第27話
三階層ではこれまでの階層とは打って変わって、命懸けの死闘を演じることにな――らなかった。
「まあ一階層変わっただけでそんなに激変するなら、命が幾つあっても足りんわな」
相も変わらず、考え無しに真正面から突っ込んでくるばかりのゴブリンの首をチョンパしつつ、不意を突くように足下から吐き出された粘着性の強い糸を躱す。
「コイツが三階層の魔物か。キショイなぁ……」
モゾモゾと地を這うように間合いを詰めてくる体高三十センチ程の芋虫。全長にすると一メートルは下らない。
それが三階層から新たに姿を現したグリーンキャタピラーである。
「しかもこの階層から二体同時に出るようになったし……」
またぞろ糸を吐き出すような素振りを見せ始めたグリーンキャタピラーに【風刃】を放ち縦に真っ二つにしながら、三階層に下りて早々に知った情報を口にする。
と言っても変化はそれぐらいしかなく、迷宮の構造も広さも特に代わり映えしない為、既に次の階層の入り口も把握している今、わざわざ正規ルートを進む必要があるのだろうか。
そんな自問を弄んでいると、左右にぱっくりと開かれたグリーンキャタピラーが粒子化し、そのドロップアイテムのみを残して消え去っていった。
「ん? おぉ、糸じゃんこれ」
少しばかりくすんだ色合いこそしているが、しっかりと紡がれた糸であった。
「へぇ、このままでも使えそう、だけど……」
実際に手に取ってみると如実に分かってしまうのだが、終焉木から作った糸の方が、比べるまでもなく高性能かつ高品質である。
しかも、その終焉木の糸が死ぬ程余っているのが現状だ。
故に、このグリーンキャタピラーの糸に使い道があるとは思えなかった。
「もういっそ、この辺の素材は拾わなくてもいいのでは……」
なんて疑問が鎌首をもたげるが、貧乏性の俺は結局拾い集めてしまうのだった。
そうして難なく三階層の掃除も終えて、四階層へと足を踏み入れる。
が、やはり大きな変化はなく、ただ新たな魔物が一種類追加されただけであった。
「まるでチュートリアルだな……」
そんな感想を呟きながら、俺は新たに出現した魔物、ビッグバッドのドロップアイテムを拾う。
この階層では、ゴブリンかコボルトが正面から、グリーンキャタピラーが地面から、そしてビッグバッドが頭上から攻撃を仕掛けてきた。
まるで初心者に様々な角度からの戦闘経験を積ませるかのように。
「つっても出てくるのは最大二体までみたいだから、三方向から同時に襲われるなんて事にはならないんだけどな」
仮にそうなったとしても、自分にとっては何の驚異にもならないが。
流石にゴブリンがグリーンキャタピラーを抱えて現れた時は笑ったけどな。
お前それでグリーンキャタピラーの移動速度を補ったつもりかもしれんが、お前自身はどうするんだ、と。両手塞がってんじゃねーか、と。
当然俺は初撃の糸を躱してから次の発射までの間に二体ともチョンパしましたとも。
そもそも初撃の糸を吐かしてやった事自体、笑わして貰った恩返しみたいなものだし。
「駄目だ。何かドンドン性格が悪くなるな」
元々やろ、って思った奴は全員呪われます。家族も纏めて呪います。
「それに同じ魔物が二体のパターンも結構あるからなぁ」
そうなると、一方向から同速の魔物を相手にするだけだから、積み上がる戦闘経験としてはイマイチと言わざるを得ない。
「まあ、どれもこれも自分基準だからなぁ。考えても意味は無い、かな……」
こうして無駄な思考を巡らせてしまうのも、これまでの階層にもまだ見ぬ階層にも命の危機を感じられないからだろう。
本来なら、迷宮探索は命懸けとなる筈だ。
薄暗い通路に神経を尖らせながら必死で踏破していき、襲い来る魔物たちと死に物狂いで戦い勝利を掴み取るものなのだろう。
しかし今の俺は、散歩がてらに【風刃】をブッパするだけの簡単なお仕事状態だ。
「余り長居するべきじゃないのかもな。このままだと心身ともに鈍り過ぎる」
別に積極的に命の危機を感じたい訳じゃないが、そういった場面に対応できなくなるのは困る。
実際もう既に、神界で破壊神を相手にしていた時みたいな、全身の毛穴という毛穴が、そこから伸びる産毛の先端までもが研ぎ澄まされ、相手の一挙手一投足に注がれるような、手に汗握るヒリつきは皆無になって久しい。
もしこんな状態が長く続いた先で、突然命を懸けざるを得ない状況にでも陥ったら、果たして俺の精神は正常な判断を下せるのだろうか。肉体はまともに動いてくれるのだろうか。
無我の境地へと至れるのだろうか。
「いのちだいじに? ……ガンガンいこうぜ!」
俺ってこんなに戦闘脳だっけ? と思わなくもないが、やはり【風刃】ブッパウォーキングを続けるデメリットの方が大きいとの判断を下す。
「んじゃあ、新モンスとも戦ったしもうこの階層にも用はないな」
そうイキるや否や、俺は四階層全域へ【風刃】を送り込み生き残りを抹殺した。
「んっ、これは幸先がいいのでは?」
後は風が運んでくる戦利品を収納するのみとなった段階で、フレアドレイク戦以来のレベルアップを感じ取った。
「あの時みたいに一気に何倍にも膨れ上がるような感覚は無いけど、それでも二割近くは上がったかな。って事はもしかして……」
あくまでも推察に過ぎないが、ゲーム的な捉え方をするのなら、あの日、この世界に転移したばかりの俺は、レベルが一だったのではないか。
そしてその状態で、レベル基準では相当格上のフレアドレイクを倒した事で、一気に何レベル、どころか何十レベルも上がったのではないだろうか。
そう考えたら、今更になって再度レベルアップした理由にも、その上昇具合が二割程度に留まった訳にも合点がいくのだが。
「つーか、雑魚を倒してもレベルアップするとかマ?」
幾ら三桁を優に越える数を倒したからといって、質に関して言えばフレアドレイク一体に遠く及ばない程度の魔物たちだ。
それなのに、レベルアップの度に二割近くも能力が上昇するのだとしたら……。
「これ、破壊神超えもありえるのでは?」
我知らず生唾を飲み込む。
結局最後まで彼我の差を思い知らされるばかりだったあの暴虐の女神にさえ、レベルアップし続けていればいずれ。
そんな想像が脳裏を過るぐらいに、レベルアップの恩恵は大きく、要求される難易度は低い。
「雑魚狩りだけで神超えが可能なら……こうしちゃいらんねえな!」
再戦が予定されている訳でもなければ、再会すら確約されてはいないのだが、不毛の極致みたいな迷宮掃除に一筋の光明が差したかのような心持ちとなる。
俺は全てのドロップアイテムを収納し終えると、がらんどうとなった四階層を一瞬で踏破するべく魔法を発動させる。
【転移】
自らが正確に知覚出来る範囲内なら、どこへでも一瞬で移動する事ができる空間魔法だ。
風を纏って高速移動するのと比べると、消費魔力は何十倍にも膨れ上がるが、十数分の無駄な移動時間を一秒未満に縮められるのだから使わない手はない。
俺は送り込んだ風を通して把握していた五階層に繋がる階段の少し手前、謎バリアの干渉を受けない地点を座標に指定し転移した。
「おぉ、成功だな」
思わず安堵の溜め息が漏れる。
ほんの一瞬視界が歪んだかと思ったのも束の間、直前まで目の前にあった先の見えない通路が、下り階段へと続く通路へと早変わりしていたのだ。体感としては、瞬き一つ分といったところだった。
「成功すると分かってはいても、やっぱりちょっと緊張するなぁ。いしのなかみたいな展開はどうしても想像しちゃうし」
きっとこんな杞憂も【転移】を繰り返していく内に浮かばなくなっていくのだろうけど。
俺は一先ずそう結論付けると、未だに早鐘を打ち続ける心臓を宥めるように胸を擦りながら階段を下っていく。
コツコツと響く耳触りの良い足音と、規則正しく揺れる明瞭な視界に緊張感も薄らいでいくのか、徐々に鼓動も穏やかなリズムを刻み出す。
そうして五階層に下り立つ頃には、心身ともに不調の兆しとは無縁の状態となっていた。
「それじゃあ、俺の心臓もってくれよ!」
そう言い切るのと同時に、俺は五階層全域に【風刃】を送り魔物を即座に全滅させると、ドロップアイテムを回収する前に、六階層へと続く階段前を座標に【転移】を発動させた。
五階層に下り立って一分も経たない内に。
「~~っ、流石にビビる! でもイケた!」
その代償に、またもや心臓は三十二ビートを刻む事となったのだが。
俺は泣き叫ぶ赤子をあやすように左胸を優しく擦りながら、五階層のドロップアイテムを回収していく。
階層の踏破や魔物の全滅よりも、ドロップアイテムの回収の方が長い時間を要するのはご愛嬌だろうか。
「おっ、ここの新モンスはシックラットっていうのか」
見慣れた素材の中に混じる初見さんを手に取ったところ、チート知識がその使い道も含めて脳裏に示してくれた。
どうやらシックラットとは、その名が示す通り病を振り撒くネズミ型の魔物のようだ。
その前歯で噛まれたら一定確率で状態異常を引き起こしてしまうらしい。
ドロップアイテムの前歯も、武器に加工する事で軽度の状態異常を相手に与える効果を宿せるようだ。
そうして素材を吟味しながら収納を終えるのが先か、激しい動悸が治まるのが先かは定かではないが、階層の掃除と素材の回収を終えたらこの場に留まる理由は何一つとして存在しない。
俺は六階層へと続く階段を悠然と下っていく。心臓がまだ駄々を捏ねているからね。
そして六階層に降り立つと、また同じように階層全域に攻撃を仕掛けると同時に【転移】を発動させて、七階層へと続く階段を目前にドロップアイテムの回収に勤しむ。
「あっ、この階層から三体に増えてる。しかも毛皮かこれ。おぉ、中々の手触り……」
三十センチ四方に切り取られた毛皮が、その他の素材を載せた状態で運ばれてきた。
「ラフットバニーの毛皮か。バニーって事は兎だよな。それなら肉でも良かったんだけど……」
兎の肉なんて食べた事どころか、売っているのを見かけた事すらないが、既にフレアドレイクの尻尾肉を食べている時点で、食わず嫌いなど皆無に等しい。
となれば、まともな娯楽一つないこの世界において、食い道楽に少しばかり心が惹かれてしまうのも致し方無し。
とは言え、手元にあるのが毛皮である以上、兎の肉が手に入る事は無いのだろうが。
俺は手に入れたばかりの兎の毛皮の感触に心癒されながら、まだ見ぬ階層で未知のご馳走に出逢える事を切に願った。
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