22.海辺の公園で

 あれからまた一日が過ぎた。

 みらいにもういちど会えないかと街中を歩いてみたけれど、あれ以来みらいと出会うことはなかった。


 梨央りおとは未来みらいのおばさんとひさしぶりに話したことは話題には出したけれど、それほど深い話はできていない。これ以上に何の話をしていいのかもわからなかった。


 だから僕はまた前と同じように未来の足跡を探して、カメラを手にしてあちこちを歩き回っていた。

 でも以前と同じような気持ちにもなれなくて、ただあまり考えずにシャッターを切ることしかできない。


 今までは未来と過ごした場所はどこか輝いて見えた。

 海辺の公園でも、山の中でも、ふだんの街並みでも。大切なキラキラした思い出で、それを形に残すことが僕の楽しみの一つだった。


 今でもそれは変わりはしない。でもみらいの存在が僕の中に何か変化をもたらしていた。

 一緒にいるとどきどきして、でもどことなく不安も覚えて、そばにいられることが嬉しくて、そこにいないことが寂しくて。


 みらいに対する気持ちを何と例えればいいのか、僕にはわからない。


 未来への気持ちは僕の初恋だった。そのときの気持ちはまだとても淡くて、ちょっとしたことですぐに消えてしまう感情だったと思う。でも僕の中に強く色濃く残されたのは、未来の事故という強烈な出来事のせいだ。

 だからみらいと会えた時は嬉しかった。みらいが僕達とは違う世界の人間なのだとしても、もう出会えないと思っていた未来に出会えた。僕の中に強い気持ちを呼び起こした。


 嬉しかった。一緒にいたいと思った。でもどこかで不安を覚えていたのは、やっぱり彼女が別の世界の人間だからなのだろう。


 突然に現れた彼女は、突然に消えてしまっても不思議はない。彼女が何のためにこの世界にやってきたのかがわからない。だから僕は恐れているのだろう。


 もういちど彼女が消えてしまうことを。彼女がいなくなってしまうことを。

 未来と一緒にいたい。その気持ちがふたたび叶わなくなることを。


 海辺の公園を歩いて、僕はカメラのファインダーをのぞき込む。もう時間はかなり遅くて、夕暮れが辺りを包み込んでいた。


 たそがれ時とはよく言ったもので、光の加減で誰かがいたとしても、はっきりとはわからない。もう日はほとんど沈みかけている。

 ファインダーの中に見える砂浜の横を続く道と、その隣を彩る鈍い色の海が、どこか寂しげに映し出されていた。


 この時期はさすがに人は少ない。くる途中には大道芸の練習をしていた人はいたけれど、他にはほとんど姿が見えない。


 だけど強い風が吹いて、そして風がまたやんだとき、ファインダーの中にはっきりと彼女の姿を捉えていた。


 カーキ色のベレー帽。そこから肩まで伸びた少しカールした髪。大きな瞳の上に茶色のフレームのメガネ。柔らかそうな雰囲気の少女が立っていた。

 ベレー帽と同系色のハーフコートと、そして手にした不思議な装飾の本。

 あの時と全く同じ出で立ちの彼女に、僕は思わずシャッターを切っていた。


「みらいちゃん」


 同時に彼女の名前を呼ぶ。


「また会えたね」


 いたずらに笑う彼女に、僕の胸が強く締め付けられるような気がしていた。


「うん。みらいちゃんと会いたかった」

「私もだよ」


 みらあは手にしていた本を音を立てて閉じる。


「ここにきたら会えるんじゃないかなって思っていたんだ。思い出の場所だからね」


 みらいははにかみながら告げる。

 聴きたいことはたくさんあった。でも驚きのためなのか、それとも違う気持ちのせいなのか、僕は声を出すことができなかった。

 息を飲み込む。

 みらいは胸の前で、手にした本をじっと抱きしめていた。

 その本には僕がプレゼントした美術館で買ったブックマーカーが挟まっているのが見える。


「あ、それ……」

「うん。あの時に一真かずまくんがくれたやつだよ。大切に使わせてもらっているよ」


 みらいは大切そうに本に挟まれたブックマーカーに触れる。

 使ってくれていることに嬉しく思う。そして一緒に美術館に行ったことは、僕の妄想ではなかったことがわかってほっとしていた。いや、いまこの時点ももしかしたら妄想なのかもしれないけれど、みらいがおばさんと話していたことも考えれば僕の想像の産物ではないはずだ。


「今度の土曜日も楽しみにしているね」


 みらいの言葉に僕はうなずく。土曜日の秋祭りに一緒にいく約束も、ちゃんと交わしていたことにほっとする。


「うん。僕も楽しみにしている。でも、あのさ」


 僕はみらいへとまっすぐに顔を向ける。

 みらいへといくつも訊きたいことがある。


 たとえばどうやってこの世界にきたのか、どうしてこの世界にきたのか、おばさんにはなぜ名乗らなかったのか、どうして僕には名乗ったのか。とったはずの写真が消えていたのは、何か理由があるのか。

 でも何から訊けばいいのかはわからなかった。


「訊きたいことがあるんだよね」


 ちょっと意地悪な顔つきをみせながら、メガネの向こうから彼女の大きな瞳が僕を試すように見つめていた。


「みらいちゃんは鋭いね。うん。訊いてもいいかな?」

「私の答えられることだったらね。でもひとつだけ。約束してくれるかな」

「僕に出来ることなら」


 みらいは少し体を傾けて、僕を顔をのぞき込むようにして見上げている。

 少し上目遣いのいたずらな表情に、僕は思わず胸が揺れる。


「次の土曜日の秋祭りの時には、何も質問はしないでほしいの。土曜日にはただ秋祭りを楽しみたいから」

「そんなことでいいなら。わかった、約束する」

「うん。よかった。じゃあ何でも訊いて」


 みらいは僕をじっと見つめていた。

 何から訊くべきだろうか。迷ったけれど、まずはこの話からだろうとは思う。


「違う世界からきたっていっていたけど、どうやってここにきたの」

「うーん。その質問は難しいなぁ。正直なところ、私にもわからないの」


 みらいは困った様子をみせながらも、僕の前にみらいが持っていた本を差し出してくる。


「この本のこと、覚えてる?」

「あ、うん。みらいちゃんが作った本なんだよね」


 僕の言葉にみらいはゆっくりとうなずく。


「うん。そうなの。でもね。この本さ、私一人で作った本じゃないの」


 みらいはいちど言葉をとめて、また僕を見つめていた。

 みらいが作った本というのは、すごいとは思う。でもみらいが平行世界からきたことと何の関係があるのだろうか。続く言葉をまって、僕もみらいをじっと見つめる。


「この間もきいたけどさ、私と一真くんで作った絵本のこと、覚えてる?」

「あ、うん。僕とみらいちゃんと梨央の三人で作った、あの絵本のことだよね。この間見つけて、ひさしぶりに読んだよ」

「そっか。うん。その絵本のこと。この本の中身はさ、その絵本をもういちど描き直したものなんだ」

「そうなんだ」


 あの古めかしい装飾の本が、まさか僕達が作った絵本を描いたものだなんて思わなかった。どこか不思議な感じがする。


「あのお話はさ、いろんな未来にいって旅するお話だったでしょ。そしていろんな世界を作ったときにさ、モチーフにしたのは私達の思い出の場所だったよね。最初に出会った紅葉林も、この海辺の公園も、その一つ」

「うん、覚えているよ」

「この本をね。もういちど会いたいって願いながら開くと、違う世界にいけるの。理由はよくわからない」


 みらいの言うことは簡単には信じられなかった。

 ただ真実だとすればみらいと出会った時に突然現れた理由も、本を開いていたことも納得がいく。


「もともとは古本屋さんで見つけた本で、願いが叶う本だって書かれていたんだけど、中身が何も書いて無い白紙の本で、だから私は大好きなこのお話を描いたの。でもそれがこんな風につながるだなんて思わなかった」


 みらいは静かに告げると、それから本の方へと視線を送る。


「あの日、一真くんと紅葉林で出会った日。あのときにはじめて私は違う世界にやってきたの。一真くんが目の前にいることがわかって、ああ、私は違う世界にこられたんだって、なぜかすぐに理解していた。だから。一真くんとも本当はたくさんお話したかったんだけど、どうしてもこの世界で叶えたいことがあったから、あの日の私はすぐに駆けだしたの」

「叶えたいことって」

「会いたい人がいたの。でもその日は結局会えなくて。この魔法の本の力はさ、そんなに長くは続かないみたいで、夜にはもうもともとの世界に戻っていた。だからあの時は本当にがっかりしたっけ」


 みらいは本を抱えたまま、大きくため息をもらす。


「それで次の日もういちど本を開いたの。そしたらさ、もういちど一真くんがいる場所に現れたの。ほら、もういちど出会ったあの時だよ。その時にわかったんだ。ああ、この力は一真くんともういちど出会うために授かったんだなって。一真くんには本当に会いたかった。だって、私のせいで一真くんが死んでしまって。ずっとずっと後悔していたんだ。だから一真くんに会えたこと、本当に嬉しくって。もういちど会えたら謝ろうって、ずっと思っていて。それが叶ったから。だから後悔はしていないのだけど、あのときどうして私は一真くんに名乗ってしまったんだろうって、ときどき考えるの」


「みらいちゃんが何を言っているのか、よくわからないよ」


 みらいが僕に謝りたいと考えていたこと、そのことは僕も同じように感じていたからその気持ちはわかる。でも名乗ってしまったのを後悔しているとはどういうことなんだろう。


「そうだよね。うん。わかるよ。わかる。でも、ごめんね。これ以上は言えないの」


 みらいはどこか悲しそうな顔をしていたから、これ以上には訊くことが出来なかった。

 ただみらいには少なくとも何か目的があったのだろう。


 みらいの本には不思議な力があって、僕達が考えた絵本の物語に沿うように違う世界へと旅立つ力が宿った。嘘みたいな話だったけれど、こうしてみらいがここにいる以上は本当なんだと思う。


 みらいは会いたい人がいたって言っていた。それは少なくとも僕ではなかったのだろう。

 あのときの僕の未来への気持ちは確かに初恋だったと思う。だけど未来は違ったのかもしれない。

 そのことが少し寂しく思えたものの、でもみらいは僕と会えて嬉しいとは言ってくれた。それなら少なくとも僕が感じていた気持ちと通じてはいたのだろう。

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