パーティー最弱の男装ヒーラーは勇者の愛により追放される。

夢咲咲子

勇者パーティー追放(前)

 遡ること二十年前。オルセン帝国の西の空に、星が降った。幾筋もの輝きが空を埋め尽くす光景は夢のように美しく、実際に悪夢の始まりであった。“星降る夜”は地下深くに眠る古の支配者“邪神”を目覚めさせてしまったのである。


 邪神とは、かつてこの地上を強大な力で支配していた存在だ。人々を蹂躙し、恐怖による信仰で神になり上がった古代生物。天の神々の怒りに触れた邪神は、正義の女神レセネにより地下深くに封じられた。人々は邪神から解放され――人間同士の争いの時代が幕を開ける。


 邪神について記された書物の多くは、長く続いた戦乱の世に燃やされてしまった。戦火を逃れた僅かばかりは帝国の神殿に死蔵されており、邪神の復活と共に解読が進められている。しかし未だ、古代の文字を完全に読み解くには至っていない。


 目覚めた邪神は、溢れ出る魔力で再び地上に恐怖を齎した。獣や人に寄生し、精神を狂わせ、生命力を奪う。邪神の魔力に侵された獣は魔獣、人間は魔人となり、生前には持ち得なかった恐ろしい力を得て、町や村を壊滅させていった。


 人々は調査の末、邪神の発生源が西の果てにあるマラカ洞窟だと突き止める。皇帝は幾度も兵を送るが、半分も戻って来ることは無かった。帝国は兵を無駄に失う訳には行かず、だからといって問題を放置することもできず……全国民にお触れが出された。


『洞窟の秘密を解き明かし、邪神を滅ぼした英雄には、望む名誉と報酬を与える』


 かくして、腕に自信のある者。帝国から遣わされた少数の精鋭。一攫千金を狙う者。邪神に大切な者を奪われた復讐者は、続々と西を目指し始めることとなる。



 ――ノアもその一人であった。三年前、十五歳の彼女は村を邪神に襲われ、家族も友人も全てを失った。運よく生き永らえた彼女は復讐の旅に出る。亡き兄の名“ノア”を名乗り、男として生きることを決めた。


 ノアが持っているものといえば、村で教わった治癒術と薬の調合知識、素人に毛が生えた程度の剣術。そして、人より幾らかは怪我の治りが早い丈夫な体だけ。旅の道中で魔獣の群れに囲まれ絶体絶命のノアを助けたのは、一人の剣士だった。輝く金色の髪、透き通る青の瞳。彼は圧倒的な力で魔獣を一掃した。


 剣士の名はルーク。女神レセネに選ばれしオルセン帝国の剣聖で、国宝である聖剣を振るうことを許された“勇者”だ。皇帝の命により西を目指す、帝国の少数精鋭の一人である。正義感に溢れ、知勇を兼ね備えた彼。ノアは彼に付いて行けば自分の目的を果たせると思い、懇願の末、仲間として共に旅するようになる。

 

 強く賢く美しい勇者。ノアにとって、ルークは正義そのものになった。女神よりも確かな存在。復讐を忘れた日はないが、何より恩人である彼のために命を捧げたいと思うようになった。


(……だからそれを拒絶されると、どうしていいか分からない)



「ノア。お前には今日をもって、団を抜けてもらう」

「え?」


 マラカ洞窟の手前、旅の最後の町。小さな町の酒場には、名誉と報酬につられた挑戦者達が情報交換の為に集っていた。が、今は話もそっちのけで皆一様に一カ所へ好奇の目を向けている。視線の先には若い男が二人、険悪な雰囲気で対峙していた。


 一人は挑戦者なら知らぬ者は居ない、帝国中に名を馳せる勇者ルーク。精悍な体付きと中性的な顔が女好きしそうな美男だ。太陽より月の似合う淡い金髪、静かに揺蕩う青い瞳。数多の死地を潜り抜けて来た貫禄を身に纏い、目が合う者を黙らせる迫力がある。女は勿論、別の意味で固まるのだが。


 もう一人は……誰だったか、と人々は首を傾げた。街ですれ違っても記憶に残らないだろう地味で小柄な青年だ。丸い輪郭に子供みたいな目をしてるが、静かな表情は妙に大人びている。年齢の掴みにくい男だった。誰かが「勇者一行に付いて回ってる金魚のフンだぜ」と小声で言う。ルークはその誰かを煩わしそうに一瞥した。彼の前に立つ青年――ノアは、他には一切目もくれず彼に詰め寄る。


「ルークさん……何の冗談ですか? もう一度言って下さい。僕の聞き間違いですよね?」

「お前は耳まで鈍くなったのか? ここから先、お前を連れて行くことは出来ないと言っているんだ」

「どうしてですか」

「お前は弱い。足手纏いだからだ」

「……僕が力不足なのは認めます。でも精一杯やってきましたし、役にも立っていたでしょう?」

 ルークは何も言わない。神経質そうな眉間に皺を寄せ、腕を組み黙る。もう話すことは無いと言わんばかりの態度にノアは苦しくなった。


「この先の戦いに、必ず治癒士は必要です。約束します、絶対に足手纏いにはなりません。この間みたいに僕が怪我をすることがあれば、置いて行ってもいいですから……」


 少し前の戦いで、ノアは大怪我を負っていた。魔獣の牙に腹を深く抉られ死を垣間見たのだ。だがルークがノアを拒むのは、ノアが動けない重傷者だからではない。ルークはノアの治癒力が人並み外れて高いことを知っている。もう動き回っても支障がないことを、彼は分かっているのだ。


(どうしてここまで来て……今更そんなことを言うの?)

 ノアには彼が分からなかった。その整った顔立ちは隙が無く、どこまでも冷酷に見える。いくら待っても言葉を返さないルークとひたすら見つめるノアの二人を見かね、銀髪の大男が間に入った。旅の仲間の一人、魔法士ギルバートだ。

  

「おいノア、聞き分けろよ。ガキみたいなのは顔だけにしとけ」

「ギル……僕はルークさんと話してるんだ。そこをどけて」

「……ハア。どいて欲しけりゃ、どけてみたらどうだ?」

 ギルバートがノアの胸倉を掴み上げる。ノアの頭を包み込めそうな大きく無骨な手に、軽々と浮かせられた足。まるで大人と子供の体格差だがノアは怯まない。ここまで共に旅をして命を預け合った仲間なのだ。自分を真っ直ぐ見上げるノアに、ギルバートは奥歯を噛みしめる。


「相変わらずふてぶてしい野郎だな。弱いくせに偉そうなところがずっと目障りだったんだ。お前は存在するだけで俺達の士気を下げるんだよ」

「なにそれ。本気で言ってる?」

「ああ。これまではお情けで養ってやってたが、もう懲り懲りだ。俺達は明日、遂に洞窟に入り、邪神を滅ぼし英雄になる! お前みたいな奴が一緒に居たら、英雄の名に傷が付くだろ」

 ギルバートの勝利宣言に、酒場の挑戦者達も熱く湧き立った。ノアは男達の咆哮に顔を顰める。


「僕は名誉なんて要らないよ。ただ……」

「なんだ? 復讐か? お前の他力本願な復讐ごっこに付き合う気はねえんだよ。分からないのか? お前はもう用済み、不要なんだ。簡単な治癒術なら俺だって使えるし――王都からの援助で、明日には優秀な兵士と治癒士がやってくる。新しい治癒士サマは玉のような美人だって噂だぜ」

 ギルバートの顔に下品な笑みが浮かぶ。彼は無類の女好きなのだ。

「呆れた」と目を細めるノアを、ギルバートは乱暴に床に放った。華奢な体が床に打ち付けられた瞬間――ギルバートは背後から殺気を感じるものの、振り返らない。いつものことだからだ。ノアが傷付くと彼は乱れる。


 ノアは悔しさに唇を噛み、ギルバートと、その後ろのルークを睨んだ。


「ルークさん。あなたは僕を連れて行ってくれるって言ったのに。嘘だったんですか?」

「……お前は弱い。この先必ず足手纏いになる」

 力無いルークの声は、既にノアに興味が無いように聞こえる。が、ギルバートはそうではない事を知っていた。(お前、さっきと同じこと言ってるぞ)と心の中でツッコミを入れる。


 ノアは対話をする気の無いルークに、わざとらしく溜息を吐き、早足で酒場の出口へ向かった。ノアが扉に手を掛けようとした時、横に立っていた女が声をかける。波打つ赤い髪、体の起伏を強調する魅惑的なドレス。しなるような美人は、仲間の一人のレイラである。ノア達は四人で旅をしていたのだ。

 レイラはノアの顎を掴み、僅かに潤んだその瞳を見て嘲笑った。


「可愛そうな子猫ちゃん。ルークのことはアタシに任せて、大人しくミルクでも舐めてなさい」

 耳元でそっと囁かれ、ノアはゾクリとする。視界の端では、赤く縁どられた唇の合間からぬらりと舌が見え隠れしていた。長い爪がノアの肌に食い込む。

 レイラは見目良く力のあるルークに懸想していた。そしてノアが女であると気付いており、勝手に敵視している。レイラの顔は、目障りだったノアが居なくなり清々するといったものだった。


「レイラ……」

「あ、アンタの装備は置いて行きなさいよ。アンタにくれてやるものなんて一つもないんだからね」


 ノアは彼女の手を振り払い、乱暴に剣と防具を捨てると、今度こそ酒場を出ていった。

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