第36話

 「えっ、ちょっ、どういう事!?」

 

 「ふふっ、もうなにその顔ーっ。ふふふっ、アハハッ、もうカイトってば、受肉したばかりなんだからあんまり笑わせないでよ!」

 

 「じゅっ、受肉っておま――っ!?」

 

 俺の間抜けな顔を見て腹を抱えて爆笑するハヤテの姿は、その特徴的な服装や容姿を除けば、どこからどう見ても人間にしか見えなかった。

 

 受肉という言葉が示す通り、ハヤテは人間の肉体を得たという事なのだろうか。

 

 「そうはいっても、この依代だと精々数日間ぐらいしか保たないでしょうけどね」

 

 一頻り大笑いして満足したのか、未だ唇の端はピクついているものの、正気に戻ったハヤテは種明かしをするように話し出した。

 

 「それでも、私みたいな精霊が何のリスクも無しに世界に顕現できるなんて、本当は絶対に有り得ない事なんだから。それを簡単に成し遂げたカイトは世界最高の魔法使い決定ね!」

  

 「え、そ、そうなんですか……?」

 

 「うん!」

 

 「………………」

 

 「………………」

 

 いや、説明足りなくない!?

 

 何をドヤ顔で黙り決め込んでんねん!

 

 もっと伝えるべき事があるでしょ!

 

 幾ら個人情報の取り扱いが厳重かつ多様性が尊ばれる社会に身を置いていたからといって、目の前の事象をスルーできる程のリテラシーは兼ね備えていない。

 

 俺はハヤテに事の次第を根掘り葉掘り尋ねまくった。

 

 「えっとね、そもそも私たちは自然そのものみたいな存在だから実体を持っていないんだけど、それぞれの属性に対応した現象や物質を依代にして受肉する事で、短時間だけど世界に顕現する事ができるのよ」

 

 「ほ、ほう……」

 

 「でもね、肉体を得た精霊は顕現できる時間が過ぎると、存在そのものが分解されてしまうの」

 

 「ほ、ほう、ぅえっ!? それじゃあハヤテ――!?」

 

 「あ、大丈夫大丈夫! 私は消えたりしないから! でも、そもそも精霊って存在が分解されても死ぬ訳じゃなくって、新たな小さな精霊に分割されるって感じだから、そんなに悲しむような事でも無いのよ」

 

 「新たな精霊に……」

 

 「そうそう。私で例えるなら、私っていう一つの存在が数千数万の小さな小さな精霊に分裂して、それぞれが意識を持ち始めるって感じ!」

 

 「それじゃあ、その小さくなったハヤテに、今のハヤテの記憶とかは――」

 

 「受け継がれないわ! あくまでも元が私だったってだけで、新たに生まれた精霊はその子自身が成長していく過程で自我を芽生えさせていくものだから」

 

 「それってハヤテ自身は死ぬのと変わらないんじゃ……」

 

 「うーんそうかしら? 私たち精霊にとっての死は消滅する事だから、存在が僅かでも受け継がれていくのなら、死ぬというよりは新たな生が始まるって思っちゃうかなぁ……」

 

 「そう、なんだ……」

 

 人間と精霊の間には、本当に大きな価値観の違いがあるのだと改めて実感させられた。

 

 それとも異世界人の俺の価値観が異端なだけで、この世界で生きていた人々もハヤテと同じような死生観だったのだろうか。

 

 それは最早知る由もない事だと思うのと同時に、何となくこの世界の人間とも話してみたかったなと叶わぬ願いが胸を衝いた。

 

 「あ、それならハヤテも元々は別の風の精霊が分裂した結果、生まれたって事になるのか?」

 

 「うーん、どうなんだろうねえ。私には前の記憶っていうのかな? そういうのは特に無いから分からないかなぁ」

 

 「そうなんだ」

 

 「ただ、精霊が顕現すること自体、かなり稀な現象だからねえ……」

 

 「そう、なんだ……?」

 

 「うーん、私より強いカイトなら怖がったりしないと思うから話すけど、精霊が顕現する時って、大体が人間にブチギレた時だからねえ」

 

 「へぇ……ええ!?」

 

 「私が昔に見たのだと、水の精霊が棲家にしていた湖を人間が汚しちゃって、何度も警告したのに無視され続けてブチギレた水の上位精霊が、幾つもの湖を繋げて依代にして顕現したり、同じく棲家にしていた大地を汚された土の大精霊が、山脈を依代に顕現したり、火の中位精霊が山火事を依代に顕現したり、風の特位精霊が巨大竜巻を依代に顕現したり……」

 

 そうしてハヤテは、俺の質問に答えながらも、懐かしむように昔話に花を咲かせ始める。

 

 柔らかな微笑みを浮かべながら楽しそうに話す姿からは、まるでマイナスイオンでも発生しているかのような清涼さに溢れているのだが、そのどれもが人間にとって碌でもない結末を辿るばかりのエピソード集であったため、やっぱこの世界を滅ぼしたのってハヤテたち精霊なんじゃね? という疑惑は深まっていった。

 

 しかし、精霊の時間感覚は定かではないが、ハヤテが知り得る限りにおいても、精霊の顕現は十回を越えなかった。

 

 ハヤテたち精霊の感覚からすると、この回数はかなり稀という話だが、人間にとって多いのか少ないのかについては、正直なところ俺には判断がつかなかった。

 しかし、争いの発端がいつも人間側の不手際にあった事と、精霊が齎した被害の規模が大きい事だけは理解できた。

 

 まあ、それはあくまでもハヤテたち精霊側の意見のみを聞いた結果だけれども。

 

 「そんな感じでね、時折顕現しちゃう子たちはいるんだけど、みんな肉体が崩壊する事を覚悟しているから、兎に角相手に制裁を与える事だけに固執しちゃって暴れ続けるだけだから、こんな風に誰かと触れ合うために受肉するなんて考えもしないんだよね」

 

 「お、おっふ……!?」

 

 「勿論私も、カイトの作った木像を見るまでは、こんなこと思い付きもしなかったわ」

 

 風がそよぐように自然に俺の隣に移動したハヤテは、俺と腕を絡ませ合いながら上目遣いにそう呟いた。

 

 「だからカイトには本当に感謝しているのよ。迷宮から救い出してくれただけじゃなくって、こんな奇跡のような体験までさせてくれるなんて!」

 

 「いや、その、まあ、どういたしまして……?」

 

 「終焉木が大陸中を埋め尽くしていた時はどうしようかと思ったけど、こんな素敵な使い道があるのなら、多少は見逃してやってもいいわね!」

 

 「――――っ!?」

 

 またもや俺が意図していない事による成果に対して、真っ直ぐな感謝を向けられ反応に困っていたところ、遂にハヤテがこの世界の現状について口にした。

 

 「ふふふっ、あの子たちにも迷宮から助けてあげた後に体験させてあげたいわね!きっと――――」

 

 「ハヤテ!」

 

 何を焦る事があったのか、俺は逸る気持ちを抑えきれずに声を荒らげてしまった。

 

 「? どうしたのよカイト。急に大声なんて出して?」

 

 「あ、いや、すまん……」

 

 しかし、そんな俺とは対照的にハヤテは話を遮られたにも関わらず、特に気にした様子も見せずに首を傾げただけだった。

 

 俺は気まずげに謝罪を述べつつも質問を続けた。

 

 「その、ハヤテは正直どう思ったんだ? 折角迷宮から解放されたのに、人っ子一人いない、人類の滅んだこの世界を目の当たりにして。終焉木に支配されたこの世界で、これからどう生きていくのかについて……」

 

 「人類が、滅んだ、世界……?」

 

 ハヤテは訝しげな表情を浮かべながら、絡ませていた腕をほどいて顎に添えると、大きく首を傾げた。

 

 俺は腕に残る温もりに名残惜しさを刺激されつつも、ハヤテのその様子を見た瞬間、脳裏にピンと閃くものがあった。

 

 さてはコイツ、人類に対して一欠片の関心も無いな、と。

 

 思い返せばハヤテは長年に渡って迷宮に封じられる中で、そこを訪れた人間の善くない部分を沢山見せられていたのだ。

 

 滅びを前にして手段を選んでいられなかったのだろうとは思うが、ハヤテの力のみを受け取りながら迷宮の攻略を放棄したばかりか、最後は石化したハヤテを我欲に任せて我先にと運び出そうとさえしていたらしい。

 

 その過程で、人々がどの様なやり取りを交わしていたのか細かくは聞いていないが、決して平和的な交渉のみが繰り広げられていたとは思えない。

 

 そんな人間の醜態を、絶望の只中でまざまざと見せ付けられ続けたハヤテが、最早その存亡にすら無関心になったとして、一体誰が責められるというのか。

 

 俺は自らの問いがお門違いであったと察した。

 故に、質問の内容を少し変えて再度問い掛けてみる。

 

 「その、精霊すら滅んでしまったこの世界に対して、率直にどう思っているのか教えて欲しいんだ。今後、それこそ迷宮から他の精霊王たちを解放した後に、俺たちだけでどんな暮らしをしていくか、今から少しでも考えるための参考にできればと思って……」

 

 俺が話せば話す程に深みを増していくハヤテの顔のシワと首の角度に、最後は尻切れトンボみたいになってしまったが、何とか聞きたいことは全て言い終えた。

 

 特にこれから先のビションについては、可能な限り共有しておきたい。

 

 それこそ、全ての精霊王を解放した結果、こんな滅んだ世界なんて壊れてしまえ! とばかりに暴走されても困るし。

 

 そんな意図を込めた俺の質問を受けたハヤテは、困惑も露に口を開いた。

 

 「そういえば、カイトって異世界から来たって言っていたけど、ここに来てから今までどうやって暮らしていたの?」

 

 「えぇ、先に俺の質問に答えて欲しいんだけど」

 

 「そ、それにちゃんと答えるために必要な事なのよ!」

 

 「ええ、まあいいけど……」

 

 質問に質問を返され若干イラついたものの、解答のために必要と言われれば致し方ない。

 

 それに、言われてみればハヤテは俺の人となりをよく知らないのだ。

 ならば、これから共に暮らす事になる人間の人柄を、ある程度推測し得る情報は喉から手が出る程欲しいだろう。

 ましてや俺は、異世界出身という要素まで兼ね備えているのだから尚の事。

 

 俺はハヤテの行動に理解を示すと、転移初日から今日に至るまでの経緯を端的に話した。

 

 「成る程ねえ……。終焉木の上から周囲を見回した、だけなのね……」


 消え入るように某かの語尾を呟いたハヤテに、俺は見たままの光景をそのまま伝える。

 

 「ああ。魔法も併用したが、地平線の先までびっしりと生え散らかしてやがったぞ」

 

 「ええそうね。実際大陸の殆ど全てに終焉木が生えていたもの」

 

 「だろうな」

 

 例外があるとするならば、ハヤテたちが封じられている迷宮の周囲のような、瘴気が発生している場所ぐらいのものだろう。

 

 「それで? 俺の異世界生活ボッチ編を聞いて今後の参考になったか?」

 

 「そうね……」

 

 そう呟いたハヤテは一度深く目を瞑ると、何かを決意したかのようにクワッと両目を見開き口を開いたのだった。

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