第4話 計画
その後、何とか厳重注意で警察から解放された男二人組は、歩道橋の真ん中に並んで、手すりから顔を覗かせては車道を眺めていた。時刻は午前五時四十五分を示している。もう、何だか歩道橋の手すりにしがみついて遠くを呆然と見ていることが性に合っているような気がして
「みんな、何だか精一杯だ」
サンタクロースは静かに降り注ぐ粉雪のような声色で呟いて、手紙の隅に書かれた“サンタさんへ”という文字を眺めていた。
「この世界というのは、夢を見る時間も暇も……どうやら少し、惜しいのかもしれない」
井之頭は大きく息を吐くとサンタクロースの顔を見ながら口を開いた。
「なぁ、どうしてここまでやる必要がある? ……手紙の内容は知らないが、アンタを見た感じプレゼントは無いにこしたことないんだろう? もう来年でいいじゃないか」
「いえ。この子だけは、絶対に見つけなければいけません。もう充分過ぎるほど、待たせてしまっていますから」
思わず彼の横顔を見る。今日一日ずっと見ていたひょうきんな顔つきとは打って変わって、悲しさを目に含んだ瞳をしていた。彼は丸眼鏡を片手で掛けなおすと、ぽつりぽつりと冷気を混じらせた声色で語り始めた。
「昔、子ども達の願いが書かれた手紙が強風で__全て、飛んでいってしまったことがあったんです。それも、我々サンタクロースの手元へ届く前に。なので、中を読むことも出来ず、遠いどこかへ、バラバラに散らばってしまったんです。他の手紙は二年や三年遅れで発見されましたが、この手紙だけは……二十年間、行方不明でした」
サンタクロースは手紙を指でなぞりながら、一言一言、噛み締めるように呟いた。
「私は、悔やんでも悔やみきれなかった。今でも、手紙を見つけたときの感触を覚えています。この手紙の子を思うと……今日という今日の日まで、忘れない日はありません。もう十分というほど待たせてしまっている」
サンタクロースの手紙を握る力が、少し強くなった。その手は微かに震えていた。
「夢を届けるはずが夢を落としてしまうなんて……夢を生み出すはずの者が、長い間、夢を抱え込ませてしまうなんて。私は、サンタクロースという役目を担う者として大失格だ」
井之頭は深く息を吸って、少しずつ、音が出ないようにして息を吐いた。白い息は出なかった。手紙を見つめて俯く姿に、井之頭は自分自身を重ね合わせていた。丸く縮こまったその背中は、極寒の地で光をもたらす陽気な人間には思えない……いや、今の彼は、今日の自分によく似ている、そう思った。井之頭は出来るだけ、サンタクロースの顔を見ないようにして、前を向いて言った。
「俺。今日、死ぬつもりだったんだ」
俯いた顔がこちらを向いたのが何となく分かった。
「……必要最低限の家具は一か月前に全部捨て去って、残すものは未練も何も無い。計画通り、準備万端だった。あとは道具だけ。だからディスカウントストアで揃えたんだ。ほら、最初に拾ってくれたやつがあったろ。レジ袋が破けたとき。黒くて円筒形の、蓮根状に穴が開いたやつ。それで、逝けると思ったらさ、アパートの前に不審者がいて呆気にとられたよ。……アンタのことだけど」
様子を伺うようにチラリと隣へ視線を向けてみれば、少し眉をひそめて不服そうな顔をしていた。井之頭は揶揄«からか»うようにほんの少し笑ってから、そのまま続けた。
「とっとと追い払って、計画に沿ってクリスマスの前夜中には自分の人生に区切りを打とうと思ったんだ。なのに、邪魔が入るのなんの。不審者だと思っていたアンタは本物のサンタクロースだなんて言い張るし、てんで意味が分からない。なんでこういうときに限って、ちょっと面白そうな話が舞い込むんだ。このまま生きていてもクソつまらないと、ずっとずっと前から腹を括っていたのに、全部水の泡だ! 全くもって冗談じゃない!」
道路に向かって吠えるように叫んだ。途端に、寒風がビュッと通り過ぎた。冷え込んだ風に乗って、声が遠くまで響いた気がした。サンタクロースにこんな話を打ち明けたところで、彼がただ困るだけであることは理解していた。しかし、どうしても今、伝えたくて堪らなくなった。
思い立ったのは半年前だった。“あ、生きる理由がない”そう決意して計画していたのが、今日のクリスマスだった。
特段、死ぬ理由なんてものは何も無かった。日々の中で、何も変わり映えしない生活で、ただ平凡に、普通に、生きてきただけだ。しかし、何も無い。本当にただ、何も無かった。楽しみや、娯楽、興奮を、何も感じなかった。だから自身にとって人生のケジメを付けることが、生きる理由となっていた。だから彼が今、目の前に来なければ、間違いなく自分はこの世にいなかった。こんなふざけたクリスマスを過ごすことなんて、きっとなかったのだ。
「アンタはドジでマヌケだ、オマケに人まで巻き込んでしまう。でも人一倍、他人についてよく考えていて、夢を与えようと常に前を向いている。だから、どれだけアンタが自分自身を否定しようと、これだけは言えるんだ」
サンタクロースの顔を見た。
「俺にとって、アンタは間違いなく本物のサンタクロースなんだよ」
彼は拍子抜けした顔で、マヌケな目を丸めた。彼は小さい声で囁くように「ありがとう」と言うと、雪が溶けるような微睡みを見せて笑った。サンタクロースなのに、冬というよりは春の日差しが良く似合う不思議な暖かさがあった。
「言っとくが、俺だって幼少期は結構というか……かなりサンタクロースのこと、信じてたんだぞ? だから、幼少期の頃の俺に代わって__いや、俺からの頼みだ。この手紙を、なんとしてでも届けよう。夜が明けてしまうまえに!」
陽が昇ってしまうことが、これほどまでに恐ろしいと感じた日は無い。空はいつの間にか赤らんでいた。
ただ少し、ちょっとだけでも、この夜が長く続いてしまえ。
明けの明星にそう祈りながらサンタクロースの背に手を置いた。彼は、その手に答えるように背筋を伸ばすと、決意を込めた目で頷く。井之頭も同じく頷いて、サンタと共に手すりから離れて歩道橋を歩み始めた。階段を降りて、また住宅街に差し掛かる角を曲がったとき、井之頭は口を開いた。
「それにしてもその手紙、よく見つけたな。二十年間行方不明だったなんて」
「……あれ、二十年間?」
足早に歩きながらサンタクロースがそんな言葉を漏らした瞬間、同じ考えがピンときた。今日から二十年前だとしたら、まさか……。
「この手紙に書かれた中村くんは、もう子どもじゃなくて大人じゃないのか?」
その言葉にサンタクロースが小さな声で“確かに……”と漏らした。
ドジで、間抜けか……そう心の中で呟いて井之頭はガックリと肩を落とした。サンタクロースはすみませんと首をすくめた。井之頭はそれ以上何も言わずに、次の計画を練ることに決めた。
「だがこれ以上、警察へ世話になるのは御免だ。他に、何か手があれば……」
その直前、エンジンと排気音を立てたバイクが通り過ぎた。早朝にしては珍しくバイクが通るものだ、そう思った先にあったのはサンタクロースのように真っ赤な色をした__その姿を見て、井之頭は一瞬、心臓が止まるような思いがした。あぁ! 俺なんかより、もっと詳しい人がいるじゃないか。どうしてこうも思い付かなかったんだ!
井之頭は郵便配達員を指さして言った。
「そうだ、あの配達員に、差出人の名前を尋ねよう。きっと居場所を知っているに違いない!」
彼は遠くにある一軒家の前でバイクを止めると、ポストへ郵便物を投函した。サンタクロースは井之頭の言葉に相槌を打った。
直後、今日という日の中で、最も強い風が勢いよく吹いた! サンタはそれに酷く驚いたのか、つい手に持っていた手紙を放してしまったのだ。夢を載せた便りがフワリと宙を舞った。慌てて力強く、うんと手を伸ばした。
__しかし、届かなかった。手は空を切って、手紙はそのまま飛んでいった。一直線に、あの、赤いバイクの方へと大きく弧を描いて。
手紙はそのまま地面に落ちると、配達員がそれを見つけた。
「あれ。落としたかな」
ホッとしたのも束の間、そう微かに呟いて拾うとバイクに乗り込んでしまった。
待ってください! サンタクロースが声を上げた。
しかし、それは発進させたエンジン音に揉み消され、そのまま彼は、少し揺れ動いた姿勢の後にバランスを保つと走り去ってしまった。
額に変な汗が伝う。腕時計の時刻を確認する。午前六時。空は次第に赤らんで、カラスが二、三羽、影になって飛んで行く。
サンタと顔を見合わせた。言葉を交わさずとも視線一つの交わりで、お互いに言いたいことは分かっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます