第2話 ことの発端

「ここは好きに使ってくれていいから」

 銅色の髪を清潔に結い上げ、茶色の瞳をしたアイクによく似た青年、ダグは胡散臭そうな目線を隠しもせずに二人を見ながらそう言うと、その部屋を出て行った。

 ミモザはそれを見送ってから、ぽすんと近くにあったベッドに腰掛ける。案内されたのはカフェの2階の客間だ。弟を助けてくれたお礼にと、ダグは宿泊場所の提供を申し出てくれたのである。部屋の家具は木製で、色はグリーンで統一されたなかなかおしゃれな部屋だ。

 ミモザは部屋をゆっくりと見回しながら、「とりあえず目的の街には辿り着きましたね」とレオンハルトに声をかけた。

 ミモザとレオンハルトは先ほどダグに盛大に疑われてはいたものの、本物の元聖騎士と現聖騎士である。

 そんな彼女達がどうしてこの街を訪れたのか。その理由は数日前にさかのぼる。


 その少女は笑顔で立っていた。

 短く切り揃えられたハニーブロンドの美しい髪、波のたたない湖面のような青い瞳、真珠のように透き通る白い肌。彼女の姿はまるで一枚の絵画のように美しかった。

 その足元に人が倒れていなければ。

「そんな、ミモザ!? どうして……」

 ステラはそのサファイアのように青い目を驚きに見開いた。二人は鏡写しのようにそっくりだが、唯一その髪の長さだけは違う。

 ショックに後退るステラの背中で、その長い髪がさらりと揺れた。

「違うよ?」

 ミモザと呼ばれた少女は首を傾げてみせる。

「だって、『ミモザ』は死んだじゃない」

「でも、でも……っ!」

 そう、確かにミモザは死んだ。ステラの目の前で間違いなく死んだのだ。

 しかしその遺体が行方不明になっていたことも確かな事実だった。

 ミモザの姿をした少女はにやりと笑う。

 それは間違いなく美しいが、悪魔のように悪意を孕んだ笑みだった。

「君が『ミモザ』の遺体を保管しておいてくれたおかげで手間が省けたよ。おかげでこの素晴らしい肉体が手に入った」

「そんな……」

 確かにステラはミモザの遺体が傷まないようにと、氷漬けにして保存した。ミモザが亡くなったタイミングは色々とごたついていて、すぐにお葬式をあげられそうになかったからだ。

 そのまま近くにあった宿屋に預けていたのが忽然と消えたのは少し前のことだ。

「貴方は……、一体……」

 ステラはレイピアを構えて尋ねた。ミモザの姿をした人物は不敵に微笑み、そしてーー、


 ミモザの目は覚めた。

「………セカンドシーズン」 

 そのままゆっくりと起き上がると、体の動きを確かめるように手を開いたり閉じたりする。

 まだ暗い窓に映る姿は、夢に出てきた体を乗っ取られていた髪の短い少女そのものだ。

 最悪な目覚めである。そして覚えのある夢でもあった。

 人気のあるゲームには続編が出る。つまりはそういうことだ。

「どうした? 随分と今日は早いな」

 そう言って隣で寝ていた男はベッドから起き上がって時間を確かめるように窓の外を見た。

 長く豊かに波打つ髪はその夜空に同化するような濃い藍色で、その中で力強い黄金の左目が輝いていた。右目は閉ざされており、その目の周囲は火傷で酷く爛れていた。しかしその顔立ちは整っており、十分に美形と呼んで差し支えない。身体もよく鍛えられており見せ物ではない実用的な筋肉でできた均整のとれた体つきをしている。

 ミモザの夫のレオンハルトである。

「レオン様……」

 ミモザはじっと彼の金色の瞳を見つめる。

「……どうした?」

 彼はミモザのただならぬ様子に真剣に向き合った。

「僕の遺体が何者かに乗っ取られました」

 ミモザはそれだけを言うとベッドに勢いよく横になり布団を頭までかぶる。

「………は?」

 彼が訝しげな声をあげるのも構わずそのまま寝る姿勢に入った。

 ふて寝である。


 ミモザはとある乙女ゲームの主人公の妹として生まれた。役どころとしては主人公の優秀さを際立たせるための『引き立て役で出来損ないの嫌がらせキャラ』である。それをミモザが認識しているのは前世の自分の記憶を断片的に思い出してしまったからだ。

 前世の自分が具体的に何者だったのかはわからない。

 しかし日本人としての知識と、今生きている世界の記憶は断片的にだが思い出した。

 正確には女神によるとこの世界はそのくだんの乙女ゲームのモデルになった世界であり乙女ゲームの世界そのものではないらしいが、とはいえ乙女ゲームの展開やストーリーと類似した事件やイベントが起こるのは経験済みである。

 なんやかんやあり、ミモザはその乙女ゲームで死ぬ予定だったのを回避し、本来なら主人公である姉のステラがなるはずだった聖騎士の立場を奪うという悪業を成し遂げた。そしてこれまた本来なら姉と結ばれるかも知れなかった攻略キャラである元聖騎士にして現在はヒモを自称しているレオンハルトと結ばれたのである。

 そして仕事は忙しいながらも穏やかに生活をして、はや数ヶ月、まさかのここにきて、

(続編があるとは……)

 ミモザは遠い目になった。

 その続編は、主人公であるステラが保護研究会所属のエオという攻略キャラと結ばれるエンドの後から始まる。

 これは当時なぜエオエンドからスタートなのかと前世で物議をかもしたのだが、なんのことはない、ストーリー上続編を作るのにちょうど良いエンドがエオのものだっただけのようだ。

 エオエンドは聖騎士となったステラが国や教会からテロリスト集団だと見なされている保護研究会に所属するエオと結ばれるため、その立場をすべて捨てて駆け落ちするというものだ。

 つまりこのエンドにすると主人公が立場に縛られずに無所属の状態でスタートを切れるのである。

 物語はエオと共になった後、ミモザの遺体が盗まれたことに気づいてから始まる。

 一体誰が盗んだのか、ミモザの目撃情報とその盗んだ目的を探っていく中で、同時に各地で起こる異変を解決、そこで出会う攻略対象と恋愛しながらその真相へとたどり着いていくのだ。

 もちろんエオも味方として存在し、ただしゲームの都合上なのか明確に恋人ではない恋人一歩手前といった関係性である。当然ながらエオも攻略対象のため、その曖昧な関係を楽しみつつ攻略して最後には結ばれるという寸法だ。

 攻略対象は一作目からの持ち越しのキャラもちらほらいるし、新キャラもいたはずだ。

 確かジーンとセドリックは今回も攻略対象だったはずである。

 ちなみにレオンハルトはストーリーの都合上か、続編には登場しない。

 人気のあったキャラのため登場してもおかしくないのだが、彼が登場すると色々とストーリーのつじつまを合わせるのが大変だったのかも知れない。

「………つまり、君の遺体は盗まれたあげく誰かに乗っ取られるということか」

 眉間の皺を揉みながら頭痛をこらえるように告げるレオンハルトに、

「はい」

 ミモザは正座をしながら神妙に頷いた。

 先ほど言い逃げをして寝ようとしたところを叩き起こされて説教を受けたところである。正直ベッドの上での正座は足元がぷかぷかしてバランスを崩しそうなことこの上ないが、これ以上彼を怒らせないためにもミモザは静かに反省のポーズを取っていた。

 そんな態度だけは真面目にしているミモザにレオンハルトは大きなため息をつく。

「そろそろ式を挙げようとしていたこのタイミングで……」

「それは別にいいのでは?」

 式とは結婚式のことである。籍だけを先に入れたので後回しにしていたのだ。

 ミモザの言葉にレオンハルトはじろりと目線をよこした。

「式の最中に乗っ取られたらどうする」

「あ」

「ごめんだぞ、俺は。式の最中に妻が他人に入れ替わるなど」

「なるほど」

 ふむふむとミモザは頷く。

「延期ですね」

「………致し方あるまい」

 あっさりと告げるミモザにレオンハルトは微妙な顔をした。レオンハルトとて別に結婚式自体にたいした思い入れはないだろうに、とミモザは首を傾げる。

「いっそのことやめますか?」

「…………いや」

 その提案にしばらく考え込みながらも、彼は首を横に振る。

「挙げられるなら挙げた方がいい。延期だ」

「その心は?」

「のちのち禍根を残すと困る」

「禍根?」

 別にミモザは結婚式をしなくてもいい派である。ドレスに憧れはあるものの、人前に出るというのが苦手な陰キャだからである。レオンハルトも別にあえて人前に出張りたいと思う人間ではない。

 一体誰が何の禍根を残すというのか。

 こてん、と首を傾げるミモザと目を合わせるように、向かい合わせでレオンハルトも首を傾げてから、

「その時は良くても後々やっておけば良かったと思った時に取り返しがつかない」

 と告げた。

「あー……」

「まぁ、やっておけば良かったと思った時にやればいいという意見もあるが、わざわざそんな後回しにするのもな。……そんなくだらないことでこの婚姻関係に瑕疵をつけるのも馬鹿馬鹿しい」

「つきますかねぇ」

「可能性はできる限り排除するべきだ」

「はぁ」

「だから延期だ。幸いにもまだ打ち合わせが始まったばかりだからな。日程を未定にして準備だけは進めよう。この件が片付いたらすぐに挙げる」

「会場側には」

「正直に日程が読めないことを伝えて最善策を提案してもらおう。まぁ、予約が埋まってしまっては待つしかないが、準備を進めておけばキャンセル待ちもできるしな」

「なるほど」

 なんとも合理的な判断である。異論を挟む隙もない。

「それで、誰に乗っ取られるのかはわかるのか?」

「わかりません」

「何のために乗っ取られるんだ?」

「わかりません」

 レオンハルトは再び深々とため息をつく。

「相変わらず君の『未来の記憶』とやらは役に立たない……」

「………というかですね」

 思い出せないことがわからないのはまぁ、そうなのだが、それと同時に

「前提条件が違いすぎて、もはやすべてが不確定なんですよね」

 そう、ゲームとは状況が違いすぎるのだ。

 主にミモザのせいで。

 ゲームでは本来聖騎士となっているのは主人公のステラのはずで、ステラ駆け落ち後である続編では聖騎士は別の人物が務めているのある。そしてミモザとレオンハルトは死んでいるのである。

 それをミモザが頑張って死ぬのを回避し、聖騎士になったせいで前提条件がそもそも崩れているのだ。

(ステラも今は牢屋の中だし……)

 ミモザがやった『なんやかんや』の中にはステラの罪を暴くというものもあった。そのため今、ステラは獄中で罪の清算中なのだ。

(ステラ……)

 彼女のことを思うとミモザの心は重くなる。一度だけ面会した彼女は、それは酷い様子だった。

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