黒いやつがいた

加藤ゆたか

黒いやつがいた

 俺は他人の自分への好意が色で見える。

 よくある天気予報の気温を表すアレみたいな感じだ。

 俺への好意の低い順に青、水色、緑、黄色、オレンジ、赤、と色が変わる。

 試しに教室のクラスメートを見渡せば、大半の奴は水色か緑。つまり、少し嫌いか無関心ってこと。

 これが黄色になると俺のことがほんのり好きって感じで、今までも黄色の女の子にアプローチすれば高確率で付き合えた。メリットっていうとそれくらいかな。

 でも、それも今はどうでもいい話。

 今の俺には愛しい彼女がいるので。



「ゆりちゃん!」


 俺はバイト先の居酒屋に着くなり、彼女を見つけて駆け寄った。


「ちょ、ちょっと。声大きいって……。」

「ごめん。内緒だもんね。でも、ゆりちゃんの姿を見たらどうしても嬉しくなっちゃってさ。だって最近忙しいじゃん。」

「も、もう……。しょうがないなぁ。」


 背の低いゆりちゃんは背伸びをして俺の頭に手をあてて撫でてくれる。

 俺が犬だったらきっとしっぽを大きく振って大喜びしてるだろう。

 ゆりちゃんは俺のバイトの先輩で一個上。

 最初の俺への好感度は黄色で、頑張って仲良くなってオレンジ、赤と好感度を上げていった。

 そしてやっと付き合えた。

 ゆりちゃんの色は今や赤を通り越して輝いている。こんなすごい色、今までのどの彼女だって見せたことはない。

 ゆりちゃんは特別だった。

 卒業したら即、ゆりちゃんに結婚を申し込もうと思っていた。

 でも今はまだバイト先には秘密ってことで、俺たちは隠れて付き合っている。


     ◇


「らっしゃいませぇー。」


 今の客、よく来るけど俺に対して黄色になってたな、前は緑だったのに……。

 俺はわざと無愛想な態度で気の抜けた声を出す。変な期待は持たせない。

 今一番大事なのはゆりちゃんだ。

 妙なリスクは芽の内に摘んでおくのがよい。

 にしても、今日もゆりちゃん忙しそうだな……。俺はあっちでせわしなく働くゆりちゃんを見つめた。

 それもこれも高橋が急にバイトに来なくなったせいだ。

 バイトリーダーのゆりちゃんはその穴埋めに奔走していた。

 もちろん俺だってできる限り手伝ってるけど。

 まったく前触れもなく音信不通で辞めやがったからな、あいつ。少し前に安藤も辞めたっていうのにさ。恨むぜ。


「……っしゃいませ……。」


 俺の横でえいこが聞こえるか聞こえないかっていう、か細い声で言った。

 えいこはバイトの後輩でモデルみたいに細く背丈もあってかなりの美人だ。えいこが入ってきた時、高橋も安藤も盛り上がっていたっけ。

 でも残念ながらえいこには愛想がなかった。

 ったく、しっかりやれよ。お前が俺の真似してるなんて思われたら、ゆりちゃんに怒られるのは俺なんだぞ。


「おい、えいこ。もっと声だせよ。」

「……はい、先輩。」

「出てないぞ、声。」

「……。」

「おい、返事!」

「……先輩。バイトの後、お時間いいですか……? 二人きりで相談したいことが……。」

「はあ?」

「ダメですか……?」


 急に何だって? 相談? 俺に?

 えいこが長い睫毛で俺を見つめてくる。

 普通の男なら、えいこにこんな誘われ方されて断れるやつなんていないのかもしれない。高橋だったら舞い上がっただろう。

 でも俺は違う。

 俺にはゆりちゃんがいるし、俺から見たらどう見たってえいこは俺のことを好きじゃない。

 えいこの色は『黒』だからだ。

 青を通り越して黒。


「悪いけど、俺はお前と二人きりになる気ねえから。」

「……なんでですか?」


 こいつ、食い下がってくるな……。

 色のこともあるが、ゆりちゃんって大事な彼女がいるのに他の女と二人で会えるわけがない。


「俺はその、彼女がいるからさぁ。」

「……そうですか。先輩は私のこと好きなのかと思ってました。」

「はあ??」


 ありえないだろ。俺はあからさまにお前のこと避けてたはずなんだが。

 だって黒なんて気味が悪い。

 黒なんて俺に好意どころか殺意を持っているんじゃないかと疑うくらいの色だ。


「……彼女って、私の知ってる人ですか?」

「え? いや……違うけど……。」

「……わかりました。それならいいです。」


 本当にわかったのか? つい嘘をついてしまった。

 悪いな。

 ゆりちゃんなら優しいから聞いてやったかもしれないけどな。

 とにかく面倒なことは避けたいし。

 その日はそれ以上、えいこと話すことはなかった。


     ◇


「あれ? えいこちゃん、私にも声かけてきたよ。」

「あ、そうなんだ。それで何だったの?」

「ううん。もう帰る時間だったから、今度話したいってだけ。」

「そっか。」

「でも、なんで聞いてあげなかったのー?」

「いや、だって。おかしいじゃん、俺に相談なんて。」

「えいこちゃん、なんか悩みがあったのかもしれないじゃん。」

「でもさ、ゆりちゃん——。」

「もう。今度、私が聞いてみるよ。……えいこちゃんも、相談があったなら言ってくれれば良かったのに。」


 本当にゆりちゃんは面倒見が良くて優しい。

 一瞬、えいこをゆりちゃんに近づけてしまってもいいのだろうかと頭をよぎったけど、ゆりちゃんに色のことを説明して変な奴だって思われるのも嫌だった。

 せっかくのゆりちゃんの部屋で二人きりの時間。

 本当はえいこのことなんて思い出したくもなかった。


「それより、ゆりちゃん。ちゅーして。」

「ええ? 今?」

「今。俺、もう我慢できないよ。」

「しょうがないなぁ……。」


 ゆりちゃんが目をつむって俺に顔を向ける。

 俺はゆりちゃんの腰に手を回して抱きしめ、ゆりちゃんの柔らかい唇にキスをする。

 そしてそのままベッドになだれ込む。

 ゆりちゃんの赤が眩しいくらい目に飛び込んでくる。

 ラブラブで幸せな時間だ。

 ああー、早くゆりちゃんと結婚したい!



 でも結局えいこは次のシフトに顔を出さなくて、その話はそれきりになったと思っていた。


     ◇


 それからしばらくして、バイトの補充もされていくらか仕事は楽になった。

 というわけで今日は休み。ゆりちゃんとデートである。


「にしても、ゆりちゃん遅いなあ。」


 待ち時間にさっとネットのニュース記事を眺める。

 ふと、ひとつの記事に目がとまった。


「十代の男性の遺体……? 殺人? 被害者は高橋……え!?」


 高橋ってあの高橋? バイトを辞めた?

 顔写真は確かにあの高橋だった。


「え? なんで? 殺人って?」


 俺は慌ててゆりちゃんに連絡しようとしてアプリを開く。

 ちょうどゆりちゃんからもメッセージが届いた。


『ごめん、ちょっと遅れる。今ね、えいこちゃんと一緒にいるの。』


 えいこ? なんで今更。

 いや、それよりも高橋のことだよ!

 文字を打つのがもどかしくて、俺はゆりちゃんに電話をかける。


「ゆりちゃん。電話に出て。……出ない!」


 俺は何か嫌な予感がしていた。

 もう一度、高橋の記事を見返す。

 容疑者として浮上しているのは十代の女性……。

 それって?

 えいこが身に纏っていた不吉なあの黒が思い出されて頭から離れない。

 あの色は本当に青が濃くなった黒だっただろうか?

 今更ながらあの色は血がどす黒くなった色のように思えてきた。

 もう一度ゆりちゃんに電話をかける。


「ゆりちゃん、電話に出て! お願い! えいこはやばい! そこから離れて! ゆりちゃん! 電話に出てよ!」


 プルルルルという呼び出し音が鳴り続けている。

 嫌な想像が頭をよぎった瞬間、ぷつりと電話が繋がった。


「ゆ、ゆりちゃん! 逃げて!」

「……先輩ですか?」

「は……? えいこ!?」

「やっぱり、彼女ってゆり先輩のことだったんですね……。」

「おい、えいこ! ゆりちゃんは!?」

「……。」


 そこで電話は切れた。

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黒いやつがいた 加藤ゆたか @yutaka_kato

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