第30話

 「――――ッ! 俺の風を乗っ取ったのか!?」

 

 俺を標的に吹き荒ぶ暴風を構成している風が、自らの魔力を帯びている事に即座に気付く。

 

 「こいつ、マジで何者だよ……!」 

 

 「カゼェェエエ! カゼェェエエエエッ!」

 

 「チッ!」

 

 しかし熟考している暇も無い。

 

 黒天女が駄々っ子のように手足を振り回す度に、それに呼応して俺の【風刃】に良く似た黒い風の刃が襲い掛かってくるからだ。

 

 縦横無尽に放射される風の刃の軌道をしっかりと見極めて回避する。

 

 【黒風の刃】は壁や床を青雲を引き裂くように容易く蹂躙し、巨大な裂け目を量産していく。

 その一撃に込められた威力は、どう低く見積もっても俺の【風刃】と同等だ。

 

 「やっぱり俺の風を利用してやがる! でもどうやって……」

 

 【風域探査】により知り得た情報によると、目の前の存在は魔物では無いらしい。

 だが、それ以上の情報は風が乗っ取られてしまったが為に知りようがなかった。

 そのうえ、【黒風の刃】をあえて紙一重で躱して間近で観察してみても、俺自身の魔力によって構成されているという事しか分からなかった。

 

 風が黒く染まっている時点で、俺の魔力以外の何かが干渉しているのは確実である筈なのに。

 

 そもそも、何故魔物でもない存在が迷宮内にいるのか。


 「いや、それは今はいい! そんな事よりも今は……!」

 

 予想外の展開の連続に、頭の中でグルグルと空転しかけた思考を一喝し、この状況を打破すべく道筋を立てる。

 

 「最優先すべきは……」

 

 自らの命――――――ではなく。

 

 「おい! 俺の声が聞こえるか!」

 

 俺は風を纏うと、再度大声で問い掛けながら黒天女に向かって一直線に飛翔した。

 

 それがどれだけ愚かな選択だと理解していても、孤独からの解放を一瞬でも夢見てしまった瞬間から、最早自分自身でさえ抑えられない程に膨大な情動に突き動かされてしまっているのだ。

 

 「カゼェェエエアアアアッ!!!!」

 

 しかし、迫る俺を認識しているのかさえ曖昧な黒天女の動作は、その滅茶苦茶さと反比例するかのように、繊細かつ明確に効果を発揮する。

 

 未だ充分な距離が離れているというのに、俺が纏う風すらも乗っ取って見せたのだ。

 

 「ぐぅっ……嘘だろ!?」

 

 俺の体を空中へと押し上げていた風が、瞬く間に俺の命を刈り取る漆黒の刃へと姿を変えた。

 

 全方位からほぼゼロ距離で射出された【黒風の刃】に、翼を奪われ体勢を崩された俺は為す術もなく。

 

 「ぐあッ!」

 

 全身を引き裂かれ血塗れになりながら墜落してしまった。

 

 真っ白な雲に鮮血が迸る。

 

 切り裂かれた一張羅の隙間からポタポタと命の雫が流れ落ち、視界を真っ赤に染め上げた。

 

 何とか受け身だけは取り落下による即死は免れたが、傷口から疼き出す痛みと、鼻腔を満たす濃密な鉄臭さに、言い様の無い郷愁を覚える。

 

 そして同時に。

 

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花、だっけか? くっ、ハッハッハッ! だったらてめえの正体見たり枯れ精霊ってな!」

 

 狙った訳ではないが【黒風の刃】に直接触れた事で、漸く詳細な情報を読み取ることに成功したのだ。

 

 そして、チート知識との照合を経て確証を得た。

 

 目の前で狂ったように暴れ回る黒天女は、風の精霊だったのだ。

 それも只の精霊ではなく、見た目通りに狂ってしまい自我を失った精霊のようだ。

 

 そしてチート知識によると、風の精霊、というか精霊自体は人ならざる種族だが、人ともコミュニケーションを取る事が出来る姿無き隣人という存在らしい。

 

 「つまりは、俺の隣人って事だよなあ!」

 

 久方振りの流血がそうさせるのか、はたまた願いの成就への糸口が垣間見えたからか、俺は興奮も露に一人口角泡を飛ばす。

 

 しかしそうしていながらも、脳内では驚くほど冷静に望みを叶える為の算段をつけていく。

 

 チート知識が示す精霊に対処する方法には幾通りかある。

 

 それは、自然の化身とも称される存在を認識する術であったり、意志疎通する術であったり、遠ざける術であったり、倒す術であったり、従える術であったりと多種多様に。

 

 しかし、その中から俺が選ぶべき手段はたった一つ。

 

 何故なら、目の前の精霊は普通の精霊ではなく、原因は不明だが混ざり物を含んだうえに狂乱している状態なのだから。

 

 そして、そんな精霊に対して俺が求めるものは、ただ一つしかないのだから。

 

 俺は血塗れのまま、黒天女改め風の精霊から絶え間なく浴びせかけられ続ける風の刃を躱しながら、絶えず思考し続け方針と覚悟を決めると、全身の裂傷を癒す魔力さえ惜しんで一つの魔法に魔力を注ぎ込む。

 

 膨大な魔力の発露が全身の毛を逆立てる。

 身に纏うボロボロのローブも、鮮血に染まる服も同様に激しく翻る。

 そして魔力の行く末を指し示すかのように、俺を中心に翆色の渦が舞い踊る。

 

 どれだけ制御していても、注ぎ込まれる量が尋常ならざる絶大さを誇るなら、どう足掻いても周囲への影響は禁じ得ない。

 

 故に、どれだけ優れた魔法使いであったとしても、大規模な魔法は軽々しく使うべきではないというのが、暗黙の了解なのだとチート知識は記す。

 

 その点において【風刃】の利便性は群を抜いていたのだが、今回の相手に使うには効果が小規模かつ限定的すぎる。

 

 狂っているとはいえ、風の化身でもある風の精霊に立ち向かうには、威力も範囲も相応の魔法が必須となる。

 

 その証拠に、謎の不調のせいで魔力を練り上げるだけで動きを止めざるを得ない俺に降り注ぐ【黒風の刃】が、見えない防壁に阻まれるように呆気なく霧散していく。

 

 未だ完成していない魔法の余波だけで。

 

 いつの間にか、そんな俺に釘付けになるように風の精霊も動きを止めていた。

 コールタールのような雫を垂れ流す様子は相変わらずだが、墨で塗り潰されたかのような瞳には、ほんの一瞬それも極僅かにだが、理性の光が閃いたような気さえした。

 

 しかし今さら声を掛けたりはしない。

 

 既に自らの手で望みを叶える手筈は整ったのだから。

 

 【風神乱舞】

 

 その魔法の発動と同時に、俺を起点に翆に染まる神風が逆巻く。

 

 「カゼエエエエアアアア!!!!」

 

 そして濃密な魔力によって構成された神風に歓喜するように、風の精霊もまた絶叫した。

 

 が、俺にその声は届かなかった。

 

 既に俺を中心とした内側と外側は隔絶してしまっているから。

 

 俺は無音となった世界で、風の精霊に注視しながら魔法の維持に注力する。

 

 神風は一吹きする度に膨大な魔力を消費していく。

 翆を纏った神風は逆巻きながら吹き荒び、風の精霊へと殺到する。


 風の精霊は、それを歓迎するかのように両手を広げて迎え入れた。

 

 「ぐぅっ――――!」

 

 そうして始まったのは綱引きのような攻防。

 

 風の精霊に直撃した【風神乱舞】は、万物を塵芥へと帰して余りある威力を発揮し、風の精霊を構成する精霊体を削り取っていく。

 

 が、同時に風の精霊も自らの権能を最大限に発揮し、俺の【風神乱舞】を乗っ取ろうと干渉しているようだ。

 

 両者を隔てる境界線が、黒と翆に染まり合いながら激しく明滅する。

 二色が迸る世界は、瞬きする度に朝と夜が入れ替わるかのようだ。

 

 俺は黒の支配領域が拡がらないように【風神乱舞】を完璧に制御しながら、更なる魔力を追加しては威力を増大させていく。

 

 風の精霊はそれに抗うように【風神乱舞】を吸収しながら、自らの体を細かく分裂させて風に浸透させる事によって同一化しようと目論んでいるようだ

 

 そんな俺達は、端から見ると互いに身動き一つ取っていないように見えるかもれないが、その実、内側では激烈な鍔迫り合いを繰り返していた。

 

 その余波を示すように、両手を突き出したまま微動だにしない両者とは打って変わって、互いの間合いの中の空間は絶えず軋み続けていた。

 

 そして絶大な魔力の鬩ぎ合いに耐えきれずに、空間は悲鳴を上げるように軋んでは視界を大いに歪ませる。

 

 が、そんな戦いも長くは続かなかった。

 

 「ガハッ……!」

 

 極度の負荷が肉体にのし掛かり続ける事によって、全身に受けた裂傷が悪化し大量に吐血してしまった。

 そのうえ、傷口からの流血も足下に大きな水溜りを形成するまでに至っており、失血死が間近に迫っている状況へと陥っていた。


 咄嗟に回復に魔力を回せないかと逡巡するも、万全の状態ならいざ知らず、未だ謎の力の流出による不調が拭いきれない今、風属性魔法の中でも最上位に位置する【風神乱舞】と回復魔法を併用するのは、リスクが高すぎると判断するしかなかった。

 

 僅かでも【風神乱舞】の制御を緩めてしまい攻勢が弱まってしまえば、風の精霊の侵食を防ぎきれずに乗っ取られてしまいかねないのだから。

 

 故に、俺に残された選択肢はただ一つ。

 

 後先など一切考慮しない全力全開。

 

 「全部喰えるもんなら喰らってみろや!」

 

 腹の底から叫びながら身に宿る魔力を一滴残らず絞り出す。

 

 全身の毛穴という毛穴から【風神乱舞】でさえ受け止めきれなかった余剰魔力が漏れ出し空間を歪め陽炎が立ち上る。

 

 そして世界は、翆一色に染まり激しく渦巻いた。

 

 「~~~~~~ッ!!」

 

 風の精霊が何かを叫んだようだが、最早世界にそれが届く事はなく、せめぎ合っていた筈の黒い分体は一つ残らず消し飛ばされていった。

 

 瞬く間に精霊体が削れていく。

 まるで世界に溶けゆくように、突き出された両手から順にホロホロと崩壊していく。

 

 しかしそれでも尚抗おうとしているのか、風の精霊は発狂しながら周囲の風を根刮ぎ掻き集めては、繰り返し体を再構築していく。

 

 そんな風の精霊の様子を見据えながら、俺は自らの限界が近付いている事を悟る。

 

 視界は激しく明滅を繰り返し、耳鳴りは金切り声をあげ続け、脳は脈打つように揺れ動き、鼻と口からは絶えず鮮血が溢れ出し、心臓の鼓動はこれ以上ないくらいに早鐘を打つ。

 

 細胞の一つ一つが着実に死へと歩みを進めていた。

 

 「上等なんだよクソッタレがッ!」

 

 しかし、この程度の状況など織り込み済み。

 

 それどころか、神界で破壊神にフルボッコにされていた時よりも、余程人道的な状態とさえ言い張れる。

 

 そしてそれを思うと不思議と力が沸き上がってくる。

 

 自分の限界はまだまだ先にあるのだと記憶が教えてくれるから。 

 誰よりも正確に死へのカウントダウンを刻めるのだと経験がイキっているから。

 

 「俺は絶対に退かねえッ! 望みを叶えてみせるッ!」

 

 そんな決意に呼応するように【風神乱舞】は部屋全体へと勢力を拡大させた。

 

 最早俺の立つ場所以外には、安全地帯など猫の額程も存在しなかった。

 

 その結果。

 

 「カゼエエェェァァ…………」

 

 掻き集める風の悉くを磨り潰され、精霊体の殆どを失った風の精霊は、最早抗う気力も失ったのか、無言のままそよ風に揺蕩うように空中に溶け始めた。

 

 俺は、霞む視界の不明瞭さに苛立ちながら眉間に皺を寄せると、その様子をつぶさに観察する。

 

 「――――ッ! 見付けたッ!」

 

 次の瞬間、俺は【風神乱舞】を解除すると、即座に風を纏い一直線に飛翔した。

 

 「最後にこれでも喰らえッ!」

 

 どこか唖然としたような風の精霊の視線を感じながら、俺は伸ばした右手に翡翠色の玉を掴み取ると、残り少ない魔力を一気に注ぎ込んだ。

 

 「ァア~~~~~~ッ!!!!」

 

 今や頭と胸部のみとなった風の精霊が、身を捩らせながら絶叫する。

 

 しかし、その声色は今までとは違い、高く澄み渡った蒼穹を思わせる程に美しく響き渡った。

 

 そうして幾らかの時間が過ぎ去った頃、俺の手の中にあった翡翠色の玉が一際強く輝くと、右手に沈み込むようにして消え去ったのだった。

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