元『引き立て役の妹』と元聖騎士(ヒモ)は乙女ゲームを攻略する?

陸路りん

第一章

第1話 聖騎士……?

「君、大丈夫?」

 短く切り揃えられたハニーブロンドが首を傾げるのに合わせて揺れる。まるで波のたたない湖面のような神秘的な青い瞳がこちらを覗き込んだ。

 その綺麗な少女はアイクに手を差し出した。


 アイクは気弱な少年である。くすんだ銅色の髪に茶色の瞳、いつもハの字の形で困った眉にいかにも気弱ですと言わんばかりのたどたどしい話し方。そんな態度だからいじめられるのか、それともいじめられるからそうなったのか、それはもはや確認の取れないことだ。

「………いたっ」

「ははは、見ろよ! ネズミがどぶネズミになったぞ!」

 雨上がりでぬめる道端の泥の中に突き飛ばした少年達が、転んで泥だらけになったアイクのことを指差して笑う。

 アイクはぎゅっと自らの耳を両手で塞ぐと身体を丸めた。

(もう少し……)

 あともう少しの辛抱だ。なぜならーー

「あっ」

 少年のうちの一人が声を上げた。それとほぼ同時に鐘の音が響く。

 帰宅の合図だ。この鐘が鳴ったら子どもは家に帰らなくてはならない。

「ふん、今日はこのくらいにしておいてやる」

 偉そうにリーダーである少年、フィリップが言った。彼はきっちりと結い上げた若草色の髪を翻し髪と同じ色の瞳で最後にもう一度アイクのことを睨んで立ち去った。

「………」

 アイクはのろのろと立ちあがろうとして、べしゃりと再び泥の中に座り込んだ。

「………ぅ」

 どうして自分だけこんな目に遭うのかという気持ちがアイクの身体を鉛のように重くする。

 そのままどれくらいそうしていただろう。

「君、大丈夫?」

 そう声をかけられて声の主を見上げる。するとそこには目の覚めるような美少女がいた。

 短く切り揃えられたハニーブロンドが首を傾げるのに合わせて揺れる。まるで波のたたない湖面のような神秘的な青い瞳がこちらを覗き込んだ。

 その綺麗な少女はアイクに手を差し出した。

「立てる?」

「えっと」

 思わず反射的にその手を握ろうとして躊躇する。アイクの手は泥だらけだった。

 対して彼女の手は透き通るように白い。着ている服も一目で高級品とわかるような綺麗なレースが使われた真っ白なワンピースだった。

「……ああ」

 彼女はアイクの目線を追って躊躇する理由を悟ったらしい。自らの服を見下ろして一つ頷くと、

 べしゃ。

「え」

 全身大の字に泥の中へと突っ込んだ。

「え、ええええええええ!」

 悲鳴を上げるアイクの目の前で、彼女はぬらりと起き上がる。それはそれは酷い有様だ。

 美しい顔は泥パックではにわになり、真っ白なワンピースも全面泥だらけであまりに無惨な姿に成り果てている。

 とまどうアイクに彼女は、

「えい」

 とほっぺたに人差し指をつけるとそのままぐるぐると泥で渦巻きを描いた。

「ねぇ君、どうせだから一緒にこのまま泥遊びしていこうか」

 そのまま泥だらけの顔を拭うこともせずに、悪戯に成功したようににやりと笑う。

 先ほどまでの美しい顔は泥で覆われて見る影もないのに、なぜだかその笑みはとても魅力的なものだった。

「えっと……」

「その子の保護者が心配するから、あまり遅くならないようにな」

 唐突にかけられた男性の声にアイクはびくりと身を震わせた。見るとそこにはまるで武人のような長身の男性がいた。彼は藍色の豊かな髪を一つに結んで背中に流し、右目は長い前髪で見えなかったが、左目は迫力のある金色の瞳をしている。引き締まった肉体はやはりシンプルだが品の良い服装に包まれていた。

 彼はアイクのことをいちべつすると、興味なさそうに木に寄りかかって立ったまま本を開いた。

 どうやら二人の中では遊ぶことは決定してしまったらしい。

 ぼんやりと再び少女に目線を戻すと、彼女はにこりと笑った。

「僕はミモザ。君は?」

「………アイク」

「そう、アイク。よろしくね」

 そういうとミモザと名乗った少女は握手を求めるように手を差し出した。

 アイクは今度はその手を握り返した。


 ダグは困っていた。

「えーと……」

 弟が泥だらけの女を連れてきたからだ。

 ダグはカフェを営んでいる。この街フェレミアは試練の塔である第1の塔が見えるということでちょっとした観光名所であるため、そこそこ繁盛している。試練の塔とは女神の祝福を得られる塔であり、精霊騎士になるために攻略が必須とされている七つの塔のことだ。その起源は古く詳細は不明だが今は教会の管理となっており、この国で一番メジャーな神である女神が建てたのでは、ということになっている。元々が多神教国家のためその辺の真相は実はちょっと曖昧だ。

 何はともあれ、その塔が森からちょこっと見えるというだけで街が潤うのだからありがたい話である。

 そして今の問題は目の前の男女だ。

「あのね、ぼくがね、泥の中にこけて助けてくれて……」

 弟がたどたどしく説明するのに耳を傾けつつ彼らを見る。

 武人のように体格の良い美丈夫な男になんか全身泥まみれの真っ黒な女。

「新種のお化けか?」

 思わずぼそりとつぶやいた途端、ばちりと男の方と目が合った。

 その金色の目力の強さにダグはたじろぐ。

 しかし男はそんなダグの様子は一切気にした風もなく、

「新婚旅行に来たんだ」

 と淡々と告げた。

「し、新婚旅行……」

 胡散臭い。あまりにも胡散臭い二人である。

 女の方が補足するように

「正確にはまだ式はあげてないんですが、先にちょっと旅行を」

 と続けた。男が同意するように頷く。

「色々片付いたら式を上げる予定なんだ」

「レオン様、それ死亡フラグです」

(レオン様ときたか……)

 そうなのだ。この二人が胡散臭い理由は名乗った名前にもあるのだ。

 男はレオンハルト、女はミモザと名乗った。

 ちょっと前に公開プロポーズをやらかしたことで有名な、元聖騎士と現聖騎士の名前である。

(絶対偽名だろ!)

 どこの世界に全身泥にダイブする聖騎士がいるというのか。

(おまけに……)

 ちらりと見ると男の側に控えて座る黒い獅子と目が合った。彼はお利口に小さく「あおん」と鳴いて挨拶してくれる。

 それになんとなく会釈をしながら女の方を見ると、その肩では灰色の小さなねずみが「チチチッ」と鳴きながら手を振っていた。

 そう、守護精霊である。

 誰もが共に生まれてくる守護精霊が、噂の聖騎士達とは違うのだ。

 元聖騎士レオンハルトは金色の翼獅子。

 そして現聖騎士ミモザは確か白い針ネズミである。

(微妙に違う)

 そこにもやはりなんだか詐欺師っぽさを感じざるを得ない。

 それにここは確かに観光地だが、田舎の人間が王都に泊まるのは高いからと遊びに来る観光地なのである。ここはちょうど第1の塔を間に挟んで王都と隣接しているため、田舎から来た人々が第1の塔を見るついでに少し足を伸ばして王都を散策したりするのに利用される街なのだ。王都の金持ちはもっとずっと田舎にあるリゾート地か友好国に新婚旅行をするものだ。

 とはいえこの二人が弟を助けてくれたのは事実である。

「く、クリーニング代を……」

 恐る恐る申し出ると、レオンハルトと名乗った男は静かに首を横に振った。

「いや、クリーニングしてもこれは落ちないだろう」

 そこまで言うと彼は視線をダグから少女へと移した。

「新しいのを買ってやる」

「いえ、勿体無いので黒く染めましょう」

「染まるか?」

「ググリの実を使えばいけますよ」

「……ああ」

 少女の言葉に男は納得したように頷いた。

 ググリの実とは黒い染料になる実である。わりとどこにでも生える強い木のため、汚れの落ちない服を再利用するために貧乏人がよく染め物に使う実だ。

「宿屋で桶を借りるか」

「貸してくれますかねぇ、桶に色つきますよ」

「よくやるから染める用の桶くらいあるんじゃないか」

 どう聞いても聖騎士などという偉い地位にいる金持ちのする会話じゃない。

「ええと、たぶん観光シーズンだから宿屋は埋まってると思うぞ」

 ダグがそう忠告すると、彼らは顔を見合わせた。

「じゃあ野宿だな」

「念の為テントと鍋持って来ておいて良かったですね」

「そうだな」

「……あんたら何者?」

 そのとんちきな会話にとうとうダグはその疑問を口にした。

 二人は再び顔を見合わせると、少女の方が代表して答えた。

「どこにでもいる新婚夫婦です」

 それだけは絶対嘘だろ。

 ダグはそう思ったが口には出さず、深く深く息を吐いた。

 それでもこの二人は、弟の恩人なのである。

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