第29話

 衝撃の事実を前に急いで振り返るも、残念ながらボス部屋へと続く出入口は跡形もなく消え去っていた。

 

 「えぇ……閉じ込められてもうてるやん」

 

 しかし現実は、素材の回収忘れ以上に深刻な事態へと発展していたようだ。

 

 咄嗟に【風域探査】を発動させるも、雲に覆われた空間の外へと繋がる情報は何一つ得られなかった。

 ついでに風を飛ばして宝箱を開けてみようとするも、強固に弾かれるばかりで埒が明かない。

 

 「セッしないと出られない部屋でもあるまいに……」

 

 そんな下らない事を呟きながらも覚悟を決めた俺は、罠の存在を考慮していつでも魔法を発動させられるように警戒しながら、これ見よがしに鎮座する宝箱へ手を伸ばした。

 

 すると、宝箱の蓋は警戒する俺を嘲笑うかのように呆気なく開かれ、その中身を白日の下に晒した。

 

 「これは、ゴブリンとホブゴブリンの素材か。って事はボス部屋のドロップアイテムがこの中に……?」

 

 確認を怠ったツケとでもいうべきか、可能性は高くとも確信までには至らない。

 とはいえ、罠を検知した訳でもないのに素材を放置するのはもったいない。

 

 俺は宝箱の中身、十個の魔石とゴブリンの角にホブゴブリンの腱を回収し収納した。

 

 「でもボス部屋の攻略報酬にしてはショボすぎ――――っ!?」

 

 そして余りにも渋すぎる宝箱の中身に当然の如く不満を述べようとすると、突然部屋の中を魔力が駆け巡った。

 それは極々微量かつ発生源が不明ではあったが、部屋全体を網羅するように動き回っていた為、何とか気付くことができた。

 

 「【風域探査ッ!】」

 

 俺は即座に魔法を発動させると同時に、身体強化も行い警戒心を最大限に引き上げる。

 

 程なくして正体不明の魔力は夢幻だったかのように霧散すると、いつの間にか部屋の左側に見慣れた階段へと続く道が出現し、右側には白黒二色の渦が誕生していた。

 

 部屋全体に張り巡らせていた俺の感知能力をすり抜けるように。

 

 「………………」

 

 俺は言葉を発さないまま風のみを送り込む。

 

 が、当然の権利のように呆気なく弾かれてしまった。

 

 「ふぅ……。まあ、十中八九十一階層への入り口だと思うけど……」

 

 じゃあ二色の渦は何なのさ。

 

 そんな疑問を解き明かすべく、俺は警戒心をそのままに二色の渦が揺蕩う右側へと足を進めた。

 

 近づくにつれて、その渦の大きさが露になる。

 中心のみが濃い色合いとなっているせいで視覚的には分かりにくいが、渦全体は直径が三メートル程もあった。

 

 そうして渦の目前にまで迫ると、まるで貴方の脳内に直接語りかけていますといわんばかりに、二色の渦の正体が俺の脳内に一方的に明かされた。

 

 「流石に底知れなさすぎだろ、迷宮……」

 

 余りにも容易く自分の警戒を潜り抜けられたうえに、何の予兆もなく勝手に脳内に情報を刻み付けられた事で、迷宮に対する警戒心よりも、僅かばかりに恐怖が勝る。

 

 が、同時に、猫をも殺すと評判の好奇心さんが疼くのも止められなかった。

 

 脳に直接刻まれた情報通りなら、白い渦は地上への帰還用転移装置であり、黒い渦は地上からこの場所への転移装置であるらしい。

 

 「って事は、ここはボス戦の勝者が次に進むか地上に帰るか、はたまた地上からここまでショートカットするかを選ぶ為の休憩所って認識で良いのかな……。つってもこの渦はチート知識にも該当する魔法はないから、本当に地上に戻れるのかは試してみるしか確認のしようがないのだけど……」

 

 自分で発動した【転移】にすらまだ慣れたとは言い難いのに、誰が設置したかも不明な転移装置に身を委ねるなど正気の沙汰とは思えない。

 

 そもそも、この二色の渦からは一切の魔力を感じない。

 つまり、この装置は魔法による現象ではないという事だ。

 そしてそれは、チート知識の中に渦を発する同様の魔法が存在しない事からも窺える。

 

 しかし、この情報が真実であるならば、これ程有用な代物も無いだろうとも思ってしまう。

 

 「………………と、取り敢えず、先に階段を確認しておくか」

 

 長考の末の先送り。

 例えレベルが幾つも上がり能力が上昇しようとも、決断力までは手に入らないようだ。

 

 俺はそそくさと渦に背を向けると反対側へ移動した。

 

 「あぁ、やっぱりこの先は十一階層だな」

 

 階段の一段目で【風域探査】を発動させて確信を得る。

 

 決断の先延ばしは、大した時間を稼いではくれなかった。

 

 「………………試すか……」

 

 流石に転移装置をスルーして十一階層に進むのは気が咎めた為、不承不承ながらも渦の元へと再度足を向けるべく踵を返す。

 

 「はぁ、不安しかない……ん? そういえば……」

 

 それは単なる思い付き、というより更なる引き延ばし以外の何物でもなかったが、覚悟を決めきる為の時間稼ぎには丁度良かった。

 

 俺は、振り返った際に視界の隅に捉えた開け放たれた宝箱、ではなく、その隣に佇む見事な彫像へと足を向けた。

 

 「すげぇ。まるで生きたまま石像にしたみたいだ……」 

 

 薄絹の衣を身に纏った踊り子を象ったような彫像は、あたかも舞踊の最中に石化したかのような臨場感に溢れていた。

 

 天を仰ぐ両手の指先までもが精細に象られ、躍動感を余すところなく表現しているうえに、皺の一本一本までもが緻密に刻まれた表情も、強く何かを訴えかけているかの如き迫力に満ち満ちていた。

 

 製作者が誰かは知る由もないが、俺が昨晩作った二柱の木像とは雲泥の差であると認めざるを得なかった。

 

 俺は無意識にその彫刻に手を伸ばすと、行儀が悪いと自覚していながらも、鬼気迫る表情を浮かべる石像の頬に手を添えた。

 

 次の瞬間。

 

 「――――――ッ!?」

 

 石像に触れた指先から、正体不明の力が止め処無く流出していく。

 

 「――――な、何だ、これ!? と、止められない!?」

 

 異変を察知し即座に魔力を支配下に置いたのだが力の流出は止まらず、手を頬から引き剥がそうともびくともせず、チート知識を参照してみるもこれといった情報も見当たらず、事態を好転させる一手は皆無だった。

 

 しかしそう思ったのも束の間、俺の手が石像から離れ自由を得ると同時に、凄まじい突風が吹き抜けた。

 

 「ぐあっ――!」

 

 一瞬で石像から引き離された俺の体は、休憩所の壁に激しく叩き付けられてしまった。


 雲のような見た目をしていても、壁は壁としての役割を全うしているようで、激突した背面からは激痛が走る。

 

 本来ならあの程度の突風など容易くいなせる筈が、今の俺は謎の力を抜き取られたせいか、魔力も体力も気力も充実しているにも関わらず、立ち上がる事すら覚束ない状態に陥っていたのだ。

 

 それでも何とか膝立ちの姿勢を取ると、悪態を吐きながら周囲に視線を飛ばす。

 

 「何だこの尋常じゃないダルさは――!」

 

 視界が捉えた光景に思わず息を呑む。

 

 未だに風が激しく吹き荒ぶ中、今やその中心地となった場所に立つ石像が、まるで卵から孵化するかのように内側からピシピシとひび割れ始めたのだ。

 

 けたたましい風鳴りが辺りを支配している中にあって、その音は不思議とよく耳に届いた。

 

 「い、一体、何が……!?」

 

 不穏極まる現状を前に、何とか体を引き摺るようにして立ち上がると、それと同時に異変も最高潮を向かえる。

 

 石像の隅々にまで広がった罅が、視界を塗り潰す程の光を伴いながら内側から弾け飛んだのだ。

 

 「くっ……!」

 

 咄嗟に目をすぼめながら腕を翳して視線を遮る。ローブ越しでも尚、眩しく感じる程の閃光に冷や汗が頬を伝う。

 それでも思考は空転すること無く、魔力を意識的に操作しながら、不調の程度を探りつつ魔法の発動を試みる。

 

 普段通りなら水よりも滑らかに動く魔力が、今は泥沼よりも重く淀みきっており、呼吸をするよりも自然に行えていた魔力操作が、意識の大半を割かなければ儘ならない有り様となっていた。

 

 「糞ッ、何なんだよ一体!?」

 

 そうして悪態を吐きつつも慎重に体内の魔力へ干渉し、何とか魔法を発動させようとしていると。

 

 「――――っ、光が、収まった、のか……?」

 

 網膜を焼き尽くさんばかりに世界を白く染め上げていた閃光は鳴りを潜め、ローブ越しの世界は影を取り戻したようだった。

 

 俺は慎重に腕を下げて視界を確保する。

 

 「――――――ッ!?」

 

 そうして開かれた世界の中心に、羽衣を纏った天女のような存在が浮遊していた。

 

 「な、何だよ、こいつ……」

 

 しかし、その姿は隅々に至るまで墨で塗り潰されたかのように漆黒に染まりきっており、圧倒的なまでの禍々しさを放っていた。

 

 そのうえ、内包する魔力の量も桁違いであり、それこそ俺に比肩するのではと思う程であった。

 

 俺は反射的に【風域探査】を発動させ、目の前の存在の更なる情報を得ようとする。

 

 しかしそれが引き金となってしまった。

 

 俺から放たれた風が目の前の存在に辿り着き、その詳細までもを詳らかにしようとしていると。

 

 「ガ…………ゼ…………?」

 

 「――ッ!? 今こいつ、喋った、のか?」

 

 まるで台風の夜にざわめく木々の葉擦れのような、強風を受けて共振する窓ガラスのような、頻りに不安を煽る耳障りな音が耳朶を打つ。

 

 口元が動いているようには見えなかったが、孤独に打ちひしがれる俺が、人の意思が込められた声と魔物の無意味な鳴き声を聞き間違える筈もない。

 

 確かに目の前の存在から、人の言葉が発せられたのだ。

 

 僅かな期待が胸を打ち、仄かな希望が心に灯る。

 

 俺の意識は目の前の不吉な存在に釘付けとなった。

 神経を極限まで研ぎ澄ませて、その一挙手一投足に至るまで見逃すまいと。

 

 「ガ……ゼ…………? カ、ゼ………………カゼ!」

 

 「カ、ゼ? かぜ、風! 風って言ってるのか!?」

 

 自らの周囲を駆け巡る風を掴もうとでもしているのか、どす黒いヒトガタはフラフラと両手を漂わせながらうわ言のように言葉を溢している。

 

 俺は何とか溢れ落ちる単語を拾い上げると、警戒するよりも先に会話を試みてしまう。

 

 「カゼ……ドコ……カゼェ……」

 

 「お、おいっ、俺の声が聴こえるか? 俺の言葉が分かるか?」

 

 「カゼ、カゼェェ、カゼッ」

 

 「お、おい! 何でもいい! 返事をしてくれ!」

 

 「カゼェェ、カゼェェエエ」

 

 「それ以外でお願い出来ませんかねぇ!?」

 

 コミュ障極まる存在との埒が明かないやり取りに、逸る気持ちを焦らされ続ける。

 

 俺は兎に角答えが欲しかった。

 言葉が通じるのか否か。会話が成立するのか否か。心を通わせられるのか否か。友になれるのか否か。共にこの世界で生きていけるのか否か。

 

 だから軽率だと分かっていても行動せずにはいられなかった。

 

 「チッ、分かったよ! 【風域探査】」

 

 そんなに風を求めているのなら、たっぷりくれてやるから会話をオナシャス!

 

 そんな切実な願いを込めて風を送り込む。

 

 不吉だと警鐘を鳴らし続ける本能には、ガン無視を決め込んでまで。

 

 そうした祈りを纏った一迅の風が、空中で駄々を捏ねるように暴れる存在へと届く。

 

 次の瞬間。

 

 「カゼェェエエエエッ!!!!」

 

 「ひぇっ!?」

 

 漆黒に塗り潰された目と口を大きく開き、コールタールのような雫を垂れ流しながら、謎の存在は狂ったように絶叫した。

 

 そして、その絶叫に呼応するように再び暴風が吹き荒れる。

 

 それも今度は明確に俺のみを標的として。

 

 俺の願いは呆気なく露と消え、ただ愚行の対価を支払わなければならなくなったようだ。

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