6.もういちど君と出会う
同時に車が通り過ぎていく。
セーラー服姿の梨央は、まぶしいと思った。
でも
わからなかった。どうして梨央が泣いているのかわからなかった。
でも梨央は涙をぼろぼろとこぼしていて、僕の顔を濡らしていく。
『
僕はほとんど無意識のうちに答えていた。
それと同時に頬に激しい痛みが響いた。
梨央が僕をビンタしたのだと、一瞬遅れて気がついていた。
『ばかっ、ばかっ、ばかっ……! そんなことしたって未来は喜びなんかしない。それに残される人のことも考えてよ。未来がいなくなって、その上で
梨央の言葉に僕は思わず目を見開く。
そんなことは考えたこともなかった。
ただ未来がいなくなった世界は悲しくて、寂しくて。
未来を殺してしまった自分はこのままここにいてはいけなくて。
未来はセーラー服になれなかったのに、僕は学生服に変わってしまったのだ。僕だけが未来を置いて中学生になってしまった。
そのことがどうしても悪いことにしか思えなくて、だから僕は死のうと思った。
そうしたら未来のところに行けるかもなんてことも、少しだけ思った。
残された人がどうなるか。そんなことは考えたこともなかった。
『ごめん……』
『もうこんなことしないで。絶対に。絶対に。あたしは一真がいてくれなきゃいやなんだから。湊だってそうだし、一真のご両親だって、未来のお母さんだって、そう思っているから。絶対に死んだりなんてしないでよ』
梨央がわんわんと声を上げて泣いていた。
たぶん梨央が泣いているのを見たのは、この時が最後だったと思う。
中学の卒業式の時だって、同級生の女子達が泣いている中でも梨央は泣かなかった。
だから僕はこの時のことが、ずっと頭に残っている。
梨央のためにも、もう死のうとしたりはしない。そう誓った。
だけどその誓いで僕の中にある空洞が埋められた訳でもなくて。僕はそれを埋めたいと願った。
やがてその願いは未来と過ごした場所を写真に撮ることへと姿を変えていた。
別にそうしたからといって、結局のところ何も埋まってはいない。
それでも少しは気が紛れたのか、僕は少しずつ何かを取り戻してきていたと思う。
そんなときに現れたのが、あのみらいだった。
僕はみらいを探して、辺りを見回してみる。でもここには誰もいない。そもそもこんな時間の森の中になんて、そうそう人が来ることもないだろう。
さすがにもう帰るか。そう思って、振り返った時だった。
遠目にみらいの姿が見えていた。こんな時間だというのに、街の方からやってきていたようだ。
「かずまくん?」
みらいは言いながらこちらに向かってぶんぶんと手を振っていた。
「みらい……ちゃん?」
僕は彼女の名前を繰り返すことしか出来なかった。
あの時とは違って本は読んでいないようだったけれど、その左手には大事そうに抱えられていた。
「どうしてこんなところに? もう日が沈むよ」
みらいは自分のことは棚に上げてたずねると、僕の目をじっと見つめていた。
僕が知っている未来と同じ目をしていた。確かに彼女の面影がある。
やっぱり彼女は未来なのだろうか。
でもそんなはずはない。ないはずだ。
「君こそ、どうしてこんなところに」
「ん? うーん。そだね。約束の場所だから、かな」
みらいはよくわからないことを告げる。はぐらかされているのだろうか。
「約束の場所?」
「そうだよ。覚えていないかな。私とした約束」
繰り返した僕に答えるようにして告げる。
「約束って、もしかして」
不意に思い出して僕は声を漏らす。
未来が事故で亡くなる少し前に交わした約束があった。いま紅葉が綺麗だから、こんど二人で見に行こうって。そんなよくある他愛もない約束。
その約束は果たされなかった。
事故がなくても一緒に紅葉を見に行くことはなかったかもしれない。だけど事故のせいで絶対に見に行くことは出来なくなってしまった。
約束を果たせなかったことを、僕は今もずっと後悔をしている。
だからこそ僕はこうして紅葉の時期にここにやってきていたのだと思う。約束の代わりにはならないけれど、でも罪滅ぼしのようにここにきていたんだ。
この会話は誰にも話していない。事故の直前のことだったから、僕と未来の二人しか知らない。他の誰も知らないはずなんだ。
「そう。約束したよね。一緒に紅葉を見に行こうって。そしてお話を完成させようって。だから」
この約束を知っているのは本当に未来だけだ。
だからここにいるみらいは、確かに未来だ。未来が本当にここにいる。
僕の胸の中が、えもしれない感情で埋め尽くされていた。未来に会えたことが嬉しいという気持ちと、未来がここにいるはずがないという気持ちがごちゃまぜになって僕の頭の中は混乱しきっていた。
「本当に未来ちゃんなの……?」
「もちろん。うそつく必要なんてないでしょ?」
彼女はまるで事故なんてなかったかのように笑う。笑っていた。
みらいの笑顔が僕の胸の中を強くえぐっていく。彼女の笑顔に息が出来ない。何が起きているのか、やっぱりわからなかった。
昨日出会った時には、みらいは用事があるといってすぐに離れてしまった。だからそれ以上に考えることが出来なかった。
でも今は目の前で笑っている。手を伸ばせば届く位置に、確かに存在している。
幽霊なのだろうか。もしかしたら触れられないのかもしれない。
もう日は沈みはじめているけれど、木漏れ日から射し込む光で影はちゃんと出来ていた。
僕はもうほとんど無意識のうちに手を伸ばしていた。
みらいはそれをどう感じたのか、両手で僕の手をとる。
「すっかり冷えちゃってるね。一真くんの方が私よりも冷え性なのかな」
みらいの手のぬくもりがはっきりと伝わってくる。
彼女の手も秋空の下だから、少しひんやりとしていた。だけどそんなはほんの一瞬のことで、ぬくもりを感じて僕の胸の鼓動と共に、じんわりと手の赤みが帯びていく。
みらいのぬくもりが、僕の体温と混じり合っていた。激しく高鳴る心臓の音が、彼女にも伝わっているんじゃないかと思って余計に息が詰まる。
でもここにいる。みらいはここにいる。幽霊なんかじゃない。確かにここにいる。
未来は僕の目の前にいる。
もうこの世にはいないはずなのに。
「未来……ちゃん」
彼女の名前を呼ぶ。
「うん。私だよ。ずっと私も会いたかった。会えなくて寂しかった。ずっと。ずっと」
いつの間にか彼女の目にも涙がにじんでいた。
みらいも僕と会いたいと思っていてくれたのだろうか。そうだとしたら嬉しかった。
みらいがここにいるのであれば、もしかしたら本当は未来は死んでなんていなかったのだろうか。
あのお葬式なんて嘘の出来事で、中学にも高校にも未来の姿が無かったのは、怪我か病気で出てこられなかっただけ。元気を取り戻したから、いまここにいるのだろうか。
そうだ。そうに違いない。未来は死んでなんていなかったんだ。
僕は目の前で今にも泣き出しそうな彼女を前に、そう思い込もうとしていた。
だけどその瞬間に、梨央の言葉を思い出していた。
『もうどう思っても未来は帰ってこないんだよ』
梨央の、どこか遠くを見るような目を思い出すと共に彼女の言葉が僕を現実へと引き戻していた。
目の前にみらいは確かにいる。でもまだ彼女が本当に未来かどうかなんてわからない。
もしかしたら彼女はどんなに未来の形をしていても、本当は未来でないのかもしれない。
だって未来はもうこの世にはいないはずだから。
「そんな……はずないよ」
ぼそりとつぶやく。つぶやくことしか出来なかった。
大きな声を出すことも、それ以上に否定する声をあげることも出来なかった。
目の前にいる彼女が未来であってほしい。未来と一緒にいたい。
未来と手をつなぎたい。未来に伝えられなかった気持ちを伝えたい。
たくさんの願望が僕の中に渦巻いていく。
その誘惑は僕を甘く誘い、その夢の中でたゆたっていたいと思わせた。すべてを受け入れてしまいたい。すべて嘘だったことにしてしまいたい。僕はもうほとんどそんな魅惑に取り入れられつつあった。
それでも梨央の言葉が僕の中に残っている。梨央にこれ以上に悲しい顔をして欲しくないとも思った。
だからどこかから絞り出すように、僕は言葉を紡ぐ。
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