明け方のシガーキス

霜月このは

明け方のシガーキス


「お疲れ」

「あ、お疲れさま」


 喫煙所で鉢合わせると、ついそんな挨拶を交わす。午前四時のカラオケボックスで、さっきまで同じ空間で歌っていたのだから、お疲れも何もないはずなのだけど。


 いや、まあ、疲れていることに間違いはないけれど。


 私は奥の椅子に腰掛けたまま、ドア側に立つ彼女を見上げる。


「みんなまだ盛り上がってるんだ?」

「そうね……元気だよね、こっちはもう35のババアだからしんどくて」

「ちょっと、35を勝手にババアにすんのやめて?」


 私たちは同い年なんだから、あんたがババアならこっちまでババアになってしまう。


「火、ちょうだい」

「え、ライター持ってこなかったの?」

「なんか忘れた」

「相変わらず、アホだね」

「うるさい。いいから火つけてよ」

「……自分で勝手にとれば」


 私は椅子に座ったまま、そのままの姿勢で相手の目を見つめた。


 久々に見た元カノの流唯は、長かった髪をばっさり切ってまるで別人だ。流唯るいは小さく笑いながら、小さな箱から一本出してくわえる。


「……久々にやるか」


 そう言って流れるような動作で私に顔を近づけて、私のタバコに自分のそれを触れさせた。


 音もなく火は移っていった。だけどもう、かつてのように心にまで着火したりはしない。


 あの頃にはショートホープだった彼女のタバコは、今はラッキーストライクになっていて。その長さの違いの分だけ、今はほんの少し顔の距離が遠かった。


「ほんとにいい度胸だよね。狙ってる女とのカラオケに元カノ連れてくるとか」

「ノコノコついてきたのは紗月だよ?」


 恨み言めいた私の発言に、流唯はそんな言葉を返す。




 今夜というか、まだ日付が変わる前の昨夜、私と流唯が久しぶりに再会したのは、昔よく行ったバーだった。私が最近知り合った友達のイベントに行ったら、そこにたまたま流唯が来ていて。


 イベント後に盛り上がったその場にいたメンバーと一緒に、ここのカラオケになだれこんだというわけだった。


 ううん、たまたま、なんて嘘だ。私は友達から聞いて知っていたから、そこに流唯が来ることはわかっていた。彼女は私と流唯が付き合っていたことなんて何も知らないから、軽い気持ちで私たち2人共を誘ったのだった。


 正直、帰ればよかったと思った。


 カラオケの最中、いや、イベントの時点でもうわかりきっていた。流唯が彼女を狙っていることは。その目線とか、言動を見ていればすぐにわかる。一応、とはいえ、元カノの目は誤魔化せない。


 狙っている彼女と一緒に歌いたがったり、彼女の歌を大袈裟にほめたりして、本当にわかりやすいのだ。


 だけど、そんな見苦しい姿とは対照的に、カラオケで歌う流唯の声は相変わらず艶々として綺麗で。やっぱりさすがの安定感だった。流唯は普段からギターの弾き語りで音楽活動をしているから、当たり前といえば当たり前なのだけど。


 一方、私が流唯の前で歌うのは、実は今日が初めてだった。私たちは1ヶ月くらいで別れてしまったから、カラオケなんて一緒に行く暇なんてなかったし、デート自体もほとんどしていないのだ。


「…… 紗月さつき、こんなに上手かったんだ。知らなかった」


 私が歌い終わった途端、流唯はそんなことをささやく。わざわざ、私の耳元で。


「こんなにいい声だって知ってたら、あの時、離れられなかったかも」

「何言ってんの、バカ」


 私に変なことを言ってないで、逆隣にいるお目当ての女のことでも口説いてたらいいのに。


 面倒な空気を変えようと、1人でこっそり抜け出して喫煙所に来ていたら、よりによって後から流唯がここに来たというわけだった。



 流唯は喫煙所の中に置かれた、もう一つの椅子に座る。2人並ぶような位置で一緒にタバコを吸った。


 こっちは聞いてもいないのに、流唯は狙っている彼女との進捗について、わざわざ私に報告してくる。さっき一緒に席を立って2人になったときに、それとなく彼女を口説くような会話をしたのだと言う。


 本人曰く、彼女の方も満更でもなさそうだった、なんて言っているけど。どうだか。


「よかったじゃん。がんばりなよ」


 私はそう返すのだけど。なんとなくモヤモヤして。


 灰を落としている最中の流唯に近づく。

 なんでそういうことになったのか、わからないけど。


 ……なんて、嘘。

 本当は、お互いに、わかってた。


 流唯はすぐに振り向いて、それでどちらからともなく、唇を触れ合わせた。


 かつてのように、身体中が熱を帯びる、なんてことはなくて。

 ほんの一瞬、ただ触れ合わせただけだけど、胸の奥がチクっと、痛む。


「……これで、最後ね」

「最後か。寂しいなぁ……」


 流唯はそんなことを言う。

 さっさと次の女を口説き始めたくせに、どの口が言うんだ。


「流唯も、ずいぶん悪い女になったよね」


 そう言って笑った。


「また、遊ぼうよ。もう今は……ちゃんと、友達なんだし」


 もう一本に火をつけながら、流唯は言う。


「そうね。……また、いつか。そのうち」


 私は答えながら、白い煙を吐き出す。


 いつのまにか、カウンターのあたりがざわざわとしてきて。夜が明ける音がする。どこかの部屋からコール音が聞こえたから、火を消して。


 私たちはそのまま、喫煙所を出る。


 『いつか』なんてもう二度と来ないことを知りながら、扉を閉めた。

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明け方のシガーキス 霜月このは @konoha_nov

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