黒猫 ep2
体の感覚がない。
雪の降る日だった。
寒空の下にずっといると空気が冷たいというのを通り越して何も感じなくなっていた。
さすがに零下の気温では段ボールでしのぐのは難しいようだ。
このまま死ぬのかと思った。
意識が途絶えてはまた戻る。
そんなことを繰り返してまだ死んでいないのかと内心何度ため息をついたことだろう。
でもそれももうすぐ終わる。
そう思っていたのに。
「ハロー」
上から声がかかって雪が途切れた。
傘を差した人物が覆いかぶさってきたのだ、としばらくして気づく。
黒づくめの服を見てこれが話に聞く死神かと思った。
つれていくなら早くつれていってほしい。
寒い場所にいるのはもう疲れた。
体が抱き上げられる。
やっと死ねるのかと思った。
そんなに甘くはなかったが。
「かわいいかわいい黒猫さん。あなたのお名前はなんですか?」
そう言いながら
変態かと思ったがもうどうにでもしてくれという気分だった。
抱き上げて連れてこられたのは変な場所だった。
木の
「ふふ、綺麗でしょ?」
そう言って黒い服の青年は笑う。
笑うと締まらない顔になる垂れ目に縁がついた眼鏡をかけている。
一見真面目そうだがニヤニヤとシルヴィーを見る顔は変態くさい。
「ややっ。君とても綺麗な髪の色をしているね。ていうか黒猫さんじゃないじゃないか!」
シルヴィーの汚れが落ちると青年は大げさに驚いた様子を見せた。
「君は天使みたいだね!天使ちゃんと呼んでもいいかな」
「……イヤだ」
これが初めての会話だった。
青年は泥棒だった。
金持ちを殺して財宝を奪う悪い強盗だ。
「シルヴィーっていうんだ!君によく似合う名前だね。あっ僕の名前はブルー」
聞いていないのにそう言った。
青年はやたらシルヴィーを構った。
かわいくてかわいくて仕方がない動物を拾ったように。
もちろんシルヴィーは迷惑だった。
こんな所早く出て行ってやる、と思っていた。
青年の評判は周りには上々で近所の人もシルヴィーをかわいがってくれた。
近所の人間は人がいいが口が軽くていろんな話をした。
いわく、ブルーはとても出来た青年だということ(普段のブルーを知っているシルヴィーはそれはどうかと思ったが)。
弱者に優しく、強者にもへりくだらずどんな人でも親しげに話す。
誰にでも分け隔てなく接して、困っているものには惜しみなく手を差し出す。
なんでも、この教会の前の司祭がどこからか拾ってきたらしいということ。司祭は高齢だったのでブルーが来てすぐに亡くなってしまったが、教会は今も癒やしの場所であること。
ブルーは素敵な人だということ。
それは昼間の彼の話。
真昼の彼はみんなに笑顔を振りまいて優しく与えるが、夜中の彼は笑顔はそのままにいろんな人から多くのものを奪った。
おかしなやつだなと思った。
そして人間は愚かだと思った。
誰にも本当のことが見えていない。
仕事がしたいと言うとブルーは最初は嫌がったが、シルヴィーがどうしてもと言えば仲介ならやってあげると渋々了承してくれた。
殺しの仕事を。
シルヴィーは殺しの天才だった。
静かに素早く命を刈り取る。
まるで獣、死神の使いであると言われる黒猫のように。
仕事の度に髪に色がつくのが面倒だった。銀髪に赤は目立ってしょうがないので異名の通り仕事の度に髪を黒く染めるようになった。
夜の闇に紛れるしここは黒髪の住人が多い街だったので匿名効果は抜群だった。
シルヴィーは次々に仕事をこなし、ある程度お金を貯めるといつまでもブルーの世話になるのは悪いからとアパートをかりて自分の住処をもった。
でも、仕事に関してブルーは心配性で少なくともシルヴィーが成人するまでは自分が仲介者となって仕事と相手を選ばせてもらうと言った。
別にシルヴィーはそれで構わなかった。
殺しは仕事だ。
スムーズに仕事ができるなら問題ない。
シルヴィーが煙たがっているのはとっくに知っているだろうが、ブルーはシルヴィーにとても甘くなにかとご飯をくれたり着る物を買ってきたりするのでこれでは一人暮らしの意味がないと距離をおこうとすることもあったがたいていは無駄だった。
さすがは裏社会で生きてきた人間。
ブルーは悪い意味でしつこかった。
そんなブルーはシルヴィーが仕事をするようになってからは夜の仕事を減らしたようだった。
まあ、昼の仕事はほぼ無償労働のようなものなのだが。
殊勝な気持ちがあったわけではないがシルヴィーはそれでよかったと思った。
昼間の世界のほうがブルーに似合う気がして。
夜中の世界のブルーはきっと笑顔を貼り付けて生きているんだろう。
そうしなければいけないほど世界は汚いから。
綺麗にしようとしても世界は変わらない。
シルヴィーに難しいことはわからなかった。
けれど、ブルーが手を振るうのは料理だけでいい。
「シルヴィー、おいしい?」
机の向こう側からブルーが笑顔で聞いてくる。
パンケーキのラズベリーソースかけ、生クリーム増し増し。
それがシルヴィーを呼びつけてブルーが振る舞った料理だった。
「この生クリームまるでシルヴィーみたいだよね。きめ細かくて綺麗で甘くてかわいい」
「後半はよくワカンネーけど、トリあえずだまれ」
「シルヴィーひどーい」
そう言ってから微笑む。
「美味しい?」
「まあ……」
「それはよかった」
蝋燭の火が食卓を暖かく照らす。
ブルーが嫌いなわけではないのでこのまま笑顔だったらいいと思う。
パンケーキは甘い。
赤いラズベリーソースと混ざった生クリームの色はたしかに自分みたいだな、とシルヴィーは思った。
携帯電話につけている黒猫のストラップは初めて仕事が成功したときにブルーがくれたものだ。
結果的に簡単な仕事でシルヴィー自身は怪我をしなかったが、待っているブルーは気が気ではなかったらしい。
帰ってくるなり長い安堵の息をつくとブルーは言った。
「認めるよ。シルヴィーは強い」
大きな手でシルヴィーに触れると言った。
「手を出して」
小さなシルヴィーの手の平にちょこんと黒猫が乗る。
シルヴィーの親指より少し大きいくらいの猫のストラップだった。
「なんだコレ」
「これはお守りだよ」
いつもの笑顔でブルーは言う。
シルヴィーに向けるブルーの笑顔は周りの人間を見つめているよりとろけて見えるのは気のせいだろうか。
「幸運のお守り。黒は夜のラッキーカラーだからね」
「黒猫は不幸を呼ぶんじゃないノカ?」
誰かがそんなことを言っていた気がする。
「まっさかー。そんなの迷信迷信!」
神父が言うな、と思う。
それでも黒猫か。悪くないと思った。
「折角だからつけてヤル」
「シルヴィー優しい!天使!」
「ヤメロ」
抱きついてこようとするブルーを
本当に懲りない困ったやつだ。
一人でも生きていけるんだから自分はとんだ厄介者でお荷物だっただろうに。
なんで拾って世話までしたんだろうなと思う。
なんの見返りもなしに。
そう言うと笑ってこう言うだろう。
「だってシルヴィーはかわいい!それだけで僕にとっては十分なご褒美だよ」
馬鹿みたいだ、と思う。
パンケーキを食べた次の日、シルヴィーはブルーの家に寄った。
パンケーキのお礼と言ってはなんだが、夜にしか売っていない店のケーキを買ってきてみた。
慣れないことをすると、いつもとは違うことが起こる。
そんな話があるがその通りになった。
家の中には人気がない。
留守だろうか?留守にすることなんて滅多にないのに。
ブルーの部屋の鍵は開いていた。
入ってみるといつも同じように几帳面に整頓されている。
シルヴィーは寝具の横の小さな棚の引き出しを開けてみた。
ブルーがそこにいつも銃をしまっているのを知っているから。
銃はなかった。
「……ブルー」
返事はない。
ブルーが消えた。
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