第38話

 「うふふっ、私キスしちゃったー」

 

 「ぐふぅ……っ!」

 

 「うっふふーっ! 私、初めてのキスを経験しちゃいましたぁーっ!」

 

 「ぐはぁっ!」

 

 何時にも増して目が眩む程に輝く朝日を全身に浴びながら、俺たちは迷宮を目指して木々の間をすり抜けるように飛翔していた。

 

 「うふふっ、精霊でキスをしたことがあるのなんて私だけでしょうね! まさか迷宮から解放されたと思ったら、精霊界初のキス上級者になっちゃうなんてね!」

 

 おい、初心者がなにイキッとんねん。ピッカピカの一回生やろがい!

 

 ……今お前もやろって思った奴は全員呪われま、せん! 許します! 何故か許せるだけの心の余裕がありまぁす!

 

 「うふふ、初めてのキスは、まるで果物畑を吹き抜けたような甘い香りで満たされていたわね!」

 

 え? フレアドレイクの焼き肉の匂いしかしませんでしたけど?

 

 「それに、あれが昔ヒト種の街で耳にした、初恋の甘酸っぱさってやつだったのね!」

 

 え? フレアドレイクの焼き肉の味しかしませんでしたけど?

 

 え、人間と精霊って、こんなにも臭覚と味覚に差があるの?

 

 俺たち同じ経験をした筈だよね? 

 

 そんな疑問が脳裏を過り始めた頃、視界の先に禍々しさを増した迷宮が聳え立つ開けた空間が現れた。

 

 「は? 何でこんなに瘴気が増えてるんだ?」

 

 初キスの相手から、その感想を垂れ流しにされ続けるとかいう羞恥プレイの果てに漸く辿り着いた目的地では、明らかな異変が待ち構えていた。

 

 「それは私を解放しちゃったからだと思うわ!」

 

 「え?」

 

 「あれ? 前に言わなかったっけ? 私たちがここに閉じ込められたのって、多分猶予を与える為だったって」

 

 「……あっ、ああそう言えば。でもそれって、人間に力を分け与えるって事じゃなかったのか?」

 

 「勿論それも一つの猶予だと思うわ! でも本質は私たち精霊王を楔として打ち込む事で、迷宮の成長を鈍化させるのが一番の狙いだったと思うの」

 

 「迷宮の成長、か……」

 

 「そうよ。多分だけど、私たちを閉じ込めた存在は、人間たちがこの迷宮を攻略するのに相当な時が必要だと考えたのでしょうね。でも時間が掛かれば掛かる程、迷宮はドンドン成長しちゃって広さも階層も増していくし、その度に氾濫を起こして外に魔物を吐き出しちゃうしで、より一層人間たちの攻略は遠のいて最終的には不可能の領域に達しちゃうって結論に至ったのだと思うわ!」

 

 「まあ、普通に考えればそうなるだろうな」

 

 「だから私たち精霊王に白羽の矢が立ったって訳ね。私たちの力を迷宮の成長を抑える為に利用しつつ、訪れた人間にも力を分け与える事で、攻略までの猶予を与えていたんだと思うわ!」

 

 「成る程なぁ……」

 

 「だからね、楔の一本である私が解放されて引き抜かれちゃったから、抑圧されていた迷宮の成長が、本来の速度を少しだけ取り戻し始めているんだと思うの」

 

 「そういう事か……」

 

 よく喋るハヤテのあくまでも推測ではあるが、その見解は間違いなく的を射ていると思う。

 と、同時に、やはり件の下手人は創造神で間違いないのだとも。

 

 少なくとも、ハヤテの話に出てきた方法を魔法で再現する事は、チート知識をもってしても不可能だからだ。

 

 文字通りの人間業ではなく、神業によって為された現象なのだろう。

 

 しかしだとすると……。

 

 「何で人類は滅びてしまったんだ……?」

 

 それ程までに、それこそ精霊王たちを生け贄に捧げてまで猶予を与えるぐらいに贔屓されていたであろう人類が、終焉木に侵食され尽くすまでに衰退し滅亡した原因が謎すぎる。

 

 「それはやっぱり、迷宮の氾濫が原因じゃないかしら?」

 

 が、呆気なくハヤテから解答が齎された。

 

 「え? でもそれはハヤテたちの力を使って抑えていたんじゃないのか?」

 

 「ええそうよ。でもあくまでも抑えていただけで、完全に封じ込めていた訳ではないと思うの。特にここ数千年、いや数百年ぐらいかしら? は、人っ子一人迷宮を訪れなかったしね」

 

 つまり、人力での魔物の間引きによる瘴気の減少も、相当な期間全く行われていなかったって事か。

 ってか数千年と数百年を勘違いする時間感覚はヤバくね!?

 ちょっと待っててねで軽く数十年は放置されそうな気がするんだけど!?

 流石に忠犬でも全力で喉笛を噛み千切りにくるぞ!

 

 「だから多分だけど、この大陸の人々は迷宮の氾濫に耐えられなかったのでしょうね。私たちを楔にしても尚、成長し続けるような迷宮の氾濫だもの。相当な規模の魔物の群れが押し寄せたでしょうから……」

 

 「………………」

 

 人類を滅亡に追い込む規模の魔物の群れが、目の前の迷宮から押し寄せてくるなんて光景は、想像しただけでもチートガン積みの俺に寒気と震えを同時に感じさせるだけの絶望感を漂わせていた。

 

 「――――っ、て事は、これからも精霊王たちを解放する度に迷宮が氾濫するまでの猶予が短くなるって事なのか!?」

 

 だとすれば、迷宮の攻略も大切だが、同時に魔物の群れを迎撃する準備も必須となるだろう。

 どちらの方がより優先度が高いのか、一度しっかりと考える必要がありそうだ。

 

 「もうカイトったら、何もそこまで心配する必要なんて無いわよ! 何たって私が傍に居るんだからね!」

 

 しかし、そんな俺の懸念を払拭するように、ハヤテは胸を張りながら自信満々にそう言い放った。

 

 「それに他の子たちも解放できれば、この迷宮の氾濫どころか世界中の魔物が一気に押し寄せてきたって、カイトには指一本触れさせないんだから!」

 

 「ええ、姫プすんのかよ俺……」

 

 何て軽口を叩きつつも、俺はハヤテの言葉に心と思考が落ち着きを取り戻していくのを感じ取っていた。

 

 一人じゃないという事実がこれ程までに心強いのだと、俺はこの世界に転移した事で初めて実感した。

 

 と同時に、絶対に失ってはいけないんだという思いと覚悟を強くしたのだった。

 

 「大体昔っから迷宮が氾濫する度に、うっじゃうじゃとそこら中を這い回る魔物にはホントに迷惑していたのよね! 弱っちい癖に数だけは多いから一々全部を相手にするのも面倒臭いったらないのよ! あの頃は目についた奴ら以外は無視してあげたけど、今回は何匹現れようが一匹残らず叩き潰しちゃうんだからね!」

 

 「そんな夏には蚊が増えて鬱陶しかったみたいな言い方……」

 

 とは思ったが、十階層までの魔物を思い出すと、確かにハヤテぐらい力のある存在からすれば、蚊と同程度の煩わしさしか感じなくても不思議では無いのかもしれない。

 

 そして、そんなハヤテよりも強い俺ならば尚の事。

 

 俺は無意識の内に、目の前の現実よりも想像の方を事実として受け止めてしまっていた事に気が付いた。

 

 人類が滅んだ原因も経緯も結果も、あくまでも一つの可能性であり、所詮は想像に過ぎないのだと、今一度強く自らに言い聞かせた。

 

 意外と人類同士の戦争とかで滅んだ可能性だってあるのだ。

 というか、そのパターンの方が有り得そうじゃないか。

 結局人間の一番の敵は人間だったなんて、物語においては鉄板のオチなのだから。

 

 「確かに少しナーバスになり過ぎていたかも……」

 

 「そうよ。カイトは私よりも強いんだし、これから他の子たちも解放するんだから、戦力については一切心配する必要なんて無いわ!」

 

 「そう、だな……」

 

 「私としては魔物の事よりも、他の子たちとの戦闘でカイトがうっかりを発動してしまわないかの方が心配よ!」

 

 「いや、流石にそれは……」

 

 念のために保険を掛けて断言は避けておくけど、俺をポンの子扱いするのは止めて貰えませんかね!?


 そんな俺の姑息な狙いに勘づいているのか、ハヤテは俺の真正面からジト目を寄越してくる。

 

 ほぼゼロ距離で交わされる互いの視線の近さに、思わず昨晩の出来事が脳裏を過ってしまった俺は、血流が一箇所に集中し始めるのを感じ取った。

 

 「~~っ!? さ、さあ、こんな所で何時までも油を売っていても仕方ないから、さっさと迷宮へ行こうじゃないか。ハヤテのお友達も待っている事だろうしね! ハッハッハッハーっ!」

 

 俺は、自らの顔が一つの感情に色付く前に素早くハヤテから距離を取り、自然な振る舞いを装いつつ迷宮へと飛翔する。

 

 そしてチラリと背後に目を遣ると、首元まで真っ赤に染まったハヤテが、丁度ムニムニと唇を動かしている場面を目撃してしまった。

 

 「カイトのバカ……。したいならしたいって言えば良いのに……」

 

 そうして零れ落ちた小さな呟きは、そよ風に阻まれて俺の鼓膜を揺らさなかった事にした。

 

 俺は強靭な意思でもってハヤテから素早く視線を切ると、ほんの僅かも首を動かさないまま迷宮のみを視界に捉える。

 

 以前よりも瘴気の濃さが増し、その発生領域も広がっているせいか、迷宮の入り口も一回り程大きくなっているように感じられた。

 

 「さあカイト! ちゃっちゃと他の子たちも救ってあげちゃうんだからね!」

 

 しかし、そんな迷宮の異様な威容など物ともせず、ハヤテは俺の手を掴むと一歩先を飛翔し始めた。

 

 強気な言葉とは裏腹に、露骨なまでに俺の命を護らんとするハヤテの心情が、その行動によって鮮明なまでに示されていた。

 

 俺は、そんなハヤテの過保護な振る舞いに苦笑を浮かべながらも、二度目の迷宮探索を二人ぼっちで始められる事に、確かな頼もしさを感じずにはいられないのだった。

 

 「そう言えば、今回からハヤテの居た部屋になら、渦を使ってショートカットできるんじゃないか?」

 

 「確かにそうね! でもカイトさえ良ければ一階層から始めた方がいいかも?」

 

 「え、何で? また十階層まで進むのは面倒臭いぞ?」

 

 「それはそうなんだけど、想像以上に瘴気が増えちゃってるみたいだから、少しでも魔物を間引きしておいた方が無難かもって」

 

 「ああ、確かに……」

 

 迷宮における最優先事項は精霊王たちの解放であるが、だからと言ってそれ以外を疎かにしていい理由はない。

 

 とはいえ、今さら何の手応えも達成感も感じられない、ただの虐殺をやらねばならないというのは中々に億劫ではある。

 

 そんな煮え切らない態度のまま進み続けていると、迷宮の階段を目前にして、突如俺の脳内に『十階層に転移しますか?』という問い掛けが浮かび上がった。

 

 しかし、二色の渦に接近した時にも似たような事態に遭遇していたので、俺は心臓を強烈にドキンッとさせただけで、表面上は平静を保つ事に成功した。

 

 「これ、多分ハイって思考するだけで転移できると思うけど……」

 

 「カイトの方針に従うわよ!」

 

 「お、おう……!」

 

 ハヤテから寄せられる全幅の信頼に応えるべく、俺は決断を下したのだった。

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