第2話

 純白のローブを身に纏い両手を後ろ手に組んだ推定おじいさんは、好々爺とした雰囲気を醸し出しながら、体育座りのまま呆然と見上げる俺に視線を合わせて、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 

 「では青年。お主がどの様な手段を用いて我が神界へと侵入せしめたのか。その方法と合わせて目的も答えて貰おうかの」

 

 「は? え? …………は?」

 

 しかし、発せられた言葉の内容は理解できても、意味までは理解できなかった。


 シンカイ? 深海って言ったの? 此処って海の底なの? え、やっぱ夢? ってか、なんでそんな所に居るの? 侵入ってなに? 目的って何の事? そもそもその言い方、まるで俺が悪者みたいじゃん。それは冤罪でしょ。どう考えてもお互い巻き込まれ被害者でしょ。それなのに一方的に俺を悪者扱いとか御里が知れるってもんですよ。いやいや、今のは言葉の綾っていうか、別に深い意味とかはありませんよ。言い掛かりは止めて下さい。落ち着きましょう。一旦冷静になってから話し合いましょう。

 

 そんな疑問や文句や自己弁護ばかりが脳内を駆け巡るせいで、意味のある言葉は何一つ口を吐いて出ない。

 

 「ふむ、困惑しておるようじゃが、偽証の気配は感じられぬ、か……」

 

 そんな俺の様子に業を煮やしたのか、推定おじいさんは何やら呟いた後、まるでエスカレーターにでも乗っているかのような動作で、徐に俺との距離を詰めてきた。

 

 目の錯覚だろうか、推定おじいさんが足を動かしたようには見えなかったのだ。

 

 「ひぃっ……」

 

 本能が危機感を訴えたのか、反射的に俺の口から悲鳴が漏れた。

 ただし、これはあくまでも本能が勝手にやった事であって、俺が特段情けない人間という訳ではない。

 

 「ホッホッホ。そう身構えずとも良い。どうやら問答だけでは埒が明かぬようじゃから、少しばかりお主の記憶を見させて貰おうと思っての」

 

 しかし、推定おじいさんはそんな俺の様子になど意にも介さず、孫を相手にするご隠居じみた雰囲気のままスーっと近付き、スッと片手を俺の頭に伸ばし、ポンッとその手のひらで頭頂部を握り締めた。

 

 俺の記憶は、俺の許可なく一方的に開示されてしまうようだ。ぐぬぬ……。

 

 「ふむふむ。これは……っ! うむむむむ……」

 

 「な、何が見えているんですかっ? 」

 

 「うぬぬぬぬ……」

 

 いやいや、勝手に人の記憶を覗いておいて無視するとかどういう了見なんですかねぇ!

 べ、別に見られて困るような記憶なんて無いっちゃ無いからノーダメなんですけど!

 ただ、そう頻繁に唸られると、俺としても気が気でない訳で。

 自分にとってはノーマルでも他人にとってはアブノーマルだった的な可能性が無きにしも非ず、なんてパラノイアに陥りそうなんですががが……。

 

 「………………何と、まさか、偶然だとでも……!?」

 

 「なになになになに!? 俺の何を見て何て呟いたの!?」

 

 「だが有り得ぬ。その様な事……」

 

 「何が!? 俺の何が有り得ないの!? 略歴!? 職歴!? 遍歴!? ……まさか性癖!?」

 

 「ぐぬぬぬぬ……」

 

 思わせ振りな呟きなら今すぐ止めて! いっそ黙って! 唸るのも止めて! 絶対他の人には言わないで!

 

 こんなの地獄過ぎる。何で俺ばっかりこんな目に遭わされるの。ってか、ジジイいい加減にしろよ。いつまで俺のセンシティブに触れ続けるつもりだよ。これもう殴っても許される案件だろ。

 

 そんな怒りはあらゆる感情を凌駕するのか、いつの間にか俺の両目はガンギマリとなり、見開かれた視界は眼前のクソジジイの様子を余すところなく捉えるばかりか、その周囲の光景すら見渡す余裕さえ生まれていた。

 

 狂いそうな程の郷愁も、羞恥を源泉とした憤怒の前には無力だったようだな。

 ジジイが何かやってくれた結果っぽいが、そんなの最早ノーカンだ。恥ずか死ぬところだったんだからな!


 この際、改めて自分の置かれた状況を見てみるか。ガン無視されたし。

 

 正体不明の空間で正体不明のジジイに頭を押さえられ胡座をかく俺。

 

 混沌カオスかな。


 何でこうなった! 何処で選択肢を間違えた!? なんて日だ! そう叫べたらどれ程スカッとしただろうか。

 だけど俺はお行儀よくお座りしたままです。

 うんうん唸り続けるだけの機械と化したジジイの思考に、横槍を入れる度胸なんてありませんよ。

 

 それにしても、改めてジジイを見てみると中々に現実離れした姿形をしている。

 

 長い白髪の前髪は白眉と繋がって更に垂れ下がり、顔面の殆どを覆い隠しながら豊かに蓄えられた白髭と合流し、また更に垂れ下がっている。


 純白のローブと合わさっていたせいで気が付かなかったけど、どうやらクソジジイの頭髪は全体が足元まで伸びていて、その束の中に髭や眉毛も混ざっているようだ。

 

 これでどうやって大きい方をするんだろう。大変じゃない?

 

 そもそも、纏っている純白のローブも不自然なほど整いすぎている。

 俺の頭に伸ばされたジジイの手首まで覆っておきながら、袖口から足元の裾に至るまで、皴の一つも見受けられないなんて有り得るのか?

 まるで首元から足元までを一枚の布がストンと流れ落ちているだけのようだ。

 

 一体何の素材が使われた服なんだろうか。

 

 少なくとも、大手ファストファッションセンターでしか衣料品を購入したことが無い俺には、絶対に縁のない素材なんだろうな、という事しか推察できない。

 

 ただ、一つだけ確信した事がある。

 

 このジジイ、絶対日本人じゃねぇ!

 

 今まで日本語でやり取りしてたし、ジジイも日本語で呟くもんだから人種なんて気にしてなかったけど、これもう明らかに外国人だわ。

 辛うじて確認できる目鼻立ちの彫りも何か深い気がするし、このヘンテコな服装も異国文化だとすれば、まあええんちゃうと思えなくもない。

 

 ってか、この空間マジで何なの? どういう経緯で俺と外国人のジジイの二人がエンカウントするに至ったの? 何で誰も説明してくれないの? 何で二人っきりなの? これが夢なら何を暗示しているの? ジジイは何時まで俺の記憶を覗き続けるの? 何時になったら自由になれるの?

 

 そもそも俺、日本に帰れるの?

 

 「あっ……」

 

 そうだ。現実感が薄いせいで真剣に考えてなかったけど、今の状況って所謂拉致、なんじゃねえの。……いやいや、何処の国の人間が死にかけの俺とモジャモジャのジジイを深海に叩き落とすってんだよ。それして誰に何の利益が生まれんだよ。ダイヤモンド愉快犯かよ。


 って事はあれか? キャトル何とかっていうUFOがやらかすタイプのヤツか? 夜中に牛とかを回転させながらダイナミックに拉致っていくとかいう。


 でもそうなると、此処はUFOの中って事になるんだけど……。

 

 有り得るな!

 

 有り得ますよコレは! やたらと郷愁を煽ってくる何もないこの空間も、宇宙人の持つ超科学だとすれば、何の意味があるのかはさておいても、はえースッゴイって納得出来なくもない。

 

 となると、俺の記憶を貪るように覗き耽っている目の前のジジイこそが宇宙人って事になるのか。

 思えば、俺の頭に手を乗せただけで記憶を読み取るとか、人類のテックを凌駕し過ぎだろう。

 ジジイの見慣れない素材の服装も、宇宙素材ですって言われたら、はえースペーシーって納得出来なくもない。

 

 そういう事だったのか。キャトラれたのか俺。

 何でジジイが俺の存在に驚愕して絶叫したのかは不明だが、この結論は、全ての点と点が繋がって一本の線となり真実への道を示している、様な気がする。

 

 しかしそうなると、俺が無事に帰還する為には、ジジイを倒すなりして、こっちの要求を受け入れざるを得ない状況を作らないといけないのか。

 

 未だに俺の頭に乗っかっているジジイの手を振り払い、素早く立ち上りローキックを放ち、地面に倒れた所でマウントポジションを奪い息も吐かせぬ連打を浴びせる、か。

 幾ら宇宙人とはいえジジイである以上、足腰がクソザコなのは共通の真理だろう。磨り減った膝の軟骨は、二度と戻らない青春時代と同価値だって杖ついた年寄りの客がよく言っていたし。

 

 そうと決まれば後はタイミングだ。ジジイが最も深く俺の記憶にのめり込んだ瞬間を狙う。

 

 お年寄りの膝に蹴りを入れ顔面を殴打する事に多少の罪悪感を覚えるが、俺は何より自分の身が大切なのだ。キャトラれた上に碌でもない実験体にでもされたら堪らん。


 死に際は穏やかにって決めているんだ。

 誰も恨まず誰からも恨まれず、全てを胸の内に納めて一人穏やかにこの世を去るってな。

 

 ここは心を鬼にして、宇宙スペースジジイに引導を渡す。

 

 俺は覚悟を決め、静かにその時を待った。

 

 「ぬぅぅぅぅ……っ!」

 

 「っ!」

 

 そうして待ちに徹した結果、ジジイが一際強い困惑と唸り声を上げた。

 次の瞬間、俺は腰を浮かしながら素早く利き手を振り上げ、頭の上のジジイの手を弾こうと――――。

 

 「認めるより他に無い、というのか。この青年が異世界人イセカイジンなどという戯けた事を……っ!」

 

 全神経をジジイへと集中させていた俺は、忸怩たる思いを隠そうともしないジジイが発した一言一句を完璧に聞き取ってしまった。

 

 「はえ!?」

 

 その結果、動揺した俺の手は空を切ったばかりか、その反動を制御する事も侭ならず、無様にも仰向けに転び強かに背中を打ってしまったのだ。

 

 「……何をしておるんじゃお主は?」

 

 「ぐふっ……」

 

 精神的にも肉体的にもダメージを負ってしまった。俺の黒歴史にも新たな一ページが追加された事だろう。本棚に収まらなくなるかもね。

 

 って、んな事ぁどうでも良いんだよ!

 

 「それよりもっ! 今、異世界人って!」

 

 「ぬ? ふむ、矢張りお主に自覚は無し、か。記憶通りといったところかの」

 

 「一人で納得してないで! 説明! 説明を要求するぅ」

 

 「おぉ、そうじゃのう。お主の記憶も全て見させて貰ったし、現時点で伝えられる事だけでも伝えておこうかの」

 

 そう言ったジジイは、いつの間にか好々爺とした雰囲気を消し去り、何処か超然とした存在感を放ち始めた。

 

 「先ずは自己紹介を。我は数多の世界を産み出し管理する事を権能としておる創造神ゼクラスじゃ。そしてようこそ我が神界へ。この地で人の身とまみえたのは初めてなのじゃが、神界の居心地は如何かな? 異世界チキューより迷い込みし異世界人の青年、カイト・ニホン・イセよ」

 

 「ぐふぅぅうう!?」

 

 俺から求めておいて何ですが、返事の前に一旦考えさせて下さい!

 

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