第3話 差出人

 家を飛び出した午前一時過ぎ。サンタクロースと井之頭はアパートの前で立ち尽くしていた。井之頭は両手をさすりながら尋ねる。

「差出人の名前はなんだ」

 サンタクロースは両手で持った手紙を眺めながら答える。

「中村という苗字の子どもです」

 こうも易々と個人情報を答えていいのかと眉間を抑えて口を開く。

「プレゼントは?」

「ええ。ありますよ」

 井之頭は思わずサンタを見る。その姿は明らかに、何も持っていなかった。内容が書かれているであろう手紙を、サンタクロースは自身が身に着けている黒いベルトと腹の間に挟むように収めたのだが、それ以外の持ち物は無いように思えた。普通のであれば、白い大きな袋でも持っていそうなのにと考えながら井之頭は腕を組んだ。

「……プレゼント、小さいのか? 何も持ってないように見えるんだが」

 そう問いかけると、サンタクロースは首を横に振った。

「すみません、プレゼントの内容だけは口外できないんです」

 井之頭は呆気にとられた。

 そっちは“ちゃんと”してるのかよ、と心の中で呟いた。



 とっとと手伝いを終わらせてサンタクロースを追い払う__そんな漠然とした計画は、いとも簡単に崩れ去った。井之頭は自身の甘い考えを悔いていた。というのも、差出人を探す中で発生した問題が二つあった。

 一つ目は中村という苗字がごく一般的な名前であることだ。そして、その中から更に手紙の差出人を見つけ出すというものだから酷く骨が折れる。この町の片隅から一軒ずつ表札を確認するのは、とんでもない時間と労力が掛かるだろうし、“夜明けまでに”というタイムリミットには到底間に合わない。なので、町に住む人々から話を聞いた方が早く見つけられるという結論に至ったが、それは二つ目の問題に繋がってしまう。

 その二つ目というのが、限りなく時間帯が悪いことだ。情報収集に人へ話しかけようとしたとして、こんな真夜中の住宅街で歩いている人間など、よく考えてみればいる訳もない。しいて言うなれば、サンタの格好をした不審者か、あるいは本物のサンタクロースです、などと豪語する不審者しかいないだろうが。

 これらの問題点を井之頭は何度もサンタクロースに伝えては諦めてもらうよう説得を繰り返し、幾度か手伝いをほっぽりだしてしまおうともした。しかし、それでも、どうしても、と懇願するサンタにやはり負けて、結局は情報を求めて共に練り歩くことになってしまった。そうすると少数ではあったが、通行していた住民に運よく出会うことができたのだった。

 一人目は仕事帰りの風俗嬢だった。事情を説明して情報を求めるものの、その女性は眉間に皺を寄せて「あんまりしつこいと警察呼ぶよ」と吐き捨てた。

 二人目はヒッピーな服を身に包んだ若者だった。井之頭は数歩進んで、ぎこちない手振りで話しかけるも、相手はイヤホンを着けていて何も聞こえていないようだった。井之頭はムッとなってもう一度声をかけてみれば、彼は不満気に瞳だけをこちらに向けて一瞥いちべつすると足早にその場を立ち去って行った。井之頭の口からはいつもの乾いた空気が漏れ出た。

 三人目は居酒屋帰りの中年男性だった。ネクタイを緩めて着崩したようなスーツは、見ているだけで寒そうだった。体系は隣にいるサンタクロースとかなり酷似していたが、頬の赤さと充血した目で呆然と遠くを見つめる様は、あんまり似ていないと思った。千鳥足で帰る姿を追いながら事情を説明すると、彼は回らない呂律で口を開いた。

「オレにも息子はいるさ」

 サンタクロースは身を乗り出して「本当ですか」と言い寄った。

「泣き虫で、人見知りなんだよ。だから、初めてオレがサンタの格好をして現れた日にゃ、そりゃもう大騒ぎ。でもな、その日からは別の意味で大騒ぎになったんだ。なんていったって、息子はサンタのことが好きで好きで堪らなくなったんだよ。365日という月日の中で、一番心待ちにしていたのがサンタクロースだった。勿論、サンタクロースに宛てて、何回も手紙を書いていた」

 井之頭とサンタクロースは互いに顔を見合わせる。これはもしやとお互い軽く頷いた。井之頭は男性の肩を叩いて尋ねる。

「じゃあ……お父さん、アンタの苗字は?」

「でもな、そういう日も長く続かねぇんだよ」

 そう呟くと、しばらく何も話さなくなってしまった。彼はまるで白昼夢の中にでもいるようなフワフワとした口調と眼差しで、小さな歩幅で歩き続けていた。しびれを切らして、井之頭は何度も何度も苗字を尋ねた。しかし、その問いかけに彼は答えることなく、しばらく歩いた先で、低い声を漏らして呟きだした。

「気が付いたらアイツ……上京してたんだよ、上京。目を離したすきに、こうも早く、時が進むもんかね。サンタなんて、気が付いた時にゃオレ達の中からすっかり消えてたんだわ。まぁ、いい年になったし。今頃都会で、元気にやってるだろうし」

 男は立ち止まるとアルコール臭が香る息を漏らして、二人に振り返る。彼が話すたび口から吐き出される白い息に、井之頭はつい目が離せなくなった。

「サンタが消えたのは思春期のせいかね。それとも、オレのせいかな」

 何かを探っているかのような口調でそう言い放つと、男は小さく唸るような声を上げて前を向く。彼はまたヨタヨタと歩き出すと、入り組んだ住宅街の中へと消えて行った。井之頭とサンタクロースは、その背中が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。


 こうして幾度か情報収集を繰り返していたが、やはり有益な情報は集まらなかった。最初の元気はどこへ行ったのか、サンタクロースは徐々に背中が丸まっていって、最終的には残業帰りのサラリーマンのような雰囲気で肩を落として歩いていた。また、幾分かやつれて見えたのが井之頭も気の毒に思って、何度か励ましの声を掛けたような気もする。

 そんな努力が身を結んだのか、大きくことが揺れ動いたのはネットカフェへと向かうと言う男性を見つけて話を聞いたときだった。

「その苗字を持つガキを一人知っている」

 その男性はニット帽から何本か白髪が飛び出ており、手を薄いダウンジャケットに突っ込んだまま、そう答えた。「一体どこに?」二人共に構わず身を乗り出し、その答えを問いかければ、ホームレスの男は手をゆっくりと差し出してきた。二人倣って覗き込んでみるも、その手の中は空。そこに示された現実は、こと儚く明白だった。

 井之頭は男が情報開示に金銭を要求していることを汲み取ると、眉をひそめてサンタクロースに顎でしゃくって促す。しかし、サンタクロースは井之頭の顔を見つめたまま申し訳なさそうにして顔を横に何度か振った。井之頭はしばらく考えた後に白い空気の混じった息を吐いて肩を落とすと、仕方なく五百円玉をその手のひらの中へ置いた。

 サンタクロースが小さな声でありがとうございますと呟いて、井之頭は軽く眉を上げて頷いた。

「あと五百円」

 二人同時に顔を上げる。

「なんせ個人情報なんで。それぐらいは無いと困る」

 男は歯を見せて笑った。


 ホームレスの男が指したのは高級住宅地の中にある一軒家だった。表札を確認すると、しっかり「中村」と書かれている。そこにあったのは、これまた大層ご立派な家で、井之頭は自身のアパートを思い出すと同時に眩暈がした。

「リビングの灯りがついてます。もしかしたら誰か起きてるかも」

 サンタクロースは興味深げに家の門を覗き込んではキョロキョロと見回している。井之頭は腕時計を確認した。時刻はいつの間にか午前三時を指していた。

「子どもがこんな時間に起きているとは思えないが、行くだけ行ってみろ」

 サンタは無言で頷いて、その家の門を勝手に開けると、ドシドシと庭を踏み歩いて行った。他人の住居へ容赦なく土足で踏み込む姿に井之頭は少々引きながら、彼の帰りを待つことにした。やっと手伝いが終わると安堵しながら。

 __しかし、これがまた一向に帰ってこなかった。寒さに震えながら分刻みで時計を確認する。それを繰り返していれば、時刻は更に30分が経過しようとしていた。自身も堪らず身を乗り出してサンタクロースの安否を確認するが、彼は誰かと話しているような様子だけが見て取れた。

 ……ええい仕方がない。普段ならば許されざる行為ではあるが、今回ばかりは仕方なかろう。井之頭は意を決して門を開けると、ついに他人の領域へと足を踏み入れた。

 一目散にサンタクロースへ駆け寄ると、「おい」と声を掛け容赦なく背中を引っ叩いた。

「もういいだろ」

「あの、井之頭さん。これがまたどうやら人違いらしくて……」

 困ったように眉を落とした顔を眺めながら、彼の話し相手を見た。リビングのベランダから大きな窓がぽっかり空いたその先に、小学四年生とみられる少年が寝巻き姿で佇んでいて、ゲームのコントローラーを強く握りしめていた。リビングではテレビに繋がれたゲーム機の他に、どこかの塾のテキストやら大量にある課題プリントの残骸などが床に散漫していた。

「……本当か? 苗字だけじゃなく、ちゃんと下の名前も聞いたのか?」

 井之頭は怪訝にサンタクロースの方へ顔を向けると、彼は「全然違いました」と返答する。

 目の前の少年はヒソヒソと話す大人二人を前に大きな欠伸を一つ垂れると、不機嫌そうに顔を歪ませた。

「もういい? 今日はオールする予定なんだから、余計な邪魔しないでよね」

 少年はため息交じりに放つと、勢いよく戸を閉めた。一秒と経たないうちにカーテンが閉められると、途端に夜の暗さへ突き飛ばされたような感覚がした。寒風が、これ程までに冷たいものだったのかと考えずにはいられなくなる。そんな心地がした。

「どうして、こんなにも時間がかかったんだ」

 井之頭はサンタを見ずに、カーテンの奥へ消えていく少年の影を見ながら言った。

「あの子、全然サンタクロースの存在を信じてくれなくて」

 井之頭とサンタクロースはお互い右ならえで、家の門へと体を向けて歩き出した。“オール”という言葉を思い出して、井之頭も堪らず欠伸が一つ漏れた。

 ……男に渡した千円、損したな。そんなことが急に蘇ってぼんやりした。

「だとしても、とっとと名前を聞いて帰って来い。これだからソリに置いていかれるんだよ」

 井之頭はくぐもった声で言った。サンタクロースはしばらく間を置いて何か反論をしようと口を開いた所で、突如立ち止まった。彼の異変に井之頭も釣られて歩を止める。

 彼の顔を見てみれば、ずっと前を見つめたまま蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。井之頭もその視線の矛先へと顔を向けてみれば、そこにいたのは一人の警察官だった。

 目の前の警察官はこちらをじっくり眺めてから少し頬を引き攣らせた。

「先程、通報が入りましてね。二人組の男性が子どもを探して徘徊していると」

 井之頭とサンタクロースは顔を見合わせた。

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