第27話
やり過ぎた。
「ふむ、言うなれば『神樹』じゃな」
うまく行った。と言うかうまく行き過ぎた。
魔樹に蓄積された大地の穢れはすべて浄化された。赤く毒々しい色をしていた葉は青々とした緑色に変化し、毒が完全に清められたことを示していた。
「森に神の力が宿っておる。まったく、神祖とやらは阿呆ほど力を送り込んでおるようじゃな」
アルウェンドラは呆れ果てていた。上空に飛び立ち森の様子を調べていた彼女は眼下に広がる景色を見渡して、神祖という存在のバカさ加減に呆れてしまっていた。
「毒を浄化するだけのはずが。まあ、やってしまった物は仕方がない」
毒に侵された大地。それを浄化する力を持つ魔樹ディオディオン。それは偶然この地に種が根付いたのか、それとも誰かがこの地に種を持ち込んだのかはわからない。
今はどちらでも構わない。ただ少しだけアルウェンドラは後悔していた。やはり自然に任せて毒が浄化されるのを待っていたほうがよかったのか、とそう思っていた。
しかし、同時に心が躍ってもいた。大地を覆っていた魔性の大樹が含む毒をすべてきれいさっぱり消し去り、加えて森や大地や近くの山まで神の領域に変えてしまったそのデタラメさにアルウェンドラはわくわくしていた。
「うむ、あやつの生まれ故郷の名をとって『神域トート』とでも呼ぶとしよう」
神域。それは神の力を宿した大地を示す言葉だ。そこではあらゆる奇跡が、あらゆる願いが叶うとされている。
だが、実際はそうではない。単純に強い神の力が宿った場所と言うだけだ。そしてそれは時折現れては儚く消えていく常ならぬ物である。
アルウェンドラの中ではそう言う物だった。神域とはある日突然現れ前触れもなく消える物であり、そうそうお目にかかれない珍しい物のはずだ。
そのはず、である。
「おかしなことにならなければ……。いや、もうなっておるか」
一通り周囲の様子を確認し終えたアルウェンドラは地上へと降りていく。
「どうだった? うまく行ったか?」
地上ではセイルたちが待っていた。ただしセイル以外は何か呆けたようにぼんやりとしていた。どうやらセイル以外は強力な神の力に当てられて少しばかり寝ぼけたような状態になっているようである。
「うむ。うまく行き過ぎて大変なことになっておる」
「……なんとなくそんな気はしていた」
セイルは自分の周りを見渡す。すべてが淡く光り輝いていた。周囲の木々も、頭上を覆う木の葉も、地面すらも淡く光っていた。
「人が住めるどころか神も住めるようになってしまった」
「……大丈夫なのか?」
「うむ。問題はないじゃろう。まあ、おそらく、たぶん」
曖昧である。不安しかない。
しかし、よかった。
「人が、住めるんだな」
人が住める。嬉しい。とても嬉しい。
かつての姿はもう戻ってはこない。昔のように元には戻らない。けれど、自分の生まれた故郷が人が住める場所に戻ることができた。
「まあ、森をどうにかしなければならんがな」
その通りである。セイルの故郷だった場所は森の中に沈んでしまった。
「なら、どうにかしないとな」
セイルは改めて周囲を見渡す。見渡す限りの森だが、人が住めるならどうにかなる。
「しかし、その前にこれをどうにかしなければのう」
これ、と言ってアルウェンドラはそれを指さした。
「おええええええええ!」
吐いていた。大人の頭部ほどの大きさの光の玉が何か得体の知れない物をゲロゲロと吐き散らかしていた。
「だ、だじげでぐだざい。おねがい、じまず。おええええええええっ!」
それは精霊だった。セイルたちがいる場所に宿る名も無き大地の精霊だ。その精霊が苦しそうに激しく嘔吐していたのだ。
「ちがらが、ちがらが、ぐるじ。おえええええええっ!」
精霊が苦しそうに吐き散らかしている。可哀そうだが仕方がない。森を浄化するために一度その精霊を通して森に力を送り込んだのだ。その影響で精霊と縁が結ばれてしまい、大量の神祖の力がその精霊に流れ込んでいるのだ。
「……アルウェンドラ」
「かわいそうじゃが、わしにはどうにもできん。我慢してもらうしか」
「ぞ、ぞんな。だず、だずげ。おげえええええええっ!」
可哀そうである。しかしセイルたちにはどうにもできない。なにせ相手は精霊で、自分たちより上位の存在なのだ。人間如きがどうにかできるわけがないのだ。
可哀そうだが我慢してもらうしかない。すでに縁は結ばれて切るに切れない状態なのだ。
「ならば、わたくしがどうにかしましょう」
と言ってシルフィールが現れた。
「シルフィール、さま?」
「はい。わたくしですよ」
姿を現したシルフィールはニッコリと笑った。そう、笑ったのである。
「初めてお目にかかりますな、そのお姿は」
「はい。人の世でこの姿になるのは久しぶりでしょうね」
姿を現したシルフィールは人の姿をしていた。そこでセイルは初めて風の神が女神であることを知った。
そうシルフィールは女性の姿をしていたのだ。妙齢の豊かな長い緑がかった金髪の美しい女性だったのだ。
シルフィールはセイルを見つめる。その瞳の色はセイルと同じ色をしていた。
「神祖様の力は精霊では耐えられないでしょう。ですが、わたくしと同じ神なら問題ありません。たまに吐き気をもよおす程度で済むはずです」
「それでも吐きそうになるんですね」
「はい。ですが全く問題ありません。神祖様の力をこの身に受けているという証拠。この苦しみこそが神祖様と繋がっている証なのですから」
シルフィールは満面の笑みを浮かべる。若干、ねっちょりとした変態的な笑みを浮かべている。
「では、さっそく。セイル、アルウェンドラ。力を貸してください」
苦しそうに吐き続けている精霊をシルフィールはガッシリ両手で掴む。
「アルウェンドラは魔力を、セイルは神祖様の力を。わたくしがそれを使用しこの子を神に作り変えます」
「神作りですか。そんなことを勝手にやってよろしいので?」
「問題ありません。神が一柱増えようがどうと言うことありませんよ」
問題、あり過ぎな気がする。気がするのだがそうでもしないとこの可哀そうな精霊は助けられそうにない。
ここはシルフィールの言葉に従おう、とセイルは神祖の力を精霊に送る。
「おげええええええええええええっ!?」
「我慢しなさい。アルウェンドラ」
「はいはい」
「ぼげええええええええええええええ!?!?」
大地の精霊がさらに苦しみだす。これで大丈夫かと心配になるほどだ。
そんな苦しむ精霊をシルフィールが両手で握りつぶす。そして粘土のようにこねくり回し、あっという間に精霊を神に作り変えてしまった。
「さて、この子は何の神にしましょうか?」
その神の姿はまだぼんやりとしていた。まだ『神』である以外のことは何も決まっていないため、その姿は人の形をしている以外まだ曖昧だった。
「そうですな。神樹の森の守り神、というのはいかがでしょうかな?」
「それは良いですね。そうしましょう」
まだ未確定の神がカッと一瞬激しく光る。そして、姿がはっきりと現れる。
その姿はいわゆる獣人というものだった。獣の国にいるという半人半獣である。その新たな神はおそらくは狼の獣人と思われる。大きな白い耳とふさふさの太い尻尾、その目は空のように青く、その全身を覆う毛は絹のように滑らかで雪のように白かった。
手も人の手ではなかった。その手は明らかに犬や猫のような手で、手のひらにはフニフニと柔らかそうな肉球があった。
その顔も人でない。鼻は犬のようで、瞳も獣独特の瞳孔をしていた。しかし、二本の足で立つその姿は人そのもので、まさに人と獣の真ん中の姿をしていた。
「気分は、どうかな?」
「まだ気持ち悪いでごぜえます」
神となった元精霊は気持ち悪そうに口を押える。まだ体調が悪そうだった。
「ふむ。まだ存在が不安定なようじゃ」
「では名前を付けましょう。セイル、どんな名前が良いと思いますか?」
「お、俺が付けるんですか?」
「ええ、当たり前です。この森の主なのですから」
なにか今おかしなことを聞いたような気がする。
「森の主? 俺が?」
「そうです。神祖様の力はあなたを通ってこの森に供給されています。つまりセイル、あなたがいなければこの森はただの森になってしまうのです」
「……それでいいのでは?」
「今更元には戻せんよ。元に戻すにも手順を踏まねば周囲にどんな影響が出るかわからんのでな」
やはり面倒なことになっていた。しかし、今更遅い。言いたいことはあるしいくらでも文句は言えそうだが、セイルはそれを飲み込んで目の前のことに意識を向ける。
「名づけるにも何か参考になる物でもないと」
「そうですね。神樹と言えばかつてこの世界の天を支える『ライラレイ』と言う名の神樹が存在していましたね」
「ライラレイ。ライラ……」
なんだか神に付ける名前にしては簡単すぎる気もするが、セイルはそれしか思いつかなかった。
「神樹の森の守り神ライラ。うむ、良いのではないか?」
「では、この時この瞬間からこの者は守り神ライラです。良いですね?」
元精霊の新たな神、神樹の森の守り神ライラの白い毛並みが淡く光る。どうやらこれで神としての存在が確定したようだ。
「気分が良くなりました。ありがとうごぜえます、セイル様」
「いや、様はよしてくれ。あなたは神なのだから」
「いいえ。神祖様の力を授けられたあなた様は我々よりも上位の存在でごぜえます」
「そうです。神祖様に選ばれたあなたは神よりも尊い存在。無礼を働くことはこのわたくしが許しません」
ライラがハハーッ、と大仰な態度でその場に平伏する。そんな神を前にしてセイルはどうしたらいいのかわからず苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ふむ、面白いことになってきたのう。ぬふふ」
大地が蘇った。再び人が住める場所へと元に戻った。
「さて、セイルよ。これからどうする?」
「どうするかなぁ。まあ、その前にみんなを正気に戻さないと」
セイルは振り返る。その視線の先にはいまだに呆けた顔でその場に座り込んでいるリフィたちがいた。
「まあ、そのうち元に戻る。無理に戻すと後遺症が残るかもしれんからそっとしておけ」
「そう、か。ならそうするが……」
しかし、うつろな目で何もないところを見つめている仲間たちを見ると不安になってくる。けれども無理に元に戻そうとすれば危険なのだとすると手を出しづらい。
「ま、今後のことでも考えながら正気に戻るのを待つとしよう」
そう言うとアルウェンドラは地面に腰を下ろす。それにならってシルフィールやライラもその場に座る。
「ほれ、お主も座れ。第一回神樹の森会議を始めるぞ」
セイルも少し戸惑いながらもアルウェンドラに促されてその場に腰を下ろす。
「ではまず、この森の主であるセイルから一言」
「え? 俺? いや、そんな急に言われても」
セイルは口を開く。あー、とか、えー、とか言いながらも言葉を紡ぐ。
「えー、あー、えーと。この度、森の主となりました――」
風に木々が騒めく。淡く輝く緑色の葉が風に揺れ、楽し気にセイルたちに語り掛けていた。
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