B.S.S-Boy , Stare Straight-

遊月奈喩多

色に出ねどもこの恋は

 幼馴染みの森山もりやま朝乃あさのが、都内暮らしの大学生と付き合い始めたらしい。そのことを僕に報告してきたときの、熟れた果実のように真っ赤な頬はやけに鮮やかで、恥ずかしそうに伏せられた茶色よりは黒に近い瞳は艶っぽく潤んでいて。

 そんな報告を間抜け面で聞いている僕こと矢吹やぶき礼司れいじを見下ろす空は、これまたとても鮮やかな緋色と濃紺のグラデーションを描いていた。


 出会いは、去年秋の文化祭だったという。

 クラスで開いたデプレッシブ・ブラックメタル喫茶にその大学生が訪れたとき、持っていた知識ゆえに話が盛り上がり、意気投合して何度かのデートを重ねた末に、どちらからともなく告白して付き合い始めたのだという。


「……なんで、それを僕に?」

「だって礼司がデプレッシブ・ブラックメタルを教えてくれてなかったらとおるさんと知り合えなかったしさ……わりと感謝してるっていうか、ね?」

 徹さん、というのが朝乃の彼氏の名前らしい。

 照れたように赤くなった頬を掻く指先には、今まで気付かなかったけど黒とピンクの色合いが毒々しくも独特なセンスをも感じるネイルチップが付いていた。学校でもしてただろうか……いや、まさか。


「これからデートなの?」

「あれ、わかっちゃった? 徹さんね、あたしが着くくらいに大学終わるから、その後なら遊べるって言ってたんだ~♪」

 ほんと、嬉しそうに笑っちゃって。


 学校から最寄り駅まで向かうまでの、短くも長くもない道。直視するには眩しい夕焼けを浴びて、あかね色に染まる坂道を下りながらはにかんだように笑う朝乃の顔は、それまで見たことのないような艶を帯びているように見えた。

 きっと今の朝乃には、通りかかる公園の錆びて元の色がわからなくなったようなジャングルジムも、開店前のスナックの古びた緑なんだか紫なんだかわからない外壁も、夕日を受けてガラス片を散りばめたように輝く川も、ようやく花をつけ始めた桜並木も、その全てが色鮮やかに見えているに違いない。


 そんな顔を見ているうちに、なんとなく後ろを振り返りたくなって。

「? どうかしたの?」

「……いや」

 なんでもなかった。

 何もなかった。

 後ろには、ふたり分の影が伸びているだけ。

 黒ともオレンジとも言い難い、なんとも複雑な色合いの影が、僕らと同じ歩幅で駅へと進んでいるだけだった。


 駅前通りの賑わいも、夕方を告げるように騒ぐ鳥の声も、なんとなく遠い。寄り道した本屋で成人向け雑誌でも買ったのだろうにやけ顔の男子たちを遠目に見て、広場に植えられたやたら高い記念樹をぼんやり見上げて、金融会社やら質屋やらが入っているビルの白々しいくらい夕方の顔をしたガラス窓に目を細め、そうして。


「あ、そういやあのバンドの新譜出てるんだ。ちょっと寄ってかないか?」

 よくふたりで寄っているCDショップ(本当は楽器店らしいが、僕らはもっぱらCD物色ばかりしている)を通りかかって、朝乃に声をかける。前に教えた中でいちばん気に入っていたバンドだったなと思ったが、朝乃は「ごめん、今日はいいかな」とつれない返事。

「今日はほら、徹さん待ってるし。それに、最近徹さんオススメの曲一緒に聴くこと増えたから、最近あんまりなんだよね」

 きまり悪そうな顔をする朝乃。

 別にそんな顔させたかったわけじゃないんだけどな……言葉を探しながら、僕らは駅へと向かう。


 改札を通り抜けて、いつもならふたり揃って同じホームへ行くところを「今日こっちだから」と違うホームへ向かっていく小さな背中を、僕は曖昧な返事をして見送っていた。

 どうやら既に電車が来ていたらしい、僕が自分の乗るプラットホームへ降りたときにはもう朝乃の姿はどこにもなくて、僕にできたのは、ゆっくりとしたペースで遠ざかるくすんだ銀色をただ見ているだけだった。


「あー」

 不意に、声が出た。

 のっぺりしたライトグリーンの、薄っぺらいプラスチックのベンチにどっかりと腰かける。


「ああーー」

 夕焼けが、目に入る景色を塗り替えていく。

 線路も、向かい側のプラットホームも、楽しげに群れている電車待ちのやつらも、何もかも。


「…………」

 僕らの、当たり前に続いていた日々も。

 空が見せる、刻一刻と変わっていく鮮烈なグラデーションを見上げている間に、どんどん変わっていくんだ。

「……別に、そんなんじゃなかったし」

 そうだ。

 別に、今までそんなこと思ってたわけじゃない。


 僕と朝乃の間に、色恋の挟まる余地なんてなかったと思う。幼い頃から一緒だったし、なんなら同性同士の友達よりもお互いの趣味やら弱点やらを知り尽くしてて、時にそれで小競り合いみたいなこともして。

 そう、愛だとか恋だとかいう距離感なんてとっくに通り越していたんだ。少なくとも、朝乃は今でもそうだろう──だから、大学生と付き合ってるなんて、周りに話したらひと騒ぎ起きそうなことも言ってくれたのだ。


 別に、僕だってそうだったじゃないか。

 一目惚れした相手への恋愛相談をしたのだって一度や二度じゃない、フラレた僕を慰めるために近所で買ったというマカロンだとか、常備している飴だとかを一緒に食べたりとか、そんな何てことのない日常を送っていた。

 朝乃のことなんて、これまで意識したことなかったってのに。


「そんなんじゃ、なかったんだよ」

 なのに、何でだろうな。

 朝乃がこの先、顔も知らないような年上の男と恋をしていくのを想像してしまう。お互いへの好意を、甘ったるい空気を醸しながら告げあっているんだろうか? もう、キスくらいはしているんだろうか? いずれはそいつとセックスもするんだろうか……僕の知らない顔をして、僕の知らない声を漏らして、僕の知らない相手を見つめて?

 そうやって朝乃のなかでその大学生の割合が大きくなって、僕の存在なんて小さかった頃の思い出の一部になっていくんだろうか?


 そんなことを想像するとどういうわけか、たまらなく胸が苦しくて、身体のど真ん中にぽっかりと大きな穴が空いたみたいに息苦しくて。

「きっついなぁ…………」

 思わず漏らした声は、少し濡れていた。


 やがて、電車が僕の待つプラットホームへやってくる。いつもは少し耳障りな軋むようなブレーキ音が、今日は何だか心地よくて。

 すっかり濃紺に染まった宵闇の空を、ずっと眺めていた。車窓に映る、あまりにも冴えない顔から目を逸らすように。

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