第6話 曙光

 井之頭いのがしらは思わず、あ。と声を出した。

「そんなまさか。この町にいるでしょう?」

 サンタクロースが慌ててもう一度問いかけた。

 いつの間にか曙光しょこうが強まっている。問いかけるサンタクロースの身にまとった服は光に照らされて、金色のように明るく輝いていた。

「自分の知る限りでは、そんな名前の方はいません。どこにどなたがいるか、私は全て把握済みです。そのような名前の方……この町では聞いたことがありません」

 サンタクロースは振り返って井之頭の方を見た。井之頭はその目を少し伏せながら軽く首を横に振った。サンタクロースは戸惑いながら配達員にもう一度向き直り、でもどこかに中村龍介なかむらりゅうすけさんが__と同じように言葉を反復した。相手も、井之頭と同様に首を振った。

「人探しであれば市役所内にて住民票や戸籍謄本の取得が可能になる場合があります。よろしければ、そちらの方に御相談されてみてはいかがかと」

 配達員はサンタクロースと井之頭に軽く礼をする。そうしてバイクに乗り込むと、排気音と共に今度こそ遠くへと走り去っていった。

 クリスマスケーキに並んだ蠟燭の火が消えゆくように、希望の灯火はあっさりと淡い空の下に消えていった。

「時間切れだ……」

 井之頭は呟いた。サンタクロースも、とある方向へと顔を向ける。そこには目もくらむような陽の光が街の隙間から少しずつ顔を覗かせていて、世界の始まりを知らせる中で、同時に終わりの合図も予告する残酷さを秘めていた。サンタクロースがこちらの顔を見て言った。

「ごめんなさい」

 そう言って顔を背けた。

「貴方を巻き込んだ上に……本当にどうしようもなく、私は無力だった」

 何かが喉に詰まったような声をしながら、彼は井之頭に背を向けたまま遠い空を見上げていた。

 井之頭は、目を瞑った。上空で目に焼き付けた地上の星々を思い描きながら、たった一つの答えを導き出していた。

 クリスマスは始まっていない。俺の中では、まだ。

 目を開けたとき、彼がまだ目の前にいることに安堵しながら大きく息を吸い込んだ。

「その手紙、差出人は俺かもしれない」

 目の前で丸くなっていた背中が徐々に伸び上がった。

「もう忘れてるかもしれないが、俺の下の名前……龍介だ。“Ryuusuke”。今は井之頭 龍介だけど、親が再婚する前は中村龍介だったんだ。ほら、言ったろ。幼少期に母が再婚したって」

 彼は振り返ってこちらを見る。今までに見たことがないような顔をしていた。井之頭は思わず肩を窄めた。

「すまない。……本当に届いてるなんて、思いもしなかったんだ。このとおり、幼少期の頃サンタクロースに手紙を出していたことすら忘れてしまうぐらい、ずっと狭い世界にいたからさ」

「……四畳半の、ですか」

「そう」

 恐る恐る差し出されたその手紙を、井之頭は受け取った。井之頭はその手紙に、やはり心当たりがあって思わず顔を上げる。サンタクロースは何も言わずに様子を伺うようにこちらの顔を見つめて頷いた。

 サンタさんへと書かれた文字を眺めてから、封を切って中身を取り出した。折りたたまれたそれを、記憶を解いていくように、丁寧に、広げた。

 何故、サンタクロースが自身のアパートの前へ現れたのか、そしてサンタクロースのプレゼントの内容を、井之頭はここでようやく理解した。

 そこには震えた大きな文字で、半ばヤケクソになって書き殴ったように『お友達になってください。 中村 龍介』と書いていた。

 積もっていた雪が徐々に溶けていくように、井之頭は幼少期の記憶を少しずつ思い出しながら、その文字を見つめる。サンタクロースが思わず口を開いた。

「……中村くん。本当にすまなかった。もっと早く、君に会わなければならなかった。そうしたら、何かが違っていたかもしれないのに」

 思わず子どもじみた笑い声がこみ上げた。

「中村なんて、よしてくれ。もう過去を思い返すのは腹が一杯だ」

「しかし、それでは……私は、償いきれない」

 サンタクロースはゆったりとした口調の井之頭とは対照的に、焦燥感に駆られたようにして言った。井之頭は首を横に振ってから口を開く。

「アンタがずっと謝り続けるのなら……それならここで改めまして、はじめましてのハグをしよう。それが、アンタからのプレゼントなんだろう?」

 サンタは少し困った顔をしながら、むず痒そうな笑みを零して何度か頷いた。

「……井之頭くん。今日、君に会えてよかった」

 井之頭もその表情につられて笑う。そして互いにハグを交わした。それはたった少しの時間だったが、井之頭にとっては今までの二十年間が救われたような気がして、何だか目の前がぼんやりとした。

「来年もまた会えるといいな」

 井之頭が言えばサンタクロースは答える。

「冬と共に会いに来ますよ。今度はちゃんとソリに乗って」

「また置き去りにされるんじゃないか?」

「……貴方こそ、四畳半が更に狭くなってしまいますが、よろしいのです?」

 そう尋ねられると井之頭は思わず吹き出す。

「息苦しくない狭さだから良いんだ」


 はるばる国境を越えてやってきたサンタクロースは、陽が昇る速さと等しいほどにあっという間に去っていく。赤を背負った愛おしい背中はトナカイが引くソリに乗って、鈴の音を鳴らしながら遠い空の彼方へと溶け込んでいった。

 影になったサンタクロースとトナカイの影を目に焼き付けて、井之頭はサンタクロースが去った後に何度も何度も手紙の文字をなぞって見つめた。空を見上げて冬の空気を大きく吸い込んだときに、どっと一夜の疲れがぶり返してきたのだった。

 来年もまた、四畳半のクリスマスがやってくる。そんなことを考えると、案外この疲れも悪くはないなと思えた。

 ともあれ、この現実とは到底思えない夢のような出来事が、たった一日の内に起こったことが、今思い返してみると不思議に思えてたまらない。

 せっかく捨てた家具も来年に向けて買い戻さなければ。今度は物が増えそうだ、明日にでも見に行こうか。井之頭はぼんやりそんなことを考えながら、ちょっと気が早すぎるかと鼻で笑った。そうして自身のアパートの玄関の前に立って鍵を開けた途端に、冬の寒さが肌に染みる。

 ……いや、早すぎるぐらいがちょうどいい。そう心の中で呟きながら、井之頭はドアノブに手をかけた。


 次の日の朝、夜明けの空に浮かぶサンタクロースとトナカイの影がトップニュースの一面を大きく飾り、老若男女問わず世間を大きく賑わせる大事件となっていた。


 四畳半のクリスマス <了>

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四畳半のクリスマス Kaらsu @negitorodonsuki

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