勇者パーティー追放(後)

 ノアが扉の向こうに消えたのを見届け、ルーク達三人は“ひと仕事終えた”と顔を見合わせる。三日三晩剣を振るい続けても平然としているルークは、疲れ切った様子でぐったり椅子に腰を下ろし……頭を抱えた。レイラは彼に歩み寄りその肩に手を置こうとしたが、心中を察して思い留まる。その手は宙を不自然に彷徨った。ギルバートは「やれやれ」と肩を竦める。


 ――ルークは優秀な男である。幼馴染のギルバートはそれをよく知っていた。帝国騎士団の一員で、団長である父親の元で幼い頃より厳しい鍛錬を受けて育ってきた彼。“正義は強き者の義務である”を信条に、国の為、人々の為に、剣を振るう女神に愛されし勇者。だが、どこか人間味が無い。彼の正義に彼自身の感情は含まれていないのだ。


 皇帝や父親の意思をそのまま反映した彼は、正義の為にはどこまでも合理的で、冷徹である。恐らく一人の肉親と百人の名も知らぬ国民の命を天秤にかけた時、彼は一寸の迷いもなく百人を取る。そんな機械的な男だ。

 女神のお告げにより剣聖となり、聖なる力の宿った剣を授けられ、皇帝に邪神を滅ぼすように命じられたルーク。帝国魔法師団に属するギルバートもまた師団長の命を受け、ルークの旅に同行することとなった。


 ギルバートの魔法の才は確かなものであるが、飽き性の彼は真面目に技巧を磨くことをせず燻っていた。おまけに普段は気が大きいものの、いざという時には臆病さが出る。魔法の研究で成果を残すこともなく、戦場では逃げ出す彼を、師団は持て余していた。

『剣聖と共に旅に出て、覚悟を学んでくるがよい』という師団長の言葉に、ギルバートは体よく自分を追い出したいだけだろう、このクソジジイ! と不貞腐れた。


 命がけの危険な旅などご免だが、埃臭い魔塔で頭でっかちな上司の顔色を窺う日々にも辟易としていたギルバートは、旅の途中で隙を見て逃げ出してやろうと思った。ルークや共に国を出た治癒士、数人の兵士は困るだろうが、知ったことではない。寧ろ困ればいいと思っていた。いつも澄ました顔で偉そうにしているルークが、ギルバートは気に入らなかったのだ。


 だがその機会は中々訪れず、共に死地を潜り抜ければ抜けるほど、ギルバートは裏切る勇気を持てなくなっていった。仲間の兵士達が命を落とし、治癒士が命を落とし……遂に二人旅となってしまう。

 ルークは遊びを知らない真面目一辺倒な、教本のような男。面白味が無く融通が利かない頑固者で、真逆のギルバートとは度々衝突した。ギルバートはその度に荷物をまとめるところまでいくものの、一人で生き一人で死ぬ覚悟をしているその男を、本当に一人にすることが出来なかった。今晩こそ逃げてやろう、次の町で逃げてやろう……そう思い続けながら旅をしていたある日、二人が出会ったのがノアだ。ギルバートは自分より弱い庇護対象が出来たことで、ますます逃げ出し辛くなってしまった。


 不思議な雰囲気の青年、ノア。純粋で素直な彼の存在は、徐々にルークを変えていった。子供みたいな顔の男に、どんな美女の誘惑にも動じないルークがポンコツになるのは愉快だった。それを隠せている気になっている本人と、彼を真面目な男という色眼鏡で見て全く気付いていないノアが、ギルバートは楽しくて仕方が無かった。

 

 ――ルークにとってノアは特別な存在である。だから彼は最終決戦を前に、ノアを団から追い出したのだ。ノアを守るために。


 事前に相談されていたギルバートとレイラも、彼に同意した。ノアは自分の治癒力を過信していつも怪我ばかりしている。これから先激しい戦いになった時、その過信がノアを殺してしまう予感があったのだ。それに、ノアが傷付くことでルークに気を散らされては敵わない。……何よりルークがこうと決めたなら、自分達がそれを覆すことは出来ないとギルバート達は知っていた。


 ギルバートはルークの意を汲み、憎まれ役を買って出た。気に食わないところはあるが大切な仲間であるルークと……弟のように思っていたノアの為に。



「レイラ、これをノアに持って行ってくれないか」

 ルークがおもむろに、麻袋をレイラに突き出す。


「何よ? ……お金?」

「帰るにも金が必要だろう」

「あら、随分とお優しいこと」

 レイラは面白く無さそうにそれを手に取る。指が触れ合う時、絡め取ってやろうかと思ったが、やはりそんな気にはなれなかった。


(あの子に、どこに帰る場所があるって言うんだか)

 レイラは目を伏せる。親兄弟を殺され天涯孤独となったノア。ノアの帰る場所はもうどこにも無い。心の置き場はここにしかなかったのだ。……初めから誰にも愛されず、誰も信用出来ず、一人きりだった自分とノアは違う。


 暴力を振るう親の元から逃げ、スラム街で泥水を啜り生きて来たレイラ。レイラは己だけを信じ、生きる為にはどんな手段も厭わなかった。最初に盗んだのは小さなパンひとつ。それがいつからか財布や宝石類に変わり、美貌を活かして男の懐に忍び込むことを覚えた後は、情報を得て売り物にした。

 西を目指す挑戦者達に洞窟や邪神の情報を売り、高値の付きそうな武具を盗む日々を送っていた彼女。ルークの聖剣を狙ったレイラは、自分に全く靡かない彼に躍起になって付き纏うようになった。


 レイラが正式に彼らの仲間となったのは、ノアがきっかけである。ノアが魔獣の毒で伏した際、ルークは初めて慌てた様子でレイラに助けを求めて来たのだ。恐らく彼は看病の最中でノアの性別に気付いたのだろう。以降、恐らくはルークの何らかの気遣いで、レイラは団に迎えられた。ルークに自身の性別が知られているとは思ってもいないノアと、察しの悪いギルバートには、レイラの持つ情報量と交渉力、荒んだ日々の中で習得した武術が認められたということになっている。


 レイラは最初、ノアが嫌いだった。レイラが振りかざす女の武器の意味も分かっていないように、純粋な目で見つめてくるノア。嫌味を言っても普通に話しかけてくるノア。穢れを知らないノアを、レイラは憎くさえ思った。彼女を認めることはこれまでの自分を否定することになる気がしたのだ。

 しかし……素直さには勝てない。レイラはいつからか自分を慕ってくれるノアを……心の底では妹みたいに思っていた。だからルークの考えに賛同したのだ。ノアを守る。ノアの替わりに、ルークを守る。それが仲間の温もりを教えてくれた彼らに、自分が唯一出来る恩返しだと思った。


「本当にアタシが渡しに行っていいのね?」

「ああ、頼む……」

 暗い影を纏うルークの背中を、ギルバートが乱暴に叩く。


「おう、忘れろよ! あんな童顔男のどこが良いんだ。やっぱり女だぜ! 女!」

 胸の前でボインと手ぶりをする彼に、ルークの冷たい視線が突き刺さった。レイラは「サイテー」と蔑む。


「ノア……」

「お、おい! ルーク!」

 酒の飲めないルークが、自分のグラスと間違えてギルバートのジョッキを呷る。そしてすぐさま赤い顔でテーブルに突っ伏した。その様子にレイラは「百年の恋も醒めるわよ」と悲し気に微笑んだ。




 *




 夜が更け日付も変わる頃。レイラは酔いを醒ましながら夜の町を歩いていた。夜闇を吸い込んだ静寂は重い。家々の窓は眠りについており、酒場の騒々しさが嘘みたいに思えた。ガス灯に虫がぶつかる音が響く。


 ――あの後、ギルバートは酔って眠ってしまったルークを連れ、彼らの宿に戻っていった。部屋の空きが無く、レイラとノアは彼らとは別々の宿である。この組み合わせにしたのはルークとレイラのノアに対する気遣いだが、ノアは女癖の悪いギルバートからレイラを守るためだと思い込んで疑っていない。


 仲間から酷い仕打ちを受けて酒場を出て行ってしまったノアだが……強かな彼女ならしっかり宿には戻っているだろう、とレイラは思った。ノアと顔を合わせるのが杞憂でしかない。ノアを傷付けてしまったことも勿論だが、彼女との最後の別れになるかもしれないと思うと、心が鉛のようだった。


 いくら遠回りをしても宿は逃げてくれない。レイラはノアの部屋の前に立ち、躊躇う気持ちを殺して、わざと雑にノックした。


「ノア、ノア。もう寝ているの?」

 返事はない。だが、起きているだろう。ノアは夜遅くまで薬の調合書を読むのが日課だ。こんな状況であれ彼女がそれを欠かすとは思えない。攻撃に回れない非力な彼女は、治癒士として仲間を援護する役割を熱心に務めた。努力家の彼女の調合薬や治癒術に救われたことは一度や二度ではない。足手纏いだなんて本当は誰も思っていないのだ。


「ははーん、さてはヘソを曲げてるのね? 良いわよ別に? アンタのシケた顔なんて見たくもないし。もうこれでお別れって訳ね? 分かったわよ! ふうん」

 ……やはり、返事はない。それどころか物音ひとつ、気配さえない。レイラは嫌な予感がした。


「ちょっと……ノア? ノア!」

 声を荒げるレイラに、迷惑そうな声が掛けられる。宿の女主人だ。


「そこの子なら、ちょっと前に突然出てったよ。今夜の宿代は返さないって言ったんだけどねえ」

「出ていった? どこに? あの子、大したお金も持ってないのに……」

「何やら思い詰めた顔で、農具でも何でもいいから武器になるものを売ってくれって言ってねえ。しょうがないから死んだ旦那の形見をくれてやったよ」

「は……?」

 レイラの顔が青褪める。


 こんな深夜に思い詰めた顔で、武器を求めたノア。行先なんて一つに決まっている。こうならないよう彼女から装備を剥ぎ取っておいたというのに! とレイラは唇を噛んだ。まさかノアが、ここまで考えなしの無鉄砲だとは思わなかった。


「うちの人も洞窟に入ってそれっきり。挑戦者なんて夢を見るからさ、馬鹿な男だよ。アンタ達を精々気を付けることだね」

 女主人はレイラが手にした巾着袋をいやらしく見つめ「あんたも何か買うかい? 格安にしとくよ」と言うが、その声はレイラには届かない。レイラはノアの居た部屋の扉を見つめたまま震え……弾かれたように宿を飛び出した。


(ノア、ああ、なんて馬鹿な子なの!)

 夜の町を掛けるレイラ。しかし涼やかな夜気に幾らか冷静になると――走っていた足を止めた。……自分はどこに向かっている? ルーク達の宿か。何故? ノアのことを報せる為に? 


(駄目よ……黙っておくべきだわ)

 この事をルークに伝えれば、彼は夜中にも関わらず、酒にやられたままの状態でも洞窟に向かってしまうだろう。助けられる保証のない一人のために、大きな使命を背負う彼を危険な目に曝すことは出来ない。ここで自分が黙っていさえすれば、ルークは心置きなく戦える筈だ。多くの人々を救うことができるだろう。ノアもきっとそれを望む筈だ。――ノアは自分より仲間の事を大切にしていたのだから。



 レイラの脳裏に、他愛もない一時が蘇る。あれは旅の途中……夜の森。ルークとギルが狩りに出ている間、ノアと二人で火の番をしていた時のことだ。木から肩に落ちてきた大きな蜘蛛に悲鳴を上げたレイラ。ノアは全く動じずそれを払った。蜘蛛だけでなく、蝙蝠であっても、盗賊であっても、魔獣であっても。ノアが恐怖を浮かべたところをレイラは見たことが無かった。ノアは恐怖にも痛みにも鈍いのだ。(おまけに自分に向けられる感情にも)


『ノア。アンタ弱いくせに、全然怖がらないわよね。可愛げ無いわよ』

『レイラは強いのに、結構怖がりだよね。可愛いと思うよ』

『そう言うところ、ほんっとーに嫌いだわ。嫌い』

『僕は嫌いじゃない』


『……ねえ。ノアの怖いものって、何?』

『え? なんで?』

『弱味を握ってやろうかと思って』

『僕の弱味なんて握っても、何の得にもならないと思うけどね。……う~ん、なんだろうなあ。皆が傷つくのは嫌だけど』

『いっつもそれよね。で、結局一番傷付いてるのはアンタ自身で』

『僕はいいんだよ。丈夫だし。何かあっても……ルークさんやギルなら洞窟に辿り着いて、邪神を滅ぼしてくれるって信じてるから』


 その言葉を聞いた時、レイラは無性に悲しくなった。ノアの言葉は死を覚悟し生を諦めているように聞こえたからだ。ノアの旅の目的は復讐だと聞いていたが、それは未来を明るく生きる為のものではないのだろうか? 

 レイラは何か言ってやろうと思ったが上手い言葉が見つからず『私の名前が無いわね』と意地悪く笑うのが精一杯だった。


 家族の復讐のため、仲間を守るため、自身を顧みないノア。そんな彼女をレイラは愚かだと思った。人は生まれてから死ぬまで一人。誰しもが孤独で、誰しもが自分本位である。だから他人に消耗される人生は負けだ。……そう思うのに、レイラはノアに心揺さぶられた。誰かのために生きることのできるノアが時々とても眩しかった。


 ルークもまた、ノアに似ているところがある。自身よりも大衆に重きを置く、帝国の正義の剣。……だから彼は、彼女に惹かれたのだろうか? 自分は彼に惹かれたのだろうか? 



「アタシは、もっと賢く生きてやるんだから」

 レイラは手にしていた巾着を懐にしまい、考え得る最大の悪女の顔をした。

 仲間の為に命を懸けている現状が、彼女の嫌う愚かな道であるという自覚もなく。

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