第4話

 「お、おい止まらぬか! 妾を無視するで無いわ!」

 

 僅かな幼さを残しつつも、人に命じる事に慣れた凛とした声色が、困惑に染まる。

 

 「ち、違うんです! 自分の意思じゃ止まれないんです! 助けて下さい!」

 

 「なんじゃそのけったいな言い訳は!」

 

 「ほ、本当なんです! 歩きすぎて自分の意思じゃ止まれない体になっちゃったんです!」

 

 「ぶっは! なんじゃその珍妙な生態は。やれやれ全く仕方がないのぅ。ホレッ」

 

 「う、うわぁ!?」

 

 豪快に吹き出した声の主、推定少女は、ヤレヤレ系主人公の様な呟きを漏らしたかと思うと、一瞬で俺との距離を詰めたのか、背後から一気に俺の体を持ち上げた。

 

 「ホレッ、ホレッ。どうじゃ? これで止まれそうかのう? プークスクス」

 

 背後から高い高いの状態でユッサユッサと上下に揺すられ、俺の体はバランスを崩して倒れ込みそうになる。

 

 「お、お、降ろして! 危ないから一回降ろしてぇ!」

 

 しかし、俺の横っ腹を掴む推定少女の力は信じられない程に強く、腹部に少女の手首が食い込むまでの怪力で体勢を強引に整えられては、繰り返しユッサユッサとされてしまう。

 

 「いだっ、イダダダダッ!」

 

 しかし推定少女は、俺の絶叫など馬耳東風といった様子で、ホーレホーレと口ずさみながら心底楽しそうに俺の体を上下に揺らし続ける。


 万力もかくやといった少女の膂力によって、俺の腹部は押し潰され出来の悪い瓢箪の様な奇っ怪な有り様となっていた。


 激しく揺れる視界に、そんな自らの姿が映る度に、骨や内臓のみならず心までもが軋むように悲鳴を上げる。


 そして、大して頑丈でもない俺の肉体は早々に耐久限界を突破した。

 

 「う、うげぇぇええ」

 

 「うわっ、急になんじゃお主は。ばっちぃのぅ!」

 

 それが目の前で嘔吐する人間にかける言葉かね!? 人の心とか無いんか! と言いたいが、今の俺の口からは吐瀉物以外は出てこない。


 しかし、尊厳こそ僅かに傷ついたが、新手の拷問から逃れる事に成功したと思えば、結果オーライと言えなくもない。


 そう考えれば、初対面の推定少女の前で蹲ってゲロってる現状もそう悪くはないのかも知れない。無限歩行地獄も止められたし。

 

 「お主、以外と前向きなんじゃのぅ……」

 

 「う゛ぉえっ、ぇっ、え? 今何か言った?」

 

 「……いや、善い。此方の話じゃ。妾の事は気にせず、好きなだけ吐くが善い」

 

 や、優しい。

 未だ姿は見ていないが、声から察するに確実に年下だろう。にも関わらず、目の前で吐き散らかす年上男性という、どう見積もっても好感など抱きようがない相手を気遣うなんて。


 捨てたもんじゃない。捨てたもんじゃないよ人情は。

 

 ただ、俺が吐き散らかす原因が何だったのかについては一旦棚上げとする。

 

 一頻り吐き続けて、もう胃液も出ないよ! という内臓からのメッセージを受け取った俺は、口元を袖口で脱ぐってから立ち上がり、第二次接近遭遇と相成った推定少女と向き合った。

 

 「う、ぁ……」

 

 思わず感嘆のため息が吐いて出る。

 我ながら事案ものの漏れ方だ。人目に気を付けないと即後ろ手案件だ。

 

 しかし、そんな俺の様子など歯牙にもかけず暇潰しでもしているのか、自らの髪の毛先をクルクルと弄っている少女は、まさに美の結晶ともいうべき容貌をしていた。

 

 年の頃は十五、六歳といったところだろうか。

 透き通るような白い肌。薄くともぷっくりとした赤い唇。ほっそりとしつつも確りと筋が通った鼻。好奇心をそのまま象ったかのような大きな銀色の瞳。

 その全てが黄金比と寸分の狂いもなく配置されているのだ。


 そしてなにより目を惹いたのは、黒曜石の様に煌めく肩幅で切り揃えられた御髪だ。

 夜そのものを内包しているのかと錯覚してしまう程に深い黒髪は、風も吹いていないのにサラサラと自由に空を泳いでいる。

 漆黒のローブが僅かもはためいていない様子との対比のせいで、より幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

 非現実が少女の形をとって現れたと言っても過言ではない神秘的な光景が、目の前に降臨していたのだ。

 

 「ん?」

 

 呆然と見つめる俺の視線に気が付いたのか、少女はゆっくりと俺の方へ体ごと向き直った。

 

 「ぅ、あっ……」

 

 無垢な瞳が俺を射抜く。

 好奇心に彩られた大きな瞳が、一際強い輝きを放った気がした。

 そして、その小さな唇が僅かに開き弓形へと姿を変え、その奥から空気に干渉し世界に刻み込むように言葉が紡がれる。

 

 「お? もう善いのかゲロ人間?」

 

 魂をも震わせる威厳と畏敬が秒で霧散した。

 

 ってか、煽り性能高過ぎひんかこのクソガキ。

 温厚な俺が相手じゃ無かったら手が出てる案件だぞ。

 だが、ここでキレ散らかしては年長者の名折れ。殊更丁寧に対応してこそ、格の違いを知らしめられるというもの。

 

 「あ、あぁ。お待たせして申し訳ない。それと暴走……いや、暴歩? する俺を止めてくれて有り難う。あのままだと死ぬまで歩き続ける羽目になっていたところだよ、はははっ」

 

 どうよ。

 詫びと感謝とユーモアを織り交ぜたこの返答。

 クソガキ相手でも隙をみせない大人の対応。

 これがバイトとはいえ社会を経験した者の風格。

 煽る事しか能の無いクソガキでは決して到達できない高み。

 

 ふっ、精々俺との格の差を思い知って自らの矮小さを自覚するがいいわ! 見てくれだけが取り柄のクソガキよ!

 

 「ぶっは! なんじゃその気っ色の悪い話し方は! ついさっきまで『助けて下さいぃ』とか『降ろしてぇ』とかなっさけない声で叫んでおったくせに。ププッ。『歩き続ける羽目になっていたところだよ、はははっ』じゃって。今更余裕ぶってダッサ! ぷくく……ぶわっはっはっは!」

 

 ヨーシ分かった。一発は許されるな。拳を握っちゃうからな。助走だってつけちゃうぞ。クラウチングスタートで初速も稼いじゃうから――――。

 

 「大体なーにが『大人の対応』じゃ。なーにが『格の差を思い知れ』じゃ。二十年ぽっちしか生きておらぬひよっ子が、妾を相手に『年長者の名折れ』などど良くも宣えたものじゃ。片腹痛くて涙が止まらぬわ! ぶわっはっはっは!」

 

 「――っ! な、何でそれをっ」

 

 「口に出さねば知られぬなどと本気で思っておったのか? 妾を前に随分と悠長な事よ。そなた程度の心を読むなど造作もないのじゃ! ぐわっはっはっは!」

 

 腰に手を当て背中を反らし天を仰ぎながら豪快に笑う少女の姿に、俺は苛立ちよりも戦慄を覚えた。 

 

 どうやら俺の思考は一から十まで筒抜けだったらしい。

 そしてそれは今も変わらず続いているのだろう。

 驚愕から立ち直れずに、無意味な思考を弄んでいるだけの現状すら、彼女にはお見通しという訳だ。

 

 「フフッ」

 

 まるで、そんな俺の疑念を見透かしたようなタイミングで、彼女は俺と視線を合わせて微笑んだ。

 

 「ぐ、うぅ……」

 

 それだけでもう、格付けは済んでしまったのだろう。

 

 本来なら、時を忘れてしまう程に目を奪われるだろう美貌の微笑みに対して、怯んで目を逸らしてしまうぐらいには、俺達の間に横たわる格の差は両者にとって明確となったのだから。

 

 しかし、だからといって怯んでばかりもいられない。心を読めるだけの美少女に屈服する程、俺の自尊心は低くない、筈だ。多分。

 

 俺は、より毅然とした態度を心掛けながら、浮世離れした空気を纏う少女に問い掛ける。

 

  「わ、わわわ、妾って、そ、そもそもあんたは一体何者なんだ!」

 

 まぁ、ギリギリ及第点かな。

 

 「いや落第じゃろうが。甘えるなよゲロ人間」

 

 心読むの止めて貰えませんか! 後ゲロ人間は今すぐ止めて! 一生止めて! 禁止ワードにして!

 

 「分かった、分かった。じゃから、無表情のまま心の中だけで騒ぐのは止めよ。不気味すぎるぞそなた……」

 

 勝った。勝訴確定だ。

 やはり毅然とした大人の対応こそが至上。

 大人力をもってすれば、サトリクソガキ程度をワカラセるなんて造作もないと証明されたな。

 レスバで勝ったお陰か、随分と心も軽くなった気がする。幾分か舌も回りやすくなっただろうし、仕切り直すか。

 

 「ヴ、ゥヴンッ! では、改めて問おう。人の心を容易く読んでしまうという君は、一体何者なんだ?」

 

 常人離れした容姿も然ることながら、人の心を読むなんて本物の超能力なのかもしれない。もしくは、俺と違って神界に迷い込んだ際にチートを手に入れた異世界転移者とか……。

 

 「ほう、そなたはその様な……。まあ今は善い! まずはそなたの質問に答えよう!」

 

 少女の威勢の良い啖呵に、俺は思わず生唾を飲み込んで対峙した。


 少女は両手を腰に当て僅かに胸を反らすと、可愛げすら感じられる傲慢さを滲ませた表情を浮かべながら、堂々と宣言した。

 

 「妾は創造神ゼクラスの半身にして伴侶の女神。数多の世界に破壊と混沌を齎す破壊神セシュリーじゃ!」


 「な、何だってぇーっ!?」

 

 驚愕の真相が明らかに。

 絶世の美少女はチート持ちの同類などではなく、俺を放置してどっかに消えたクソジジイと同類のクソガキ嫁神だった。


 つまり、俺のヒロインでは無かったという事だ!

 

 確かに神界に居るんだから、人よりも神様の確率の方が高いのかも知れない。

 が、それならばせめてあのジジイの様に威厳を纏うとかしておいてほしい。

 どうあがいてもマウント取れねえなコイツって、こっちが諦める様な風格を放っていて欲しい。

 一瞬でもヒロインかも? なんて期待を抱かせないで欲しい。

 

 神を名乗るなら、それぐらいの配慮は見せてほしい!

 

 「妾を破壊神と理解しておいてその言い種……。何を吹っ切れとるんじゃそなたは」

 

 そんな呆れられても。だってもう手遅れだし。散々不敬を働いた訳だし。心読まれてるなら言い逃れも出来ないし。ヒロインじゃないし。こんなの質の悪い初見殺しじゃん。ほんっと萎えるわ。

 

 どうぞ野蛮な破壊神らしく下賤な人間なんて、煮るなり焼くなり好きにしたら良いんじゃないですかねぇーっ! ファーッ!

 

 「そなた……破壊神をなんじゃと思うておるんじゃ。そなたの様な矮小な命を一つ破壊したところで、妾は何一つ得られぬわ」

 

 えっ、じゃあ、俺の事、殺さない?

 

 「殺さぬよ。そも、殺すつもりなら見つけた瞬間有無も言わさず跡形もなく破壊しとるわ」

 

 こっわ! でもそっか、俺、死なないんだ。

 

 「死なぬ死ねぬ。それよりも、妾はそなたの事をもっと知りたいぞ。先程妾の事を考察するに辺り、何やら面白そうな事を言っておったじゃろ? 心の中で」

 

 心の? ……あぁ、あの事か。それじゃあ少なくともその話が終わるまでは確実に安全って訳か。

 

 「うむうむ。最近は妾も暇を持て余しておったからの。面白そうな話には目がないんじゃ」

 

 そっか。それじゃあこれ迄の経緯について話すよ。一応、ジジ……創造神様にも話した……っていうか、見られた? 内容だけど。

 

 「構わぬ構わぬ。そなたの口から聞かせてくれれば善い」


 分かった。……っとその前に、これだけは言わせてほしい。

 

 「ん、なんじゃ? 妾は焦らされるのは余り好きではないからのぅ、手短にせよ」

 

 有り難う。それでは少々お耳汚しを。

 

 スゥー。ハァー。ヨシ!

 

 「あのジジイ、ロリコンだったのかよぉぉおお!」

 

 神界の隅々にまで届けとばかりに、俺は心の底から絶叫した。

 

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