転生したら肉食獣人でした
しろがね みゆ
◆プロローグ◆ どうやら転生したようです
「きゃあぁぁぁぁ」
遠くに、女性の叫び声が聞こえる。
もはやどこが痛むのかわからない。
目の前が暗くなり、意識が遠のくのを感じていた。
ああ…
大都会に生まれ、大都会で育って二九年。
俺は草食系男かもしれないが、まさかリアルに弱肉強食で終わるなんて----。
**********
「--まあ、なんてかわいいんでしょう。」
頬を指で撫でられた。
「あなた、見て! あなたそっくりよ。きっと、あなたのようにハンサムになるわ。」
明るくて元気な声の主を、見たいと思うが、視界がぼんやりしてよく見えない。
けれど、なんとなくわかるのは、どうやら俺はついさっき、この女性から
「よく頑張ったな、ダナ。ありがとう。」
興奮している様子の母親に対して、妙に冷静で淡々と話す男性。
父親だろうか。
それよりも、明らかに日本語ではない未知の言語が聞こえているのに、意味を理解できるのが不思議でならない。
耳慣れない言葉だという認識がはっきりあると同時に、当たり前に知っているような感覚があって、ものすごい違和感だ。
「無事に生まれてきてくれて、本当にうれしいわ。」
テレビで日本語以外の言語が、同時通訳で放送されている時、日本語意外の言語は音量が下げられ、日本語が聞き取りやすいようにされている。
それが、同じ音量で、二種類の言語が完全に同じタイミングで耳に入ってくるから、理解はできるがとても気持ち悪い。
違和感がしばらく続いた後、急に一つの言語を母国語として聴いている感覚へ、突然変わった。
「この子は、男の子だね。それなら二コラティグと言う名前は、どうだろうか。」
俺を産んだ母親と、おそらく父親の会話が、今となっては日本語を聞いているのと同じような感覚で耳に届く。
「素敵ね。」
俺を抱いている母親が応じた。
どうやら、俺の名前は”二コラティグ”に決まったらしい。
しばしの沈黙は、父親が満足している時間だ、と、なぜだか確信した。
「愛称は、ティグが良いと思うんだ。」
二コとか、ニコラじゃないのか。
まあ、俺もティグの方がなんだかかっこいい響きで、好きだ。
確かめようがないけれど、俺はきっと笑っていたと思う。
「気に入ってくれたかな?」
男性の声が近づいてきた。
赤ん坊の目では、はっきりと見えないから、断言はできないが、母親の言葉を信じるなら、どうやらハンサム。
その上、センスがいい父親らしい。
俺は、早く両親の顔を見てみたい気持ちになっていた。
俺は、木原
温かく、心地のいい場所で、ゆらゆら揺れる時間を、どのくらい過ごしたのか。
先ほどまでは、母親の胎内にいたのだと、いま理解した。
たぶん、別の国?に生まれ変わった、と、言うことなのだろうが、確証を得られないまま数日が過ぎた。
一方で、日を追うごとに大きくなっていくある一つの違和感が、徐々に確信へと近づいている。
どうやら、両親の頭に
「ティグ~。おはよう。」
遠目に見るとぼんやりして、近くに来ると顔だけがはっきり見えるから、判定ができない。
新生児の聴力ははっきりしているけれど、視力の発達には時間がかかる。
「ティグ、ご飯にしましょうね~。」
この体勢では、ほとんど何も見えない。
ふかふかもちもちの中に埋もれそうになりながら、必死に貪るのは本能だ。
おっぱいの柔らかさを堪能する余裕などない。
腹が減っているから飲む。
前世の記憶はあれど、これはただの食事だ。
「たくさん飲んで、大きくなるのよ~。」
意志とは無関係に、新生児の生活は。
・眠い
・お腹が空いた
・おむつを替えてほしい
・自分のして欲しいことが伝わらないもどかしさ
主に、これらの感情で占められている。
お腹がいっぱいになると、眠気に逆らえない。
げっぷを出すためにとんとんされるのが、ちょうどいい振動で、眠くなるんだ。
「…げふっ…」
(ああ、また確認できない…)
目が覚めると、目の前に、動き回る何か。
手に触れたタイミングで反射的に掴もうとして、うまく掴めずちょっとイライラする。
けれど、同時になんだかワクワクしている感覚。
本能に支配されていることを自覚するけれど、逆らえないのがこの身体。
よし!掴めた!
なんだかモフモフした感触の物体。
引っ張ってみると、どうやらそれは、自分の尻から
強く握ると痛みを覚えるから、おそらくこれは…
「ぁ…ぅあっ」
(しっぽ、だな。)
自分の身体に、しっぽがある。
きっと、耳もあるのだろう。
産まれた直後から感じている、頭の更に先、左右に2か所。
人間にはあるはずのない場所に、確かな感覚がある。
直接見たことがないから、実感を伴っていないけれど、おそらく耳であろうそれは、音に反応してピクピク動くことがある。
多分、ときどき両親に毛繕いされている、と思う。
今は手が届かないから、触って確かめられないのがもどかしい。
手や足は人間のそれだから、これはもしや、獣人と言うやつなのではないか。
獣人がいる世界なんて、間違いなく地球とは違う世界だろう。
別の国ではなく、別の世界なのか?
前世の記憶を残して別の世界に生まれ変わる、とか、何らかの意志があるんじゃないのか?
知らない、知り得ないだけで、よくあることなのだろうか。
とにかく、何もわからないまま、知らない世界に、新生児として放り出されたのは確実のようだ。
認識した途端、漠然として強大な不安が襲ってくる。
どうしていいかわからない。
泣きたい気持ちになる。
が、泣くと疲れるから、深呼吸をしたつもり。
で、盛大にむせた。
「あれ、ティグ、起きたのか。君はあまり泣かないね。赤ん坊は、もっと泣くものだと思っていたよ。」
そう言いながら、父は俺を抱き上げた。
背中をトントンされると、すぐに咳は収まる。
ありがとう、父よ。
赤ん坊は無力で、自分では何もできない。
両親に面倒を見てもらうことが、これほどまでにありがたいことだと、初めて実感した。
貴重な経験に感謝している。
ところで、チャンス到来だ。
俺は懸命に父親の頭の上へと手を伸ばす。
「んっ!」
その、耳らしき物体に…触りたいっ!
「ぅおっ…と、ティグ、眼鏡はダメだよ。」
違うよ!
眼鏡じゃなくて耳を確かめたいんだ!
「あうっ! …あっ!」
懸命に手を伸ばすけれど。
「ああっ! …ティグ、落ち着いてくれ。」
父が抵抗することもあり。
「うー…うっ! あぅ!」
届かない…
「あらあら!」
ああ、もうちょっとだったのに。
母親が、俺を父親の顔からひっぺがしてしまった。
「あっ! ティグ、ちょっと…」
母親の方で試してみても、どうにも頬とか目とかまでしか手が届かない。
ついには、なかなかの力でホールドされる。
「あーぅ! んっ! うー」
(くっそーう。)
「おー、よしよし。どうしたの?ご機嫌斜めねぇ。」
違うわ!
「えうぅっ! うぅぃぁっ! あぅぃ…ぁぇえぁっあぃっ!」
(別に機嫌が悪いわけではない!)
赤ん坊とは、本当にままならない。
赤ん坊の頃の記憶は、ない方が良いと思う。
自分の希望が伝わらない、自分のやりたいことを実現できないジレンマ、ストレスが、とてつもない。
こうして赤ん坊になってみて初めてわかった。
前世で、妹の子供を抱っこしたことがあるが、大いにぐずられ、目にパンチを食らったこともある。
きっと、あの時の姪っ子の気持ちはこんな感じだったのだろう。
「うぅ…」
あれは、肌の色に対して髪の毛が黒いから、興味を持って髪の毛を触ろうとしていたのではないだろうか。
今の俺は、耳を触ろうと必死になっているというだけの違いなんだ。
「あーっ!」
(届かないぃぃ)
目的の場所へと手を伸ばしているつもりで、意図せずパンチしてしまう。
そういうことだったに違いない。
「ぅうぁあ!」
そして、身をよじるこの感じ。
「一体、どうしたのかしら? 便秘にでもなったのかしら?」
母は困惑するばかりの様子だ。
抱いている側になると、落としそうになって怖いうごきだよな。
わかっていても、もどかしすぎてこうなる。
それにしても母よ、マジ力強いな。
「ん~! ん~ぅぅううっ!」
(全然動けない!)
これでは、本当に便秘のようではないか!
訴えたいことがあっても、未発達の舌や口ではせいぜい「あー」とか「うー」とかを発するので精一杯だ。
前世の記憶を持っていると、うまく伝えられないもどかしさを自覚するから、余計に負担になる。
だから人は、生まれ変わる時に前世の記憶をなくすのかもしれないな。
いま、全ての赤ん坊に激しく同意する。
これは…仕方がない!
「いてっ。」
あ、足が父の顔にクリーンヒットしてしまった。
すまない父よ。
悪気はなかったんだ。
眼鏡直撃じゃなかったのが、不幸中の幸いだった。
「あなたっ! 大丈夫?」
母は、慌てながらも、改めて俺のことをがっちりホールドしている。
痛くないけれども身動きが取れない、絶妙な加減なんだよな。
さすがに少しおとなしくしよう。
「大丈夫だよ。子供はこれくらい元気な方が良い。なぁ、ティグ。」
親と言うのは偉大なものだ。
「なんだろう、一生懸命手を伸ばして…うーん? 耳、かな?
ティグ、耳に触りたいのかい?」
そう言って、父は俺が耳を触れるように差し出してくれた。
特にこの父親は、どうにもすごい。
困惑して、的外れなことばかりを言っている母とは違い、冷静によく観察し、分析している。
ああ、耳だねぇ。
本来は耳がない位置にこのモフモフは、ずばりケモミミだねぇ。
でも、何の耳なのかは、いまいちわからない。
「痛い痛い。ティグ、そんなに引っ張ったら痛いよ。」
念のため、ちょっと強めに引っ張って、仮装じゃないことを確かめる。
よほど強力な接着剤でも使用していない限り、赤ん坊の力とはいえ、これだけ引っ張ったら、さすがに取れるだろう。
仮に着けていたとしても、頭部に何日もそのままという事はあり得ないだろう。
父は本気で痛がっているようだし、頭から耳が生えている、と確定して良いと思う。
父よ、確認させてくれてありがとう。
「おや? 満足したのかい?」
うむ、満足した。
「あぅ」
(おう!)
多分、にっこり笑えている、はず。
他にも確認したいことはあるけれど、耳が生えていることは確認できたから、今はそれでよしとする。
「そうかそうか。それにしても君の瞳は、本当に不思議できれいだね。」
突然、父が改まった様子でしみじみ言った。
瞳が不思議できれい?
「最初は見間違いかと思ったけれど、左右でこんなにはっきり色が違う。」
気になるけれど、確認しようがないな。
父は、俺の耳を優しく引っ張った後に、軽く毛繕いした。
耳に触られると、こんな感触なんだよ、と、教えてくれているのだろう。
つくづく、すごい父だと感じた。
ふいに、前世の両親や家族のことを想い、鼻の奥がツンとする。
しみじみと、俺は前世の人生を終え、違う世界に生きているという実感をしたことで、懐古を誘ったのだろうか。
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