第32話

 神樹の森は快適である。家など必要ないほどに快適だ。


「……ティティア。いい加減、家を建てたらどうだ?」


 神樹の森はそれはそれは快適な場所だった。天候、気温、湿度などはすべてシルフィールが神樹を通して適切に管理され、野宿をしても風邪をひかないし、熱さや寒さに煩わされることもない。


 だが、やはり家は欲しい。と言うか村を作るなら家がなくてはならない。とセイルは考えている。


 考えているのだが、ティティアはまったくそんなことなど気にしている様子はなかった。


「いいじゃねえか。野宿は慣れてる」

「人間らしい暮らしをしてくれって言ってるんだ」


 家。それは人間の生活では必要不可欠なものだ。どんな暮らしをしていても屋根のある場所と言うのは重要である。


 しかし、今のティティアはまったく違う。神樹の森ではいつも野宿で、食べる物はそこら辺の木の実で済ませているという、まさに獣のような非文明的な暮らしをしていた。


「キミにも神樹を一本与えてるんだ」

「わーってるよ。そのうちちゃんと家を建てるから」

「前にも同じことを聞いたが?」

「そのうちやるよ、そのうち」


 ため息しか出ない。ティティアが細かいことを気にしない性格なのは知っているが、しかし家ぐらいはちゃんとしてほしい。


 神樹の森で家を建てるのは非常に簡単だ。神樹を家にしてしまえばいいのだ。


 神樹とは本当に不思議な木だ。力を与え念じれば特定の生き物以外は大体の物が手に入る。そして、同じように力を与えて念じるとその形を変化させることができる。


 もちろん家のような形にもなる。そのため村にいる者たちには一人一本神樹を渡してある。それを使えば住む家は簡単に確保できるし、神樹は根っこを使って自分で移動できるので、引っ越しも簡単だ。


 ただし、神樹を使うには力がいる。その力とは気力や精神力や体力や魔力だ。そのどれか、もしくはすべてを使うことで神樹を操ることができるのだ。


 もちろんティティアも扱うことができる、はずである。なのにティティアは家を建てることなく野宿暮らしだ。


 それに対して幸多郎だ。彼も宿無しだが、こちらは自分で望んでいるわけではない。幸多郎に神樹を操るだけの力がないのだ。


 なので仕方なく幸多郎はミラリエスの家に住んでいる。そして、ミラリエスはミラリエスで問題があった。彼女の場合は力が強すぎるのだ。


 最初、ミラリエスにも他の者たちと同じように神樹を与え、それを家に変化させて住むようにと伝えた。そして、出来上がった物を見てセイルたちは慌てた。


 ミラリエスが神樹を変化させて作ったのは家ではなく城だった。その城は大変立派で、さすがにこんなにでかい物は他の住人の邪魔になるからと、ミラリエスに頼み込んで小さくしてもらったぐらいだ。


 それでもミラリエスの家は少し立派な貴族の屋敷ぐらいの大きさがある。ちなみにセイルは夫婦二人が住めるぐらいの一階建て、リフィとエリッセルもそれぐらいの大きさだ。そしてアルウェンドラはと言うと彼女が住んでいた森の屋敷と似たような不思議な作りの平屋建てを建てていた。


 衣食住、トート村ではすべて神樹で賄うことができる。しかし、それは一見とても良いことに思えるが、問題だらけだ。


 まず幸多郎のように神樹を操れない者がいることだ。力弱い者、もしくは何らかの理由で神樹を操れない者、そう言う者たちがトート村に移住してきた場合のことを考えなくてはならない。


 神樹の森で神樹を使わない生活をする。もしくは使用を最小限に抑え、できるだけ普通の村の暮らしをすると言うことだ。田畑を耕して食料を確保し、生活に必要なものは自分で賄う。もしくは外との交易で手に入れる。


 そうなると必要なのはお金だ。物々交換でもいいが、やはり現金はあって損はない。幸い、売る物はたくさんある。神樹から採れる謎の木の実や果物を売ればそれなりの収入は得られるだろう。


 しかし、果物だけでは限界があるかもしれない。そうなると他の収入減を探さなくてはならなくなるが、それはおいおい、そのうちどうにかしよう。と、セイルはアルウェンドラたちと相談してそんなことを計画していた。


 神樹の森はあらゆる物が簡単に手に入るまさに楽園だ。その森で普通の暮らしをするというのは普通なら理解できないだろう。


 正直、セイルも自分が理解できていなかった。どうしてこんなに便利で快適な場所で普通の生活をしようとしているのか、なぜそこにこだわっているのか自分でも少々困惑していた。


 けれど、最近少し自分の気持ちを理解できてきた。


「ティティア、少し太ったんじゃないか?」

「ああ? んなわけ……。あるか」


 二つ目の問題が今のティティアだ。家も建てずそこらに実っている美味しい果物を食べて寝転んでいるティティア。その姿ははっきり言って堕落している。地面に寝転びながらごろごろしている姿はドラゴン殺しなどと呼ばれている人間とは思えない。


「ちゃんとした生活をしてくれ。頼むから」


 人は堕落する。しかも結構簡単にだ。おそらく神樹の森ではそれが簡単に起こるだろう。


 反対に神樹に見放された者は悲惨だ。神樹を使えない者たちは食べ物や衣服を得るために他の者たちに頼るしかなくなる。相手が善人で非常に親切な人間ならいいが、もし相手がそうでなかったらその対価に何を要求してくるかわからない。そんな立場の人間をセイルは作りたくはない。


 今の幸太郎がそれだろう。幸いにも彼はミラリエスの庇護のもとにあるが、この状況はどうにかしてやらないと幸太郎が可哀そうではある。屋敷の中で何をされているのかは知らないが、いつも幸太郎は死にそうな顔をしているのだ。


 生命を維持するだけなら問題ないだろう。神樹の森には謎のよくわからないが美味しい果物や木の実が存在している。それを食べれば死ぬことはないが、神樹を操れなければ家も衣服も手に入らない。


 普通の生活。人間らしい生活。神樹に、神に頼り過ぎない人としての暮らし。それが今のセイルの目指す理想である。


「ちゃんとしろって言われてもなぁ。どうすりゃいいのかわからねえんだよ」


 ティティアは自分のことを少しだけ語る。村をドラゴンに襲われ、家族を失ってからは冒険者として各地を転々としていたことを簡単に伝える。


「定住なんて考えたこともねえんだ。故郷に戻ろうにも、こんなあたしに居場所はねえだろうし」

「そういえば、孤児院はどうしたんだ? あそこが家と言えば家じゃないか」

「一か所じゃないからなぁ。顔を見せには行くが」


 ごろ寝していたティティアは体を起こして困った顔で頭をかく。


「運営は知り合いに任せてるし、金はギルドにあるあたしの口座から定期的に引き落とされてる。あたしが手を出すところがなくてな」

「別に嫌われてるわけじゃないんだろう?」

「……泣き顔を見るのが辛いんだよ」


 どうやらティティアは子供の涙を見るのが何よりも辛いらしい。


「あたしが顔を出すだろ? しばらくそこで生活して、また旅に出るんだ。そん時になぁ、泣くんだよ。子供たちが、いっちゃイヤだって泣くんだ。でもな、孤児院はひとつじゃねえし、一か所にとどまることもできないし、仕事をしなくちゃならねえ。だからなるべく顔は出さないようにしてるんだが、そうなるとあたしが寂しい」


 ティティアが子供好きなことをセイルは知っている。彼女が孤児院を建てて孤児たちの生活の支援をしていることも知っている。S級冒険者であるティティアなら運営資金を確保するのは容易なことだろう。


「あたしも孤児だったからな。その辛さは知ってる。本当ならそんな子供たちを全員どうにかできたらと思うこともあるが、んなことできないこともわかってる。だから、あたしができることをして、あたしが守れるだけの子供たちが笑顔でいてくれたらって……。何言ってんだろうな、あたしは」


 ティティアは両手で頭をガシガシとかきむしり、それから大きなため息をついた。


「あたしはさ、殺すことしかしてこなかった。教えられるとしたら剣の振り方ぐらいだ。だからよ、あんまり一緒にいるのは良くねえと思うんだ。やっぱよ、普通に、まっとうに生きてほしいだろ?」


 セイルは驚いていた。こんな弱弱しいティティアを見るのは初めてだったからだ。


「立派に育ってほしい、とかじゃないんだ。ただ平和に、人並みに、無事にさ、幸せになってほしい。そう思うんだよ」


 ティティアは心優しい女性だ。多少体が大きくて力が強く性格も少しばかり乱暴だが、愛情深い人間だ。


「……様子、見に行ったらどうだ?」

「あ? ここからか?」

「アルウェンドラに頼んで転移陣を使わせてもらえばすぐだ。ここでゴロゴロしてるよりもずっといい」


 ティティアは考えこむ。セイルについていくと言った手前、自分の都合で抜けることに抵抗があるのだろう。


 けれど、やはりティティアだ。子供好きだ。


「……悪い。しばらく出てくわ」

「ああ、ゆっくりして来い」


 こうしてティティアは神樹の森をあとにした。アルウェンドラの転移魔法陣を使って自分が支援している孤児院の様子を見に行ってしまった。


「これでいいさ。うん」


 森でゴロゴロしているよりもずっとマシだ。このまま戻ってこなくてもいい。それがティティアの選択ならセイルは何も言わないつもりだった。


 そう、何があっても何も言わないつもりだった。


 しかし、そう心に決めたとしても何かを言いたくなることはある。


「ここに孤児院を作る」


 数か月後、ティティアが大勢の身寄りのない子供を連れて森へ戻って来た。


「村民が増えるんだ。嬉しいだろ?」


 それは確かに嬉しいことかもしれない。だが、少しは相談してほしかった。


「追い出そうってか? なら覚悟はできてんだろうな?」


 こうして住民がたくさん増えたのだ。連れてきてしまった以上、今更出て行けとは言えず、言う気にもなれず、セイルは子供たちを村へと迎え入れたのだった。

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