第5話

 急な出立だが知り合いに挨拶は忘れないのがセイルの律儀なところだ。セイルは町を回り、お世話になった人たちに旅立ちの挨拶をしていく。


 そんなお世話になった人の中に一人の漁師がいる。ガッジというガタイのいい坊主頭の中年男だ。


 何年か前にこの港町に来た際、セイルはガッジの漁の手伝いをしたことがある。海の魔物に襲われてケガをしてしまい、一人では漁に出れれないと困っていたガッジと一緒に漁に出たのだ。


 もちろんその時も仲間たちには、これは勇者の仕事じゃない、と文句を言われた。けれどそんなことなど気にせずセイルはガッジのケガがある程度良くなるまで一緒に海に出た。


 そんなことがあったからガッジとセイルは家族のように仲がいい。今回の滞在でもいろいろと世話になり、うまい魚もごちそうになった。


 そんなガッジのところに挨拶に行くとガッジは困った顔をした。どうやらガッジはセイルに何か頼みたいことかあるようだ。


「最近、この近くで祠が見つかったんだ。その調査をセイルに依頼するつもりだったんだが」


 どうやらかなり古い祠らしく、調査のついでに修繕も行おうという話が出ているということだった。


「祠は放置しておくと魔物を呼び寄せてしまうからな。で、何が祀られてるんだ?」

「それも含めての調査だよ」

「なるほど。それがわからないと対処もできないな」


 この大陸で信仰されているのは『秩序の六大神』と呼ばれる六柱の神だ。そして、その神たちはそれぞれに眷属を有している。それが精霊や聖獣と呼ばれる者たちだ。祠には神の眷属である精霊や聖獣が祀られており、それらが町や村、そして旅人たちの道中の安全を守ってくれている。


 だが、祠を放置したり祀られた精霊や聖獣をないがしろにするとその力が弱まり、最悪の場合邪悪な力に侵されて祠は途端に危険なものと化す。邪悪な力に汚染された祠は周囲に災いを呼び寄せ、魔物を引き付けてしまう。そのため古い祠や放置された祠は適切な手順で撤去されるか、祀られた者たちに再び力を与えてから祠を修繕する。


 今回は古い祠の調査をして祀られている者が何なのかを確かめ、それから祠を修繕することになっているらしい。どうやらかなり古い祠ではあるが、まだ魔物を呼び寄せたりはしていないようだ。


「わかった。その依頼引き受け」


 セイルは途中まで出そうになった言葉を飲み込む。


「……いや、すまない。今回は」


 セイルはまた途中まで出かかった言葉を飲み込む。


 それから悩む。このまま依頼を受けずに旅立つか、依頼を引き受けて困っている人を助けるか。


「できればセイルに引き受けてもらえるとありがたいんだ。お前さん聖句が唱えれるんだろう? 神殿に依頼すると時間もかかる。何か起こる前にどうにかしたいんだ」


 聖句とは神への祈りの言葉だ。聖句はすべて古代語であり、唱えられるのは神殿の神官か一部の魔法使いくらいだ。


 セイルはその聖句を唱えることができる。仲良くなった神官から教わったのだ。


 理由はもちろん人助けのためだ。セイルは今までいくつもの祠の整備や修繕の依頼をこなしてきた。そして、依頼を受けていなくても祠を見つけると祈りを捧げ、人目につかない寂れた祠を見つけたときは掃除や修理も行ってきた。その際、一々神官を呼んで聖句を唱えてもらうわけにもいかないので自分で唱えるために覚えたのである。


 もちろんすべてではない。六大神共通の祈りの聖句と穢れを払う浄化の聖句、それと自分の守り神である風の神の聖句だけだ。それ以外にも光の神の聖句や破邪の聖句など専門的に学ばなければ憶えきれないほどの聖句が存在している。


 どうやらガッジは聖句が唱えられるとセイルが話したことを憶えていたようだ。


「急ぎなのかい?」

「急ぎと言えば急ぎだし、そうでないと言えばそうだし……」


 セイルは悩む。正直、トラブルは避けたい。たがガッジの頼みを断るのも気が引ける。


「……わかった。引き受けよう」


 悩んだ結果、セイルは依頼を引き受けることにした。


「ただしギルドには報告してくれよ。なにかトラブルになったとき面倒だからな」

「わかってるさ。なら今から一緒に行くとしようや」


 こうしてセイルはガッジと共にギルドへと向かい、正式に祠の調査の依頼を引き受けたのである。


「まあ、どうにかなるだろう。エリッセルも顔を合わせたからって襲い掛かってくるなんてことは、ないだろうしな」


 仲の悪い水の勇者がここにやってくる。そのことは気がかりだし憂鬱だが、なんとかなるだろう。


 ギルドの規程で勇者同士の争いは御法度だ。破れは多額の罰金を支払うことになり、ギルドの資格も剥奪される。エリッセルがよっぽどの馬鹿か無鉄砲でない限り、問題は起きないはずだ。


 それにそもそも相手にされるかもわからない。今の自分は四年前よりも確実に弱くなっているのだ。もしかしたら見向きもされないかもしれない。


 まあ、それはそれで気が楽だな、とセイルは思う。それぐらいが気楽でいいのかもしれない。


 気楽だが、少し寂しい気もする。


「二年、か」


 あと二年。あと二年で勇者ではなくなる。


「ま、それまでは、がんばるさ」


 セイルは空を見上げる。白い雲が空をゆっくりと流れていくのが見えた。

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