第35話

 夜の帳が幕を下ろし、異世界の紫がかった月が仄かな光を灯し、代わり映えのしない星々が夜空に瞬く中、俺は一人屋敷の外で【錬成】した丸太をせっせと削っていた。

 

 「そういえば、この世界の月をまともに見たのは始めてだな」

 

 これまでは夜になる前に屋敷に戻っていたし、夜になっても作業が終わらない時なんかは、手元にばかりに意識が集中していたから、夜空を見上げる余裕なんて無かった。

 

 しかし今日は違う。否、今日からは違っていくのだろうと思う。


 装備の更新を終えた今、僅かな月明かりを頼りにわざわざ外で作業する必要性は全く無いのだが、ハヤテが未だ里帰りから戻らない状況で、自分だけ屋敷の中に入るのが妙に躊躇われてしまっているのだ。

 

 俺が逆の立場なら別に気にしないし、ハヤテも特に気にしないと思いはするのだが、何故か屋敷で一人という状態に座りの悪さを感じてしまい、結果として薄暗い中で木像作りに精を出しつつ時間を潰す事となった訳だ。

 

 一人っきりのままなら決して起こり得なかった生活習慣の変化が、ハヤテの登場と共に始まったのだった。

 

 俺はそんな感慨に耽りつつも、指先にまで纏わせた【風刃】で細部に至るまで正確に象りながら、先程までの装備作りで散々やった【強化】の付与も滞りなく進めていく。

 

 とはいえ、正直ハヤテの帰還がここまで遅くなるなんて思っても見なかったから、どうしても心がソワソワしてしまうのは否めない。

 

 風の精霊王たるハヤテの知覚範囲の広さを想定すれば、世界の現状を知るだけならば昼前にも終わっていた事だろう。

 

 にも関わらず、夜になっても帰還しないのは、どこかで一人、失ったものの数の多さに打ちひしがれて泣き崩れてしまっているからではないかと勘繰ってしまう。

 

 慟哭するハヤテの姿ばかりが脳裏を過る。

 

 「いっそ除き見……いやいやその一線は越えちゃダメだろ」

 

 どんな理由があれども、一度でもラインを越えてしまえば何度でも繰り返してしまうのが人の性。

 それを思えば、今はぐっと堪えて待ちに徹するのが吉。

 

 俺は雑念を振り払うように一心不乱に丸太を削っていく。

 

 「出来ちゃった……」

 

 そうして二柱を模した木像は完成へと至った。

 

 ハヤテの事に気を取られてしまっていた一体目の木像、創造神の木像は、お世辞にも満足のいく出来映えとはならなかったが、続けざまに製作した破壊神の木像は、自画自賛に胸を張れるだけの仕上がりとなっていた。

 

 ハヤテからしたら憤懣やる方無い気持ちを抱くかもしれないが、あの雲に囲まれた部屋で石化したハヤテの姿から受けたインスピレーションがあってこその完成度だった。

 

 日本では、全くと言っていいくらいに芸術の類いには無関心だった俺が、人生で初めて感銘を受けた芸術品がハヤテの石像だったのだ。

 

 「まあ、こんな事をハヤテに言ったら間違いなくぶっ飛ばされるだろうけど」

 

 長年に渡って自らを苦しめてきた地獄の石化状態の事を、無神経に感銘を受けた芸術品扱いされてしまえば、百年の恋も冷めるどころか憎さ百万倍になってもおかしくはない。

 

 「こればっかりはハヤテに内密にしないと――――」

 

 「え? 何が内密なの?」

 

 「~~~~~~っ!?」

 

 心臓が止まりました。僕の冒険はここまでのようです。皆さんさようなら。チーン……。

 

 「ねえねえカイト、何が内密なの? ねえねえ教えてよ。ねえねえってば!」

 

 それを言ったら内密じゃなくなるだろうが! って言い返したいけど、それを口にしたら自ら内密を捨て去るのと同義だろう。

 

 俺は止まった心臓を動かす為に、左胸を拳で連打しながら、殺人未遂の犯人に視線を送る。

 

 まるで俺の瞳の奥底から真実を抜き出そうと画策しているかのような、翡翠色の真っ直ぐな視線が突き刺さる。

 

 「うっ……」

 

 その純粋極まる眼差しに、思わず疚しさを刺激され気圧されるように呻いてしまう。

 

 「あ、その、別に変な意味とかじゃないんだけど……」

 

 「うんうん!」

 

 まるで浮気を問い詰められるダメ男のように、結局は白状せざるを得なくなってしまった。

 

 「あの像、破壊神がモデルなんだけど、その、作る時に石化したハヤテの姿を参考にした部分があって……」

 

 「それでそれで?」

 

 「それで、え? えーと、何か、その、ハヤテは苦しんでいただろうに、その姿を参考にするなんて、デリカシーが無かったなって……」

 

 「なる程ねえ、それが気まずくて私に隠そうとしたって訳ね!」

 

 「あ、はい。ごめんなさい……」

 

 俺の立場弱くない!?

 

 何て思いはするが、誓約者マスターだからといってハヤテの気持ちを蔑ろにしていい筈も無ければ、その様に横暴に振る舞う度胸もない。

 

 ましてや、現在この世界でたった二人っきりしかいないのだ。こんな事で嫌われたくはない。

 

 そもそも、今回は誰に言われた訳でもなく、自分自身が誰より己の非を認めているのだから、素直に謝罪するべきだろう。

 

 俺はしっかりと腰を直角に曲げて頭を下げたまま、ハヤテから何らかの返事が返ってくるのを待つ。

 

 「………………………………………………………………」

 

 いや、長くない!?

 

 別に許しの言葉を待ってるとかじゃなくて、ブチギレて罵倒するにしても間が長すぎない!?

 

 え、そんな長考する程のディスをお見舞いするつもりですか?

 

 流石にそこまでいくと温厚な私でも逆ギレが発動する可能性は否定できませんよ。

 

 俺は冷や汗が額や背中から流れ落ちるのを感じながら、徐に顔だけを上げてハヤテの様子を伺う。

 

 「……ハヤテさん……どうかしました、ってどこ見てるんだ?」

 

 罵詈雑言を覚悟しながらの決死の問い掛けに、しかしハヤテは無視を決め込んだばかりか、その視線は俺から逸れて背後に釘付けになっていた。

 

 俺は姿勢を戻すと、ハヤテの視線を追いかけながら振り返る。

 

 「するとなんと言う事でしょう。美しい破壊神の木像があるじゃありませんか」

 

 何処となく重い雰囲気を変えたくて精一杯おどけてみるも、反応無し! やらなきゃ良かったわ!

 

 俺は破壊神の木像とハヤテに挟まれている状況に据わりの悪さを感じてしまい、そそくさとハヤテの隣に移動した。

 

 すると、それを見計らった様なタイミングでハヤテが漸く口を開いた。

 

 「ねえカイト。あの破壊神? の像って何個でも作れるの?」

 

 「え、まあ素材が有るなら幾らでも」

 

 「そう、そうなんだ……。触ってもいいかしら?」

 

 「あ、あぁ、好きなだけどうぞ」

 

 「ありがとね」

 

 「お、おう、どういたしまして……?」

 

 いつの間にかハヤテに標準搭載されている筈の快活さは鳴りを潜め、酷く静謐な様子のまま破壊神の木像に近づくと、恐る恐るといった調子で指先を掠らせるように触れた。

 

 と言っても、風の化身であるハヤテの指先は木像を透過してしまっているのだが。

 

 しかし、木像の何がハヤテの琴線に触れたのか、何度も何度もそれを繰り返しては、指先を透過させ続けるのであった。

 

 俺はその様子を黙って見つめる事しか出来なかった。何か意図も意味も分からなすぎて怖いし。

 

 そうして暫くの間、指先で木像を透か透かし続けて満足したのか、ハヤテは俺の方に振り返ると、満面の笑みを浮かべながら言葉を発した。

 

 「ねえカイトっ、例えばなんだけど、あの像と同じ品質で私の木像も作れるかしら?」 

 

 「え、まあ作れると思うけど」

 

 「じゃあお願い! 今すぐ作ってみて欲しいの!」

 

 「今すぐ!?」

 

 「今すぐ!!」

 

 お、おうマジか、といった本音を両目に込めながら夜空を見上げるも、ハヤテは俺の視線につられる事なく、夜空に瞬く星々よりもキラキラと輝く瞳を真っ直ぐ俺に向け続けてきた。

 

 「じゃ、じゃあ少々お待ちを」

 

 「うん!」

 

 その翡翠色の煌めきに、どうせ根負けするのが目に見えていたため、俺はさっさと降参すると、空中に腰を下ろして【錬成】した丸太の残りを引き寄せた。

 

 そうして再度【風刃】を手に纏わせると、一撫で一撫でに【強化】を込めながら丸太を削っていく。

 

 瞬く間に丸太は風属性を帯びていった。

 

 俺は間近にいるハヤテには敢えて視線を向けずに、記憶の中に焼き付くハヤテの姿を象っていく。

 そうする事で、視線を何度も行き来させる事なく、丸太に固定したまま製作を続けていったのだ。

 

 程なくして、ハヤテの木像は完成した。

 

 それも【精霊誓約】による特別な繋がりがあるお陰か、ハヤテに一度も視線を向けないままに、これまでで一番高い完成度を誇る木像が出来上がったのだ。

 

 「いやそれで言うなら、創造神の像よりも破壊神の像の方が出来が良くなるのって、俺個人の思い入れの差とかじゃなくて、チートの根幹を授けてくれたのが破壊神だからで、その繋がりが品質にも影響しているって事になるのか……?」

 

 思わぬ疑惑の誕生に、俺の思考は一瞬で流されてしまい、ハヤテの動向から完全に意識が逸れてしまった。

 

 「ああ……! ホントに素晴らしい出来だわ。ありがとうカイト、ホントに最高よ」

 

 「え、何だって?」

 

 まるでそよ風が頬を撫でるかのように呟かれたハヤテの言葉が、思考を巡らせていた俺の鼓膜を僅かに揺らしはしたのだが、音は拾えていても意味は聞き取れていなかった。

 

 とはいえ、声を掛けられた事は認識できたので、一旦思考を打ち切りハヤテに聞き返しつつ視線を向けると、木像の背後にピッタリと張り付くハヤテの姿が視界に映った。

 

 「何してんの?」

 

 我ながら何の捻りも素っ気もない質問だが、目の前の光景にはそう問い掛けるしか選択肢は無かった。

 

 戯けた表情を浮かべているのならまだしも、自分そっくりの木像のすぐ後ろで至極真面目な表情を浮かべているのだ。流石にシュール過ぎるだろ。せめて何か言えや。

 

 そんな俺の心の声が届いたのか、ハヤテは一転して満面の笑みを浮かべると、心底嬉しそうに喋りだした。

 

 「ふふっ、まさか私にこんな機会が訪れるなんて想像もしなかったわ! それも、これまでの歴史上どんな精霊も成し得なかった奇跡を!」

 

 「ちょっ、ハヤテ!? 一体何をするつもりなんだ!?」

 

 「ふふっ、ちゃんと見ていてよねカイト! 絶対に驚くんだから!」

 

 「いや、だから先に何をするのかを――――」

 

 しかし俺は最後まで言い切る事が出来なかった。

 

 どこか悪戯な笑みを浮かべたハヤテが木像と完全に重なりあった瞬間、翡翠色の光が辺り一面に拡散され視界が塗り潰されてしまったからだ。

 

 俺は反射的に腕で視界を遮るも、一歩先に飛び込んできた光は網膜に被害を与える事はなく、それどころか眼精疲労を癒すかのような柔らかさだけを残して消え去った。

 

 それは時間にすれば刹那の時であったが、強く記憶に残り続けるであろうと思わせる美しい光景であった。

 

 そんな瞬きのような感傷に浸りながら、再び静寂を取り戻した世界に視線を巡らせると。

 

 「……っ! は、ハヤテ、その姿は――!?」

 

 「ふふっ、やっぱり驚いたわねカイト! どう、私のこの姿は?」

 

 大地にしっかりと両足をつけて仁王立ちするハヤテの姿が飛び込んできたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る