ていかざるを得なかったのか、子供の俺たちは一切聞かされず。

ただただ、目まぐるしく展開していく現実を、受け入れることで精いっぱいだった。


 四年生の夏休み、一緒に海へ遊びに行ったタカシさん。

以降、頻繁に家を訪れた期間を経て、母と再婚した。

その時、俺は間もなく五年生になろうとしていた。


 真美まさみは、タカシさんのことを素直にパパと呼び、俺は変わらず名前で「タカシさん」と呼び続けた。


 タカシさんも、俺のことを”くん”付けで呼んでいたが、真美まさみのことは呼び捨てにしていた。

家族の中で、俺だけが違う空間にいるみたいだった。


 お母さんが再婚して少ししたころ。

ギリギリ五年生になる直前、タカシさんの仕事の都合で、小学校を転校することになった。


 真美まさみは社交的だし、友達もたくさんいた。

俺の前ではそんな素ぶりを見せなかったけれど、タカシさんと俺がいないところで、多少なり不満を漏らしたんじゃないか、と、想う。


 急な転校に対し、反抗的になるほど仲の良い友達が、俺にはいなかったから、気を使ってくれたのかもしれない。

妹は、俺なんかのことを含め、よく周りを見て気を使っていたんだな、と、振り返ってみて、感じた。


 俺ときたら、むしろ、もっと綺麗で広い家に住めると聞いて、ワクワクしていた。

産まれた時から住んでいた家だけれど、ありふれた団地だった。

日本らしさあふれる狭小住宅だったから、特別な愛着があるわけでもない。 


 なにより、子供部屋が一人一部屋になることが嬉しくて、真美まさみの気持ちを、少しも考えることもなかった。


 俺は、自分のことばかり。

学校が変わることなんて、なんてことはない、と、冷めた態度だった。

結果的に新しい小学校で飼育係に加われたことが、本当にうれしかったから、新しい学校に慣れるまで、真美まさみが寂しそうな顔をしていたことに、その時は気が付かなかったんだ。


 ウサギ小屋と、鶏小屋があって、毎日掃除をしたり面倒をみることが幸福だった。

においとか、多少つつかれたり、咬まれるのもへっちゃらだ。

いっそ、ウサギ小屋に住みたいくらいだった。


 人づきあいが苦手な俺は、前の学校と同様、新しい学校でも友達はできなかった。

クラスではもちろん、飼育係内では、あんまり真面目に世話をするものだから、他の子たちは。


 「木原くん、わたしたち、もう帰って良い?」

自分のやるべきことは済ませているのだから、帰ればいい。

けれど、自分よりも頑張っている人を前に、人は後ろめたさを覚える。


 「俺が好きでやっているから、気にしないで。」

俺は手を止めず、目を合わせることもなく答えた。


 そんなやり取りが何度か続いた後、付き合いきれなくなったみんなは、とうとう俺に任せきりになった。

中には、飼育係をやめてしまう子もいたから、結果、先生から注意されたのは、俺だ。


 先生が言うには、協調性がないことが問題らしい。

後ろめたさを覚えるくらいなら、同じように一生懸命やれば良い。

とは、ならないことが、当時の俺には不思議でならなかった。


 納得はいかなかったけれど、反発はせず。

それでも、俺は自分のやり方を貫いたものだから、同じ係の同級生ばかりか、先生からも嫌な顔をされていた。


 そもそも、転校生とはいえ、新学年が始まると同時だったから、転校生として紹介されることはなかったんだ。

学年の始まりだから、わざわざ紹介して転校生と言うレッテルを貼らない方が、早く馴染めるのではないか、と、学校側から提案され、了承した形だ。


 わざわざ、目立つようなことをしたくもなかった俺としては、本当に助かった。

クラス替えをするタイミングだから尚更、転校生だと気づかれていなかったと思う。


 しかし、五年生にもなると、元々同じクラスだったことがあるとか、一年の頃からの友達だとか、既に出来上がった世界がある。

たぶん、転校生だと知られていないことで『誰も友達がいない奴』と、思われていただろう。


 俺にとっての友達は、ウサギと鶏。

いつもウサギと鶏に話しかけていたから、変わっていると思われていただろうけど、それも全然気にしていなかった。

気にするのはいつも周りの方。


 友達がいないから可愛そう。

一人ぼっちで寂しいやつ。

時々、気を使っているのか、声をかけてくる子がいたけど、いつの間にかいなくなった。


 小学校六年の時に、遠足で動物園へ行った時のことだ。

ガラス越し、虎に目の前で吠えられた。


 あまりの迫力に。

「うわぁっ」

俺は、反射で後ろへ飛びあがり、尻もちをついた。


 「おい、大丈夫か?」

特に仲良くもなかったけど、正義感の強い、クラスのリーダーっぽいやつが声をかけてきた。


 「うわっ! こいつちびってる。」

少し離れた所にいたはずのお調子者が、俺の股間に出来た染みを見るなり、大きな声を上げる。


 「やめろよ。びっくりしただけだろ。木原、立てるか?」

俺は何も言えないまま、動けないまま。

ただ、体が震えていた。


 「お前、腰抜かしてんの?」

また別の一人が淡々と声をかけてきた。


 「せんせーい、木原君が虎に吠えられてビビッておしっこちびりましたー!」

一体、何人に聞こえただろう。

「あと、腰抜かしてて動けませーん!」

お調子者ってやつは、なんでこうも声がでかいのか。


 俺は、駆け付けた先生にその場から連れていかれ、一時的に医務室のようなところへ行き、着替えた。

遠足の持ち物に、着替えがあったのは、こういう時のためなのか、と、思った。


 この後、しばらくの間、見ず知らずの生徒からもからかわれた。

「あいつ、この間遠足で、虎に吠えられておしっこちびって腰抜かしたんだって。」

「え、マジか、はずかし~。」


 すれ違いざまに似たようなことを囁かれる日が続いた。

けれど、飼育係としての仕事があったから、学校を休む気持ちには全然ならず。

ひたすらウサギと鶏の世話をし続け、いつの間にか卒業していた。


 そういえば、ハムスターもウサギも飼うことを却下された代わりに、動物図鑑を買ってもらったんだっけ。

お母さんなりに、配慮してくれたのかもしれない。


 確か、買ってくれたのは、妹が欲しいと言ったウサギのぬいぐるみを買いに行った時だった。

妹には誕生日プレゼントしてだけど、俺にはなんて言ってたっけか?


 中学、高校では動物を飼育しておらず、動物と疎遠な時期を過ごしていたから、動物図鑑ばかり見ていたな。

当時もらっていたお小遣いやお年玉を貯めて、図鑑を新しく買い足して、俺はどんどん動物に詳しくなった。

そうして、動物園の飼育員になりたいと思うようになった。


 高校の三者面談を前に、親へ進路希望について話をする機会があり、俺は自分の意志を伝えた。


 「動物園の飼育員になりたい、です。」


 その時、初めて話したことだけれど、俺の動物好きは、わかっているだろうと思っていたから。

「なんでそんな職業がいいのか、母さん全くわからないわ。」

と、いうお母さんの反応に面食らったっけ。


 「良いじゃないか。本人がやりたいっていうんだから。その方が多少辛くても頑張れるだろう。」

タカシさんは、新聞を読む格好のままで、話に参加していた。

なんとなく面と向き合うのが気恥ずかしいとか、そういう理由で、実際には読んでいないであろう新聞のページをめくり、続けて。

「今の子は忍耐力がないから、好きなことをやらせた方が、長続きするんじゃないか。」


 タカシさんは、辛辣な内容を話していても、トゲトゲしく感じない、温かく優しい声の人だ。

言葉だけをとらえると、多くの人が苛つきそうな内容でさえ、タカシさんが言うと、不思議と柔らかく受け止められた。


 今だから感じることだけれど、児童期がバブル真っ只中だった俺の世代は、親世代から見れば、甘やかされ、贅沢に育っていたのかもしれない。


 それでなくとも、いつの時代も、一定数の人間が。

「俺たちが子供の頃は…」

などと、自らの子供時代と比べて話すものだ。


 タカシさんは、俺が動物好きだという事を、理解してくれていたように思う。

忍耐力がない、と、評したのは、俺と同世代の大多数であり、俺のことを指してはいなかった。


 小学校の頃、飼育係として、積極的に動物に関わっていたことは、家族全員知っていた。

俺は小学生の頃から、成績表に忍耐強いとたびたび書かれていたし、忍耐力がない、と言う印象はないはず。


 きっと、タカシさんは、お母さんを納得させるために、敢えて、もっともらしい言い方をした。


 「…それもそうね。好きにしなさい。入学金までは何とかしてあげるから、あとは自分で何とかしなさいね。」

「…はい。ありがとうございます。」


 今、考えてみると、もしかしたら、お母さんは。

『動物が好きだからと言うだけで出来る仕事ではない』

と、言いたかっただけなのかもしれない。


 飼育員は、危険を伴う仕事の一つだから、心配もしただろう。

どんな仕事にだって、大小はあれど危険は付きまとうもの、だと思うが、動物園の仕事は、非日常的な危険があるのは確かだ。


 草食動物だからと言って、安全とは限らない。

身体の大きな動物なら、何かの理由で暴れたり、突進されればどうなることか。

急に倒れてくる、なんてこともあるかもしれない。


 身体の大きさに寄らず、角があったり、歯が鋭かったり。

くちばしや、爪などでケガをすることがあるかもしれない。

傷口から雑菌が入れば、小さなケガでも大事に至ることがある。

まして、肉食獣に関わることになれば、危険度はかなり増す。


 一般的なサラリーマンが遭遇する可能性のある危険と比べたら、確かに危険と言えるのかもしれない。


 動物園は、大部分が屋外の施設だから、夏は暑く、冬は寒い。

餌を運んだり、掃除をしたり、基本的には肉体労働。

大変な仕事なのは確かだ。


 あの時の俺は、そんな風には思わなかったから、お母さんのことを、ますます遠くに感じていた。

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