第12話

「今更なんだけどさ……本当に私でいいの?」


 いつもの公園は相変わらず人がいなくて、街路灯だけが揺れていた。先程よりも風が吹いていない分、寒さは多少和らいでいる。

 二人そろってベンチに座り、ピアスホールを空ける準備が整うと、正面に構えた裕も緊張している様子で深呼吸を繰り返していた。


「いいって。やるなら一思いに頼むぞ」

「やっぱり怖いんじゃ……」

「うっせ! せーのって言ったら空けろよ」

「そんな急に……わ、わかった!」

「よし……いくぞ、せーの!」


 バチン!――と。大きな音が聞こえたくらいの勢いで、裕の左の耳たぶにファーストピアスがついた。一瞬だった。思っていたより出血が少なくて、裕も心なしか安堵の笑みを浮かべている。


「思ったより痛くないな。美織、天才か?」

「まぁ……ね」


 自分で空けたことがあるからね、とは口が滑っても言えない。私も上京して空けたけど、そのときは上手く空けられなくてすごく痛かったことを思い出す。


「右はどうする?」

「いいよ。片方だけで十分」


 にっと笑うと、つけたばかりのファーストピアスにちょっかいをかけるようにつついて遊ぶ。


「そうだ、美織に預けていたピアス、持ってきてる?」

「あるよ、はい」


 鞄から取り出したのは、裕が受ける入試の当日に渡された赤いスタッドピアス。裕はそれを受け取ると夜空に掲げた。街路灯の灯りが当たって、一瞬煌めいたように見えた。


「あと何日でこれを付けられるかな」

「どうだろ……ホールが安定するまで、最低でも二ヵ月は今のままだと思うよ」

「そっかぁ……じゃあまだしばらくお預けだな」


 ピアスを見つめる裕の表情は寂しそうで、片方を丁寧に台紙から外していく。


「部活で合宿したときに、ちょうど路面で広げている人がいてさ、どうしてもこのピアスが欲しくて買ったんだ。ランニング中にやったから、川瀬にはバレてあとで怒られたけど」

「……川瀬さんと一緒に買ったんじゃないの?」

「は? なんの話?」


 キョトンとした顔で見てくる裕に、思わず口を両手で塞いだ。嫉妬深いと見られてしまっただろうか、裕は吹き出した。


「なんで川瀬? アイツと部活以外で出歩いたことないよ。そもとも、部活三昧だった俺に、男以外で放課後や休日に出掛けた奴は美織以外いないけど」


 ククッと笑いをこらえながら、裕はスタッドピアスをひとつ外すと、台紙に残ったほうを私の右耳に当てた。髪を払ったときに触れた頬が熱い。


「うん。思った通り、よく似合う」

「……裕?」

「記憶はなくても、身体は覚えていることってよくあるだろ? だから、この痛みのおかげで、きっと俺は今日のことを忘れない。そしてこれからも、新しい明日を迎えられるように覚えている。……それができるのも美織が傍にいてくれたからだ」


 右耳に当てたピアスをそのまま私の手の中に包むと、裕はまっすぐ私を見た。


「いつか、明日が来ない日を迎えても、俺は最期の一瞬まで生きるよ。また美織に会うために」


 いつになく真剣な表情から目が逸らせない。それと同時に、胸の奥で何かざわつくのを感じた。


「それって、どういう……?」

「俺はもう大丈夫。だから――」


 未来では、自分のために生きて。


 その瞬間、唐突に睡魔が襲い掛かった。頭が、身体が鉛のように重い。はっきりとしていた意識がだんだんと遠のいていく。


 ぐらりと揺れて倒れた身体を、誰かがしっかりと抱き留めてくれた。きっと裕だ。

 聞きたいことはまだあるのに、どうやっても身体が言うことを聞いてくれない。


 離れていかないで。――そう叫びたくても声も出ない。


 今はただ眠くて、落ち着く香りに促された私はそのまま身を任せた。


 ◇


「おっと……」


 突然寝てしまった美織に驚いた裕は、倒れないようにとしっかりと抱き留めた。

 身体を揺らしても起きる様子がない。卒業式もあって、朝から一日忙しかったのだ。これは朝まで目を覚ますことはないだろう。


 裕は小さく溜息をついてから、美織を背負った。リュックは手に持って公園を出ると、もと来た道を思い出しながら歩く。三月とはいえ、まだ肌寒い夜なのだ。こんなところで寝入ってしまったら風邪をひく。


(美織の奴、きっと怒るだろうなぁ)


 密かに計画していたことをすべて見破ってしまった彼女には頭が上がらない。それでも自分の記憶にはタイムリミットがある。この瞬間にも、大切なものを忘れてしまうだろう。


 それでも、今だけは。


 空けたばかりのピアスホールの痛みと、彼女の温もりだけでも忘れないように。


「本当に好きだった。また会おうな、美織」


 裕が小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届いてはいない。それでもいいと思った。

 しんと静まった夜道を、街路灯の灯りを頼りに歩いていった。

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