7.もう君はいないから

「だって、あの時、事故で未来みらいちゃんは亡くなってしまったんだ。僕を助けようとして、未来ちゃんは僕の代わりに事故にあった。だから、ここにいるはずなんてないんだ」


 僕の言葉にみらいは大きく目を開いていた。

 驚きを隠せない。そんな表情をしていた。

 だけどそれも一瞬のこと。みらいはすぐに自嘲するような笑みをうかべて、どこか悲しそうな声で答えていた。


「そうか。この世界ではそうなんだね」


 みらいの言葉の意味はわからなかった。みらいが何を言っているのかわからなかった。

 だけど未来は確かに寂しさを抱かせる声で、僕へと答えていた。


「でも私はここにいるよ。ほら。私の手温かいでしょう」


 みらいは手をのばして、僕の頬にふれていた。

 冷たい空気の中で冷えた肌が、はりつくようなぬくもりを感じさせている。

 みらいは確かにここにいる。彼女が何者かはわからないけれど、こうして体温を感じる以上は幽霊のようなものではない。


「そしてね。私は未来だよ。信じられないかもしれないけどねうそじゃないよ。君が知っているはずの未来。だって約束の話を知っているの。私だけのはずでしょう」


 みらいはそのまま僕の方へと身を寄せていた。

 僕の胸の中に未来がある。

 心臓が激しく強く鳴り響いていた。鼓動が早すぎて、胸が痛む。


 息が出来ない。


 確かに約束の話を知っているのは未来だけだ。だから約束を知っているみらいは未来だ。だけど未来はここにいるはずはなくて、だからみらいは未来じゃない。


 僕の頭の中でいくつもの感情が交錯して、何も考えられなかった。彼女が何者かの答えなんて出せなかった。

 僕にわかるのは、まだ未来が好きだってことだけ。僕は未来のことを忘れられてなんていないってことだけ。


 未来が好きだ。

 このまま伝えられなかった気持ちを伝えてしまいたい。

 でも彼女は未来じゃないかもしれない。


 わからない。わからなかった。ただ僕は何もかも捨てて、この甘い夢に浸っていたかった。


「そう……だけど……」


 ただ反射的に答えた言葉。

 みらいは僕の胸の中で、強く僕の服をつかんで握りしめる。


「信じてもらえないかもしれない。疑わしいかもしれない。でも私は未来だよ。君が知っている未来だよ」


 みらいはただ僕へと訴えかけるかのように、握りしめる手に力が入っていた。


「ずっと会いたかったんだ」


 みらいの言葉に思わず僕もだとうなずきそうになる。

 でもそうじゃない。目の前にいる彼女が未来かどうかだなんてわからない。


 いや信じる方が難しい。未来は確かに死んだ。僕の目の前で。だから未来ではあり得ない。僕の理性がそう告げている。だけど僕の感情はもう目の前にいる彼女が未来だと。そうであってほしいと、訴えかけてきていた。


 未来に会いたかった。だからみらいは未来だと信じたかった。

 嘘でもいい。そうであってほしいと願わずにはいられなかった。

 僕の気持ちが揺れる中で、みらいはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「でも会えなかった。だって私の世界では、もう君はいないんだもの」


 未来の言葉の意味がわからなかった。みらいの世界では僕はいない。

 どういうことなのかわからなかった。


「私ね。この世界の人間じゃないんだ。私は違う世界からきたの。どうしてもやりたいことがあって、君がいるこの世界と異なる世界からきたの」


 続くみらいの言葉もやっぱり理解できなかった。

 違う世界からきた。違う世界って何だ。どうやって。どこから。

 やっぱりみらいは未来じゃないのか。いやそこは未来なのか。


 違う世界の未来。それは僕が知る未来でないのか。違うのか。


 わからない。わからなかった。ただ困惑して、僕は何度も同じ考えを繰り返しては否定していた。

 みらいの言葉は僕に混乱を与えてばかりで、何もわからなかった。

 だから続くみらいの言葉を待っていた。みらいの言葉が聞きたかった。


「この世界には私がいないなんて思っていなかった。だからついひさしぶりなんて言ってしまって、しまったって思っていたの。もしかしたら私と会ったばかりかもって、何とかごまかさないとって。でも、それで合っていたんだね。会いたかった。会いたかったの。ずっと会いたいって思ってた。君をみかけて、君がいるってわかって。泣きそうで、泣きたくって。でも泣いちゃだめだって。今はやらなきゃいけないことがあるって。そう思って。だから」


 みらいの言葉はまるで理解できなかった。

 ただ彼女の気持ちが僕と同じようにあふれ出しているのだということだけはわかった。


「ごめんね。私の言うこと、わからないよね。当然だよ。私だって今も信じられないもの。でもね。私、違う世界から来たんだ。どうしてもやらなきゃいけないことがあったの。だから、だからね。信じてくれなくてもいいから、私の話を聞いて欲しい」


 支離滅裂で、何を伝えようとしているのかもわからない。

 それでもみらいが真剣に僕に何かを伝えようとしていることだけは理解出来ていた。


「……わかった」


 ゆっくりとうなずく。そうすることしか出来なかった。

 未来は僕にしがみついたまま、僕を見上げるようにして顔を上げる。


「ありがとう」


 彼女はあからさまにほっとした顔をして、少しだけ頬が緩む。

 やっぱり可愛い子だなって思う。未来がそのまま大きくなっていたら、きっとこんな感じだっただろう。

 だからみらいの言葉は、理解は出来なかったけれど、もうほとんど信じていたと思う。


「ね。一真かずまくんは、私が、未来が君を助けて亡くなったって言ったよね」

「うん……まぁ」


 みらいの問いに曖昧ににごすように答える。

 自分で言った言葉だけれど、認めたくなかった。未来が僕のために死んだなんてことは、出来るならなかったことにしたいという気持ちがどこかにある。だからはっきりと答えることが出来なかった。

 そんな気持ちに気付いてか、気付かずか、みらいはそのまま話を続けていた。


「でもね。私の世界では逆なんだ。一真くんは、私を助けて死んでしまった」


 みらいの言葉はやっぱり理解出来なかった。


 僕が、未来を助けて死んだ。

 そうだったらいいのにと、何度夢想したことかわからない。そうだったら救われるのにと。


 目の前のみらいが僕の願望を肯定していく。こうであってほしいと願ったことが、本当になっていく。

 嬉しいことのはずなのに、それがどこか気持ち悪さを感じさせて、僕の頭は理解を拒んでいた。

 それでもみらいは言葉を続けていく。


「私はさ、一真くんのことがずっと忘れられなかった。私が救いたかった。私なんて死んでしまってもいいから、一真くんに生きていて欲しかった。ずっとそうやって毎日想い続けていた。一真くんに謝りたかった。私のせいで、私の代わりに事故にあってしまって、ごめんねって言葉だけじゃすまないけど、でも伝えたかった」


 目の前のみらいは、僕が抱き続けていた想いと同じ気持ちを告げる。だけどその言葉に僕はハンマーで殴られたかのような、強い衝撃を感じていた。

 僕はただ未来を助けたかった。だから代わりに僕が死ねば良かったと考えていた。

 なのに僕が願っていた世界は、未来に今の僕と同じ気持ちを抱かせることだと、この時初めて気がついていた。僕の願いは未来を救うと同時に、未来に辛い想いをさせてしまう。そのことに僕は愕然としていたと思う。


「あのね。私は私が死ななかった世界からきたの。平行世界って知ってる? パラレルワールドってやつ。私は君がいなくなった世界から、やってきたの」


 未来が死なないで済む世界。彼女はそこから来たのだと言う。

 僕が望んでいた世界から、僕に会うために。


 その世界では僕は未来を救って、そして未来の代わりに死んだ。

 でもその世界の未来は、僕と同じような苦しみを背負ってきたのだと言う。


 僕が本当に望んでいたのはそんな世界ではなかった。


 未来に幸せになってほしかった。未来に笑っていて欲しかった。だからそうあればいいと想っていた。

 それなのに僕が願った世界では未来は幸せではなかった。僕の苦しみをただ未来に渡しただけなのだと言う。僕はそんなことを望んではいなかったのに。


 いつの間にか僕はみらいを強く抱きしめていた。


「か、一真くん!?」


 突然の僕の行動に未来は慌てた声を漏らすけど、でも僕の腕の中から離れようとはしなかった。


「ごめん。ごめんね。僕はそんな気持ちにさせたい訳じゃなかった。ただ君に、未来に幸せになってほしかったんだ。なのに」


 みらいの言う違う世界というのがなんなのかはわからない。

 でも僕はもうほとんど彼女の言葉を信じていた。


 何が起きているのかなんてわからなかった。ただ未来に幸せでいてほしいって、それだけを願っていた。僕が代わりに死ぬべきだったんだって、そう思っていた。


 でもそんな願いは無意味なものだったと思い知らされた。

 だから今は目の前にいるみらいに笑っていてほしい。そう感じていた。そのために体が勝手に動き出して、みらいを抱きしめずにはいられなかった。


「信じてくれるの?」

「うん。正直君のいうことはほとんどわからない。でも。君が未来ちゃんだってことはわかる。君がここにいてくれる。それだけでもう十分だよ。ごめん。ごめんね。君に笑っていて欲しかったんだ」


 目の前にいるみらいは未来だ。

 梨央りおはそんなはずはないって言うかもしれない。これは夢だって言うかもしれない。


 でも信じたい。


 だって目の前に未来がいるんだから。未来が苦しんでいたんだから。

 笑わせたいって。思う。


 腕の中にいるみらいは、優しくさわらなければ、すぐにこわれてしまいそうで。それでも柔らかくて、温かくて。確かにここにいる。

 彼女に笑ってほしいって。そう願う。


「それに僕だって、ずっと君に謝りたかった。僕のせいで君がいなくなってしまって。僕のせいで。僕こそ謝りたかった」

「あは。じゃあ二人はおんなじだね……」


 みらいは照れたように泣きながら笑う。

 なんとか笑顔を作ろうとして、ほほえみかけようとしていた。


「信じてくれるんだね。ありがとう。嬉しい。でも信じられなくてもいいから、少しの間だけでいいの。私と一緒にいてほしい」

「それが君の願いなら」


 ずっと一緒にいる。だって僕もそう願うから。心の中で続けていた。


「うん……」


 みらいは僕の腕に中で、ゆっくりと答えた。

 みらいと一緒にいられる。それは僕にとっても喜ばしいことだった。

 だからこれ以外の答えなんてなかったと思う。


 それでもまだこの時の僕は、この言葉がどんな意味を持つかなんて、理解していなかった。

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