第26話

 地下室から外に出るとそこは森の中だった。しかし、普通の森ではない。


 曲がりくねった見上げるほどの大木、空を覆う血のように真っ赤な厚みのある葉。魔樹ディオディオンの森が地下室を出たセイルたちの目の前に広がっていた。


「うむ、やはり問題はないようじゃな。毒はディオディオンがほとんど吸収しておる」


 ノノアラの町。セイルは必死に昔の記憶を思い返す。親に連れられて訪れた町の景色を思い起こす。


 しかし、それは全く意味がない。すべては木の魔物に飲み込まれ見る影もない。


「ここからは空を飛んで行く。荷物は持ったか?」


 セイルたちは自分たちの荷物を確認する。アルウェンドラはセイルたちが荷物の確認を終えたところで魔法を発動し、全員上空にゆっくりと上昇していった。


「……赤い」


 セイルたちは上空から眼下に広がる景色を眺める。あたり一面真っ赤な森が広がり、それがかなり遠くまで続いていた。


「あっちがトート村のはずだ」

「真っ赤、ですね」

「それだけ汚染されていたと言うことじゃ」


 セイルたちは空を飛びセイルの生まれ故郷であるトート村の上空へと向かう。


「どうやら鉱山の方にまで森が広がっておるようじゃ。ほれ、あそこが確かパラテラ鉱山のはずじゃ」

 

 そう言うとアルウェンドラは真っ赤な山を指さす。その姿はまるで山が血を流しているような異様な姿だった。


 セイルたちはトート村があると思われる場所の上空に到達する。だが、下を見ても村らしきものはどこにも見当たらず、真っ赤な森が広がっているだけだった。


「降りてみるか?」

「ああ、頼む」


 セイルたちはゆっくりと地上へと降りていく。真っ赤な葉の海の中へと沈んでいく。

 

 地面に足を付けたセイルは葉の下の光景を目にした。


 赤い葉の下、森の中には廃墟があった。それは見覚えのある廃墟だった。


「……俺の、家だ」


 真っ赤な葉の下、そこにはまだわずかに村の痕跡が残っていた。荒れ果てて朽ち果てる寸前の故郷の残骸が残っていたのだ。


 セイルは無言でかつて自分の実家だった物を見つめる。もう、誰も住んでいない亡骸のような家を。


「セイルさん……」

「大丈夫だ。大丈夫……」


 大丈夫、とセイルはリフィに笑いかける。その笑顔はあまりにも辛そうで、リフィは見ていられなかった。


 そんなセイルの背中をティティアがバシッと叩く。


「がっ!?」

「ああ、悪い悪い。ちょっとばかし強かったな」


 セイルは激しくむせる。ティティアはむせているセイルの背を申し訳なさそうにさする。


「い、いきなりなんだ」

「情けない顔してるから気合入れてやったんだよ。まあ、ちょっと入れすぎちまったみたいだがな」


 ティティアは豪快に笑う。そんなティティアを見てセイルも少しだけ笑顔になる。


「さ、帰って来たんだから、ただいまって言って来い」

「ただいま、か」


 ただいま。十七年ぶりに帰って来た故郷。


 セイルは思い切り息を吸い込み、ゆっくりと息を吐きだし、拳をぎゅっと握りしめて前に進みだした。


 一歩一歩、我が家だった物へと歩みを進める。石の壁だけだけになってしまったかつての生家へと歩み寄る。


 前に立つ。扉のない入り口の前に立つ。


 目を閉じる。思い出の中の我が家を思い浮かべ、目を開いてその幻と現実を重ね合わせる。


「……ただいま」


 声が廃墟に染み込んでいく。返事はどこからも聞こえてこない。幻の中では両親が、友人が、おじさんやおばさんが、みんなが。


「おかえりなさい」


 セイルの背後から声がした。振り返るとそこにはエリッセルたちがいた。


「おかえりなさい、セイル」

「……ああ、ただいま」


 セイルは服の袖で目を拭う。それからできる限り明るい笑顔でセイルは皆に笑いかけ、それから改めて廃墟を見上げた。


「……帰って、来たんだな」


 帰って来た。やっと帰って来た。変わり果ててしまったけれど、それでも戻ってくることができたのだ。


「泣いてばっかりだな、お前は」

「知らないんですか? セイルさんは結構泣き虫ですよ」

「うるさいな。泣いてないだろ」

「意地を張って。かわいい」

「エリッセル、お前またおかしくなってるぞ」


 後悔は、している。もっと早く戻ってくればよかったとセイルは後悔していた。


 けれど帰ってくることができた。戻ると決心して、その決意を成し遂げた。


 いろんな感情が渦巻いていた。ただ、セイルの心は晴れやかだった。

 

 セイルたちは笑い合っていた。そんなセイルたちをアルウェンドラは静かに見守っていた。


 風が吹く。魔樹の赤い葉が風になびき、ざわざわと騒ぎ始める。その騒めきはまるでセイルたちを歓迎しているかのようだった。


「さて、これからどうするのじゃ。セイルよ」

「……そうだな。どうするか」


 セイルは改めて周囲を見渡す。トート村だった場所は完全に森に飲み込まれ、ここで何をするにしてもまずこの森をどうにかするしかない。そもそもセイルは村に帰って来てからのことはまったく考えていなかった。


「ひとつ提案がある」

「なんだ?」

「うむ、まずは耳を澄ませてくれ」


 何か考えがあるような様子のアルウェンドラに従いセイルは目を閉じて耳を澄ませる。するとセイルの耳に何かの声が聞こえて来た。


「これは、呼んでいるのか?」


 声が聞こえてくる。それはセイルを呼ぶ声だった。祠に導かれるときに聞く呼び声だった。


「お主の聞いている声は大地の声じゃ。この地に住まう精霊の声じゃ」


 声が何かを訴えているような気がする。けれど何を訴えているのかわからない。


「セイルよ。お主はディオディオンの特性を知っておるか?」

「いいや、知らない」

「なら、簡単に説明しようかの」


 アルウェンドラは上を見上げる。セイルたちも上を見る。


 視界を埋め尽くす赤い葉が見える。真っ赤なディオディオンの葉だ。


「ディオディオンは植物の魔物じゃ。人を襲ったり毒を持っていたり自ら移動することはないが、非常に繁殖力が強く、過去には農地を全滅させて大量の餓死者を出したこともある」


 数日で町を森に変えてしまうディオディオンなら黄金色に実った麦畑を一晩で壊滅させることも可能だ。事実、過去に何例かそんな事例も存在している。


「はっきり言って有害じゃ。見つけたら速やかに除去しなければ大惨事となるじゃろう。ではお主ら、そんな危険な魔物を誰が生み出したと思う?」


 魔物を生み出したのは魔神だ。そんな危険な魔物を生み出した魔神がいるとしたらそれは悪神に違いない。とセイルたちは考えた。


 だが、実際は違っていた。


「ディオディオンを生み出したのは極善神シャーレルじゃと言われておる。荒れ果てた大地を自然豊かな場所に変えるために生み出したのじゃ」

「……やりすぎなのでは?」

「ああ。神と言うのは加減を知らんからのう」


 セイルに力を送っている神祖もそうだが、どうやら神と言うのはやることが雑なのか、それともやはり人間とは感覚が違うのか、いろいろと厄介である。


「まあ、やることは極端じゃが考えなしと言うわけではない。ディオディオンは荒れ果てた地を森に変えるのは事実。それにディオディオンには毒に侵された大地を浄化する作用がある。穢れた土壌から毒を吸い上げ葉に溜め込み、日光を利用して分解する力を持っておるのじゃ」


 赤い葉の隙間から日光が差し込み地面の上で揺れている。今この瞬間もこの大樹の魔物は毒を浄化し、大地を清めている。


「汚染された土壌を浄化するには数十年から数百年と長い時間がかかる。しかし、浄化を終えればディオディオンはただの樹木に変わる。セイルよ、今のお前ならそれを早めることができる」

「俺が?」


 うむ、とアルウェンドラはうなずく。確信があるようだ。


「神祖の力じゃ。あの無尽蔵に供給される力を使えばこの森を普通の森に変えられるじゃろう。そうすれば、また人が住めるようになる」


 セイルの表情が変わる。絶望や諦めが薄れ、その目に希望の光が灯る。


「どうじゃ? やる気になったか?」


 うん、とセイルは力強くうなづく。


「ならば善は急げじゃ」


 そう言うとアルウェンドラは地面にかなり大きな魔法陣を描き始める。それは複雑なもので、魔法の心得のあるエリッセルやリフィにも解読不能なほどだった。しかも、周囲に生えている木々も魔法陣の中に組み込んで魔法陣を構築している。


 その魔法陣を描き終えたアルウェンドラは中心に立ち魔法を発動する。それと同時に魔法陣を使用した魔法だけでなく術式を使用した魔法も発動する。


 アルウェンドラの発動した術式魔法は見るからに高度なものだった。美しい光の文様が何重にも折り重なりアルウェンドラを取り囲んでいる。


「三十層立体魔法術式じゃ。どうじゃ、すごいじゃろう?」

「……すご過ぎてすごさがわかりません」

「なんじゃ、つまらん」


 リフィもエリッセルもぽかんと口を開けて見ているしかできなかった。ティティアは魔法の心得があまりないので、真剣な表情で事態を静観しているがその魔法のすごさを理解しているかは怪しかった。


 そしてセイルは真剣な表情でアルウェンドラの姿を見つめていた。何か覚悟を決めたようなそんな表情をしている。


「セイルよ、こちらに来い」


 アルウェンドラに招き入れられセイルもその魔法の中へと足を踏み入れる。


「聞こえますか、セイル」

「シルフィール様?」


 アルウェンドラの側に行くとセイルの頭の中に声が聞こえて来た。艶のある女性のような声はおそらくシルフィールだろう。


「あの、シルフィール様」

「何も言う必要はありません。何をしようとしているのかは見ればわかります」


 どうやらシルフィールもセイルたちのことを見ているようだった。そして、シルフィールは魔法を見ただけで何をしようとしているのか理解したらしい。


「本当にちょうどよかった。こちらも困っていたところなのです」

「困ってる?」

「はい。神祖様がこちらに力を送り込んでいるのですが、それを取り込んだ精霊たちが体調を崩しているらしく」

「……はい?」

 

 肉体を持たないはずの精霊が体調を崩すとは一体どういうことだろうか。


「縁を通して精霊たちに話を聞いたのです。いろいろと調整が必要だったので。その時、精霊たちから苦情と言うか、懇願と言うか、土下座されたというか」


 シルフィールも少しばかり困っている様子だった。


「精霊たちは最初はこれ幸いと神祖様の力を大量に吸収してようなのですが、量が多すぎるのでしょうね。最近ではほとんどの精霊や聖獣が頭痛、めまい、吐き気、意識の混濁、ひどい鬱状態に陥っているようで」


 精霊が体調不良を訴えるとはどれだけ神祖はこちらに力を送っているのか。やはり神と言うのは加減を知らないのかもしれない。


「できるなら供給を停止しするか、量を減らしてほしいと頼まれていたのです。ですがそうするとセイルが爆発四散してしまいますから。本当にちょうどよかった」


 いや本当にちょうどよかった。もし精霊たちに力の供給を停止していたらセイルが死んでいたわけである。


「では、アルウェンドラ。あとは任せましたよ」

「うむ、承った」


 どうやらアルウェンドラにもシルフィールの声が聞こえているようだ。


「では、セイルよ。祈るのじゃ」


 セイルはアルウェンドラに言われた通り祈りの体勢に入った。地面に片膝をつき、両手を胸の前で組み、目を閉じる。そして深く深く祈る。


 そのセイルの頭の上にアルウェンドラは左手をかざし、右手で杖を高く掲げ呪文を唱え始める。


「……すごいわ、三種の魔法を同時に使用している」

「本当にヤバい人なんですね、この人」


 魔法を使用するアルウェンドラの姿を見ていたリフィとエリッセルは感心や尊敬を通り越して恐怖していた。術式、紋章、音声の異なる魔法を同時に使用する姿を見て、本当に人間なのかと疑いさえしていた。


「セイルよ、祈るのじゃ。神に、精霊に、この大地に。すべてに祈るのじゃ」


 アルウェンドラは魔法を操り、セイルはその中で祈る。すると地面に描かれている魔法陣や二人を取り囲む魔法術式が更に強い光を放ち始めた。


 セイルは感じる。何かが自分の中を流れ、天から大地へと流れ込んでいくのを。


 大地が光り輝く。セイルたちの樹上を覆う赤い葉が輝き始める。その輝きが森に広がっていく。


 セイルは祈る。ただ祈る。


 祈りは力を与える。神、精霊、聖獣、自然、そして人に、この世界のあらゆるものに。


 そして、セイルたちを取り囲むすべての物が祈りの光に包まれていった。

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