第2話 四畳半のミニマリスト

 真ん中に置かれた机。キッチンへの入り口に、閉ざされた和襖ふすまの押入れと壁に掛けられた姿見。ガランとした四畳半の静けさが、外と変わらぬ冷気をまとって包み込んでいた。

 ただ__問題はない、全部いつも通りだ。井之頭いのがしらは部屋の内装を確認しては何らかの異変がないか順繰りに目を通した。それにしても、こうして自分の部屋を隈無くまなく見てしまうのは、後ろにいるサンタクロースと主張する変人のせいかもしれない。たとえこの部屋に強盗が入ろうとも、こんな閑散とした場所で盗むものなど無いだろうに。

 サンダルを雑に玄関へ脱ぎ捨てて、古く味の出たペンダントライトにぶら下がる紐を片手で引っ張ると、カンカンカンという聞きなれた音と共に眩い点滅を繰り返して部屋を青白く照らした。

 「シンプルで素敵な部屋ですね」

 そんな声が背中越しに聞こえてきた。サンタもお世辞を言うのかと心の中で嫌味を呟きながら相槌代わりに鼻で笑った。そして、手に抱え込んでいた品を無理やり押入れの中へ詰め込む。

 さて、無理やり連れ込んでしまった奇妙な人間を話だけ聞いてさっさと追い出したい。場合によっては警察沙汰になることも考えられるので、かなり時間がかかりそうだ。重苦しい息が漏れた。ただ、客人であるのには間違いないので、茶でも淹れた方がいいだろうかとキッチンの方にある冷蔵庫をとりあえず確認する。しかし、まるで新品と見間違える程、中身がすっからかんで茶葉は一昨日に使い果たしたことを思い出した。最終手段は水道水だが、流石に気が引ける。

 井之頭はしばらくその場で佇んでいたが、数分間の間を置いた後に「何もなくて申し訳ない」と伝えて真ん中の机を挟む形で二人のサンタクロースは向き合って座った。

 冷たい畳が足に染みる。こういったときに座布団やクッションなんかを用意すべきなのだろうが、これもまた先月まとめて捨てていた。相手のサンタは大人しく正座をしている。対照的に井之頭は胡坐をかいて、ぼんやりとその様相を今一度眺めていた。その間、対面する男は和室特有の異様な寒さについて議論することもなく、ただ無言で何かを考える素振りをみせていた。

「なあ、本当に本物のサンタなのか?」

 ずっと思っていたことがつい言葉になって飛び出した。彼は勢いよく顔を上げる。続けてキョトンとした表情をみせてから愛くるしく首を傾げたのだった。

「ええ。先ほど外で話した通り。……貴方は? 失礼ですが、ご出身はどちら?」

「いや俺は、この家に住むサンタの格好をした……ただの、不審者だがね」

 サンタはゆっくりと何度か目を瞬かせた後に、フォッフォッフォとまるでサンタクロースのお手本のような笑い声を上げた。井之頭はそれに合わせるように乾いた笑い声を出した。

「__飛行機で日本へ来たのか? いつ来た。帰りの便は間に合うのか? 参加するイベント名とかスポンサーだとかを教えてさえくれれば、俺から連絡をとってやる」

 彼は“いや”と言葉を一つ付け加えて続けた。

「それも先ほど言った通りですよ。私はソリに乗ってこの国へ来ました。24日の日没に」

「だから、そんな馬鹿な話があるか! 人間は飛行機に乗ってやってくるもんだ。そうだろ!」

 思わず張り上げた声は、自身も驚くほど大きなわだかまりとなって飛び出した。サンタクロースも目の前の人間がいきなり怒鳴りだすとは予想していなかったのか、少し体をのけ反りながら目を丸めた。サンタクロースが何かを言いたげに口を開いたが、井之頭はそれを遮って続けた。

「特にアンタの言っているソリについてだ。そもそも、ソリに乗って日本へ来れるわけがない。島国だぞ、ここは。海に潜るか空を飛ぶかしなければ、日本に来れやしない! ましてやソリでなんて!」

 サンタは丸くしたままの目を向けて、こちらの主張を最後まで静かに聞くと至極当然といった顔つきで言い放った。

「ソリは飛びますよ」

「話にならない!」

 あまりにも露骨で滑稽だ。非現実的すぎるにも程がある。いい加減、「やっぱり嘘なんです、そういう設定でをやっているんです」と暴露してしまえばいいのに。井之頭は軽く舌を噛みながら、首を横に何度か軽く振った。サンタは“本当ですよ”などと呑気に呟きながら、丸眼鏡を片手で掛けなおす仕草をみせた。

 井之頭はファンタジーのような空想や絵空事を、何より嫌っていた。バイト先のコンビニで、客の来ない暇な時間に少女漫画じみた“私の考える理想のコイ”というものを毎度ずっと聞かされたことがあった。相手はシフトがよく重なる茶髪の女性だったのだが、よく飽きないものだと井之頭はうんざりしていた。そして、その数日後には“彼氏ができました”などと言うものだから、思わず重苦しいため息が出た。

「__そこで、ちょうど貴方がやって来ました」

 井之頭は勢いよく顔を上げた。物思いに耽って聞いていなかったが、どうやら勝手に話が進んでいたらしい。サンタクロースはそのまま続ける。

「しかも、私と同じ格好をしているではありませんか! きっと貴方なら必ず力を貸してくれるだろうと思いましてね」

「まて、何の話をしてる? 俺はクリスマスイブとかいうイベントの営業方針に仕方なく乗っかっただけの、ただのアルバイトなんだぞ。こんな格好をしてはいるが、ただの一般人なんだよ」

「さっきの反応から何となく察しましたよ。それを承知の上でどうか、お願いがあるんです」

 サンタクロースは今一度姿勢を正すと、また丸眼鏡を片手で掛けなおす仕草をみせた。その様子に井之頭は慌てて口を開く。

「ちょっと待ってくれ、まさか俺にトナカイ探しをさせるつもりか?」

 半笑いになりながら、首を横に振るとサンタクロースは真剣な眼差しを向けたまま続けた。

「それよりもっと大切なことを手伝って欲しいんです。この町に住む貴方に」

 まさか。今度は少し仰け反る。どうかそれだけはやめてくれ、と祈りながら。

「プレゼント配りだなんて言うなよ」

「いやはや、ご名答!」

 正解を言い当てられたことがよっぽど嬉しいのか、満面の笑みで拍手をするサンタに、勘弁してくれと小声で呟いて肩を落とす。第一、未だこのを心の底から信じられていないのに。この俺に手伝えというのか。

「といっても、配るプレゼントは一つだけなんです。本来なら、トナカイ達が引くソリで目的地までひとっ飛びなのですが」

「でも置いていかれたんだろう? かの有名なだったら自分で何とかして、とっとと故郷の国に帰れ。俺に手伝わせるよりも、ソリを見つけて届けた方が早いだろうし」

「それが……走り去ったソリを探すより、今はこの近辺で届け先を探った方が早く届けられるだろうという考えにたどり着きましてね。本当に、どうしても地理関係には弱いんです。この町だって初めてですから……」

 どうしてこうもサンタクロースが方向音痴なんだと思わず大きく貧乏ゆすりをした。サンタクロースは間髪かんはつを入れさせぬ勢いで続けた。

「この手紙の差出人へ、今日の夜明けまでに絶対プレゼントを渡したいんです。どうしても」

 サンタクロースはどこからか手紙を取り出すと井之頭へ見せた。茶色く変色してしまったような色をしたそれは、古めかしさと懐かしさを帯びていた。そして、すみっこの方には拙くも愛おしい小さな者の震えた文字で「サンタさんへ」という文字が刻まれている。

「だから、この町にお住まいの貴方なら、この辺りも詳しいでしょうから捜索をすぐにでも始められると思いまして。ソリがここに降り立ったのなら、きっと差出人の子どもはこの町にいるでしょうし」

 ライトブルーの瞳を揺らめかせながら必死になって懇願する姿を、子ども達が見たらどう思うだろうかと呆れながら、井之頭は腕時計を確認した。時刻はいつの間にか午前1時を指していた。日の出は確か、6時半ぐらいだった気がする。

「かの有名なサンタクロースがこうも無理なら、一般人の俺はもっと無理だな」

 諦め気味に顔を背けると、「そんなぁ」などと情けない声が飛んでくる。

「一般の方に頼むのは非常事態で、これがどれほどまでの失態であるかは充分把握しています。しかし今、それでも私が頼むのは、貴方だけが頼りだからなんです! お願いします、一緒に手伝ってはくださりませんか。それさえ終われば、すぐにでも自分の国へ帰りますから! 例えプレゼント配りが嫌だとしても町の案内だけでも……どうか!」

 彼は今にも泣きそうな顔を引っ提げて、何度も何度も願いを託す。そもそも、どうしてこうも俺に頼むのだと井之頭は頭を掻いたが、家に上がらせている時点でそれもそうかと肩を落とす。

 ほんと、泣きだしたくなるのはこっちの方だ。これから予定していた、あの計画が全部水の泡だというのに。いや、とっととこの件を終わらせてしまえばいい。そうすればきっと、今日には間に合うだろうから。

「分かったよ。手伝えばいいんだろう? そうすれば、俺の前からすぐにでも消えてくれるんだろうな」

 そう答えを返せば、先程までの表情とは打って変わって、にこやかな表情に変わると、拳を頭上に振り上げて歓喜の声を上げて彼は立ち上がった。「それなら早く行きましょう、時間が勿体無い!」そう言いながら目の前のサンタは、忙しなく玄関に向かっていく。“切り替えが早すぎるぞ”とため息を吐きながら、仕方なく井之頭も立ち上がって彼に続いた。

 四畳半の部屋に灯るライトを消したとき、ふと壁に掛けていた姿見に、自分が映っているのを見た。ボサボサの黒髪に、睨むような目じりについたクマ、剃りきれていないヒゲ。やはり、目の前で足踏みをして待っているサンタとは相反している。視線だけを押し入れの方に向けてから、また鏡に視線を戻した。不釣り合いに着込んだ真っ赤な服は、やはりあまりに浮きすぎていると思った。しかし結局、着替えはしなかった。

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