残酷な再会

 ひやりと冷たい洞窟の中を進む一行。洞窟に入ってから既に三時間が経過していた。入り組んだ道はどこから来たのか、どこへ行けるのか分からなくさせる。慎重に、頭の中に地図を描くように進んだ。


 洞窟の中は事前に得ていた情報通り、魔獣の巣窟である。隠れ潜む所の多い洞窟内で隙を突かれた兵士が一人、命を落としてしまった。気を抜けば次の瞬間には食らい付かれているかもしれない。少しも気の抜けない状況に、ギルバートは久しぶりに逃げ出したい気持ちが蘇ってきた。


 ギルバートは死にたくはないが、戦いが嫌いではない。自らの内側から湧き上がる魔力を、派手に火や風の魔法として放つ……あの瞬間が好きだった。自分が負ける事のない戦いで魔法をぶっ放し、格好を付けていられればそれで良かったというのに――人生はままならないものである。師団長が言っていた“覚悟”が何であるのか、ギルバートにはまだ完全に理解出来ていないが、今この場から逃げ出せずにいることが関係しているのかもしれない。


「ちょっと……早すぎるわよ」

 レイラの遠慮がちな声が洞窟内に響いた。先頭を行くルークが、仲間の進行速度も考えずどんどん進んで行ってしまうのだ。レイラの声掛けももう数度目である。その度にルークは一旦速度を落とすものの、すぐにまた距離が離されていく。ルークも無意識なのだろう。彼の背中から溢れ出る苛々と焦燥を感じ取り「らしくないな、全く」とギルバートは溜息を吐いた。だが今となっては、最早それがルークらしい。


 一人の男の安否を案じ、冷静さを欠いている男。二人で旅を始めた頃のルークからは想像も出来ない。いつも冷静で恐ろしいくらい合理的な男だったというのに、その面影さえなかった。(ノアが居ないから、格好付ける必要もないってか?)


 突然、ルークの足が止まった。前に敵でも見つけたのだろう。ギルバート達は警戒を強め、彼の傍に寄る。……何か様子が変だ。ルークには一向に剣を構える気配がない。ギルバートは硬直した彼の肩越しに、彼の視線を縫い付けているものを見て――心底ほっとした。レイラも泣きそうな声を上げる。


「ノア、生きていたのね!」

「ヒヤヒヤしたぜ! ったくよお」

 見慣れた背中、丸い頭。話に聞いていた鎧は身に着けておらず、いつも通りの質素な服装だった。鎧の重さに耐えられず途中で脱いだのか、警備兵の見間違いだったのか。


「お前、ここでその格好はマズイだろ。ちょっと待ってろよ……なにか防具になりそうなものは……」

「……ノア?」

 反応を示さないノアに、もう一度レイラが声をかける。ようやく振り返ったノアは――知らない顔をしていた。いつもの緩やかな雰囲気は感じられず、その目は冷え切っている。ギルバートは、ノアが自分達に怒っているのだろうと思った。あんな別れ方をしたのだから恨まれていても仕方がない。だがノアが洞窟の中まで来てしまった以上、団を追い出すも何もあったものではなかった。危険な場所で一人で行動させる訳にはいかない。


「おいノア、話を聞けよ」

「……我に話しかけているのか? お前達は何者だ」

「はあ? 何言ってんだ。ふざけてないで、」


「ギル」

 ルークの鋭い声に、ギルバートの踏み出しかけた足が止まる。ノアの無事にさぞ安堵しているだろうと思っていた彼は――まるでノアの屍を見つけたかのように、絶望の表情を浮かべていた。


「ノア……もしかして邪神に乗っ取られて」

 レイラが信じられない、と目を見開く。


「乗っ取ったなど人聞きの悪い。この個は大いなる意志の元に、帰還したのだ」

 ノアは醜悪な笑みを浮かべる。暗く深い瞳の奥には、どこまでも深淵が広がっていた。


 ノアの後ろから魔獣の群れが姿を現す。黒い体毛を逆立たせた、大人の男程もある大きな狼の魔獣。ノアの合図と共に、魔獣はルーク達に飛びかかっていった。




 *




「ギル!」

 洞窟内に響く激しい剣戟の音。レイラに名を叫ばれ、ギルバートは意識を取り戻した。目の前では燃えるような赤い髪を靡かせ、魔力で精製した投げナイフを魔獣に向かって放つレイラ。魔獣の群れの向こうには、見慣れた筈の見知らぬ青年。ギルバートはその姿を見て、先程の再会が悪夢ではなかったことを知る。自分達の前に立ちはだかり、魔獣と共に襲い掛かってきたノア。それはもう非力なノアではなく、邪神により力を得た魔人だった。


「いってぇ……」

 後頭部がズキズキと痛む。ギルバートはノアに蹴り飛ばされ、岩に頭を打って気絶していたのだ。彼が気を失っていたのは僅かな時間だったが、その間にも仲間達の体には傷が増えている。派遣兵の二人とレイラはギルバートを背に庇い戦っており、治癒士の男はギルバートの傷を癒していた。ルークは――ノアと戦っている。その様子はギルバートを居た堪れない気持ちにさせた。


 ノアは洞窟内の遺留物を拾ったのか、その体には大き過ぎる剣を振るっていた。しかし重さを感じさせない軽快な動きで、激しい攻撃をルークに仕掛けている。対するルークは……本気を出せていない。彼の剣は往なすばかりで、ノアに届きそうになる度、不自然に止まっている。邪神に寄生された人間がもう元に戻らないことは彼も知っているが、それでもルークはノアと戦うことが出来ないのだ。

 魔獣の攻撃の隙を見てはノアに「正気に戻ってよ!」と声を掛けているレイラもまた、ノアを諦めることができないのだろう。


(なら、俺が戦うしかないな)

 ギルバートは治癒士の男に「もう大丈夫だ」と手を止めさせ、立ち上がる。洞窟内にはおびただしい邪神の魔力が充満しており身が竦んだ。かつてない禍々しさ。いよいよ敵が本気を出してきたのだろう。

 震える足をマントで隠し、拳を握り締め、ギルバートはルークの元へ駆け出す。そして、ルークに切りかかろうと跳躍したノアに向けて火球を放った。ノアの体が炎に覆い隠される。


「ノア!」

 ルークが炎に飛び込もうとするのを、ギルバートは全力で抑えつけた。


「離せ、ノアが!」

「しっかりしろよ! あれはもうノアじゃない! 分かってるだろ!?」

 二人の前で燃える炎。その横から、火傷一つ負っていないノアが姿を現す。ギルバートは簡単に倒されてくれないかつての仲間に、悲しい笑みを浮かべた。


「今の攻撃を避けたってのか? 空中で? ……やっぱもう、化け物ってことか」

「ほう、人間にしては中々の魔法だ。面白い」

 ノアは興味深げに炎を眺めた後、それを剣で一文字に薙ぎ払う。不思議な力を纏った剣は一陣の風を巻き起こし、炎をかき消してしまった。ギルバートは目を瞠る。


「魔法も使えるのかよ」

 呟いた口は緊張で乾ききっていた。


 その時、魔獣達の咆哮が耳を劈く。魔獣が仲間を呼んでいるのだ。岩の影より次から次へと湧いて出てくる魔獣の猛攻にレイラが膝を付く。


「レイラ!」「レイラちゃん!」

 ルークとギルバートの声が重なった。

 鋭い牙を剥き出しにした獣がレイラに迫っている。ルークならば急げば間に合うだろう。ギルバートは「レイラちゃんのところへ行け!」と彼を押し退け、頭上から振り下ろされるノアの一閃を、剣を抜いて受け止めた。重い一撃が、ギルバートの腕の骨まで響く。鈍く光る刀身の向こうから自分を見ている、丸く黒い瞳。その奥にノアが居ないとしても……ギルバートは思い出さずにはいられなかった。



『ギルは、お兄ちゃんみたいだよね』

 それは、いつかのノアの言葉だ。三人で旅をするようになって暫く経った頃。治癒術の使い過ぎで動けなくなったノアを、ギルバートが背負い歩いていた時、ノアがポツリと漏らしたものである。ギルバートは言われたことの無いそれに妙なくすぐったさを覚えた。


『なんだよ。前に聞いた、お前のカッコよくて優しい、頭の良い兄貴みたいってか?』

『いや、全然違うけど』

『おい』

 背中でくすくす笑うノア。安心しきって全身を預けてくるノアが、ギルバートは不思議でならなかった。嫌なことがあればすぐに酒に酔い潰れ、気に入った女が居れば尻を追いかけ、喧嘩を売られれば脊髄反射で買うギルバート。当の本人でさえ自分は信用ならないと思っている。だがノアは、いつも疑いの無い目を向けてきた。戦場では簡単に背中を預け……自分の力を使い果たしてまで、守ってくれるのだ。最初は世間知らずの愚かな子供だと馬鹿にしていたが、ギルバートはいつからか、ノアの信じる自分で居たいと思うようになっていた。


『ところで俺が兄なら、ルークはなんなんだ?』

『えっ……女神に選ばれし剣聖、正義の勇者様に決まってるじゃん』

『評価たっけー! おい聞いたかよ勇者サマ!』

 どこか複雑そうな顔で振り返ったルークに、ギルバートは笑い、ノアが首を傾げる。


 ――あの日々は、もう二度と戻らない。



 押し合う剣と剣。ギルバートは剣に魔力を込めて全力で払った。ノアの小さな体は吹っ飛び岩壁に打ち付けられる。地面を蹴り、一気に距離を詰めるギルバート。


「ギル、やめろ! やめてくれ!」

 ルークの悲痛な叫びが響いた。


「ノア、今……楽にしてやるからな」

 壁に背を預け、苦しそうに背中を丸め咽ているノア。ギルバートはその機会を見逃さない。体中の魔力を剣に集約し振りかぶる。それはギルバートが扱うことの出来る最大の攻撃魔法だ。渦巻く魔力が剣を黒く染め上げる。全身に圧し掛かるそれに体が軋む。ギルバートは、覚悟を決めた。

 その瞬間――俯いていたノアの顔が、ギルバートを見上げる。まるで攻撃を待っているような静かな目に、ギルバートはハッとした。ノアは動けずにいるのではない。意図的に、動いていないのだ。自らの意思でギルバートの攻撃を受けようとしている。しかしそれに気付いた時には、もう魔法を止めることなど出来なかった。


「うおおおお!」

 ギルバートの魔剣が凄まじい音を立て、岩壁を切り裂き砕く。……粉塵が収まった時、その場にノアは居なかった。数メートル離れた地面には、ノアを押し倒し庇っているルークの姿。彼は全身に魔獣の血を浴び、周囲にはバラバラになったその残骸が散乱していた。我武者羅に魔獣を蹴散らし、ノアの元に駆け付けたのだろう。


 ギルバートは自分がノアを殺していない事に安堵した。どうしてノアを信じてやれなかったのか。ノアはいつだって自分を、仲間達を信じてくれていたというのに。


 ギルバートは再び足が震えるのを感じた。――違う、洞窟が、震えている。

 魔剣が砕いた岩の隙間から緑の光が漏れ出し、洞窟全体が大きく揺れていた。立っていることもままならない大きな地震だ。天井が軋み、崩れる。大きな岩が落盤し、ギルバートの視界からノアとルークを隠してしまった。


「ノア! ルーク!」

「ギル、そこも危ないわ!」

 ギルバートはノア達の元へ行こうとしたが、道は落石に閉ざされてしまう。何度も二人の名を呼ぶが返事はない。「くそっ!」ギルバートは上から振ってくる石を避けながら、レイラ達の元へと戻った。



(無事でいろよ、二人とも!)

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