第25話

 「まあ、テンプレだな」

 

 三十秒程階段を下った先に待ち受けていたのは、石造りの薄暗い通路だ。

 

 四、五人も横に並べば武器を振るうのも覚束無くなるだろう広さのそれは、うっすらと発光しているようで、良好とは言い難いがそれなりの視界は確保してくれていた。

 

 少なくとも、松明といった光源を持ち歩く必要はなさそうだ。

 

 「おっ、次もまた下るのか」

 

 そんな迷宮の印象を独白している間にも、俺は既に次の階層に繋がる階段を発見していた。

 

 【風域探査】

 

 階段を下りながら当然の如く発動させたそれは、前方十キロメートル程の情報を丸裸にした上で俺へと届けてくれた。

 

 その結果階段を下りきる頃には、この階層の情報は全て俺の脳内にインプットされていたのだ。

 

 「行き先も明確になったし、色々試してみるか」

 

 【風域探査】のお陰でマッピングの必要性も無くなった為、俺は次の階層への最短ルートを選びながら、思い付きを実行に移す。

 

 「まずはこの光る石壁に【風刃】」

 

 フレアドレイクを首チョンパの刑に処した時と同等の威力を込めた【風刃】が、仄かに光る石壁へと炸裂した。

 

 ズバンッ、と空気が破裂したかのような音が迷宮内に反響したかと思えば、次いでガラガラと工事現場さながらの爆音が追随していく。

 

 僅かな隙間も許さず天井まで聳え立っていた石壁の崩壊を示すには、それは充分過ぎるBGMとなっていた。

  

 「壁は問題なく崩せるな。これで石材の回収が捗――――っ!?」

 

 周囲をぼんやりと照らす石壁とかいうファンタジー素材を入手すべく、砂塵が舞う中瓦礫と化したそれらに手を伸ばし指先が掴もうとした瞬間、まるで空気へと溶けていくかのように一欠片の破片も残す事もなく、その全てが消失してしまったのだ。

 

 そして次の瞬間には、何事もなかったかのように視界は晴れ渡り、傷一つ無い新たな石壁が何食わぬ顔で出現したのだった。

 

 「………………」

 

 俺は目を見開いたまま新たな石壁を見上げた。

 

 しかしどれ程目を凝らしても、先程存在していた壁との違いを見付けることはできなかった。

 

 暫しの間、呆然としつつも思考を巡らせていた俺は、一つの閃きから唯一の解答を導きだす。

 

 「……あぁ、終焉木の葉っぱと同じなのかも」

 

 思えば、俺のチート知識がファンタジー壁に対して反応を示さなかった時点で、この展開も予想しておくべきだった。

 

 言ってしまえば、この石壁は終焉木の葉っぱと同様の性質なのだろう。

 

 本体から切り離されてしまえば、存在を保つ事すら出来ずに消え去るだけで、利用価値の類いは一切ない。

 

 素材でもなければ、そもそも物質ですらなく、ただの現象、あるいは概念そのものといった存在なのだろう。

 

 「はぁ、手軽に石材がゲットできると思ったのに……。まあいいや。先に進もう」

 

 出口付近で採掘が出来れば運搬に困る事も無く便利だと思ったが、考えてみればまだダンジョンには足を踏み入れたばかり。

 

 先に進めば進む程、手に入る素材の価値が上がるのは迷宮の必定。

 

 ならばこんな所で道草を食ってる暇など無い。

 

 「つっても、次が最下層かもしれないけどな」

 

 そんな自分でも信じていない悔し紛れの呟きを置き土産に、俺は通路の先へと爪先を向けた。

 

 次の瞬間。

 

 「ゲギャギャ」

 

 ペタペタと無防備な足音を響かせながら、耳障りな嘲笑を吐き出す迷宮の番人がその姿を現した。

 

 貧相な矮躯に見窄らしい禿頭と小ぶりな角。

 小さな頭には不釣り合いな程に大きく吊り上がった両の眼に、垂れ下がった鷲鼻と上下に尖った長細い耳。

 醜く弧を描く口元と、そこから見え隠れする黄ばんだ犬歯。

 だらしなく弛んだ下腹と、枯れ木のように細い手足。

 

 それはまさに、親の顔よりも見たと言っても過言ではない、日本でもお馴染みとなったリトル竿モンスターこと、ゴブリンそのものであった。

 

 「まあ、親の顔なんて一度も見たことが無いんだけどね。にしても、これもまたテンプレだなぁ」

 

 それが俺の抱いた第一印象だった。

 

 そして同時に、この世界で初めて殺した相手が目の前の存在じゃなくて良かったとも思う。

 

 「流石に言葉は通じないんだろうけど、それでもコイツを殺して解体するとか、転移直後の俺には絶対に出来なかっただろうし」

 

 目の前の存在を人間扱いしようとは微塵も思わない。

 

 しかし、似ていると言えなくもない程度には、人間との類似点が多く見受けられるのも事実。

 

 だからこそ、まだ殺しも解体も未経験だった頃に出会っていたら、不要なトラウマを抱える羽目になっていたかも知れないなと、考えずにはいられなかったのだ。

 

 「まあ、今となっちゃどうでもいい事だわな」

 

 そう言いながらも無駄に思考し続けてしまうのは、自分の中に僅かなりとも躊躇う気持ちが残っているからか。

 

 その証拠に、俺は目の前の存在に先制攻撃できないでいるのだから。

 

 「ゲギャ!? ゲギャギャッ!!」

 

 しかし、迷宮はそんなヘタレの感傷に付き合う程お人好しではない。

 

 立ち尽くす侵入者の存在を見咎めた迷宮の番人は、薄汚い身形に剥き出しの殺意を漲らせると、侵入者目掛けて一目散に駆け出した。

 

 「あっ……」

 

 その姿を間近に捉え、確かな殺意をその身に浴びた俺の脳裏に、突然破壊神の言葉が響き渡る。

 

 『よく覚えておくのじゃ。敗者の末路とはどの時代、どの場所、どの種族、どの立場、どの年齢においても苦痛に塗れた悲惨な結末へと繋がっておるという事を』

 

 そして、その直後に訪れた自身の末路までもが鮮明に。

 

 「あぁ、そうだったそうだった。すっかり忘れてたぜ。たった数日で心まで鈍っちまっていたのかよ、情けねえ」

 

 自嘲の呟きが自らの鼓膜を揺らすのと同時に、羞恥と憤怒と懺悔が心を激しく滾らせる。

 

 「ゴブゥッ!」

 

 しかし、そんな俺の変化など知った事かといわんばかりに、ジャンプの勢いと重力による加速に乗ったゴブリンが振り下ろした棍棒が目前に迫る。

 

 「ゴブゥッ!?」

 

 だが俺は、それを避ける事なく左手で掴み取ると、無防備にも宙に飛び上がったままとなったゴブリンの顔面に【風刃】ではなく、固く握り締めただけの拳を叩き込んだ。

 

 「ブ、ァ……っ」

 

 ただそれだけの事でゴブリンの頭部は容易く弾け飛び、血飛沫と脳髄を派手に撒き散らしながら視界の外まで吹き飛んでいった。

 

 「………………」

 

 肉を打ち抜き頭蓋を砕いた確かな手応えと、鮮やかなまでに色濃い返り血が右手に残る。

 そしてそこから血と脳髄の、つまりは死そのものの濃密な臭いが香り立つ。

 

 それは、フレアドレイクを遠距離から【風刃】で瞬殺した時には感じ得なかった、明確なまでの殺しの感触であった。

 

 「あー下らねえ。この程度の事に少しでも怯んじまった自分が心底下らねえ」

 

 しかし、そんな生々しい実感と正面衝突した俺の口を吐いて出たのは、荒々しくも自らへの嘲りを多分に含んだ乾いた呟きである。

 

 「勘違いすんなよクソ馬鹿野郎。誰が相手だろうと負けたらああなるのは俺自身なんだよ。それを骨身に染みるまで、魂に刻み込まれるまで散々叩き込まれた日々を忘れてんじゃねえよクソ間抜け!」

 

 唾棄するようにそう言い捨てた俺の脳裏を駆け巡るのは、神界における自らの多種多様な死に様である。

 

 そしてその中で、ただの一度でも一撃で頭を撃ち抜かれて即死させて貰えた事があっただろうか、という自問。

 

 当然答えはノーだ。

 

 命が潰えるその瞬間まで、徹底的に虐待され続けた記憶しかないし、そんな碌でもない経験ばかりが積み重なっていた。

 

 だからこそ、ゴブリンを殴り殺した事に対する罪悪感や嫌悪感など微塵も沸き上がってこなかった。

 

 それどころか。

 

 「俺が相手で幸運だったろ。破壊神が相手なら、生きたまま口から背骨と臓器を抜かれて大笑いされた挙げ句に、目の前で臓器を潰されたうえに背骨を使って拷問までされてたぞ。ってか俺はされたぞ」

 

 それを思えば敗者にとって即死は救いでしかないし、それを齎した俺は天使のような存在とすら言えよう。

 

 案ずるより産むが易し、とは良く言ったものだ。

 

 人形の、それも子供のような体格の生き物を殺す事に対する普遍的な忌避感など、自らがここに至るまでに経験した陰惨な末路を思えば、一顧だに値しない些事そのものでしかない。

 

 その冷たいまでの現実を、たった一戦でワカラセてくれたのだから。 

 

 詰まるところ俺は、誰より何より我が身が一番可愛いという訳だ。

 

 「さてと。んじゃあとっととゴブリンを解体して先に進みますかね」

 

 そう呟きながら歩き出した俺は、最早右手に残る殺しの残滓になど気にも留めなかった。

 

 洗い流しても洗い流さなくてもいいし、臭くても臭くなくてもいい。心底どうでもいい。

 

 それが今の、というよりは、破壊神と一方的な死闘を繰り広げざるを得なかった頃に培われた価値観であり、戦闘態勢に入った俺の信条であった。

 

 まあ、そもそも破壊神との戦闘中に匂いだの汚れだのに気を配る余裕なんて無かったし、そんな事に僅かでも気を取られてしまったら、即座に自らの内臓を口一杯に頬張らされる事になっていたからな。

 

 そんなゴブリンの脳髄以上に苦い記憶を思い返し、反射的に身震いしつつも、足だけはしっかり前へと進み続けた。

 

 そうして、頭が弾け飛んだゴブリンの亡骸があるだろう地点に到着した時、俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。

 

 「………………は? どういう事?」

 

 呆然と呟きながら視線を足下に向けたまま固定された俺の視界に映るのは、迷宮の地面に無造作に置かれた一本の小さな角と、掌サイズの灰色の石ころが一つのみである。

 

 俺の脳裏にチートによらない知識が駆け巡る。

 

 「う、嘘だろ。これってまさか……」

 

 無意識に震え出す唇から何とか言葉を吐き出しながら、俺の指先は地面に転がった二つの物体を掴み取る。

 

 すると今度はチート知識が、次はワシの出番やな、と腕まくりするかのようにその知識をひけらかした。

 

 【ゴブリンの小角】 【ゴブリンの魔石】

 

 二つ合わせても片手にギリギリ収まる程度のサイズしかない、それらの名前と使い道が脳裏に示されたのだ。

 

 しかし、俺は一旦その手の知識から意識を背けつつ、視線だけを右手に向けて自らの推測の正しさを確信すると、肺一杯に息を吸い込み感情のままに言葉を添えて吐き出した

 

 「迷宮だけドロップシステム採用してんじゃねえよ糞がァーッ!」

 

 右手を汚していたゴブリンの返り血さえ綺麗サッパリ消し去るなんてやり過ぎなのでは!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る