第32話

 「それでカイトはこの後どうするの?」

 

 何とか言葉を尽くして会話をする際の適度な距離感をハヤテに伝え終わると、満を持したかのように彼女は疑問を口にした。

 

 「この後、か……」

 

 そしてその質問は今の俺には中々にクリティカルであった。

 

 正直迷宮探索ならまだまだ行ける。

 

 というか、ハヤテを倒した、んじゃなくてハヤテの核、チート知識によると上位の精霊のみが持つという精霊核を、俺の魔力で染め上げて支配した時に滅茶苦茶レベルアップしたから、諸々を勘案しても迷宮突入時とは比較にならない位には調子が良い。

 

 「つってもなぁ……」

 

 徐に視線を下げると、そこにはズタズタに引き裂かれた装備品一式が映る。下着からローブに至るまで無事なものは一つも無い惨憺たる状態だった。

 

 とはいえ、ここまでの道中を思えば、例え裸であってもまだまだ先には進めるだろうし、何より今はハヤテの存在もある。

 

 ハヤテと同格の化け物でも出ない限り、戦闘においては鎧袖一触なのは確実だろう。

 

 そうはいっても、ハヤテというイレギュラーが十階層のボス部屋の直後に出てきた事を考えると、同格の化け物がまたぞろ現れないとも言い切れない。

 

 「うぅーん……」

 

 攻略サイト見てぇ……なんて、みんなそうやろ! としか言い様の無い感情しか浮かばない。

 

 本音を言ってしまえば、俺は迷宮の魔物というよりも、迷宮そのものへの警戒心が特段強まってしまっているのだ。

 

 何故なら【精霊誓約】によって知り得た情報によると、ハヤテの存在は風の精霊の中でも最上位に位置する風の精霊王エレメンタルルーラーであるらしい。

 

 俺はハヤテ以外の精霊を見たことが無いから、そのランク間の力差については何とも言い難いのだが、少なくとも破壊神に鍛えられたうえにフレアドレイク戦を経てレベルアップまでしたチートの権化たる俺と、ほぼ互角の力量を備えていた事だけは確かだ。

 

 その事実だけでも、風の精霊王の強さが常軌を逸している事が分かる。

 

 しかしそうであるならば、自由を愛し束縛を嫌うという風の精霊、それも最上位に位置するという精霊王が、何故迷宮内で石像となっていたのか。

 そして何故今それが解き放たれ、狂乱状態となってしまっていたのか。

 

 その全てが謎のままなのだ。

 

 そもそも、誰がどうやって風の精霊王を石像に変えたというのか。

 少なくとも、俺のチート知識の中にさえその手段は記されていないというのに。

 

 そして、そんな疑問が鎌首をもたげる度に、俺は背筋が凍るような思いを味わうのだ。

 

 もしもこのまま迷宮の奥底まで進んでしまえば、俺自身がその様な憂き目に遇うのではないかと。

 

 人っ子一人居ない不毛の大地に転移した末に、迷宮で石像にクラスチェンジさせられるとか、仮に天罰だとしても人類を滅亡にでも追い込んでないと釣り合わないだろ。

 

 えっ、もしかしてそういう事?

 

 この世界を滅ぼした一端をハヤテが担っていた的な? その罪を償う為に、もしくは単に罰として迷宮に封じられた的な? そんなまさか……。

 

 「ねえねえ、何で返事してくれないの?」

 

 「――っ!? お、おう、いや、その……」

 

 思わず言葉に詰まってしまう。

 

 果たして踏み込んでもいい話なんだろうか。

 いやそれよりも、もしハヤテから『そうだよ』なんて返答された日には俺、どんな顔をしたらいいか分からないよ。

 

 この世界で唯一の話し相手と、即日で気まずい関係になるのは避けたいのが人情だろう。

 

 例えその相手が、大量殺人犯にして人類滅亡の大戦犯だったとしても。

 

 ってか俺って、そんなヤバイ奴と二人っきりで生きていかなきゃならないの?

 

 寝首、持ってかれない?

 

 「まーた黙っちゃった! ねえ何で? さっきまで普通に話してたのになんでなんでなんで×∞」

 

 なんでなんでうるせえ!

 

 俺の周囲を飛び回りながら360度全方位から浴びせかけられるなんで攻撃に、俺の空よりも高い位置にある堪忍袋の緒がぶち切れた。

 

 「じゃあ先に聞かせて貰うけどさ!」

 

 「なになに? 何でも答えてあげちゃうわよ!」

 

 「あ、うん、その、さ……」

 

 かなり強めの語気を放ったのに、満面の笑みで迎撃されて撃沈した。

 

 何こいつぅ、めっちゃコミュ強くさいんだけどぉ……。

 

 俺今結構感じ悪い態度だったと思うんだけど、何でそんなにニッコニコなのぉ。

 

 罪悪感えぐぅ……。でももう黙ってるのもそれはそれでしんどいから聞いちゃう!

 

 「その、さ、嫌なら答えなくても良いんだけど、ハヤテって何で迷宮にいたの?」

 

 「あぁ、その話ね……」

 

 地雷踏んだかぁーっ!?

 

 声のトーンを二段階くらい下げたハヤテは、笑顔を消し去ると露骨に眉を顰めた。

 

 「あ、その、いや、なんか、別にねっ、別に無理に答える必要は無いんだけど、何か一応ね、一応。ほら一応聞いとくか的な感じっていうか、なんかね、うーん、なんかその、ね……なん、か、うぅーん……」

 

 だ、駄目だぁーっ! リカバリー出来ねえ! 言葉が全然出てこねえよ!

 

 嘘だろ、これから毎日こんな気まずい感じで過ごさなきゃならないの?

 

 寝首を掻かれるかもって緊迫感と、過去話の地雷を踏んじゃうかもって緊張感に苛まれながら生きてくの?

 

 そんなんチートが幾つあっても足りないだろ! 毎秒胃がぶっ壊れるわ!

 

 「そうね。カイトは私の誓約者マスターなんだし、全部話しておくべきだよね」

 

 脳内だけで百面相をしながら騒いでいた俺の耳に、落ち着き払ったハヤテの声が響き渡り、何とか正気を取り戻す。

 

 俺は努めて平静を装うと、凛とした表情を意識して浮かべたまま頷き一つで話を促した。

 

 「そうね、どこから話そうかな……」

 

 ハヤテは中空に視線を漂わせながら、言葉を探すように唇を震わせた。

 

 「私たちがここに閉じ込められたのはね、多分猶予を与える為だったと思うの」

 

 そうして語り始めたのは、ハヤテにとっての地獄の日々の始まりだった。

 

 「何の前触れも無かったの。ただ不思議とここに来なくちゃって思って。そしたら偶然他の子たちも集まっていて」

 

 何年前の話なのかは定かではないが、当時から既に風の精霊王だったハヤテは、何かに導かれるようにこの地を訪れたらしい。

 

 そして時を同じくして、ハヤテと同格の精霊王たちとの邂逅を果たしたようだ。

 

 「それでね、みんな同じことを言うの。来なくちゃいけない気がしたって。だからね、みんなで一緒に向かったの。本当は精霊だけで入るのは良くない、というか禁止されてるんだけど、その時は誰も咎めなかったの。勿論私もね」

 

 情報共有を行ったハヤテたち精霊王は、どうやらパーティーを組んでこの迷宮へと突入したらしい。誰にかは知らないが禁止されているにも関わらず、何者かの導きに従って。

 

 「それでね、ドンドン進んでいった先でね、声がしたの。みんなの頭の中に同時に同じ声がね」

 

 おぉ、いよいよ黒幕の登場か。

 

 出来れば正確な階層を知りたいが、そこまで細かい事は覚えていないそうだ。

 というかハヤテの事だから、そもそも階層を数えてすらいなかったんじゃないかと思う。

 

 「とても低い声だったわ。それも強く響くような耳心地の良い。ヒト種の大人、それも老人に近い印象を受けたわ」

 

 成る程。歳を重ねた賢者的な感じかな。

 にしてもヒト種って。普通に人間とかヒューマンで良くね?

 

 ってか、俺のチート知識にも精霊王クラスを呼び寄せる魔法なんて見当たらないんだけど、その賢者って何者だよ? いやマジでどういう事……。

 

 「それで私たちはこの姿になったの。その声の主の対極に位置するように」

 

 「えっ!? じゃあハヤテの本当の姿は別にあるの?」

 

 「元々はね。でも今はもうこの姿で固定されてしまったみたい。余りにも長い時間を過ごしたからかしら?」

 

 「そ、そうなんだ……って、ごめん話の腰を折っちゃって。気にせず続けて続けて」

 

 「ふふっ、別に良いのに。でもそうね、それで確か、みんながそれぞれ新しい姿を象った直後だったと思うわ」

 

 【世界の礎となれ】

 

 「たったそれだけ。たったそれだけの言葉で私たちは石化させられて迷宮の中に置き去りにされたの」

 

 「………………」

 

 俺の脳裏に一人の、否、一柱の姿が過る。

 

 強く響くような低い良い声をした推定老人。

 よもやその男性は、真っ白な毛に覆われた姿をしていませんでしたか?

 

 なんて質問をしても、ハヤテは声を聞いただけで姿は一切見ていないから分からないそうだ。

 

 しかし、複数の精霊王を相手にそんな事をやってのける存在など、かの二柱をおいて他には居まい。

 

 とはいえ、俺その実行犯に心当たりがありまっせとは口が裂けても言えない。

 

 仮に真実を知ったハヤテが、積年の恨みとばかりに挑んだところで、屍を晒すのが関の山だから。

 

 「それでね。ここに放置されてから何人、ううん、本当に数え切れない程の人間が訪れたわ」

 

 「――――っ!? 人間、居たのか……」

 

 「? ええ勿論居たけど、何か変なところでもあった?」

 

 「あ、いや、すまん。何でも無いんだ。話を続けてくれ」

 

 そうか、ハヤテは知らないんだ。

 

 永きに渡って礎とされた世界が、もう既に滅んでしまっている事を。

 

 「ふふっ、変なの。……それでね、訪れた人間が私に触れる度にね、私の力がドンドン抜き取られていったの」

 

 「抜き取られて……」

 

 「そう。人間たちはみんな『風の加護を得た』って喜んでいたわ」

 

 「………………」

 

 何となく話が見えてきた。

 

 多分だが、ハヤテたちは触れた相手に自らの属性を分け与えるラッキーアイテムとして迷宮に配置されたのだろう。

 

 まず間違いなく創造神によって。

 

 「それでね、気付いたの。礎となれってこういうことなんだって。私たちは迷宮を攻略する人間たちに力を分け与える為だけの道具にされたんだって」

 

 「そう、なんだろうな……」

 

 まあ普通気付くよな。そんな事が繰り返し起きれば。

 

 「でも思ったのよ。これはこれで仕方ないって。だって迷宮は私たち精霊にとっても災厄でしかないから」

 

 「そう、なんだ……」

 

 「だからね、私は応援していたの。毎日毎日迷宮に潜って戦う人間たちを。私の力を宿して強くなっていく人間たちを。いつの日か、彼らがこの迷宮を討ち取って、私たちを解放してくれる時を信じて」

 

 「そう、か……」

 

 しかしその願いは叶わなかった。

 世界が滅びてから、俺という異世界人が来るまでにどれだけの日々が過ぎ去ったのかは定かではないが、終焉木の生え方からして途方もない時間が経過した事だけは分かる。

 

 「でも私は諦めちゃったの。時が過ぎ去る度に訪れる人間の数は減っていく一方だったし。それに最後に人間を見た時なんて、みんな石化した私を運び出そうとするばかりで、もうこの先へ進もうとすらしていなかったから。それどころか勝手に私の所有権を主張して争い始めるんだもん」

 

 「………………」

 

 その情景が目に浮かぶようだ。

 

 おそらくは滅びを前にして、最後に縋ったのがハヤテの石像なんだろう。

 

 触れただけで風の加護を与えてくれる、まさに神々からの贈り物のような石像に希望を見い出だして。心の拠り所として。

 

 しかしその光景は、迷宮の討伐と自らの解放を待ち望んでいたハヤテを落胆させ、失望させ、絶望させるには充分すぎたのだろう。

 

 ましてや自らの所有権なんてものの為に、魔物をそっちのけで争う姿を見せられたのなら尚の事。

 

 「それから私はずっとずっと絶望していたわ。こんな場所に身動き一つ出来ないまま、後どれだけの時を過ごせばいいんだろうって。どうして私がこんな目にって」

 

 そうしてハヤテは初めて人間への憎悪を口にした。

 

 力を分け与えてやったのに、何たるザマだと。

 そもそも本来なら口を利く事さえ出来ない分際で、気安く触れるとは何様だと。

 

 ハヤテは、無機質な声音で淡々と恨み辛みを語ると、次いで表情を一変させた。

 

 「本当に辛かったわ。何もかもを恨んで、憎んで、呪って、壊して、それでも私は変わらずこのままで。でもね、今日漸く分かったの。私が長い、本当に長い時をこんな場所で過ごした意味を」

 

 そうして何かに想いを馳せるような仕草を見せたハヤテは、俺をじっと見つめた。

 

 「英雄だとか、勇者だとか、賢者だとか、そんな仰々しい肩書きの人間の悉くがこの地を訪れては、何も成し遂げずに消え去っていったわ。そして気の遠くなるような時間が流れたの。でも今日貴方がやって来てくれた。そして呆気なく私を解放してくれた。悠久の時の中で漸く、貴方が、カイトだけが……」

 

 「………………」

 

 何処か熱っぽい瞳に澄んだ雫を湛えながら、ハヤテは俺に顔を近づけてくる。

 

 「私は、いいえ私たちは、カイトに出会う為に、カイトと出会う為だけにここに居たんだって!」

 

 最早唇と唇が触れ合いそうな距離で、ハヤテは言葉に真心を込めて吐き出す。

 

 その吐息に宿る熱が俺の唇を覆うように伝う度に、言い様のない感覚が背筋に走る。

 

 「だからお願いカイト。まだ迷宮の何処かにいる他の子たちも助けてあげて……!」


 身を切るようなハヤテの叫びが耳朶を打ち、胸が締め付けられるような痛みが走る。


 俺は、脳裏を駆け巡る様々な情報を素早く整理すると結論を下した。


 うん、一旦持ち帰らせて頂きます!

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