第11話
破壊神との実戦という名の無限虐殺編は、争い事から縁遠い人生を送る現代っ子たる俺の価値観を、根底から引っくり返して余りある経験を与えてくれた。
「死ねやクソガキ!」
両手を大きく左右に開いた俺は、口汚い蛮声にのせて極限まで研ぎ澄ませた風の刃を破壊神目掛けて撃ち込んだ。
「はっ、この程度のそよ風で死ねるか大馬鹿者!」
軽く数千を越える限りなく不可視に近い風の刃を前に、しかし破壊神は余裕の笑みを浮かべると、憎まれ口を叩きながら右手を大振りに振り下ろした。
瞬間、空間を引き裂くような甲高い異音が神界に響き渡る。
数千にも及ぶ風の刃は、腕の一振が齎した風圧によって一つ残らず散らされてしまったのだ。
そうして訪れたのは、圧倒的かつ無軌道な暴風による蹂躙である。
「ぐぅ……っ!」
俺は即座に全身に魔力を巡らせ身体強化を施し低い体勢を取ると、台風すら生易しく感じる程の大嵐をなんとかやり過ごす。
「妾を前に動きを止めるか愚か者!」
が、結果として破壊神の接近を許してしまう。
「――――っ!」
その瞬間脳裏を過るのは、ここに至るまでに嘗めさせられた辛酸の数々であった。
時に四肢を引き千切られ、踏み潰され、切り刻まれ、その痛みと恐怖に涙し震え怯える事しか出来なかった俺に、破壊神は満面の笑みを浮かべながら、目を、耳を、鼻を、唇を、その一つ一つを入念に潰し、千切り、砕き、削ぎ落としていったのだ。
最早絶叫も掠れ消え去り、涙も枯れ果て、心が死に絶えても尚、破壊神はそれを幾度も幾度も丹念に繰り返した。
そうして何億回、何千万回繰り返しただろうか。
邪神も斯くやといった凶相を浮かべ迫る破壊神を前に、しかしもう俺の心は恐怖に震える事も痛みに怯える事もなかった。
風に飛ばされぬように必死に踏ん張る様を見せ付けながら、俺は慎重に魔力を練りつつ破壊神との間合いを計る。
「ふはははっ。今度は四肢を捩じ切った後に口から背骨を引き抜いてくれようかのう!」
「ひぇっ……」
幾ら何でも発想が邪悪過ぎるんですがそれは!?
ってか、それならもう何千回も喰らったわ!
口から背骨どころか五臓六腑を全部引き抜いただろうが! これ見よがしに俺の目の前で心臓を握り潰しやがっただろうが! 引き抜いた背骨で俺の首を斬り飛ばしただろうが! あばら骨をダーツ代わりにぶん投げて磔にしやがっただろうが! 引き抜いた腸で首吊りさせやがっただろうが! 内臓を片っ端から口に詰め込んで窒息させやがっただろうが!
あぁ、思い出しただけで腸が煮えくり返ってきたわ。今度こそ絶対に仕留めてやんぜクソガキィィイイイ!!!
「ふはははっ! 此度はどれだけ甚振れるか楽しみじゃのう!」
そう言った破壊神は両腕を鞭のようにしならせると、人知を遥かに超えた速度で振り抜いた。
狙いは地に根を張るように踏ん張られた俺の両足、と見せかけて、それを迎え撃たんと振るった両腕だった。
「まずは二本じゃ!」
が、それはこれ迄の地獄の経験から予測できる範囲内に収まった奇襲だった。
故に。
「うらぁぁああ!!」
俺は自らの両腕に風の刃を纏わせると、真正面から破壊神の攻撃を迎え撃った。
「――っ! な、じゃと!?」
破壊神が驚愕も露に絶叫する。
これまでの経験から、今の俺ではまだ破壊神の速度に付いてこれないと考えていたのだろう。
実際その予想は概ね正しい。
現状俺の身体性能では、どれ程魔力で強化したところで、また数多の魔法で補助したとしても、神速の攻勢とせめぎ合うには不足も過ぎる。
しかし、これまでに経験した数え切れない程の死が、地獄の苦しみが、絶望が、憤怒が、俺の生存本能を極限まで高めていたのだ。
例え破壊神の神速の手刀を目で追えずとも、全身の毛穴が、そこから生える産毛の全てが、その先にまで繋がる魔力回路が、そして何より磨き抜かれた第六感が、反射的に命の危機を知らせてくれるのだ。
後はただ、何も考えずにその身を本能に委ねるだけの事。
「無我の境地へと至ったか!?」
攻勢の手を弛める事なく、しかし歓喜も露に破壊神は詰め寄ってくる。
俺はそれに返事をする余裕もなく、ただひたすらに破壊神の攻撃を捌いていく。
最早誰の目にも追えぬ程に加速していく互いの手刀が縦横無尽に火花を散らす。
腕と腕がぶつかり合うだけにしては、硬質すぎる甲高い激突音が神界に響き渡り、互いの手と手が触れ合う度に周囲に衝撃波が放たれていく。
爆風に煽られるように前髪は天を突き、視界を広く明瞭に確保してくれる。
しかし俺は限界まで目を見開きながらも、視覚にのみ頼ろうとする己の心を叱咤し続けた。
(無理に視ようとするな! 追おうとするな! 五感の全てを第六感ごと研ぎ澄ませろ!)
最早どれ程強化したところで、動体視力のみで補える次元などとうに越えてしまっている。
ならば自分の持てる全ての感覚を総動員しなければ、神速を宿す破壊神の残像すら捉える事はできない。
俺が今無理矢理立たされているのは、それ程理不尽な領域なのだ。
「くっはっはっはっ! 愉しくなってきたではないか! そうであろうカイト!」
意識してか無意識か、ここにきて初めて破壊神から名を呼ばれた事に気が付いた。
が、そんな事に今更感情を揺らす余裕もなく、俺は状況を打開するべく、舞い散る火花が風に煽られ破壊神の目を焼くように調整していく。
「ぬははははははっ! それだけ動けていながら何とも小狡い真似をするではないか!」
しかしその企みは即座に看破されたばかりか、これ見よがしに目を見開いた破壊神が自ら火花に顔を突っ込んでなお無傷を晒したせいで、完全に無駄な足掻きであったと思い知らされた。
「チッ……!」
俺は沸き上がる絶望感を何とか舌打ち一つに込めて吐き出し精神を安定させる。
破壊神の揺さぶりは今に始まった事ではないのだから。
「ふっはっはっは。どうしたどうしたカイト! 小細工はもう打ち止めかのう!」
「ぐぅ……っ!」
しかし、状況は刻一刻と悪化の一途を辿り始める。
縦横無尽に、はたまた舞い踊るかのようにその身を自由に翻す破壊神と違い、俺は暴風に耐える為に両足をその場から大きく動かせずにいるのだ。
取れる自由度の差が、そのまま戦況の優劣に響いていく。
当然そんな隙を見逃してくれるような甘さを、破壊神は持ち合わせてはいない。
「ほうら! この角度ならどうじゃ! この位置ではどうじゃ! 動けぬままで一体いつまで耐え抜けるかのう。ふはははははーっ!」
「く、そがぁぁああ!」
低空から抉るように繰り出される抜き手に、両腕の可動域の外側から振り下ろされる手刀に、俺は無理な体勢での迎撃を押し付けられ続け、加速度的に体力と魔力を磨り減らされてしまう。
まるで自分の命の砂時計が刻々と流れ落ちる様を見せ付けられているかのようだ。
「はっ、はっ、はっ……」
最早隠しきれない程に息が上がってしまう。変わらず迫る破壊神の手刀が、速度はそのままに重さを増したような気さえした。
「此度は中々に愉しめたぞ。次からもほんに楽しみよのぅ?」
俺の限界を察したのか、破壊神はもう次の戦闘へと目を向け始めていた。
だが、それを侮辱と受け取り怒れるだけの余裕すら、今の俺には微塵もなかった。
ただ、俺の心を圧し折るように繰り返される破壊神の口撃を受け流しながら、少しでも体力と魔力を回復させようと藻掻くのみ。
「終局じゃ。じゃが、予想外に愉しませてくれた礼に次なる領域を見せてやろうぞ」
しかし、そんな俺の足掻きすら踏み躙るかのように言い放った破壊神は、一度これ見よがしに俺から距離を取ると、次の瞬間にはその姿を完全に消した。
俺の五感も第六感も、魔力関知も経験も、今の俺を構成する全てのチートのどれ一つを取ってしても、破壊神の動きに反応を示さなかった。
否、示せなかった。
「ぐぁ……っ!」
突然肩口から斬り飛ばされた俺の両腕は、未だ収まる気配を見せない暴風に煽られ視界から消え去っていく。
そして噴き出す鮮血が瞬く間に命の残量を磨り減らしていく。
「ふはははっ! まずは二本。次いで二本じゃ!」
まるで舞踏会の主役のような軽やかなステップを踏みながら反転した破壊神は、更なる追撃を神速すら超越した速度でもって抜き放ち、俺の両足を容易く切断した。
俺の生存本能も、数多の死の果てに辿り着いた無我の境地でさえ、破壊神の速度の前に置き去りにされてしまったのだ。
「ぐぅ……っ!」
一瞬のうちに手足を失った俺は、暴風に煽られるように激しく回転しながら宙へと投げ出される。
自らの鮮血に染まる世界の片隅で、耳まで届くほどの弓形に唇を歪めた破壊神の姿が映る。
そして次の瞬間には視界一面を破壊神の嗜虐に満ちた顔が覆い尽くした。
「やはり此度は腹から背骨を引き抜いてやろうぞ」
そう言うや否や、破壊神は俺の腹に右腕を突き刺すと、器用に臓器を避けながら背骨のみを強く握り締めた。
「がはっ……!」
俺は背筋を反り返らせながら大量の血反吐を吐き出した。
荒れ狂う暴風が紅に染まっていく。
「さぁ、此度も敗者に相応しい末路を与えてくれようぞ」
これから始まる地獄の責め苦を煽るかのように俺の背骨を揺らしながら、破壊神はキスさえ出来そうな距離にまで顔を近づけると、愉悦混じりにそう言った。
俺は思わず小さく噴き出してしまった。
どれ程禍々しくとも、美の結晶たる破壊神の魅力に、俺はどうしようもない程に狂ってしまっているのだろうか。
そして同時に勝利を確信、否、一矢を報いる手筈が整った事を悟る。
「何を嗤う――っ!?」
俺の様子から不穏な気配を感じ取った破壊神は、その狙いを見透かさんと鋭い視線を寄越してくるが、時既に遅し。
「道連れだセシュリーッ!」
俺は興奮からか破壊神の名を叫ぶと、自らの血液を高濃度の硫酸へと変化させ破壊神へとお見舞いした。
「なっ!? が、甘いッ!!」
俺の狙いに即座に気付いた破壊神は、硫酸に溶かされる前に強引に右手を引き抜いた。
支えを失った俺の体は地面へと落下し始める。その内臓を自らの硫酸に溶かされながら。
「ふぅ、危うく右手を焼かれる所であったわ。しかし詰めが甘かったのぅ」
自爆の結果、最早虫の息となった俺の側に舞い降りた破壊神は、心底愉快そうに勝ち誇る。
「そうか、駄目だったか……」
「うむ。覚悟自体は悪くなかったが、アレを成功させたくば妾を完全に、いや最低でも後数秒は拘束すべきであったな」
「そうか……」
然したる感慨も浮かべずに俺は呟いた。
「なら、これならどうだ?」
俺は最後の力を振り絞ると、周囲に拡散させ続けていた自らの血液を硫酸に変えて降り注がせる。
「――ッ!? まさかっ、最初から全ての血飛沫にっ、いや、この荒れ狂う暴風にさえ干渉し続けておったのか!?」
破壊神は俺の切り札を即座に見破った。
「あぁ。だから回復魔法を使う余裕なんて微塵もなかったんだ。だから言ったろ? 道連れだって」
そんな俺の言葉は最後まで発せられただろうか。
豪雨の様に降り注ぐ高濃度の硫酸が容赦なく二人を包み込み、俺の身体は瞬く間に溶かされていく。
せめて一矢は報いる事が出来ていて欲しいと切に願いながら、俺の意識は闇に飲み込まれていった。
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