第20話
昼食のメニューは、昨晩と同様にフレアドレイクの尻尾肉を使った焼き肉とスープにした。
昨日よりも小さめの部位を選んだとはいえ、ボリュームも栄養も魔力も満点である。
二回連続で食べた程度では飽きの片鱗さえ覗かせない奥深い味わいに、朝の疲れも吹っ飛ぶというものだ。
そうして英気を養いつつ片付けも終えた俺は、屋敷の正面に積み上げた素材に風を纏わせると、屋敷の裏手へと向かう。
未だこの屋敷を使いこなせていない弊害が、この二度手間に如実に表れていた。
鈍臭い自分に少しばかりテンションを下げながらも場所を移し終えると、山盛りの終焉木素材、今回は手頃な丸太一つと多数の剥がした皮に、大量の切り落とした枝と焼き尽くした根っこの灰の一部という、終焉木を構成していたほぼ全ての素材といったラインナップなのだが、それらが混ざり合わないよう別々に配置していく。
「一応屋敷から少し離すか」
素材をそのままに屋敷から十メートルほど遠ざかると、念の為一度周囲を見回し安全確認を済ませてから、土魔法の【整地】を使用し、二十五メートルプール程度の地下空間を左右に一つずつ掘削していった。
「確認するまでも無いんだけど一応な」
そんな言い訳染みた呟きを漏らしながらも両方の穴に入り、壁や床に手を這わせては硬度を確認していく。
手のひらから伝わる滑らかでありながら極めて強固な感触に、一つ頷いてからその仕上がりに合格を下した。
そうして下準備を終え空中に戻ると、左のプールには用意した木の皮の半分を入れ、右のプールには用意した全ての枝を適度に折ってから投げ入れた。
「それじゃあ、ジャブジャブ注いでいくぜ! 【放水】」
俺は左右のプールを見下ろしながら両手を突き出すと、水魔法の【放水】を使用し皮と枝を水に沈めていく。
両手のひらからプールに向かって絶え間なく注がれる水は、まるで鉄砲水さながらの勢いを維持し続け、一分と経たずに両方のプールを満たしていった。
「壁は削れてないよな……よし! そんじゃあ次! 【水流操作】」
視力を用いては水の濁りを、魔力を用いては魔法の状態を確認し、俺はチートが示す工程を順調にこなしていく。
俺の操る通りに左のプールの水は緩やかに渦を描き始め、右のプールは枝を沈めるように静かに波打っていた。
終焉木の皮や枝が流れに乗って何度も壁にぶつかる度に、土が剥がれて溶け出したりしないかと心配していたが、見る限りそれは杞憂だったようだ。
その結果に安心した俺は、左右のプールに別々の付与魔法を施していく。
すると、左右の水面が薄い光に包まれて仄かに輝き出すと、まるで湯気が立ち上るかのように、淡い光の筋が水面から空気中へと広がり始めたのだ。
「おっと、早速だな」
そうこうしている間に、左のプールに沈めた終焉木の皮が二手に分かれるように変化し始めた。
分厚く硬質な表皮が剥がれて水面に浮き上がり、しなやかな繊維は水底に沈んでいったのだ。
両者の重さを考慮するならば、明らかに物理法則を無視した現象が水中で起こっていた。
これは左のプールに付与した魔法【抽出】と【加速】が正しく発動した結果だ。
「ガワもまだ搾り取れるだろうから回収っ。からのボッシュート」
俺は次々と水面に浮かび上がってくる表皮に風を纏わせると、右のプールへと投げ込んでいく。
そんな右のプールも薄く発光しながら、その水を色濃く染め上げ始めていた。が、今はまだ放置でいいだろう。
俺は、左のプールから全ての表皮が剥がれ落ち、水面に浮かんでくるまで同様の作業を続けていく。
「コイツでラストかな……っと」
そうして最後の一枚を右のプールに投げ込むと、そちらの変化はそのままに、左のプールの水底に沈んだ繊維に意識を向ける。
「結構な量になったな。絶対使いきれんぞコレ」
三十メートル近い木の皮から【抽出】した繊維は、当然の如く凄まじい物量を誇っていた。
しかもそれが何枚分もあるのだから、その総量は推して知るべしといったところか。
「まあ、備えあれば憂いなしとも言うし、腐りでもしない限り何だかんだ無駄にはならないだろう。そんじゃあ一旦引き揚げて……」
そう自分に言い聞かせるしかなかった俺は、水底に沈んだ繊維と周囲の水を風で包み込むと、球体状に纏めて空中へと浮かせる。
「それでは此処でこいつを一つまみ……」
そう言って一つまみの、というか用意した全ての灰を宙に浮かぶ球体に投入すると、繊維に絡み付くように水を操作し混ぜ合わせていく。
そして繊維の隅々にまで灰が付着している事を確認すると、空中に浮かした状態のまま火魔法の【加熱】を使用し沸騰させながら待機させた。
中空に浮かぶ水球が、ぐつぐつと煮え滾りながら周囲に湯気を撒き散らし、局所的な蜃気楼を発生させる。
が、そんな現象に構う余裕もないぐらい、俺は作業に没頭していく。
「魔方陣を描きたいんだけど……いっか、一旦水は全部捌かそう」
チート知識が有っても慣れない作業、それも初めてのともなれば、誰であってもどうしたって手際に無駄が出てしまうものなのだろう。
だから決して俺の段取りが悪い訳ではない。
そんな自己弁護を脳内で転がしながら左のプールに意識を向けると、土魔法の【吸水】を使用し、左のプールに溜まったままの全ての水を土に吸収させた。
そして再びプールに降り立つと、再度壁や床に手を這わし、その状態を確認する。
「……オッケー劣化してないな。これなら作り直さなくても大丈夫そうだ。それじゃあ【抽出】と【加速】は解除して……」
プールの水を全て吸収させた程度で被害を受けるほど【整地】によって均された地下はヤワではなかったようだ。
本来チート知識に照らし合わせれば確認するまでもない事なのだが、性分というべきか、殊更慎重なのか、はたまた不安症なのか。
俺はどうしても自分の手で確認せずには居られなかった。
それでもチートありきの異世界生活に順応していけば、こうした無駄な手間からも解放されるのでは、とも思うのだが。
そうした自問自答に僅かに思考が傾くも、付与の解除に滞りはなく、魔方陣の設置にもその手が惑う事はなかった。
「これでヨシ! それじゃあ仕上げといきますか」
そう言って三度空に舞い上がると、浮かし続けていたアッツアツの水球を再びプールに放り込む。
そして、熱湯と水流によって灰がよく馴染んだ繊維全体が、再度浸かる程度の水を追加すると、魔方陣を発動させるべく魔力を放出した。
【錬成】
注ぎ込まれた魔力を燃料に発動した魔方陣は、水面もろともに一際強い輝きを放つと、瞬く間にその効果を発揮した。
「ふぅ、何とか成功したか……」
溜め息混じりに零れ落ちた呟きが示す通り、眼下のプールの底には一連の作業の成果の塊である、膨大な量の糸が鎮座していた。
「灰も水も残ってないし、手間取ったわりには完璧な出来だな」
チート知識が示す通りにやっていたのだから失敗するとは思っていなかったが、それでも始めて尽くしの作業ともなれば、悪い想像ばかりが膨らみ気疲れしてしまうのは異世界でも変わらないらしい。
どんなにチートを手に入れたとしても、その人間性は変わらず自分自身のままなのだと、改めて思い知らされた。
「……さっさと巻き取るか」
思わぬ形で自らと向き合う羽目になったが、目の前の途方もないと言っても過言ではない量の糸を前に、いつまでも物思いに耽っている場合ではない。
俺は丸太の一部を手早く糸巻きに加工すると、糸の先端に風を纏わせて地道に巻き取っていく。
そうして始まったのは虚無そのもの。
俺はただ無心で風を操りながら糸を巻き続け、糸巻きが足りなくなったら随時補充も行った。
話し相手が欲しい!
異世界に来て初めて、そう切実に願った。
SNSでも構わない!
今バズったら高低差でキーンとなるかも知れない。
何て益体もない考えが脳裏を過り始めたので、俺は無言のまま糸を手にすると、手作業でも糸を巻き取り始めた。
次いで操る風の量も増やして作業効率を高める事にする。
宙に浮かぶ俺の手元と周囲に浮かぶ複数の糸巻きが、同時にクルクルと回転しながら次々とその身を肉厚にしていく様は、中々に異世界らしい光景なのではないだろうか。
そんな事を思いながら、虚無の化身たる単純作業を続けていくのであった。
「ハァーッ、二度とやんない! もう二度とやんないかんなぁーっ!」
俺の感情を映し出したかのように紅く染まる空に向かって、俺は背をのけ反らせながら絶叫した。
「どんだけ時間掛かんねん! どんだけ時間掛かんねんマジで!」
時間にすると四時間にも満たない作業であったが、基本的な時間感覚が魔法ありきとなっている今の俺にとっては、動きのない単純作業で三時間以上は刑罰以外の何物でもなかった。
「また日が暮れるよ! また一日作業だよ!」
費やした時間以上の価値を手にしているとはいえ、キツいものはキツい。
叫んで解消できるなら、好きなだけ叫ぶべきだろう。どうせ誰も居ないんだし……。
「ハァーッ、鬱になる! このままじゃ鬱になっちゃうよぉーっ!」
何て言いながらも、叫ぶ度に心が軽くなっていく実感が沸き上がる。
誰かに届く訳ではなくとも、黙っているよりは言葉を発している方が、精神衛生上は好ましいのだろう。
少なくとも俺は、そう言う性質の人間のようだ。
「はぁ、いつまでやっててもしゃーないわ。続きをやろう」
躁鬱かな? と本格的に思いはしたが、そんな事に思考を割いてる暇さえない! と強く思い直すと、宙に浮きながらもトボトボ感を醸し出しつつ、残りの木の皮を空のプールに投げ込んで前言を即座に翻した。
俺は、努めてキビキビとした動作を意識しながらプールに降り立ち魔方陣を消し去ると、再度水を撒き操り付与を施し、剥がれた表皮を右のプールに投げ込み、底に沈んだ繊維を周囲の水ごと宙に浮かし、灰を入れずに加熱もせずに、プールの水を消し去り付与も消し去り、床に魔方陣を刻み込み、繊維を水ごとプールに投げ込み、れーんせいっ! と狂ったように叫ぶとアラ不思議。
プールの底に大量の糸が出来上がってるじゃありませんか!
「まーきとっ……たりゃーっ!」
二度とやらないなんて誰が言ったんだろうな。
俺? 冗談だろ? 見てみろよ俺の顔。死んでるんだぜ、心。
「うぉぉおおおお!!!」
夜の帳がこんばんわ! し始めても尚、俺の作業は終わりを見せてはくれず、屋敷の裏手で一人寂しく【暗視】を頼りに絶叫しつつも、無心のままで糸を巻き取り続けるのであった。
叫んでいるのに無心とか、何のかは不明だが末期である事に間違いはないだろう。手遅れと言い換えても良いのかもしれない。
異世界に来て、日本に居る時よりも人恋しさに震えるなんて思いもしなかった。
異世界転移はチーレムが基本だって義務教育で教わった筈なんだけど。
しかし、既に終わりを向かえたこの世界で生きていく以上、これが俺の日常となるのだろう。
そう思えばこそ、俺は叫ばずには居られなかったのかもしれない。
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