5.叶えられなかった約束
「いない……か」
昨日みらいと出会った森の中で、僕は息を吐き出す。
それはため息だったのか、それとも安堵の息だったのか。自分自身もわからないまま辺りを見回していた。
みらいと会いたいとは思っている。でももし会ったとして何を言えばいいのか、どうすればいいのかもわからなかった。
みらいが偽物だとしたら、なぜ
だけどいないものはどうしようもない。
カメラを構える。いくつか写真をとってみていた。
前と同じようにカメラを構えたら現れるんじゃないかと思ったけれど、そんなこともなく時間ばかりが過ぎていく。
いつの間にか辺りはかなり暗くなってきていた。この辺りには街灯なんてものはないから、日が落ちれば真っ暗になってしまう。
あの時もこのくらいの時間だったよなと不意に思う。そして僕はかつてあった事件について想いを寄せていた。
七年前のあの日、僕と未来は海辺の公園で遊んでいた。すぐそばが海になっている市民の憩いの場だ。
波が寄せては引いていく。穏やかな海辺は、いろいろな生き物もいるし、漂流物があったりして子供にはとても面白い。
未来とは物心ついた頃からずっと仲良しで、気がつけばいつも一緒に遊んでいた。
もっともいつもなら
二人がいないことを寂しいと思いつつも、でも未来と二人きりでいられることも嬉しいとも思っていた。
その感情が何を意味していたのか、この時にはまだ気がつけないでいたけれど、 僕もまだ幼かったんだと思う。
ただ幼心ながらも、未来と一緒にいることが楽しくて嬉しかった。
『そろそろ帰る時間だね』
帰宅時間を知らせる夕焼け小焼けの放送が流れるのをきいて、未来がふとつぶやいていた。
でもまだ帰るのがおしくて、僕は後ろ髪を引かれる気持ちだった。
『まだもう少しいいんじゃない?』
僕が告げると、未来は少しだけ考えて、でもそれから首を振るう。
『あんまり遅いとママに怒られちゃうし』
『えー。まだ遊びたいよ』
やりたいことはたくさんあった。
鬼ごっこでもいい。かくれんぼでもいい。鉄棒の練習をしたっていい。
何かもう少し遊びたい。そんな気持ちが僕を引き留めていた。
明日や明後日はお母さんに連れられて出かけることになっていた。そうするとまた月曜日まで未来に会えない。それは寂しいとも思う。
『だーめ。またこんど遊ぼう』
『うーん。わかったよ。でももっとあそびたかった』
実際あんまり遅くなるとお母さんにも心配かけてしまうだろう。わがままを言っても仕方ないとも思う。だから僕は素直に未来の言い分を受け入れることにする。
ただもう少し未来と一緒にいたいなって、なぜかこの時は強く思った。いつもと違って二人だったからかもしれない。
『もう。かずまくんはしかたないなぁ。じゃあそうだ。今ね。裏山の紅葉がすごく綺麗なんだよ。だからこんど一緒に見に行こう』
『裏山かぁ。いつもと変わらないね』
『もー。かずまくん。風情がないなぁ。本当にすっごく綺麗なんだよ。かずまくんも見たら絶対感動するんだから。二人で一緒に行こうよ。あの時のさ、お話だってまだ途中までだったし。完成させないといけないから参考になるかも』
未来はちょっとあきれるような口調で告げる。
正直なところ紅葉なんて毎年みているし、特に代わり映えはしないとは思う。でも未来と二人でいくという提案は、それは何か素敵なもののように思えた。
『わかった。一緒に行くよ』
『うん。約束だね。じゃあ指切りしよう。うそついたらハリセンボン飲ますからね。とげとげのついたお魚の』
『魚は飲むのヤダ。生臭そうだし』
『約束やぶらなきゃいいんだよ。はい、指切った』
僕達はくだらないやりとりをしながらも、つなぎあわせた小指を切る。
いつもと変わらない風景。いつもと同じような約束。
違うのは湊や梨央がいなくて、僕達二人きりだったということ。
二人きりがなんだか照れくさくて、恥ずかしくて。だけど一緒にいたいと思っていた。
未来もそう感じているのかななんて、心の中で考えたりしていた。
このまま終われば、約束は果たされたかはわからないけれど、僕達の思い出として残っていったのだろう。
でもそんなことは僕達には許されなかった。
『あー、ほら。遅くなっちゃった早くかえろ』
『もう。かずまくんが、もうちょっとっていって残っていたんじゃない』
早く帰ろうとせかす僕を、未来がとがめる。
『そうだっけ。でもお母さんに怒られちゃうよ』
放送がなったら帰ってこいと言われているのにもうだいぶん過ぎてしまったから、急がなきゃと駆け足になっていた。
だから少しだけいつもより散漫になっていたと思う。
それはいつもの少し開けた道へと通りかかったときだった。
この辺はほとんど車通りがない。だから僕はすっかり油断していた。
歩行者信号は青だった。だから横断歩道を何の気なしに駆け足で渡ろうとして。
『かずまくん! あぶない!』
声が響いた。未来の声だった。
僕は何かに押されて少し先で倒れる。
それと同時に鈍い音が響いていた。
何かが壊れるような激しい音。
引き裂かれるような鋭い音。
強くぶつかるような痛ましい音。
何が起きているのかわからなかった。
僕はゆっくりと起き上がり、そして振り返った。
でも振り返ってはいけなかったのかもしれない。
自動車がガードレールを突き破って壁に衝突していた。見るも無惨に前がつぶれていた。
どれだけスピードがでていたらこうなるのかもわからない。ただ相当に激しくぶつかったのは幼い自分にもよくわかっていた。
そして。
車と壁の間に未来の着ていたピンク色のパーカーが少しだけ見えた。
血が流れていた。地面が少しずつ赤く染まっていく。
『みらい……ちゃん……?』
僕は声を漏らした。
信じられなかった。何が起きているのかわからなかった。
ただいつも通っている道を、少し慌てて通り過ぎただけ。
いつもならほとんど車なんてこない。信号だって青だ。
ただちょっと勢いよく飛び出してしまっただけ。
それだけのことなのに。
何が起きているかわからなかった。
もくもくと煙が上がっていた。
僕はその場にぺたんと座り込んでしまう。
ここからは僕はほとんど何も覚えていない。
覚えているのは、車と壁の間に挟まったピンク色のパーカーとその下に流れていく赤い色。
それでも何が起きていたのかは理解していた。
僕が飛び出したから。未来が。僕を助けようとして。代わりに。事故にあった。
僕が。飛び出したから。未来が。事故にあった。
僕のせいで。未来が。
僕が。未来を。殺した。
『あああああああああああああああ』
叫び声を漏らしていた。
何をすればいいかもわからなかった。
ただただ叫んで、僕は泣いていた。
泣いて泣いて泣いて。
次に気がついたときには、もう未来のお葬式が行われていた。
未来の写真が飾ってあって、棺が目の前に置かれていた。
でも未来の顔をみることは出来なかった。
今にして思えば、事故のせいで遺体もひどいことになっていたのだろうとわかる。
でもあの時の僕はだから信じられなくて、未来は死んでないって、叫んでいたと思う。
未来のお母さんが悲しい顔をしていた。
申し訳なかった。僕のせいだと思っていた。
でも僕のせいだと認められなかった。だから叫び続けていた。
後から知ったことだけど、相手の運転手は酒を飲んで運転していたらしい。だから僕達には気がついていなくて、現場にはブレーキ痕もなかったとのことだった。
未来の家族の怒りは幼い僕ではなくて、乱暴な運転をした運転手へと向けられていた。
でも僕は心の中で自分のせいだと思っていた。ちゃんと横断歩道を渡る前に左右を確認していたら、こんなことにはならなかった。
だから僕は未来のお母さんに顔を合わせることが出来なかった。
泣き叫ぶ僕をみかねて、両親がすぐに家へと連れて帰っていた。
それから僕はずっと空虚な感じだったと思う。
ただ漠然とした毎日を過ごしていた。
何もない、記憶にも残らない日々が、続いていくだけだった。
それでも何とか時が経って、少しずつ傷も癒えてきたと、そう思っていた。
だけど中学生に上がったとき。僕達は制服へと変わる。
僕と湊は学生服に。梨央はセーラー服に。
でも僕の記憶の中の未来は、最後にみたピンク色のパーカーのままで変わらなかった。
未来は制服を着ることが出来なかった。僕のせいで。
僕はそう考えてしまっていた。
だから僕は、自殺を図った。
未来が事故にあった海辺の公園の近くの道路で、僕は車が通りかかるのをまって飛びだそうとしていた。
未来と同じになりたかった。未来と同じようになるべきだと思った。
長い間、そこで立ち尽くして、いよいよ車がきたという時に僕は信号を無視して飛びだそうとして踏み出す。
でも踏み出せなかった。
僕は飛びだそうとしていたのに、誰かから手をとられて、それ以上には動けなかったんだ。
あしがよろけて、その場に倒れ込んでしまう。
『ばかっ。何やってるの!?』
叫び声と共に覆い被さるようにして現れたのは、梨央の姿だった。
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