第8話

 『ソレ、なーおった!』

 

 永久の安寧を妨げるかの様に、極めてアホっぽい声が耳朶を打つ。

 

 俺は、十二連勤の末に漸く手に入れた休日の早朝に、近所の騒音によって叩き起こされた時に感じた底無しの殺意を抱きながら、のっそりと瞼を開いて件の下手人へと視線を向ける。

 

 「………………」

 

 「何じゃその鬱陶しい目つきは。抉るぞ」

 

 「ヒェッ!」

 

 俺は秒で座禅を組んだ。

 

 って、あれ? 手も足もある? しかも痛みは無い? それどころか汚れ一つ見当たらない? スエットも靴下もまるで新品同様?

 え? どういう事? 夢? もしかしてさっきのは夢? リアル過ぎただけの悪夢?

 

 「うむ。最初からそうしておれば良いのじゃ。では続きを始めるぞ」

 

 そう言った破壊神は、戸惑う俺の様子になど目もくれず、先程と同様に俺の頭に手を乗せ準備を整えた。

 

 「ちょっ、ちょっと待って!」

 

 「何じゃ騒々しい」

 

 「い、いや、え? 何で? 夢? 俺、さっき、確かに……」

 

 「ああ、確かにそなたは先程勝手に死によったぞ」

 

 「!?」

 

 「じゃから妾が手ずから蘇らせてやったのじゃ。分かったらさっさと続きを始めるぞ。知識の定着には想定以上に時間が掛かりそうなのじゃ。とっとと済ませねば次の段階には進めぬから、何時まで経ってもそなたにチートを与えられぬ」

 

 「えっ、ちょっ、死んだって、蘇ったって一体――いぎゃゃぁぁああ!!」

 

 まだ疑問の解消どころか心の準備も何も出来ていないのにーっ!

 説明するならちゃんとしてぇ!

 

 ってか、ケツが痛ぇ! うわっ、血がっ!?……そ、そうだ思い出した! さっきもこうして接地面から順に抉れていって、最終的に俺の下半身が――――いぎゃゃぁぁああ!!

 

 膨大な知識の奔流が容赦なく蹂躙を始めた。

 

 「こら、無駄に暴れるでないわ。頭を空っぽにするのじゃ。流れ込んでくる全てをあまねく受け入れるのじゃ。……なっ、こやつまた死におった! まだ上半身が残っておるというのに一体どれだけ虚弱なんじゃ! 全く手の掛かる……ソレ『なーおった!』」

 

 「………………ぅう゛、え!?」

 

 「こら、目覚めたのなら疾く姿勢を整えぬか」

 

 「え、あ、いや……」

 

 「では続けるぞ」

 

 「あ、ま、待って! 待って一旦話を聞いぎゃゃぁぁああ!!」

 

 膨大な知識の奔流が容赦なく蹂躙を――。

 

 「また死によったか! じゃがもう驚いてやらぬぞ! ソレ『なーおった!』」

 

 「…………え、あ、また?」

 

 「うむ、その通りじゃ。さっさと続きをや――――」

 

 「また!? またあの拷問を!?」

 

 「拷問ではないわ! 知識の定着じゃ」

 

 「で、でも、また、俺の下半身は……っ」

 

 「それは虚弱過ぎるそなたが悪い。大いなる力を手に入れる為の副作用の様なモノじゃと諦めい」

 

 「あ、諦めろって、またあんな苦痛を……! そ、そうだ、後何回ぐらい耐えればいいんだ!? せめて回数さえ分かっていれば何とか耐えきれるかもしれない」

 

 「ん? そなたは一度も耐えておらんじゃろうが。既に何回死んだと思っておる?」

 

 んなこたぁ聞いてないんだよ! 人様の揚げ足を取るなんて神様として恥ずかしくないの!? デリカシーが足りてないよ! 罰として俺の恥になるような事は墓場まで持って行く事! これ約束!

 

 「う、うむ、そうじゃな。そなたが血反吐を撒き散らしながら絶叫しつつ糞尿を垂れ流して絶命している事は妾の胸の内だけに納めておこう」

 

 お、おう。端から見たら俺ってそんな末路を迎えていたのか……じゃなくて! 後何回くらいで知識の定着は終わるの!

 

 「そうじゃなぁ、現時点で一厘にすら遠く及んでいないからのぅ。正確な回数は何とも言い難いが、まだまだ先が長い事だけは確かじゃ」

 

 「一厘にも達してないって、じゃあ最低でも後………………あ、あひゃっ、あひゃひゃ? アヒャヒャヒャヒャヒャッ? アーッヒャッヒャッヒャッヒャーッ!」

 

 「うわ!? 何を急に狂っておるのじゃ。ソレ『なーおった!』」

 

 「あひゃひゃ……え、な、なんで、なんでもどって……」

 

 「妾が治したからに決まっておろうが」

 

 「な、なんで? もうなにも考えなくていいって思ったのに。なにも感じなくていいって思ったのに」

 

 「そんな状態で知識を流し込んだところで定着する訳無かろうが愚か者」

 

 「で、でも、それじゃあ、俺は、後何万回も」

 

 「そなたが望み選んだ道じゃ。甘えるでないわ軟弱者。ホレさっさと続きを始めるぞ」

 

 「いや、もうちょっとまっ――――」

 

 「もう善い! 無駄な問答は今後一切無用じゃ!」

 

 「いぎゃゃぁぁああ!!」

 

 それからはもう、会話による引き延ばしは許されず、死んでは蘇ってを繰り返すばかりとなった。

 何度心が折れようとも、何度気が狂おうとも、瞬き一つの間に完全に癒され現実に直面させられてしまい、また激痛の果てに死ぬだけの無間地獄ループへと戻されていった。 

 

 俺だって努力はしてみた。

 

 破壊神が頭を空っぽにと言うから、ケツ肉が削がれようが、ケツ骨が削られようが、ムスコが肉片となって南無三しようが、無心を貫いて知識の奔流に身を委ねてみたさ。

 

 だが結果はデッドエンド。

 

 ならばと、流れてくる知識に『定着しろぉ~定着しろぉ~』と語りかけた事もあった。

 座禅をやめて片足立ちとなり、摩擦で削れていく体の面積を少なくしつつ片足ずつ削られていく事で、死ぬまでの時間を長く稼いだ事もあった。控え目に言って狂気の沙汰だろこんなん。

 

 だが結果はデッドエンド。

 

 何をやってもデッドエンド。苦痛の果てにデッドエンド。心が壊れたら癒されてデッドエンド。気が狂ったら治されてデッドエンド。

 

 デッドエンドデッドエンドデッドエンド。

 

 もうチートは要らないから、安らかに死なせて欲しいと数え切れない程に懇願した。

 しかし破壊神からの返答は『チートをやると言った妾の言葉に二言は無い。それに、そなたの命はゼー君の調査が終わるまでそなただけのモノでは無くなったのじゃ。それを妾が勝手に破壊する事など許されぬ』という血も涙も無いものだった。

 

 だからそれに対して、もう何度も破壊してるじゃん! と正論をぶつけてみても『じゃからその度に完璧に癒してやってるじゃろうが殺すぞ!』という論破を暴力で捩じ伏せていく破壊神らしい解答しか得られなかった。

 

 余りの絶望に、俺の心は何度も壊れては癒され狂っては治され、やっぱり狂い癒され壊れ治され、果ての無い無間地獄を存分に堪能させられたのだった。

 

 そうして何京回、何千兆回繰り返しただろうか。

 

 「ぃぎゃゃぁぁあ………………あ?」

 

 何時もなら下半身と両手を失い、血反吐を撒き散らしながら狂った様に絶叫しつつ死んでいた筈が、左足全体と右足の膝下を失ったところで全身の痙攣が止んだのだ。

 

 「ふぅー。ようやっと知識の定着が終わったか。やはり想像以上に時間が掛かってしまったのぅ」

 

 失った左足と右膝と張り裂けた喉から感じる激痛に耐えながら、俺は破壊神が額を拭いながら漏らした呟きを確かに聞き取った。

 

 「あががっ、あがががが!」

 

 「ん? 何じゃそなた、何を言っとるのか分からんぞ」

 

 「あがががががが! あがががが!」

 

 「うむ? あっ! そうかそうか。先ずは癒してやらんとな。いやぁ、そなたを癒すのは死んでからが殆どじゃったからのぅ。心が壊れている訳でもなければ、精神が狂っている訳でもないそなたを癒すなど、思い付きもしなかったわ。ハハハ、すまぬすまぬ。ソレ『なーおった!』」

 

 「ぅ、ぐぅっ!」

 

 そんな巫山戯た事を宣った破壊神だが、癒しの力は本物で、失った筈の両足は逆再生さながらに綺麗に蘇っていく。

 その上、血塗れとなった着衣すらも新品同様に修復されていくのだから、破壊神の力は本当に底知れないのだと思い知らされる。

 

 ただ、再生されていくからといって、ズタズタになった自らの両足を直視するのは、精神衛生上余り宜しくは無かった。

 

 手足が完全に元通りになっても、一瞬前まで苛まれていた激痛の残滓が幻痛となって悪さをしてくるからだ。


 だが、傷一つどころか汚れ一つ無い今の俺の姿を見ては、一瞬前まで瀕死の状態だったなど、誰一人として信じられないだろう。


 故に、手足を特に苛むこの痛みを分かち合える者もまた、一人も居ないのだろうと思う。

 

 「うむ、これで善かろう」

 

 「あ、有り難う、御座います」

 

 それでも漸く地獄の責め苦から解放された事で、俺の張り詰めていた心はユッルユルとなり、破壊神への感謝の言葉もそこそこに、腰を抜かすようにへたり込んでしまう。


 地面を汚していた筈の俺の血肉は傷を癒すついでに除去されたようで、腰の下から不快感を感じる事は無かった。

 

 俺は、確かな解放感に身を委ねながら両手をグッと伸ばし深呼吸。肺を満たす血の混じらない空気の美味しさたるや格別の一言。


 次いで上半身を大いに反らして天を仰ぎ達成感に浸っていると、背後で満面の笑みを浮かべていた破壊神が、無造作に俺の顔を覗き込んできた。


 俺は、反射的に身構えるように姿勢を正そうとするが。

 

 「フハハハハッ、構わぬ構わぬ。それよりもどうじゃ? 膨大な知識をその身に宿した感想は?」

 

 「感想……」

 

 そう言われても、特に実感らしきものは湧き上がってこない。


 「当たり前じゃ。そなたが得たのは知識のみ。漫然としておるだけでは恩恵は受けられぬわ」

 

 「え、じゃあどうすれば……」

 

 「思考せよ。どの様な事柄でも良いから思考するのじゃ。武器の扱い方。魔法の使い方。道具の作り方。今、そなたが思考しさえすれば、自ずと知識は応えてくれるであろう」

 

 「な、成る程。では……」

 

 破壊神の言葉に促されるように思考してみる。

 両目を閉じて思い浮かべるのは、異世界転生における醍醐味の一つ、魔法についてだ。


 「っ!?」

 

 「フフッ、どうじゃ? 知識はそなたの問いに答えてくれたかのぅ?」

 

 「あ、ああ。凄いなコレ……」

 

 漠然と魔法について考えただけで、膨大な知識が脳内を次から次へと駆け巡る。

 

 「うむ。それでどうじゃ? 過剰な情報量に当てられて体調に変化などは起きておらぬか?」

 

 「ああ、不思議と知識に翻弄される様な感覚は受けないな」

 

 大量の情報こそ一度に飛び込んではくるが、それは一つも脳に焼き付く事はなく、次から次へと滑り落ちては消えていくかのような。


 言うなれば、分厚い辞書を自分の意思でパラパラと流し読みした時の感覚に似ている。

 

 「うむ、それは重畳。予後の経過が順調なようでなによりじゃ」

 

 「あぁ、本当に凄いよこれ。……ハハッ、マジでスゲェな! これなら何でも使えるし、何でも作れそうだぜ!」

 

 脳内から噴出するファンタジー知識を流し読みしているだけなのに、謎の万能感が精神を高揚させていく。

 

 あらゆる武器を使い熟し、悪行の限りを尽くす咎人を簡単に成敗する俺。

 全ての魔法を習得し、人類を滅ぼさんと暗躍する魔王を楽々と討伐する俺。

 万物を容易く製造し、世界を滅ぼさんと暴走する破壊神を余裕で蹂躙する俺。

 

 全部俺! オ・レ!

 

 こんなん想像しただけで脳汁ドバドバやんけ! 滅茶苦茶にしてやんぜ異世界ィ! ぬははははははぁっ!

 

 「フハハハハハハッ! 妾を蹂躙するとな? その意気やヨシ! ではさっさと次の段階へ進むのじゃ! 楽な姿勢を取るが善い!」


 「はーっはっは! ………………え?」

 

 え、何? まだ俺なんかやらされんの?

 知識はもう充分あるから、後は自主練で何とかなるんじゃないかなぁ……なんて思うんだけど?


「ならぬから妾が手ずからそなたをチートへ導いてやっておるのじゃ! 善いから四の五の言わずに妾に従え、殺すぞ!」


「ひぇぇ……っ」


 何この破壊神の有無を言わせぬ強引さ。


 もしかしてなんか地雷を踏んじまったのか、オ・レ!?

 

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