21.交わせなかった会話
一日はいつも通り過ぎていって、特にこれといったこともなく下校の時間になる。
今日はあのあとはあまり梨央と話すタイミングも作れなかった。
何となく素直に帰る気もしなくて、僕は街中へと繰り出していた。
特に何をするでもなく、商店街を歩いてみる。小さい頃と比べるとお店も減ったとは思うけれど、それでもまだいくつかの店舗が軒を並べている。
母が勤めているスーパーもこの並びにある。スーパーが出来たことでつぶれた店もいくつかあるようだったけれど、案外共存している部分もあるみたいだ。それなりに賑わっているとは思う。
今日は母はパートの日ではないから、たぶんこの辺にはいないだろうとは思う。
でももしかしたら
僕のせいで未来を亡くしてしまったというのに、おばさんは僕に文句の一つも言うことはなかった。
とはいえ信号無視をして突っ込んできた運転手のことはずいぶんと罵倒していたから、おばさんはたぶん僕のせいだなんて思ってはいないのだろう。
それでも僕を見たら、事故のことを思い出させてしまうかもしれない。だから僕はなるべくおばさんがいるところには近づかないようにしていた。
忘れていたなと声には出さずにつぶやく。
引き返すべきかもしれない。
どうすべきか迷いを覚えたが、でもそれより前に僕は未来のおばさんの姿を見つけていた。
あちらに気がつかれないように、先に離れるべきかもしれない。そう思ってきびすを返そうとしたが、でもその前にみらいが立っていることに気がついて僕はその場から動けなかった。
遠目に何やら話しこんでいるのが見える。
おばさんはみらいのことを知っているのだろうか。みらいは自分のことを話しているのだろうか。
そうこうしているうちに話が終わったらしく、二人は離れていく。
同時にみらいが僕のことに気がついたようだったけれど、慌てた様子で顔を背けて遠ざかっていく。
「あ、まって」
呼び止めようとして声をあげるが、みらいは気がついていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、人混みの中へと隠れていった。
ただ呼び止めた声に、おばさんの方が僕の方へと振り返る。
「あら、
「あ、はい。
みらいのことは気になったけれど、さすがに無視する訳にもいかずに、おばさんへと頭を下げる。
「なかなか会わなくなっちゃったものね。前はしょっちゅう顔を合わせていたけど」
未来が生きていた頃は何度となく顔を合わせてきたけれど、やっぱり未来が事故で亡くしてしまってからは、おばさんと会う機会は減ってしまった。僕が意識的に避けてしまっているというのもあるけれど。
「最後にあってからどれくらいたつかしら。ずいぶん大きくなったものねぇ。高校生になったのかしら」
「あ、はい。今年から」
「いいわね。高校生。初々しくて」
おばさんはあまり気にした様子もなく、頬に手を当てて僕を見つめていた。
他人の僕がこれだけ引きずっているのだから、家族であるおばさんにとっては、未来を亡くしたことをもうふっきれている訳でもないとは思う。それでも僕と違って大人だから、それを見せずに生きるくらいのことは出来るのだろう。
「そういえば、さっきの女の子もそれくらいだったかしら。未来が生きていたら、あんな感じだったのでしょうね」
おばさんの言葉に僕の胸が大きくはじけるように強く脈打つ。
みらいは彼女の言葉に嘘がなければ未来が大きくなった姿だ。おばさんにはどう見えていたのだろうか。
「どこかあの子に似ているなって、ちょっと感傷的になっちゃってね。おばさん、ちょっと涙ぐんでしまって」
言いながら目元をハンカチで軽くぬぐっていた。
少しだけ目が潤んでいたように見える。もしかしたら少し涙が漏れていたのかもしれない。やっぱりぜんぜんふっきれてなんていないのだろう。
「えっとさっきの子はお知り合いですか?」
「ああ。ううん。違うの。ちょっと話しかけられてね。昔この辺に住んでいたらしいんだけど、最近もどってきたばかりらしくて。それで少し話をききたいって言われて。どこのお店が無くなったの、新しく出来たのってそんな話をしていたの。でもほんとあの子にそっくりで。あの子が生まれ変わってここにやってきたんじゃないかって……思えて。それで私、つい話し込んでしまって」
「そうなんですね」
「もう。なんだか恥ずかしいわ。こんなところ見せちゃってね。でも一真くんは、あの子に本当に良くしてくれていたから。だから、少しくらいなら、いいかしらね」
おばさんは顔を伏せて、少しだけ震える声でつぶやくように答えていた。
たぶん自分の中の感情が整理できていないのだと思う。曲がりなりにも関係者である僕の前では、少しだけ気持ちをはき出せている。そういうことなのかもしれない。
「馬鹿ね。こんなことを思っても未来が戻ってくるわけではないのに」
おばさんは涙を拭いて、それから無理矢理に笑顔を作っているようだった。
でもみらいはどうしておばさんには自分のことを話さなかったのだろうか。もちろん話したとしても、信じてもらえるかどうかはわからない。だけどみらいは僕からみても、そしてたぶんおばさんからみても未来の大きくなった姿だと感じていると思う。それなら自分のことを話すことで、もっとちゃんと話が出来るんじゃないだろうか。
そもそもみらいがどうしておばさんに話しかけたのかもわからない。
未来がいる世界では僕が代わりに死んでしまっているらしい。だから僕と話をしようとした。それはわかる。
でもおばさんとは元いた世界で話せばいいはずだ。わざわざ話す必要はない。
それにみらいは僕に気がついたと思うのに、まるで逃げるようにして去って行った。
どうしてみらいは行ってしまったのだろう。少し話をしたかったとは思う。何か事情があるのだろうけれども、僕にはみらいの考えていることはわからなかった。
未来がいなくなって悲しんでいたのは、僕だけじゃない。おばさんにだって別の世界から来たのだと告げてもいいんじゃないだろうか。おばさんが信じられるかどうかはわからないけれど、それでもおばさんにとって何か救いになったかもしれない。
もしかしたらみらいは家族だからこそ、何か告げたことによって起きる反応を理解していて言わない方がいいと思っていたのだろうか。
だとしたら僕も余計なことは言わない方がいいかもしれない。
そもそもみらいが告げるならともかく、僕の言葉ではとても信じられないだろう。
「ごめんね。こんなこといっても困らせちゃうわよね。あの事故のことはもう割り切れたと思っていたけど、まだ後を引いていたみたい。あの子があんまり未来に似ていたものだから、急に出てきてしまったのね」
おばさんは気丈にも笑って、いや笑おうとしていた。でも崩れた表情は悲しさに満ちていて、笑顔を向けることは出来ていなかった。
「一真くんだって、目の前でのことだったのだもの。私以上に残っていたわよね。大人なのに情けないわ」
「いや、そんな」
むしろ僕のせいで未来が事故にあったんです。そう言いかけてでも言葉には出せなかった。
たぶんそんなことを言ったらおばさんを余計に悲しませると思った。
おばさんは僕のせいで未来が事故にあったとは思っていない。むしろ僕がそんな風に引きずっていることを知れば、辛く思わせてしまうだろう。
「もしかしたらさっきの子は、神様がいつまでもこんなんじゃダメだって引き合わせてくれたのかもしれないわね。元気だしていかないとね」
おばさんは何とか表情を戻して、小さな笑みを浮かべていた。
家族を、自分の娘を亡くして、一緒にいた僕を恨んだとしても不思議はないのにそれすらもしなくて。
やっぱり僕のような子供とは違うんだと思う。
高校生になって図体はそれなりに大きくなったとはいえ、それでもまだ僕は子供なのだろう。僕にはこんな風な強さはない。今でもずっと未来のことを想い続けている。
過去はもう変えることは出来ない。僕が未来を救うことは出来ない。
本当は僕だって前を向いて歩いていかなければいけないのだろう。
わかってはいるけれど、僕にはそれは出来なかった。
「でもひさしぶりにこうして一真くんとお話できてよかったわ。あの子を亡くしてから、ほとんど話せていなかったから。一真くんもあの子のことでずいぶん苦しんでいたって、高崎さん、あなたのお母さんに聴いていたから心配していたの」
微笑んで告げるおばさんに、僕は何も答えられなかった。
こんな風に強く傷ついている人にまで、心配されてしまっていて情けなかった。むしろ慰めの言葉の一つも言えなきゃいけないのは、僕の方だろう。
「僕は大丈夫……です」
何とかしぼりだすように答える。
僕自身もまだいろいろなことが整理できてはいない。
でももしかしたらおばさんが言うように、みらいは僕達の心を切り替えるために神様が不思議な力を使って、ここに向かわせたのかもしれない。
みらいがどうしてここにいるのか、みらいはどうして僕にだけ名乗ったのか。みらいはどうしておばさんに話しかけたというのに、自分の正体については何も言わなかったのか。映したはずの写真はどうして消えてしまったのか。
わからない。わからなかった。でももしかしたら何か見えない力が働いているのかもしれない。
神様なんて僕は信じてはいない。もし神様がいるのであれば、未来を助けてくれても良かったと思う。
それでもみらいがここにいることについては神様の仕業かはわからないけども、何か不思議な力が働いているようにしか思えなかった。
「そう? 今も辛そうな顔しているわよ。一真くんがあの子のことをいつまでも思っていてくれるのは嬉しいけれど、あなたはまだ若いんだから、もっといろんなものを見てくれていいのだからね。もしあの事故のことを自分のせいだなんて思っているのだったら、それは違うから。悪いのは信号無視して飛び出してきた相手の方で、一真くんは何も悪くないんだから」
僕が考えていることなんてお見通しとばかりにおばさんは告げてくる。
今まで顔を合わせづらかったし、顔を合わせてもあまりちゃんと話はしてこなかった。だからおばさんがどう考えているかなんてわからなかった。
でもこうして言葉で認めてもらえたことで、僕の中に詰まっていた中が、すっと溶けていくような気がしていた。
もちろんそれだけですべてが消えてなくなることなんてない。
僕はやっぱり未来の死は僕にも責任があったと思うし、僕がしっかりしていれば未来は死なずに済んだはずだ。
それでも僕の中にあったわだかまりの一つをおばさんの言葉が消してくれたのは、確かだったと思う。
「すみません……僕は」
考えていることのほとんどは、言葉には出来なかった。
ただいつの間にかおばさんの涙につられるように、僕も涙をこぼしていた。
「ずっとね。いってあげなきゃとは思っていたの。ごめんなさいね。遅くなっちゃって」
おばさんは気がつくと手をのばして僕の頭をなでていた。
小さな子供のような扱いに、でも僕は怒りを感じるどころか、心地よさすら覚えていた。
たぶん僕はこうしておばさんに許されたかったのだろう。ずっと抱えていた気持ちが、少しずつほぐれていく。
もしかしてみらいはこうなることを見越して、姿を消したのだろうか。
僕の気持ちを溶かすためだったのだろうか。
わからない。わからなかった。
それでも、いまひさしぶりにおばさんとちゃんと話が出来て、良かったと思った。
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